星の残光
「まりさ?」
唐突な来客に、れいむはベッドから身を起こすとパタパタと部屋のドアへ向かう。
一時は仲違いもしたが、今ではまりさとれいむは互いに部屋を行き来するだけの中でもある。
「……まり」
ドアを開けたれいむの目に映るのは、まりさではなく監督官だった。
「監督さん?」
「れいむ、今は大丈夫か?」
特級鑑札候補生の部屋に人間が来ることは稀である。
仮に何らかの理由で訪れた場合、良い理由でないことが多い。
特に掃除をせず、部屋を汚いままにして居る場合などは先ずは口頭にて注意が行き、それでも駄目なら降格処分すらあり得た。
最も、候補生でそんな罰則を浴びた者はまず居ない。
つまらない事で金バッジを失ったとあっては身も蓋も無いのだから。
そうなると、れいむは監督官が来た理由が分からない。
何か粗相をした憶えもない。
「はい、大丈夫です。 で……あの、何か?」
何事かと身構えるれいむに、監督官は辺りを少し見渡す。
「いや、何……明日なんだが、早朝集まりが在る」
監督官の声に、れいむは少し考えた。
前置きが在る場合は、バッジの修得に関わる事が殆どだった。
わざわざ言いに来てくれた以上、れいむの胸の内は弾む。
「じ、じゃあ!」
「落ち着け。 プラチナバッジの結果発表はその時だが、結果はこの場では言えん。 今来たのは別の用事だ」
逸るれいむを抑えた監督官。
「えと、あの……はい?」
「此処からが本題なんだ。 れいむ。 君は、ご両親には会いたいか?」
唐突な監督官の声に、れいむの瞳はギュッと窄まる。
れいむの内心を明かせば、会いたいかと問われれば会いたい。
ただ、それは家族の情からくるモノではなく、寧ろ憎しみから来るどす黒い感情だった。
もし、今度会えたなら、自ゆんの力でで惨めに永遠にゆっくりさせてやろうという想いも過去には在ったことも間違いない。
ただ、そんなれいむの黒い部分は、度重なる訓練や試験によっていつの間にか忘れ去られていたのだ。
そんな暗い部分が、ようやく自由を得たかの如く溢れそうに成る。
抑えて居なければ、【今すぐ殺させろ】と言いそうですら在った。
「な、なんで今更……親の事なんて……」
暗く淀むれいむの声に、監督官はフゥと鼻から息を吹く。
「私は、面倒くさがりでな。 遠回りせずに理由から言おう。 君の両親は加工所預かりと成った」
そんな説明に、れいむはなる程とも考える。
普通のゆっくりからすれば、親子の絆というモノは実に大切なモノだが、今のれいむからすれば、ゴミ程の価値も無い。
大方、飼い主なりに刃向かったか喧嘩を売った、もしくは約束を破って捨てられたと、堕ちる所まで墜ちてきたという想像は難くない。
実際、そうやって身を墜とすゆっくりなど掃いて捨てる程居た。
我が子ですら捨てる様な親など、死んで当然のゲスだとれいむは自ゆんに思い込ませそうに成った。
ただ、実のところではれいむは自ゆんと親の差が分からない。
あくまでも自己保身の為に子ゆを捨てたと言うのであれば、れいむもそう変わりはないのだ。
「……今じゃなきゃ、駄目ですか?」
振り絞る様なれいむの声に、監督官は首を横へ振る。
「いや、多少は大丈夫だろう。 余計な事を聞いて済まなかった」
「構いません……他に何か、在りますか?」
「在る、と言いたい所だが、今じゃない方が良いだろう? それと、今日はよく頑張った。 ゆっくり休んでくれ」
そう言うと、監督官はれいむの前から離れていく。
「おやすみなさい……監督さん」
自ゆんを拾ってくれた恩人の背中を見送りながら、れいむはそんな声を掛けた。
部屋の戸を閉じて、またベッドへと戻る。
辺りを見渡せば、だいぶ前とは全く違う風景がれいむの目には見えた。
だが、心に残ったあの残酷な風景は忘れられるモノではない。
臭いを放つ残飯、それに貪り付く自ゆんと同族。
れいむがキッチリと掃除している部屋には汚れは無いが、見えてしまう。
過去の自ゆんがれいむをジーッと睨んでいた。
胴付きではなく、普通のゆっくりだった頃のれいむ。
ベッドに腰掛ける今のれいむの姿は、過去の自ゆんが想像したそのままでもある。
目を閉じれば、れいむに過去の自ゆんは見えなくなった。
だが、記憶には焼き付いて離れない。
そんな忌まわしい思い出を吐き出す様に長く息を吐き出すと、ソッとベッドへと寝転んだ。
「昔なんて……どうだって良いのに」
ぼそりと独り語ちるれいむだが、良い記憶と嫌な記憶ならば、後者の方が強いのは明白だろう。
それでも、れいむは後ろを振り返るつもりは無かった。
バッジの試験に落ちてしまっても、また半年後に受けられる。
馬鹿な両親の様に墜ちるべくして墜ちなどしないとれいむは強く想う。
過去を振り返らず、未来へ意識を向けると、自然とれいむは眠りに落ちることが出来ていた。
*
翌朝、特級鑑札候補生達は一カ所へ集められた。
中には眠れなかったゆっくりも居るらしく、目の下に酷いクマが窺える。
その中には、れいむの同期であるまりさも含まれていた。
昨晩ぐっすり眠れたのはれいむとのうかりんだけである。
そんなゆっくり達を前に、監督官が立っていた。
手にはクリップボード。
「おはよう、諸君」
「「おはよーございまーす」」
「「おばよぅございますぅ」」
贈られた挨拶に、元気な挨拶とそうでないモノが混じるが一々それを咎める監督官ではない。
「さて、諸君は昨日プラチナバッジの試験を受けた。 其処で、通知が来ている。 個人所有のゆっくりではもう少し後だが、諸君も結果を知りたいだろう」
この時、眠れなかったゆっくりですら目をぱっと見開く。
どのゆっくりの顔にも焦りが見えるが、唯一、のうかりんだけは余裕を崩さない。
「諸君に尋ねたいのは発表の方法だ。 この場にて合格不合格を伝える事は出来るが、他のゆっくりに知られたくないという者は部屋に帰って宜しい。 後で私が結果を伝えに行くからな。 この場で構わない者は、そのまま残ってくれ」
そんな監督官の声に、ゆっくり達は動かない。
どうせ合格不合格が決まっているのであれば、今更ジタバタするゆっくりはこの場には居なかった。
ゆっくり達が動かない事を確認してから、監督官は小さく頷く。
「……うん、では、発表をする。 先ずは、ちぇん」
「は、はいぃ!!」
いつも呑気な様子を見せるちぇんだが、この時ばかりは椅子を倒す勢いで立ち上がる。
緊張の為なのか、二本の尻尾がピンと張り詰めていた。
「……おめでとう、合格だ」
端的な声に、ちぇんは反応を起こせない。
まるで車の前に飛び出てしまい固まる猫が如く、ちぇんはたっぷり数秒間は固まって居た。
「……に……に……にゃがーん!? ほ、ホントなのー!? わからないよー!?」
ようやく正気に立ち返ったらしく、ちぇんは声を張り上げる。
そんなちぇんに、監督官はポケットへと手を忍ばせた。
スッと取り出されたのは、銀にも似ているがソレよりも輝きが強いプラチナバッジ。
「さ、コレは君のモノだ」
そんな声に、ちぇんはまるでゾンビが如くフラフラと監督官の方へと行く。
そんな先輩の姿を、れいむとまりさも固唾を飲んで見守って居た。
「ちぇん、少し頭を此方へ」
「は、はい! どーぞ!」
猫に似ている故か、パッと動くちぇん。
監督官は、ちぇんのお飾りから金バッジを外すと、改めて其処へプラチナバッジを付け直す。
長く使われた為か、些かくすんだ金バッジがちぇんの手へと渡される。
既に登録番号を外された金バッジはただの飾りに過ぎないが、それを捨てるちぇんではない。
「おめでとう。 君は立派なプラチナゆっくりだ」
そんな柔らかい声に、ちぇんはまるで夢でも見ている様な足取りで元居た席へと戻る。
些か不安が残る光景だが、監督官は取り合わない。
「次、ぱちゅりー」
「む、む、むきゅー!? はい!」
「おめでとう、合格だ」
「む、む、むむむむっぎょぉぉおお!? ご、ごごごご、ごう……」
監督官の声に、ぱちゅりーは思考が追い付かないのか、そのまま机の上で倒れてしまった。
極限の緊張と急激な解放に体の弱いぱちゅりーは耐えられなかったのだ。
「ぱちゅりーは後で起きた時に渡そう。 さて、次だが、きめぇ丸」
監督官に呼ばれたきめぇ丸だが、いつもの余裕は見えない。
それどころか、産まれたての子犬が如くプルプルと震えてすら居る。
「合格だ、今までよく頑張ったな。 三度目の正直とはよく言ったものだ」
そんな声に、きめぇ丸は風を起こすが如き速さで動き、監督官の机の上へと移動していた。
ゆっくり最速という噂は伊達ではないのだろう。
何を言われるでもなく、自らお飾りを監督官へと向ける。
「苦節は長かったと想う。 が、よく頑張り抜いた、おめでとう」
「おぉ、ソレはソレは……今までの苦労が実りましたか」
口調では平静を装っているきめぇ丸だが、嘘である事はバレバレだった。
何故なら、顔こそ変わらない癖にその目尻からは滝の如く涙を零している。
いったい何処からそれだけの量が出て行くのかは疑問ではあるが、きめぇ丸は無事に机へとゆったりと戻っていった。
「次、のうかりん」
「はい」
今までのゆっくりとは違い、のうかりんは実に悠然と構えている。
その様は正に田舎のオバチャンといって差し支えない。
「君が前から試験を辞退して居たのは兼ねてから疑問だったが、まぁ良い。 合格だ、おめでとう」
「どうも」
前者であるゆっくり達と比べると些か淡白な監督官ではあるが、のうかりんの麦わら帽子へとバッジを付け変える手付きは丁寧この上ない。
両者の間に何が在るのかを窺い知れるれいむではないが、のうかりんのゆったりとした足取りは忘れられそうもなかった。
残されたゆったりは、まりさとれいむ。
そんな後輩達を、ぱちゅりーを除いた先輩ゆっくりが見守る。
「さて、今期から入ったまりさとれいむだが、どうする? 君達も、この場で発表して良いのか?」
ヤケに勿体ぶった監督官の声に、れいむは少し俯く。
もしかしたら、どちらか一方、もしくは両方が落ちて居るのかも知れない。
そんな恐れは在るが、今更ジタバタするつもりはれいむには無い。
「れいむは、構いません」
その声を受けて、まりさも監督官を見る。
「ま、まりさも……大丈夫なん、です」
二ゆんからそう言われた監督官は、静かに頷く。
「わかった……では、まりさ」
「は、はひぃ!?」
緊張の為か、れいむにはヤケに時間が長く思えて成らない。
同期であり、親友の合否を案ずる。
「気を落とさないで欲しい。 不合格だった」
回りくどいのが苦手だとは監督官から聞かされて居たれいむだが、余りに端的な声には、目を丸くしてしまう。
れいむは慌ててまりさを窺うが、立った時の勢いは無く、まるで糸を切られた人形が如くまりさはストンと椅子に腰を落としてしまう。
先輩ゆったり達ですら、実に気まずい空気を纏っていた。
そんな中、監督官だけは違う。
「まりさ。 気を落とすな。 君の先輩方もホイホイとバッジを取れた訳ではないんだ。 一回目で落ちる事は珍しくな……」
「何でなんだぜ!?」
先程まで、気落ちして居た筈のまりさだが、急に魂が戻ってきた様に顔を上げる。
「まりさは、まりさは一生懸命お勉強したし、ちゃんと喋れる様にも成ったん……です! 何が駄目だったんですか!?」
れいむからすれば、まりさの怒りも理解は出来る。
どん底から這い上がり、ようやく此処まで来たと言うのに、自ゆんは金バッジ止まりなのかという気持ちは理解が出来た。
とは言え、金バッジですら野良ゆったりからすればまるで太陽が如く輝くバッジである事に変わりはない。
それでも許せないといったまりさに、監督官は目を細める。
「まりさ。 君は面接の際、どの様な質問をされた?」
「どんなって……野良だけど友達のゆっくりを人間さんに殺せって言われたらどうしますって言うから、そうしますって答えたん……です」
まりさの答えには、れいむはそれが間違いだと直ぐに分かった。
金バッジまでのゆっくりで在れば、何の問題も無い。
人間の良き仲間として、指示に従う。
それ自体、普通のゆっくりではとても出来るモノではないのだから、金バッジとしてなら正しいだろう。
だが、プラチナバッジのゆっくりでは間違いである。
言われたらそうするでは、精々がペット止まりに過ぎない。
最も尊重されるべきは責務と、それを背負う覚悟なのだ。
誰かに言われてしましたでは特級鑑札とは言えない。
「それが間違いだ」
「な!? そんな……」
「君がもし次もプラチナバッジを目指すつもりなら覚えて置いて欲しい 学科や作法など出来て当たり前、それ以上に求められるのは、自ゆんの覚悟を示す事だとな。 質問は毎回変わるので答えは一つとは言えないが、コレは仮にだ、君は死ねと言われたら死ぬのか? それは無理だろう? 何故そうするのか、したくないなら何故そうなのか、それを自ら答える事に意義が在るんだ」
監督官の声に、まりさは怒りを引っ込め、椅子へと座り直す。
「次は在る。 次を頑張って欲しい」
労う声に、まりさは「ありがとうなんだぜ」と応えた。
まりさの気が落ち着いたのを確認してから、監督官はれいむへと目を向ける。
「最後に、れいむ」
「は、はい!」
立ち上がった途端、今までのゆん生が猛スピードでれいむの中を駆けていく。
全てを懸けた結果をれいむは静かに待った。
「……おめでとう、合格だ」
一瞬、時間が止まった様にも感じるれいむ。
ゆっくりの中には、ゆっくりの時間を止められる力を持つという種も居るらしいが、この場には居ない。
「此方へ、バッジを付け直す」
言われるがままに、れいむは静かな足取りで監督官の方へと向かう。
かつて、星と見立てたプラチナバッジのえーき目指して、れいむはただ其処へ其処へと進んでいた。
「初年度で此処まで来れたゆっくりはそう多くない」
ようやく辿り着けた筈なのに、実感は湧いては来ない。
夢遊病が如きれいむのお飾りから金バッジが外されると、その代わりにお飾りには新品のプラチナバッジが付けられていた。
「コレは君に任せよう。 他ゆんに譲る以外なら、好きにして良いぞ」
そう言いながら、監督官はれいむの手を取ると、その掌へと金バッジを渡した。
今となってはただの金メッキが施されただけのバッジだが、小さいソレには捨てきれない程の想いが込められている。
れいむは、ソッと金バッジを潰さぬ様に手の中へと収めた。
コレで、全員の試験の合否が発表されたのだが、れいむは素直には喜べない。
何せ、一番長い付き合いのまりさが落ちてしまったのが辛いからだ。
だが当のまりさは涙ながらに無理にでも笑っていた。
「何そんな顔してるんのぜ!? もっと素直に喜んでいいんだぜ!! 第一、まりさ様なら直ぐにれいむに追い付いて見せるんだぜ!!」
親友の声に、れいむの目尻から、涙が零れる。
それでも、「ありがと」というれいむも無理にでも微笑んで居た。




