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陽子さんの隔離世界と受験勉強

俺は、気がつくと陽子の隔離世界にいた。


たしか、、、俺は死んだはずだが、、、俺が消える前に陽子は、俺を食ったのか。。。


目の前の花から陽子が芽吹き、、、おちゃらけて、この世界の説明をはじめやがった。。。


まったく!こいつは、どうしてこうまで能天気なんだ。。。


陽子の説明によれば、どうやらここは、俺がもといた世界と同様の仕様だそうだ。


ただ、俺に、その世界のあらゆることを自由にコントロールできる権限が付与されている という。


あらゆる生命が、もとのように存在し、自然環境も同じだ。

が、それらには、俺と陽子以外の魂が宿ることはないということだ。


そのため、あえて、招待し、他の魂を招かない限り、犠牲者は生まれないという。


この世界の生命に見える存在たちは、陽子が生み出す映像のようなものであるらしい。

俺がそう望めば、お望みの仕草をするが、それらは、すべて漫画や映画の中での出来事のようなものらしい。

うわさでは、すべて陽子が芝居しているという話もあるが、、、陽子に聞くと、いたずらっぽく笑うだけで、答えようとしなかった。

俺は万が一そうであれば、こんな食い合い世界設定で、陽子が大丈夫なのか心配になったが、陽子は、陽子の隔離世界内では、何かあろうとも、大丈夫なのだとか。。。

あらゆる苦しみや痛みや不幸を、陽子は、余裕で楽しみながら無効化できるらしい。

また、俺自身も、この世界のどんな生命にでも、「望めば」いつでも成り代われるという。


ただし、俺の場合は、もとの世界の生命たちと同様の体験になるように設計してあるという。


なぜ、また、こんな隔離世界にしたのか?と俺は陽子に聞いてみた。


すると、

あんたの前の世界での最後の最も強い願いが、俺がこの世界を自由にできれば、よかったのにな、、、というものだったから、、、らしい。


ありがたいのか、どうなのか、、、俺は複雑な気持ちになった。

が、確かに、俺は死ぬ間際に、そう考えていた。


陽子なりのまずは、相手の願いを提供するという、かゆいところに手が届くサービスの手始めということのようだ。


陽子は、犠牲者さえ出なければ、その隔離世界でなんでもありを認めてくれる という噂は本当だったわけだ。


さらに噂では、陽子の演技は、完璧すぎて誰にも見破ることができないらしい。

だから、他の生命に陽子が成り代わって芝居しているのか、ただの俺の想像力の産物なのか、確実に見分けることができないらしい。


100億の違う個性の人間に同時に成り代わって演技することすらできるということだ。

陽子は、そうだともそうではないとも言わないらしいが。。。


そこは、陽子の想像力と俺の想像力が、融合した特殊な世界であった。


陽子が絶対犠牲者が出ないような管理システム世界を提供し、俺がそこを陽子のサービスで自由に間借りしているような感じだ。


だから、ここでは陽子と俺の想像力の世界が出現するわけだ。


そして、陽子は、犠牲者が絶対ないことを条件に、なんでもありを認めてくれ、

それぞれの魂の望む世界の原型まで、それぞれの意識的な願いや無意識的な願いまで理解したうえで、気前よくそれぞれの魂にとって致命的な危険が生じないように配慮して提供してくれる。


俺は、自分が、お茶目な優秀な保母さんの見守りのもとで、箱庭遊びを提供された幼稚園児になったような気がしたが、、、なんだか俺のプライドが許さないので、俺はその認識を意識的に忘却した。


ここでは、嫌な真実を自分で自由に忘れることもできるのだ。


俺は、そうして、もといた世界を自由に改造する作業に取りかかった。


不都合な記憶や理解は、さっきすべて一時的に忘却した。

必要が生じない限り、それが思い出されることはない。

だから、今の俺は、もとの世界にいた俺そのものだ。


ただ、この世界を俺が自由にできる という記憶は残してある。


俺が意識的に、かくあれ!と命令したことは、すべて現実化する。


もっとも、物理法則などの基本仕様は、陽子の提供した世界の設定がもとの世界仕様である以上、俺にも、変えることはできない。


あくまで、もとの世界において可能な範囲で、俺が自由にできるという設定だ。


こうして、俺の世界大改革ゲームが、はじまった。


ちなみに、今までの噂では、こういう場合、ゲームで良い成績を残せたお子様には、プレゼントとして、その隔離世界に他の魂を招待する自由が与えられるらしい。


ただ、その良い成績であるための最低条件には、その世界の生命やキャラクターすべてに成り代わり、楽しめるようにならねばならないというとんでもない試練があるという。


それを難行の試練と見るか、楽しいお祝いにするかは、個々人の采配次第だという。。。


俺は、それを聞いて、それなら、やってやろうじゃねえか、と思った。

俺ならできるはずだ。

俺的な理想世界にして見せてやる。。。。

それって、この世界仕様では、難しすぎやしないか、、、と直感が俺にささやいたが、、、

俺は、とにかく、やってみなきゃわかんねえ!、、、とつぶやいた。


こうして、俺による俺の理想世界を生み出すための受験勉強がはじまったのだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


さてと、、、まず何からするかな。。。。俺はつぶやいた。


世界は、俺が死ぬ前とまったく同じように存在していた。


せわしない朝のラッシュアワー、犬を散歩させる主婦、以前と同じような町並み、、、テレビのニュースでは、何やらややこしい国際問題を論じている。。。


俺は、自分の家で、自分の家族と前と同じように暮らしている。


って、このままじゃ、前と同じじゃねえか、、、。


俺は、特権である命令を試しに使ってみることにした。


はじめは、どうでもいいような人畜無害の命令で試してみよう。


俺は、とりあえず、気持ちよく昼寝がしたい と命じた。


俺は、気持ちよく昼寝をした。


おお、なるほど、できた。


俺は、皆が気持ちよく昼寝できるようにしたい と

命じた。


テレビの画面の中のアナウンサーが、昼寝の準備をはじめている。

外でも、皆、あちこちで昼寝を始めだした。

俺の家族も、見ると昼寝をしていた。


世界は、パニックに、、、ならなかった。。。


なぜなら、俺の命令で、すべての人が、その現象を疑うこともなく当然のごとくに昼寝をはじめたからだ。


人類の活動は、停まった。


俺は、命じた。人類よ、目覚めよ!と。


人類は、目覚めた。


そして、また、もとのままの世界になった。


これは、、、すごい能力だな。。。と俺は実感した。


俺は、不用意な命令はやばいなと感じた。


熟慮が必要だ。。。


とはいえ、失敗しても、犠牲者が出るわけでもない。

だが、妙な命令をしては、受験に合格できないなと思った。

というか、この世界では、俺が気まぐれで生み出したことでもなんでも、皆、俺自身が試験で体験することになるのだ。。。熟慮しないと、実に危険極まりない。。。


しばし悩んだが、犠牲者がいないなら、だめもとで、がんがんいろいろ試した方がいいだろうと考え直した。せっかく誰にも迷惑をかけずにいろいろ試せるチャンスなのだ。

試験の時までに、まともな状態にもってゆけばいいのだ。


そこで、、、とりあえず、食い合いを止めるように命じてみた。


すると、、皆が、そう、人間だけでなく、生命のすべてが食い合いを止めた。


俺は飢えを感じた。そうだ、、、俺もこの世界の人間だったのだ。


飢えながら、、、、人々や生命は、存在していた。


このままでは餓死者が出るだろう。


俺は命令を、「生命維持に不必要な食い合いをしないように」 というものに変えた。


すると、人々や生命たちは、生命を健康に維持するに必要な最低限の食事量で

生存するようになった。


俺も、冷蔵庫の野菜や穀物をわずかに食べて、それで満足した。


世界全体の雰囲気が穏やかなものに変わったような気がした。

俺は、世界全体の生命たちの体験状態を、その程度を極度に落として、その全体を感じる能力があるらしい。

程度を極度に落としているので、耐えれないようなものではない。

まあ、俺の命令によって変化した世界全体の体験状態の変化を確かめるための簡易確認能力みたいなもののようだ。

初心者に優しいヘルプ機能だ。


この命令は、悪くないな、、、と俺は、思った。


だが、、、やはり、食い合いがあるのは、俺の好みではない。

これをなんとかしなくては、受験で俺は、食われる役をやらねばならなくなるからだ。それは、嫌だなと思った。


そもそも俺は、陽子みたいになんでもへっちゃらではないのだ。

もとの世界の生命たちの食われる体験をそのまま体験しなければならないのだ。

それは、さすがに楽しめそうもない。。。


試しに、短時間だけ、殺される直前の牛さんに成り代わってみたが、、、その恐怖や不安は、たえがたいものであった。

痛みが生じはじめて、俺は耐えきれなくなって、牛さんから離脱した。。。


こんな体験は、やってられない。。。しかも、一体、この世界にこういう立ち場にある牛さんが、何頭いるのか、、、、

豚さんなども含めると、人類の総数の何倍もいるのではないのか?


俺は、なんとしても彼らの生存状態をもっと好ましいものに変えねばならなかった。


このままで試験を受けるわけにはいかない。


やばすぎる。。。


俺は、そこで、牛さんや豚さんを殺して食べないように との命令を発した。


しかし、その命令では不十分だった。


皆牛さんや豚さんを食べなくなったが、、、彼らの世話をすることも止めてしまったからだ。

当然だろう。食べるために飼っていたのだから、、、それが不要になれば、飼うことも止めてしまう。。。。


飼われている牛さんや豚さんは、人間たちが世話してくれなくなると、さらにひどい苦しみを体験することになるとわかった。

辛い。。。


そこで、俺は、世話は、続けるように と命令をつけたした。


だが、その命令では、今度は、牛さんや豚さんを飼っている人々たちの生活が立ち行かなくなってしまった。

なぜなら、世話に時間がとられるのに、収入がなくなったからだ。


なかなか単純にうまくいかないな、、、。


俺は、しょうがないので、政府に彼らの生活補助をするように命じた。


そのために、膨大な税金が必要になり、国の財政がやばくなった。


そこで、俺は、世界中の軍事予算を0にして、それを生活補助にするように命じた。


これは成功した。

世界中同時であったので、世界の軍事バランスが崩れることもなかった。


膨大な予算を、人類は利用できるようになった。


俺は、その浮いた予算で、代替肉の研究をやらせた。

すでに、大豆肉のようなものは、生み出されていたので、それをさらに味や価格において優れたものにしていった。

優秀な学生や研究者をその予算で世界中からかき集めて、そうした研究開発をさせたのだ。


おかげて、あらゆる肉は、動物を犠牲にしない代替肉に取り代わって行った。

味も本物より良いし、健康にもよく、その価格も半額以下になった。


家畜産業は、家畜の寿命とともに消え去って行った。

人間が自分勝手に品種改良した家畜たちもいなくなった。

俺は、そういう家畜の体験が、たとえ、手厚く世話されるとしても、

したくなかったのだ。


俺は、誰の世話にもならず楽しく気持ちよく自由に生きたかった。

不自然に品種改良された家畜は、ごめんこうむりたかったのだ。

そうして、家畜たちは手厚く世話されながらも、その子孫を引き継ぐことなく、この世界からいなくなった。


同様に、肉食獣たちが、肉食でなくなった。

俺がそう命じたのだ。

これは、本能や生命の仕組みそのものを変える必要があった。

遺伝子工学で、動物や人間が、自力で光合成できるように研究した。

俺が、成り代わり、研究材料になった。

でないと、どういう感じに変化したのか、わからなかったからだ。

失敗したら、ためらわず、安楽死した。

その時、俺は、すでに自由に安楽死できる世界を実現していた。

それは、俺にとって、安全を確保する絶対の保険だった。

俺にとって、自由にいつでも安楽死できるという状態は、とても安心できるものだった。

何しろ、俺が成り代わる人間が死んでも、俺自身は、死ぬことはないからだ。

そして、苦しかったり、辛くなれば、いつでも安楽に気持ちよく眠るように死ねるのだ。

それは、心地よい最高の夢見心地のような体験だった。

俺は、社会制度や家族制度においての価値観を変えていた。

死は、嘆くべきことではなくなっていた。

誕生も死も、それを楽しむべき何かに変わった。

教育内容もそうした価値観が当然とされるようなものに変わった。

人類全体の価値観が、根底から変化したのだ。

もはや、誰かが死ぬことで悲しむこともなくなった。

俺は、いちいち、誰かが死ねばそのたびに悲しんだりするのは、嫌だったからだ。

だいたい、そんなままだと、生命に死ぬことが避けれない以上、すべての生命に成り代わる俺は、次から次へと死ぬ者たちが発生する中で、四六時中、悲しみ続けなければならないわけだから。。。

そんな状態はやってられないと思ったのだ。


実際、その選択は正解だった。

まったく気兼ねなく自由に、気持ちよく生きて、気持ちよく死ねる世界、それが、実は、最高の選択だった。

実際、試してみないとわからないものだ。


そのように変化した後には、もはや哀れな動物を実験材料にするようなこともなくなった。

俺が、人間として、正々堂々と安楽死ができる態勢で、俺自身で実験しまくればよくなったのだ。

それは、俺の密かな楽しみにすらなってしまった。

なにせ、安楽死は、最高に気持ちがよいのだ。

セックスの快楽や美食の快楽なんか目じゃないくらい気持ちよい体験だったのだ。


俺は、いつでも安楽死できるように、安楽死の薬を持ち歩くことになった。


さて、、、そうして、俺が実験することで、多くの楽しいお薬が生み出せた。

体験そのものを、素晴らしく自由に変えるお薬を、俺は楽しんだ。


俺はいろいろな動物たちにも成り代わり、、、俺にとって望ましい体験の動物以外は、手厚い世話を寿命までして、子孫を引き継がないようにして、消した。


俺は、酷い体験はしたくなかった。

そのためには、そうした選択も必要だった。

なぜなら、最終的に、試験と試験後には、俺が、それでよしとしてしまったあらゆる生命たちの体験を味わうことになるのだから。


俺は、出産は、余裕で、その生活を保証できる範囲に制限した。

ねずみ算的に出産してしまうと、その生存維持のために、どうしようもなく生存状態が劣悪になることが明らかだったからだ。


わざわざ、そんな劣悪な体験を俺はしたくなかったのだ。

副作用なく性欲をコントロールする薬を開発して、そうした無理な出産にならないようにも配慮した。

誰もが、そうした薬を自由に使えるようにもした。


俺は、世界各国に簡単に覚えることができる共通言語を普及させ、そうした問題ある欲望を消す薬の開発をすることを国境や文化や宗教を超えた世界の共通目標に設定するように命令したのだ。


それによって、そうしたことが可能になったのだ。


それによって、世界各国の市民全体が、自己中心的な欲望を副作用のない薬によって、消し去っていったのだ。


それによって、世界中の友好関係が促進され、技術協力も推進され、軍事予算の負担の消滅もあわさり、世界はどんどん豊かになっていった。


経済も貨幣経済は消滅した。

そのかわりに、互いの望みを最大限に満たし合うための、サービスや技術や労働時間や知恵の提供システムが発生した。

それは、同じ山頂を目指す登山パーティが、その達成のために最大限の協力をするようなシステムとなった。

今までは、個々人同士で、より自分が相手より高い場所に立つために、互いに足の引っ張り合いをしていたようなものだったのだ。


そこから生まれる結果の違いは、明々白々であった。


無駄な奪い合い争い合い、は消えた。経済の生き残り競争の仕組みも消えた。

全体を豊かにハッピーにするための全面的な協力体制が実現した。

それは、俺が試験においてすべての生命に成り代わるであろう俺自信をハッピーにするために全力を注いだということでもある。


それまでの俺は、いや、世界は、まあ、ここでは同じような意味だが、、、

自分で自分を、わざわざ傷つけていたわけだ。

それが、はっきりわかった。

生命全体の本能の仕組みそのものに、そうした不備がたくさんあったのだ。。。

それをそのまま放置しては、俺がいつでもハッピーになれるはずもなかった。


多数決もなくなった。すべては俺が決めるようになった。

そもそも、俺は、いくら多数回、望み通りの体験ができたところで、

小数回であっても、酷い堪え難い体験をしたくなかったのだ。


多数決を放置していれば、俺は、少数回の望まない体験を避けることができなかったのだ。

俺は、すべての体験で、嫌な体験を強制されることなく楽しみたかった。ただ、それだけのことだ。

良く冷静に考えるなら、そのほうがいいに決まっているだろう。


すべての生命に成り代わる俺が、すべてにとっての最高の状態を決めれば済むのだ。

その俺の最善の決定の前に、多数決などもはや何の価値もなかった。


あれこれと、試行錯誤を繰り返せば、誰もが、それぞれにとっての望ましい世界の状態を見つけ出すことができるようになっていた。


俺は、陽子が独裁者なのに、、、あらゆる世界から求められる理由が、理解できた。

こういうことだったのだ。。。


陽子の独裁は、あらゆる魂のあらゆる願いを満たすのだ。


ーーーーーーーー


さて、、、、俺が、世界をかなり弄ったので、

自然の生態系システムのあちこちに俺の予想外の問題が出現していた。

蟻のようにあくせく働きたくなかったので、蟻たちを消したために、それに補食されていた生命たちが異常繁殖したり、

面倒があちこちで生じた。


やっかいな世界だ。。。

こちらを立てるとあちらが立たず、、、的な仕組みがありすぎる。。。


そのために、俺は、生態系をいじるのに慎重になった。


良く相互関係を調べてからでないと、危険だと判断した。


そのために、あらゆる生命の生態のすべてを調査しはじめた。


その相互関係についても、徹底的に調べた。


どういう点で、影響を与え合い、補完しあい、否定しあっているのか。

そうした相互依存や相互否定のすべてを調べた。

すでにもとの数倍の豊かさを実現していた世界では、その調査員を集めるのは簡単であった。

必要な労働は、すでにもとの十分の一以下となっていた。

皆、その人生の大半を趣味と楽しみのために生きていて、すべての生命の安楽を実現することを目指していた。

俺が、俺のために、そう命じたのだ。

なにせ、俺は、すべての生命に最終試験で、成り代わらねばならないのだから。


陽子の隔離世界では、時間はあってないようなもので、つまりは、時間は、いくらでもあったので、入念な調査がなされた。

いらく調べてもわからないことは、陽子に頼んで教えてもらったりもした。

陽子は、なんでも知っていた。


そして、その相互関係において、どうしてもこちらを立てるとあちらが立たず的な矛盾する問題が避けれないことの対策として、

俺は、従来の生態系から独立した人為的な生態系や環境を生み出すことに決めた。


それを皆で、追求し、推進した。


まずは、大量にある鉱石を使って、隔離されたドームを作り出した。

そこに、調和的に生存できる生命だけを取り入れた。

大気状態も自由に最適に管理できるようにした。

暑さ寒さ、四季折々の風情もすべて、コントロールできるようにした。

さらに、そのドームそのものが、空を飛べる仕様にした。

星から離脱し、宇宙空間でも暮らせるようにした。

いろんなタイプのものを複数作った。

存在する植物や生命のパターンをいろいろ変えたのだ。

そして、それぞれの生命の体験を自由に選び楽しめるようにした。


もとの生態系の問題で解決不可能な問題は、その生態系を終わらせて、そうしたドーム隔離システムに、問題ないように分散してアレンジしなおした。


天敵同士であるカエルと蛇など、、、は、分散させられた。

俺は、そうして食われるリスクなくカエルや蛇の体験を楽しんだ。


その代わりに、研究開発した人為的な代替食物を、作り出した。


俺は、ある研究段階で、大気や土壌や海洋の元素を直接に取り込み、、、、それを、存在するあらゆる有機物に合成する技術の開発に成功したのだ。

さらには、今まで存在していなかった有用な有機物や化学物質の合成もできるようになった。

そのために、あらゆる肉食系の生命に必要な食物を、人為的に、ほとんど際限なく製造することができるようになったのだ。

つまり、空気と水と光と微量元素から、どんな有機物であれ、合成できてしまうのだ。

しかも、それが自動的に製造できるようになった。


その技術は、生態系のあらゆる生命の生存を、他の生命の犠牲なく保証した。


皆で、足を引っ張り合わずに、そうしたものを求めた結果であった。


そんな世界になっても、宗教や文化や人種の違いでのもめ事が、時々まだあった。

俺は、そうしたことに終止符を打つことに決めた。


どうしたか、、、

俺は、あらゆる宗教や文化を、それぞれ完全に隔離した。

そして、それを遊園地のように、自由に楽しめる場に変えた。

その宗教の体験の味がよければ、それは栄え、そうでなければ、衰退した。

もちろん、閉鎖的に孤立したいと願う宗教には、それを認めた。

完全に独立した宇宙空間も使える隔離ドーム飛行船が、あるのだ。

それは、望むなら、いつでも簡単にかなえられることであった。


招待があれば、参加しあうのだ。

俺も、いろいろ参加して体験した。


そうして、もめ事は、なくなった。

すべて熟慮のもとに、心からの合意を前提にして、楽しめる範囲で、異文化や違う宗教が、交流するようになった。


俺は、俺という宗教で統一することも選べたが、

それもつまらないと思って、あらゆる宗教を、選択肢として残した。

もはや、俺にとっては、いろいろな文化や宗教も、また、楽しめる体験のひとつである。


ただし、そこに犠牲者が出る場合は、その部分だけは改めさせた。

何しろ、その場合、その犠牲者は、俺でもあるからだ。

しょうがあるまい。


げに、

闘牛だとか、動物園だとか、人身売買だとか、奴隷システムだとか、いじめだとか、親による子供への圧政だとか、痛み苦しみの激しい儀式や風習だとか、、、

そういうものは、止めさせた。


俺は、そんな体験したくないのだ。

やめさせるしかないだろう。


合意されない精神への身勝手な遠隔操作も止めさせた。

俺は、そんなことされたくないのだ。

よって、欲望や感情や気分や思考や生命エネルギーを身勝手に操作することは禁止された。


ちゃんと、相手へのお伺いが必要になった。

精神操作してもいいですか?欲望を与えてもいいですか?と確認して、

相手の心からの同意と、さらには俺の許可もうけて、はじめてそういうのは、

認められるようになった。


俺は、そう願った。

俺は、勝手に、心や欲望を操作されたくなかったのだ。


俺は、あらゆる状況で、自由に楽しく存在したかった。それだけのことだ。

まあ、はじめっから演技という前提で、相手と完全合意のもとにふざけて楽しむようなのは、問題なかったがね。


そうして、、、

ついに、この世界から犠牲者といえるような生命がいなくなる時がきた。

いや、生命が消えた訳ではない。

そこに犠牲体験がなくなったのだ。


食い合いのシステムは、消えた。

今や、何の問題もない。

あらゆる生命たちは、互いに苦しめ合わないような遺伝的素質が引き継がれるように配慮されたので、次第に、生命たちが互いに不調和をもたらす凶暴性や暴力性は減っていった。

それは、人間のだけのための独善的な品種改良のようなものではなく、生命全体のための生命遺伝情報のコントロールであった。

人間においても、望ましい遺伝子が引き継がれるように配慮された。

もとの世界では、よくそのような技術は危険だと言われていたものだが、俺の独裁であれば問題ない。

とんでもない使い方をする者がたくさんいたから、問題だっただけなのだ。

陽子からどうしたらいいかを教えてもらい、俺は、すべての生命のために、ひいては俺自身のために遺伝情報や遺伝的素質をコントロールした。


俺は、互いに明らかに苦しめ合うことを推進するような遺伝因子を引き継ぐことを認めなかった。

それがわかっていても、自分の子供が欲しい、、、と言ってくるものもいたが、そういう場合は、俺は、そのような欲望そのものに消えるように命令した。

同時に、そういう問題なく人生を楽しめる生き甲斐が生まれるように命令した。

そう俺に命令されたものたちは、つきものが落ちたようにさっぱりとした顔で、嬉々として帰って行った。

その後、俺は、彼らがその後、問題ないかどうか、彼らに成り代わって、何度か確認した。

どうやら、問題なく人生をエンジョイできているようだった。

こういう命令は俺の命令の権限範囲外かなと思ったが、うまくいって、よかった。


まあ、もとの世界で宗教たちが、人間にしていることと同じようなことだから、俺にもできたのだろう。

俺には、もとの世界で可能なことなら、その力を自由に行使できる権限があるのだ。

政治経済科学力の操作、、、から、宗教による人心操作まで、、、元の世界ですでにやられていたわけだな。。。

この場合、よかったというべきか、、、どうなのか。。。

その力の使い方次第で、世界は月とスッポンになるわけだ。


なるほど、これは、なかなか、勉強になるな。


俺の最終試験のための学習は、そうして着々と準備されていった。


陽子の隔離世界様々だな、、、、元の現実世界では、不安要素がありすぎて、できないだろう。


陽子の隔離世界だから自由にやれたわけだ。

ちゃんと、すべての生命の体験を自分の体験として受け止めて、まじめに世界を改造再構成しようとすれば、それなりに、うまくいく可能性もかなりあるじゃない。


まあ、頭のお固い元世界の支配者たちに、できるかどうかは、無理無理無理ーーーと言いたくもなるがな。。。


なにしろ、あいつら、俺をその野望の邪魔だといってついには抹殺しやがったからな。。。


あいつら、とりあえず、いったん終わってもらって、陽子の隔離世界で、俺みたいに勉強すべきだな。。。


手始めに、受験に合格して、あいつらを招待して、俺のお手製のこの世界でめためたに楽しませてやるか。。。


俺は、うひひと笑ってしまった。

アー、待ち遠しい。。。


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