吠える人
見習おうと思っても見習えるわけが無い。まあそんな気はさらさら無いけれど。今でも鮮明に思い出せる三上くんのエピソードがある。それは、私の心の溝にはまって、永遠に取り出せる気がしない。
私がこの中学校に来て3ヶ月が過ぎ、教師として始めて終業式を向かえた頃、学年の先生達が歓迎会を開いてくれた日の事。二次会のカラオケを出た後、私は三上くんと商店街を歩いていた。最寄り駅に行く途中だった。
知り合って間もなかったので私は、三歳年上、二十五歳の三上くんがどれほど特異な人間か知らなかった。職場で1番年が近い彼のことを、先輩として頼ろうとしていたことは間違いなかった。今思い返すと、本当に愚かなことだと思う。私は阿呆だ。
高校生くらいの男子四人が、首輪のない犬を囲んでいた。囲まれているのは、シベリアンハスキーのような大型犬ではもちろんなくて、どこにでもいる中型犬だった。少年は何やらぶつくさ言っている。
私はその状況を目の当たりにしても、すぐに助けるという選択肢が浮かばなかった。その犬を助ける為少年達に注意するか、それとも見て見ぬフリか、それとも警察を呼ぶべきか。
そう考えてる間に三上くんは、少年達にどんどん近づいていった。迷いがあるように見えなかった。私はさすが男性は違うと、尊い目で見てしまった。けれど、それが間違いだったとすぐに気付かされる。
「何してんだよ」三上くんは少年達の輪の中に入ると、ポケットに手を入れて爽やかに言った。芝居っぽいけれど、何でもいいから、「暴力はやめろ」と、その瞬間に蹴られそうになっていた犬を助けるように立ち。
「何、あんた関係ないだろ? 動物愛護団体か」周りの少年等も当たり前のように頭に血を上らせている。彼らはそこそこ鍛えられた体つきをしていた。柔道部員ほどではないけれど、それでも三上くん一人では負けてしまうんじゃないだろうか、と私に不安がよぎった。
けれど、三上さんが取った行動は、私の考えれる全ての事柄を超えていた。
「だまれ、ボケが」と誰でも聞き取れる声で言ったあと、すぐ後ろに振り返って、柴犬にも見える雑種の犬に向き直り、何とその犬の口に自分の手を思い切り突っ込んだのだ。犬は驚いた拍子にその手に噛み付いてしまった。
「はい?」と私は驚いた。回りの少年達も同じだろう。「何だ?」とお互いの顔を見合っている。例え言葉が通じなくてもその犬の気持ちは私達と同じだっただろう。ただ一人、三上くんを除いて。
三上くんはそんな空気に気付くこともなく、犬を抱えて、私のところに颯爽とした歩みで戻ってきた。とても満足そうな表情をしている。
「何してるんですか、犬?」
「こうすれば、あいつらも犬は噛むんだと認識して怖くなるだろ」自分から手を突っ込んどいてよく言うよ。そしてもう一度振り返り「お前ら犬に噛まれたことなんてないだろ?俺の勝ちだ!ガキはカラスが鳴ったら帰りやがれ」と犬をダンベルのように持ち上げ、ざまあみろと叫んだ。
少年たちはキョトンとし、首を斜めに向けて、いきなり起きたショートコントのせいで頭が回らなくなったのか、顔が引きつっていた。そしてなぜか、そのまま駆け出していった。彼らから見た三上くんは余程の奇人だったのだろう。それは私から見ても、もちろんそうだ。
犬を抱えたまま三上くんは駅とは違う方向に歩いていく。
「どこ行くんですか三上くん」
「どこって、決まってんだろ? 保健所だよ」私は耳を疑った。
「保健所って、殺されますよ、そんなとこ持って行けば」わざわざ殺しに行くのだろうか? 例えそれが法に則っていても、正しいこととは思えない。
「何を当たり前のこと言ってるんだ、殺しに行くんだよ」
「逃がせばいいじゃないですか」
「逃がしたってまたこんな目に会うだけだ」
「何も殺さなくたって、それにこんな時間に開いてる訳無いじゃないですか」
「朝まで待つ」そう言うと彼は、月明かりの元に走り去っていった。満足そうな顔をして。
どんなことが遭っても、三上くんの生き方を他人が真似できるわけが無い。




