基礎
男は試験を始めるとは言ったが、特に何も起こらない。
それどころか、部屋のゆっくり達には食事が運ばれてきた程だ。
だが、誰も食べない。
本来のゆっくりなら出された時点でその餌にありつこうとがっつくが、皆一様にジーッと餌を凝視していた。
理由としては単純に、勝手食べるなという指示に加えて、食事をする事自体も試験だと言われてたからだ。
そして、壇上に新たに設置された台の上には、試験を受けているゆっくりとは別のゆっくりが居た。
お飾りに輝く金のバッジ。
一段高く設えられた壇上に居るゆっくり、金ぱちゅりーは全員をつまらなそうに見渡す。
とある事情にてこの金ぱちゅりーは同じゆっくり達の選別と訓練を任されていた。
「むきゅ、これからぱちゅが皆に食べ方を教えます。 こんな事も出来ない馬鹿は、バッジ云々以前にどうなっても知らないから」
実にぞんざいな態度だが、どのゆっくりからも文句は上がらない。
「良い? 出来るだけこぼさない。 食べてる最中には喋らない。 ましてや……」
説明の途中ではあるが、試験を受けていたゆっくり内、幾つかが空腹に勝てず動いてしまった。
「いただきましゅなのぜ! むーちゃむーちゃもーぐもーぐ!」
「ひゃっはー! すーぱーむーしゃむーしゃたいむ! はっじまるよー!」
飢えて居るからこそ、ソレを満たしたい。
本能的な欲求に、負けた者が出てしまった。
注意事項など宇宙の彼方へすっ飛んでいる。
無論ソレは四十番と番号を付けられたれいむも同じで、とにかく食べたい。
だが、下手に勝手に食べない方が良いと分かっていた。
余計な真似をして相手を怒らせたくない。
れいむの視線の先には、舌打ちを漏らす金のぱちゅりー。
「むきゅ、馬鹿ねぇ……ちゃんと説明したのに。 でもま、野良なんてこんなものでしょ。 十二番、三十六番、失格」
ただ一言、金を掲げるぱちゅりーがそう言うと部屋の後ろに待機していた人間が動いた。
勝手に餌を頬張るゆっくりが持ち上げられる。
ボロボロと口から餌を落としつつも、暴れ出した。
「な、なにするのぜ!? まだはんぶんもたべちぇないのぜ!? は、はなすのぜ!?」
「わからないよー!? なんでたべちゃだべなのぉぉおお!?」
泣き喚くゆっくりは部屋から連れ出され、部屋に静寂が戻る。
食事前のウキウキ感など何処へやら、試験を受けるゆっくり達に訪れたのは得体の知れない恐怖だった。
「はい、皆さん。 あんな風に成りたくないでしょ? でもまぁ、もう戻って来ないから気にしないで。 さ、早速頂きましょうね。 最初は少しぐらいこぼしても仕方ないから、出来るだけゆっくり丁寧にね?」
金ぱちゅりーの声に、れいむはようやく理解していた。
既に【試験】とやらは始まっているのだ。
不用意な真似は、即座に地獄行きを意味する。
男が言っていた言葉は覚えているのだが、れいむはこう考える。
地獄など見飽きているのだ、と。
「……おねーちゃ」
自分と同じ種が運ばれた事に、れいむの妹は怯えてしまう。
そんな妹に、れいむはシッと息を吹いた。
「しずかにしてね。 いまはたべるの。 いわれたとおりに」
そう言うと、れいむは食べ始めた。
食事の途中、ぱちゅりーはあれやこれやと講義を垂れる。
やれこの食べ方はいけない、こんな食べ方もいけない。
そんな言葉を聞きながら、れいむは指示通りに食べる。
決してこぼさぬ様、大口開けてがっつく様な真似はしない。
何故なら金ぱちゅりーが既に例を見せてくれているのだ。
小口で少しずつ、そうすればこぼさずに食べられる。
ソレよりもれいむを悩ませたのは餌その物だった。
決して不味い訳ではなく、それどころか旨すぎる。
狭い世界で食べていたモノに比べれば、信じられない程に美味い。
こんなモノがこの世には在るのかと疑いたくなる。
猛烈に在る欲求がれいむを襲う。
口を閉じ、身体を強ばらせる事で欲求を耐える。
だが、全てのゆっくりがそうも行かない。
「うっめぇ! まじぱねぇ! これうめぇ! ちちちち、ちあわしぇえええ!!」
味に対する本能的な反応。 美味いからこそ、出てしまう。
口内に残った美味い餌をばら撒くゆっくり。
だが、本能を我慢出来なかったゆっくりを見ていたぱちゅりーは、悩ましげに息を吹いた。
「………下品ね。 六番、失格」
静かな声に、騒いでいたゆっくりが固まる。
固まったと思われた途端に震えだし、失禁すらしてしまった。
「い、いや! だじゅげでぇ!! ぞんな!? もうじばぜん!! でいぶがばがでじだ!! じゃんどごばんたべばずがらぁ!!」
悲鳴を残しつつ、運ばれていくゆっくり。
それを見ていた金ぱちゅりーは、鼻で笑った。
「むきゅ……コレは躾が出来てない様ね。 サッサと連れ出して頂戴ね。 せっかくの食事が台無しだし、時間と金の無駄。 はい、残りの皆さん綺麗に食べましょうね?」
高が食事一つで、試験を受けるゆっくりが減った。
同族が運ばれていく姿に、れいむは多少恐怖を覚えたが、逆に言えば有り難くも在った。
少し間違えば、自分がああなっていたのだからと。
こんな事では終わらないと、決意も新たにれいむは餌を食べていた。
食事が済んだ。
多少は零してしまったゆっくりも居るが、それを慌てて舌で舐めとる。
勿体ないからと言うのもあるが、実際には零したのを見咎められるのが嫌がったからである。
中には食べ終えてマッタリとしている者も居るが、ソレについては金ぱちゅりーは咎めない。
ぱちゅりーからすれば、自ゆんはあくまでも食事中の作法に付いて教えに来ただけであり、他の事など知ったこっちゃなかった。
「むきゅ、ぱちゅが教えるのは此処迄ね。 少し下品だけれど、まぁ良しとして。 はい、残った皆さんに札を付けて上げてくださいね」
そんな声に、マッタリとしていたゆっくりですら身構える。
何が起こるのかと。
少し待っていると、れいむとまりさの姉妹にも札が付けられた。
「これからも試験は続きます。 ま、ゆっくりしていってね?」
そう言う金ぱちゅりーは、何故か嘲る様な笑みを浮かべていた。
*
食事も済み次にと連れて来られたのはまた別の部屋である。
広い部屋に、薄い座布団が四十枚。
既にゆっくりの残りは三十七だが、誰も片付けはしていなかった。
「此処がおまえ達の寝床だ 便所……あー、うんうんとしーしーは決まった所でやれよ? 粗相したらタダじゃあおかんからな?」
そんな人間の声に、ゆっくり達は怖ず怖ずと適当に座布団へと向かう。
数字というモノを教えてもらって居ない以上、咎める事を担当の人間はしない。
「初日ご苦労さん。 さて、何か在るか?」
案外気さくな声に、ゆっくり達は特に意見を言わない。
ただ、四十番のれいむがジッと人間を見上げた。
「ん? どうした四十番? 質問なら許可されてるぞ?」
許可という言葉が何なのかはともかくも、れいむは目を上げる。
「………にんげんさん。 しけん? よくわからないけど、つれていかれたゆっくりは、どうなるの?」
れいむは連れて行かれた者の処遇が気になってしまった。
何故なら、いつ自分がそうなるのか分からない。
どうせなら知っていたかった。
「あん? あー、ま、この試験と訓練だってタダじゃないんだ。 駄目なら身体で払って貰うのさ。 そんなもん気にする事か? 加工所送りか、コンポスト行きか……だいたいお前は彼処の出だろう?」
そんな声に、れいむは寒気がした。
失敗した場合、またあの狭い世界へ押し込められる。
薄暗く、臭く、惨めな世界へ。
そう考えてしまったれいむは震えた。
「そんなに震える成って。 銀でも貰えりゃ御の字だろ? ま、頑張んない」
それだけ言い残すと、作業員は部屋を出て行ってしまう。
人間の姿が見えなくなったからか、妹の三十九番まりさが姉に近寄った。
「おねーちゃ……だいじょうぶ?」
身体を寄せてくれる妹に、れいむは同じく身を寄せた。
「だいじょうぶ。 がんばろうね? しまいで、ほしになるよ?」
静かながらも、強い姉の声に妹は小さくゆんと頷いた。
れいむが言う星とは、依然見たプラチナバッジである。
それさえ身に着ければ、怖い人間ですら跪く。
いつかそうなると決めたれいむは、静かに目を閉じた。
*
翌日からは【銅バッジ】なるモノを取るために訓練が開始されたのだが、はっきり言ってれいむにとっては退屈この上ない。
してはいけない事、しても良い事が説明されるのだが、大抵の事は既にあの狭い世界で体得していたのだ。
瞬く間に数日が過ぎ、全員にバッジが配られる。
それは、鈍いブロンズであった。
バッジを配られる際、ゆっくり達は驚きつつも喜んだが、直ぐにソレが止まる。
れいむと話したあの男が教室に現れたからだ。
「さて諸君。 君達は先ずは最低限の関門を突破した。 だが、まだソレは一歩も歩いては居ないのだよ。 君達は、ようやく階段の下に来たに過ぎない」
そんな重苦しい声に、ゆっくり達は押し黙る。
「次に君達にはシルバー……銀のバッジを取って貰いたいが、先ずはこれを見てくれ」
男はそう言うと、背後にある黒板へと向かう。
ソッとチョークを手に取ると、黒板に大きく【4】と書いた。
「さて、この中でコレが分かる者は?」
れいむも男が書いたモノが何らかの記号成り文字なのかは分かるが、意味が分からない。
だが、他のゆっくりの中には跳ねる者もいる。
「はい! はい! それは、よんね」
我が意を得たりと答えるのは試験を受けているぱちゅりー種。
その答えに、男は頷く。
「そうだ。 中には分からない者も居るだろう。 が、おいおい憶えて行け良い」
それだけ言うと、男はぽんと手を鳴らす。
教室に入って来たのは、以前現れたえーきと同じ様に胴付きのちぇんだった。
その頭のお飾りには、キッチリと金が掲げられている。
「やぁ皆、今日の授業を受け持ったちぇんだよ」
金ぱちゅりーに比べれば幾分か明るい口調に、ゆっくり達はホッとした。
この調子なら、少し間違っても簡単に落とされる事は無いだろうと。
「今日は皆に数字を憶えて貰うんだよ、わかってねー?」
そうして、授業が始まった。
*
れいむにとっては【銅バッジ】の試験など取るに足りない事だったが、今度始まったソレは違う。
今の今まで、全く触れて居なかった数字というモノに、頭を悩ませた。
大まかなゆっくりに関して言えば、数字の概念は無い。
一、二、沢山。 それだけだ。
それでは駄目なのだと、教師である金ちぇんか語る。
おはじきを用いてコレが幾つなのかを各自に教えて回る。
そんな中でも、れいむは割と覚えが早かった。
救いの無い地獄をさ迷ったからこそ、必死さが在る。
「いち、に、さん、し、ごー、ろく、なな、はち、きゅう……せんせぇ!」
れいむの呼び声に、金ちぇんは近付いてくる。
「うん? 何かなー?」
「きゅうのつぎは?」
そんな質問に、金ちぇんは目を少し見開いた。
「ゆん? そうだねー分からないよねー……ちょっと待ってね?」
そう言うと、金ちぇんは黒板の方へと歩いていく。
「良いかな皆? 1と0とを合わせる。 これが9のつぎ、十だよ」
次に始まったのは、【0】という数字だった。
コレを用いる事で二桁の計算を行う。
此処までは普通幼稚園の授業でも見られる光景であろう。
だが、問題が起こった。
少し前に【4】を答えたぱちゅりーが、ダンと全身で机を叩いたのだ。
「せんせい! こんなしょほてきなじゅぎょうなんてやめて! もっとはやくおしえてほしいの!」
このぱちゅりーは退屈であった。
既に自分は先に居る。
他は足手纏いなので切り捨ててやろうとすら考えている。
他のゆっくり達がぱちゅりーの剣幕に帯びる中、怯えない者も居る。
金ちぇんは勿論だが、先程その先生に質問したれいむもまた、恐れてなど居なかった。
「ふぅん?」
なにやら面白そうに優雅な足取りでぱちゅりーへ近づく金ちぇん。
脚を止めると、スッと自分を睨む生徒を見下ろす。
「こんなのじかんのむだでしょ! ぱちゅはもっと………」
自らの英知を示さんと意気込むが、金ちぇんは揺るがない。
「凄いねー? そりゃあ元飼いゆだもんねぇ? でもね、なんでそんな賢者なぱちゅりー様は……なんだって此処に居るの?」
金ちぇんの声に、教室が一瞬ざわついたが、直ぐに静まる。
何故なら、先生の顔を見えたからだ。
まるで生ゴミでも見るような目で相手を見下ろす目。
三日月が如く歪んだ口。
「お利口な自ゆんは偉いと思いたい? ソレで増長しちゃって一度は捨てられたのに? まるで懲りてない? 別にねー、何時でもやめたいって言って良いんだよー? 誰も止めないからねー? わかったー?」
静かだが、確実に怒りが見え隠れする金ちぇんの声にぱちゅりーは震えていた。
「……む、むきゅ……ぱ、ぱちゅは、ゆっくりりかいした……しました」
やっとのことで野良を脱したのに、また地獄へ戻る。
そんなのは嫌だと、ぱちゅりーは震えていた。
「さー皆! 銀バッジ目指して頑張ろうねー!」
先程までの厳めしさは何処へやら、金ちぇんは朗らかにそう言った。
この時点で、れいむは授業の本質を悟った。
重要なのは数字云々が以前に、態度その物も重要なのだと。
下手に格好付けようなども粋がれば、余計な事を招く。
だが、妹は見捨てるつもりはなかった。
「せんせぇ!」
「うーん? 四十番れいむ、何かなー?」
「いもうとにおしえてあげたいんです」
「いいよー、どんどんやってね!」
金ちぇんは四十番れいむの邪魔をしない。
この試験は別段枠を設けては居ない以上、足切りをする必要は無いのだ。
である以上、協力しあったところで口を挟むつもりは金ちぇんには無かった。