金バッジ候補生
勉強をする事はゆっくり達にとっては辛いが、四十番れいむにとってはそうでもなかった。
行住坐臥、全てをプラチナバッジの為に懸けていると言っても過言ではない。
その成績は、通常種としては破格と言えた。
そして、金バッジ習得試験が近付くに連れ、ゆっくり達の成績発表が行われる事になる。
コレを行う理由だが、どうやっても試験に受かりそうも無い個体に、無理をさせる事無く敢えて降りさせる為に発表が在った。
そして、いつもの教室にて、背広姿の男は最後まで残ろうと懸命なゆっくり達と向かい合っていた。
「さて、金バッジ習得の努力を重ねている諸君。 通常ならば二倍は掛かろうという時間を、諸君等は半分程でのし上がってきた。 先ずはそれを誉めよう。 今回の模試にて優秀ならば、金バッジ程度は余裕だと断言出来る」
世辞を述べると、男はクリップボードに目を落とす。
「先ずは、最優秀なゆっくりだが……」
そんな声に、馬に居る者達は息を飲む。
皆が皆、固唾を飲んでいた。
「……四十番。 素晴らしい成績だ。 このまま国の試験を受けたとしてもまず合格は間違いないだろう。 学科、日常の作法、振る舞い、言動。 どれもこれも文句は無い」
パッと出た自分の番号に、れいむは目を丸くしてしまう。
努力を重ねてきた事は自ゆんでもわかっては居ても、いざその中でも最優秀だと言われたことが信じられなかった。
ホントに自分が呼ばれて居るのかをれいむは疑うが、他のゆっくり達の目が自分へ注がれているのには気付けた。
「本当……ですか?」
「ああ、唯一残念な事が在るかと言われれば、試験日が今でないのが残念なくらいだな」
男の言葉を既に完璧に理解出来るれいむからすれば、自分の中に自信が湧いていた。
そんなゆっくり達だが、ソレには関わらず男はクリップボードを読む。
「次に二位だが、三十五番」
呼ばれた三十五番まりさがキュッと身を固める。
「だ、はい!」
「君は口調だけを気をつけて欲しい。 それ以外に関しては特に問題は無いと言える。 それさえ試験の時に気をつけて居れば、君も金バッジは悠々と習得出来るはずだ」
「わ、分かったんだ……分かりました」
「宜しい三十五番。 ただな、出来ればもう少し自然に振る舞うんだ」
慌てて【だぜ】を引っ込める三十五番。
隣に居る四十番れいむと、目を合わせる。
特に言葉こそ交わさないが、目でお互いに誉め合っていた。
その後も、他のゆっくり達の成績が発表されていく。
特に目立った問題は無いのだが、最後に残されたゆっくりは不安を顔に浮かべて居た。
「……さて、八番。 率直に言おう。 君は口調、振る舞いに関しては問題は無い。 銀バッジとしては問題は無い」
「じ、じゃあ!」
目を輝かせる八番なのだが、男の目は冷たかった。
「だが、学科の試験は少し不安が残る。 他の点は順調なのだから、多少の点数の漏れはもしかすれば見逃して貰えるかも知れないが、もう少し努力が必要だな。 金を目指すのであれば、だ」
男の声に、八番ありすは震えた。
努力は重ねたつもりなのだが、結果が常に付いて来るという事もない。
とは言え、ブリーダー出身でもないにも関わらず、此処まで漕ぎ着けただけでも大したモノなのだ。
その辺をさ迷う野良からすれば、銀バッジですら垂涎のモノだが、ソレよりも上に行こうと望んでいた八番ありすの落胆は大きい。
此処まで努力した自ゆんは銀止まりなのかと。
チラリと窺えば、八番ありすには見えない筈の線が見えた。
他のゆっくり達ならば、試験を受ければ合格するという御墨付きを貰い浮かれている。
ソレが、八番ありすにとっては辛い。
今までもゆっくりのゆっくりしたいという欲求を押し殺し、上がってきた。
辛いを通り越し、許せないという感情すら湧きあがらせる。
自分はこんなに辛い想いをしているのに、他の馬鹿共は笑い合う。
何故自分だけが輪に入れないのか、八番ありすはそう考えてしまった。
人間ですら努力が実らない事などそう珍しい事でもない。
だが、それが分かるほど、ありすは老齢でもなかった。
寧ろ若い分、考えが浅い。
何故自分だけ評価が低いのだろうか。
そう思う八番ありすは、最優秀と言われた四十番れいむを見る。
──どう見ても、都会派な自分の方が優秀な筈なのに──
無論、八番ありすの想いは勝手な思い込みに過ぎない。
その辺の野良に比べれば遥かに優秀ではある。
しかしながら、学科という試験が在る以上、それに見合う点が出せなければ何をどう思おうが意味は無い。
ゆっくりという種族に関しては、思い込みは非常に重要な意味を持つ。
四十番れいむが最優秀な成績を取れたのも、何時か見た完全なゆっくり、プラチナバッチを持つ胴付きのえーきに憧れたからだ。
ああ成りたい、だからこそ自分は頑張れる、と。
だからこそ、その想いの力でれいむはのし上がった。
逆に言えば、ありすはその想いが足りなかったせいとも言える。
とは言え、この場にてそれを指摘できる者は居ない。
ゆっくり達の監督者の男ですら、ゆっくりが何を考えているか迄は読めないのだ。
──何だってあんな田舎もんが最優秀なの?──
皆が浮かれる中、八番ありすは、ギシリと歯を軋ませた。
*
夜、すっかり独りきりで眠るのに慣れた四十番れいむは、ソッとお飾りであるリボンを外す。
寝る際には外さないといけないという決まりも、受け入れていた。
と言うよりも、このれいむは、外す事が苦ではない。
何故なら、外せば自ゆんの目でリボンが見えるからだ。
【四十】と印された番号札に加えて、銀バッジ。
ソレを見る度に、誇らしさすら湧いてくる。
「もう直ぐで、金バッジさん貰えるよ……妹」
そんな言葉を自分のお飾りへと掛けながら、れいむは床へ着いた。
日々の訓練、授業の過酷さから、寝付きは良い方だが何か違和感を覚えてれいむは目を覚ます。
部屋の明かりは完全に無いわけではなく、目を凝らせば見えなくもない。
そして、四十番れいむの目に、同じゆっくりの血走った目が映った。
「あ、あり……」
何事かと問おうとした途端、ありすはれいむの口を塞いだ。
ゆっくり達が如何なる能力にて、もみあげを手が如く使っているのかは科学の及ぶ所ではないが、とにもかくにも、手の代わり足り得るのは間違いなかった。
「れいむさ、あんた生意気なのよね……田舎もんの癖に」
昼間の事はれいむも憶えては居る。
だが、ありすが自らの成績に付いて言われた事はれいむには何の関係も無い。
特に妨害をしたわけでもなければ、邪魔をした事もない。
寧ろ、八番ありすとは疎遠とすら言えた。
コレについては、ゆっくり達を監督している男の落ち度でもある。
本来ならば、個別に呼び出し成績を教えれば良かったのだ。
しかしながら、それでは時間無駄だと全ゆっくりの前で発表してしまった。
それが、八番ありすの自尊心を傷付けいた。
「良い気に成っちゃった? 皆の前でさ、優秀だなんて言われて……」
暗く淀んだ声でそう言うありすは、ユヘヘと不気味に笑う。
「金バッジがそんなに偉い訳? 馬鹿よね? 知ってる? 幾らバッジ取ったってさ、所詮は人間さんの奴隷だって事」
まるでこの世を呪う様な声で、八番はそう宣う。
無論、それは強ち間違いでもない。
如何に金バッジと言えども、ゆっくりはゆっくりである。
それ以上でも以下でもない。
仮に金バッジを習得したとて、良い飼い主に当たらない不幸なゆっくりは確実に存在した。
加えて、仮に良い飼い主当たった所で、増長してしまいゲス化するゆっくりも居る。
今の八番は、ゆっくり特有の本能とでも言うべき思考に捕らわれていた。
ゆっくりの本能に根ざす根源的な欲求は、【ゆっくりしたい】である。
具体的には何がどうという事は定義されて居らず、それは個体に委ねられる。
程を弁え、老衰し永遠にゆったりと最後を迎える者も居れば、自分は金バッジなのだから何をしても良いと勘違いするゆっくりも少なくない。
より良い環境を、より良い待遇を、より良く、より良く。
実のところ、コレはキリがなかった。
如何に何をどうしようとも、理想は遠退いて行ってしまう。
追い付こうとすればするほどに。
もし、それに届こうとするので在れば、死に物狂いに成る他はない。
だが、八番は理想が高かったからこそ、届かないという落胆に襲われてしまった。
自分は駄目なのかという諦めよりも、もしかしたら誰かが邪魔をしているのではないかという妄想。
だが、時に妄想は生物を突き動かす。
八番は、最優秀と言われた四十番を妬んだ。
自分が居るべき場所に、他のゆっくりが居る。
それが何よりも許せないからこそ、八番は足掻いてしまう。
「ねぇ、れいむ。 おチビちゃん出来ちゃったら……どうなるかな?」
妖しく笑う八番の声に、れいむは目を見開いていた。
飼い主の許可無しの子作りなど、飼いゆとしては言語道断である。
一ゆんですらあれやこれやと世話が要るのに、数が増えればそれだけ飼い主への負担は数の分だけ増えていく。
無論、銀バッジ以上ともなればその程度の事はしっかりと教育されている筈なのだが、だからこそ八番ありすは、憎いれいむにのし掛かっていた。
「ねぇ、れいむ。 あんたさ、まりさの事……好きなんでしょ?」
そんな八番の声に、れいむは震えた。
密着している八番にはそれが分かってしまう。
「図星なんだぁ……へぇ……」
一度火が灯った本能は、おいそれとは引っ込んでくれない。
ましてや、只でさえ思い込みが強いゆっくりである。
──此奴さえ居なければ──
そんな八番の思考は、ゲスな表情として現れていた。
正気を失った目に、不気味に歪む口。
八番の中で、何かがプチンと切れていた。
「んほぉおおおおお! 奥手なまりさに代わって都会派な愛を教えてあげるわぁああ!!」
四十と番号が振られた小さな個室から、そんなに下劣な声が響いた。
*
金バッジ候補生が寝泊まりする部屋に薄暗い明かりが在る理由として、実は監視する為の意味合いも在った。
銀バッジ以上ともなれば、それなりの分別を弁えさせている。
だが、溜まった精神的緊張の為に自傷行為や他のゆっくりへ攻撃を加えてしまう時も無くもなかった。
此処で問題なのは、人間の目で監視する事は完璧ではないという事だろう。
仮に監視カメラの前で誰かが見ていたとしても、常時それが出来る筈もない。
偶々トイレへ行っていたり、休憩なりをしていれば目が届かなかったという事もあり得る。
この時の場合は、まだれいむに運が残っていたと言えよう。
それなりに真面目な監視員が、起こってしまった事態を慌てて報告する。
報告を受けた作業員が警察官さながらに現場へ向かう。
その中には、四十番れいむをコンポストから引き上げた男も混じっていた。
いつもなら済ました顔でゆっくりに接する彼も、この時ばかりは必死な形相。
「急げ! 速くしろ!!」
普段の沈着冷静ぶりなど、男はかなぐり捨てて走った。
【ゆっくりベッドルーム】とプレートが掛けられた部屋へと、背広姿の男は我先にと駆け込む。
その時である。
【四十】と番号が振られた小屋から「すっきりぃいいい!」と声がした。
一瞬だが、男の纏う空気が凍った。 だが、直ぐに男は顔を変える。
ソレを見ていた他の職員が怯える程の形相へと。
バッと小屋へ走り寄り、力任せに天井部分を引っ剥がす。
すると、中の異様な光景が周りにも窺えた。
如何にも恍惚とした八番ありすと、額から枝を延ばし始めている四十れいむ。
「……あ……え? に、人間さん?」
流石の八番も、いきなり天井が無くなれば気付く。
自ゆんを見下ろす人間の顔も見えていた。
「この……ずた袋がぁ!?」
八番の弁解など待たず、男は手を伸ばし八番を鷲掴むと、力任せに放り捨てる。
「ゆんがぁぁあああ!? いぢゃぃいいい!?」
この時、運が良いのか悪いのか、八番はカーペットが敷かれた床へと落ちた事で致命傷は免れた。
「おい! サッサとその糞袋をゴミ箱へ押し込んで置け! 殺すなよ!? 後で聞きたいことが在る! バッジも剥がしとけ!」
怒り心頭といった男の声に、作業員も慌てて「は、はい!」と応える。
「い、嫌! ぢ、ちょっと待って!? は、話を!!」
慌てて弁解しようと試みる八番ではあるが、既に無駄であった。
【ごめんなさい】【すみません】で済む問題ではないのだ。
「ゆぎぃぃいい!? ばなぜ!? ばなぜいながものどもがぁああ!?」
作業員に取り押さえられる八番は喚く。
他のゆっくり達も何事かと姿を見せるが、其処で見たのは、いつもならば厳めしさ漂う男が、四十番れいむを大切なモノを扱う様に拾い上げる姿であった。