ヒーリング
それから2週間後、私は美香と再会を果たした。
そこは、私の住む町から電車で30分と比較的近く、そのことで潜伏期間を終えたことを美香は伝えたかったのかもしれない。待ち合わせ場所は、城跡でつくられた大きな公園で、噴水を目印にすることにした。
待ち合わせ時刻より10分前に着くと、彼女は噴水を眺めながら缶ジュースを飲んでいた。どうやら私のほうが遅かったようだ。
「久しぶり、美香さん。いやサキだっけ?どっちで呼べばいい?」彼女は微笑んで、「お久しぶりです、先生の呼び易い方でかまわないです」そう言って、カバンから缶ジュースを取り出し、私に差し出した。なんて気の利いた子だろう。
「この公園広いでしょ、それにこの暑さ。先生、自販機の場所わからないかもって思って買っておきました」
「ありがとう、本当に天の恵みだよ」そう言って私は一気に缶に入ったお茶を飲み干した。
「もっと味わったらどうなんです?」
「のど渇いたときに味わってても意味ないでしょ」
美香の様子は4ヶ月前と変わらなかった。
「美香さん、失踪してたんだってね」私は言った。「いきなり核心を突くようだけど」
「別に核心でもないけど」美香は缶に入ったレモンティーをすすった。「新聞見たのね」
「びっくりした」私は頬を緩める。
「そう? 潜伏と失踪は繋がると思うけど」
そこで私は思い切って、単刀直入に訊ねた。
「大和美香の父親は一体何者なの」
「やっぱり気付くよね」彼女は、相好を崩し、歯を見せた。
それはそうだ、彼女の苗字は天照であり、大和ではない。いや、彼も偽名だったのだろう。
「それは違うわ、あいつは本名よ、隠すことが嫌いみたい」
そこは推測違いとして、新聞を見た日の夕方、ニュースを見ていると、たまたま彼女の失踪事件が報道されていて、父親が会見を行っていた。画面を見た私は、その父親が自分の認識している姿とまるで違うことに驚いた。同一人物ではない、これは絶対だ。私の知る美香の父親は、こんな弱弱しい目をしてなくて、体もこんなずんぐりむっくりしてなかった。
「あの人、父親じゃなくて」美香はとうとう、告白を始めた。
「誰なの」
「詳しいことはわからないです」美香は口を衝いたように言った。「とぼけてるんじゃなくて、本当にわからないの。ちゃんとしたことは。いきなり出会って去っちゃっうし、だから仕方ないのよ」
「どういうこと」
「私が彼と暮らし始めたのは入学式の前からよ」といった。「部屋で勉強してると大和にいきなり布のようなもので口を覆われ、私はあいつのマンションに連れて行かれたの」
「誘拐?」
「どうやら私に何か確認をとりたかったみたい。大和はそれがあいつに出来る最低限の報いだって言ってた、その報いが何かわからないけど」
「それで何の確認したの」
「薬を飲んだかどうかの、あいつどこかから薬を奪ってきて、私にこの薬を飲んだかどうか確認してきたの」
私は思い出しながら、うなずいた。三上くんから雑誌を見せられた記憶があった。大学院生が、「犯人は鬼婆のようでした」とコメントして、失笑を買った事件だ。
「もしかして、あの薬剤強盗」
「あいつが犯人だったみたい」
「マジで?」私は、とっさにそんな言葉が出てしまった。
「マジも何も真実だよ」美香は目を光らせ、「本当のことだよ。この失踪事件と薬剤強盗の犯人は一緒だったのよ」
「でもなんで美香さんは逃げなかったの? 1人で買い物に行く余裕があればそんなこと簡単じゃないの、それに何で三上くんと知り合いなの?」私はわからないことだらけで気持ちが焦っていたのかもしれない。
「一度に何度も質問するなんてバカっぽいですよ。まぁいいですけど」そう言って私の眼をじろりと見る。
「薬剤の確認は私のためにやってくれたの、信じてくれるかわからないけどあの薬は超能力を目覚めさせる為のものなの」私はあまりに唐突なことを言われたので口が半開きになってしまう。「でもその薬は、身体にどんな影響を与えるかわからないから危険だってことで、彼は確認しに来たの、まぁそんなこと言われても、ずいぶん前に飲んじゃってたから意味ないけどね」私は適当に相槌をした。
「三上先生と大和の関係についてよくわからないけど、多分昔の同僚だったのかと思います」そういえば、彼は三上くんと師弟関係にあるといっていた気がする。
「どうやら、その薬のことに三上先生は詳しいらしくて、私がその薬を摂取してしまったのでどうすれば言いか訊ねる為に、私を彼の中学に入学させたようです」
「どうしてそんなめんどくさいことをしたの? 普通に校門前で待ってれば会えるでしょ」
「先生? 私の話し信じてないでしょ、超能力者になれる薬を奪ってしまえばいろいろな人から目をつけられるのは当り前でしょ、そんな指名手配みたいな人が校門でずっと人を待つことなんて出来る?」
「それはそうだけど」あまりに彼女が凄んで言うので、思わずうなずいてしまった。
「でしょ? だからわざわざ問題を起こして生徒指導させれるという回りくどい方法をとったの、それが一番手っ取り早いからね」だから彼女は指導のときに親を呼ぶと言うと喜んでいたのか。
「けど三上先生は中々切れ者のようで、私の苗字と薬剤強盗で、私が彼の使いだということに気付いたらしくって、CDの中にメモを入れてくれたわけ」私はただ、関心することしかできなかった。
「それで父親のフリをしてたんだ」
「そうよ、三上先生と大和が連絡を取れるようにすることが私の使命だったからね」
「使命だなんて大袈裟な」と私が半分笑うように言うと、「すごい達成感でしたね、もう笑えました。なんたって命がかかってたんだから」それは冗談で言ってるように聞こえなかった。
「それでメモに書かれたバーに2人は待ち合わせたの。大和、先生が面接を次の日にしたいって言ったのに断ったでしょ」
「そうだった気がする」全く忘れてしまってたけど、だから用事があるなんて嘘ついたんだ。
「まぁその日は、私と遊園地に行く約束してたのに。まぁ薬のことが最重要だから仕方ないけど」と美香は眉を下げた。どうやら今になってもその怒りは収まらないらしい。それよりあたしの記憶力はどうなってるんだろう、ほとんど覚えてないや。
「私もそのバーに行くはずだったのに、大和のやつ危険だからっていって私を除者にしたのよ、私も当事者だってのに」どうやら彼女は1度感情を爆発させると収まらないらしい。そういえば生徒指導が終わったあとも大笑いしてたっけな。
「それで悔しくなって私も行くことにしたの」
「何で私も連れて行ってくれたの?」そう言うと彼女はしかめっ面をして、「それが唯一の誤算だった」と言った。
「先生がメモを読んだって、知ったかぶる態度とったから私も勘違いして、大和に関係者って伝えちゃったのよ」
「それで2人はバーで、何を話したの」
「知らない、教えてくれなかった」美香は寂しくもあり悲しくもある表情を浮かべた。
「バーの店員も大和たちの関係者だったらしくて、だから私たち追い出されたのよ」確かにあの店員は異常すぎた、いくら記憶力のない私でもそれは覚えている。
「あの数日にそんなことがあったなんて」
「そうよ、そして次の日油断して、先生と食事に行ったときに見つかっちゃったってわけ」たった一度羽目を外すだけで見つかってしまうなんてすごくシビアな世界だ。
「ありがとう、大体話は掴めたわ」と強盗から始まり逃走劇で終わった話しを理解したつもりでいた、ただひとつ、超能力ってワードが気になるけど。
「先生どこか怪我してるところない?」と私の体を薄ら笑いをしながら舐めるように見た。
「ないかな? けど最近疲れてるせいか、小指の逆剥けがなくならないの、それがちょっと痛いかな?」と本当に小さすぎて怪我であるかも判断しにくい右小指を彼女に差し出した。
「ちょっと待ってくださいね」そう言うと彼女は目を大きく見開き、私の小指に両手を覆いかぶせるような形で包んだ。「最近いつでもできるようになったんです」そう言って朗らかな笑顔を私に向けた瞬間、いきなり右小指の辺りが暖かくなった。
その暖かさがとても心地よく、ぬるま湯につかったみたい。それは小指だけ日向ぼっこしている感覚に近いのかもしれない。よく見ると皮膚が逆再生したみたいに張り合わされ、数週間前のキレイな小指になった。私は声が出なかった。ただ自分の小指を全角度から見て、それから美香の手に触れて、表と裏をじっくり見て、どこかにカイロでも付いてるのかありえないことを確認してみたけど、もちろんそれはありえなくて、長く細い整った指と手にしか見えなかった。
「ね? 嘘じゃないでしょ」と彼女は今までにないくらい優しく微笑んだ。そして「ここまでなるのに苦労したんだよ、それにこれが私の生きがいだから」と今までで一番輝いた顔をした。
まだ呆然としている私はただ、「すごい」を連続して言った。
「当たり前でしょ? 超能力なんだから」そう言う彼女はまるで天使のように見えた。「人を治癒したのは初めてだから先生が人類初かもね」なんて光栄なことを言ってくれた。
それからしばらく話し込んでしまい、気付いたら空がオレンジ色になっていた。
「それじゃ、そろそろ帰るね。明日も仕事だから」私がそう言って手を振ると美香も手を振って見送ってくれた、気のせいか彼女の頬に光るものが見えた。私は精一杯の声で、「また会おうね! あんたいい子だから私の弟子にしてあげるから」と叫ぶと、美香は手でそれを拭いながら、「ありがとうございます」と言ってしゃがみ込み、最後に、「三上先生とお幸せに」と泣きじゃくりながら言った。
だから三上くんとは何もないっての。