演技なる推測
「大香山、それは騙されてるんだよ」三上くんは、私が考えたくないことをあっさりと言う。
またしても朝の職員室だ。私は昨日の放課後、たまたまスーパーで美香に会って、三上くんと彼女の父親が密談しているであろう、そのバーに案内されたことを告げた。
「知った風な言い方しないで下さい」
「だって、お前は俺たちの姿を見てないんだろ? 俺はそんなところに行ってないし、ということは大和美香は嘘をついてるってことだ、だろ。知った風じゃなくて知ってるんだよ。ああいう高慢ちきなガキは信用するんじゃないよ、きっと何か企んでるんだよ」
「企む?」
「想像は大体ついてるよ」自信満々なところが不安にさせる。「美香は何かを隠している。そしてお前に嘘ついてるんだよ」
「あの子はそういう人を騙すようなことはしないです。それに父親も意外と隙がなさそうって言うか、そう言うところをすぐ見抜きそうですけどね、仲も良さそうだし」
「だから」三上くんは苛立って、「そういう風に見せかけただけなんだよ。美香はそういう澄みきった心を持って正義感の強い生徒。そう演じていたんだよ。実際は段取りを決めてたんだ」と人差し指を立てた。
昨日までのことを思い出してみる。子供を溺愛するがどこか冷たい雰囲気の父親と、その優しさに甘えつつも、少し距離を置いて接しているように見えるその娘、あれが演技だって言えるのだろうか。「そういう風には見えなかったけど」
「面接のときとスーパーであったときは感じが違っただろう?」
「全然、驚くくらいでした」これは認めるしかない。
「わかったよ」三上くんが怪しい微笑を浮かべる。嫌な予感以外しない。
「その家の母親いないんだろ?」
「そうです、どうやら旅行中のようで」
「嘘だよそれ」
「は?」
「その父親が殺したんだよ」私は寄りかかっていた椅子から飛び出すように体を起こした。
「ちょっと待ってください、殺したってどういうことなんですか」
「そんなの簡単なことだよ」と三上くんはメガネをかけていないのに、中指でそれを上げる仕草をした。
「何を決め付けてるの」
「決め付けるも何も決まってるんだよ」
「仮に万歩譲って、そういう事件が起きていたとして」
「間違いなく起きてるよ」
「三上くんと父親が会うなんて嘘つく必要はないんじゃないですか?」
「それはだ」三上くんが目をキョロキョロさせた。どうせ話しながら屁理屈を考えてるんだろう。いつものことだ。「美香はお前が、俺がいるって言わないと来ないと思ったからじゃないか」
確かに美香は私と三上くんとの仲を疑っていた。
「昨日あの父親、娘が面接するの断ったんだよな」
「そうです」
「それは、アリバイ工作の為だよ」
私はその言葉を聞いて、はっとした。三上くんの意味不明な推理は的を得ているのかもしれない。
「美香に自分のアリバイを他人に伝えることで、事件の犯人から逃れようとしたんだ、おそらくそのバーの店員も共犯者だろうな、店入ったら追い出されたんだろ? そんな店どこにあるんだよ、疑うしかないだろ」
「違うと思うけど」内心では事実を言っているとしか思えない、と言う動揺が心を揺さぶる。
「実際は店にはいなくて別の場所で母親を殺していた。けどそんな見え見えに殺したんじゃすぐ捕まっちまうってことで、バーで他の人と過ごしているというアリバイを考えた。けどそれを証明する奴がいないとダメだ。そこでお前に「彼はバーでいました」と思わせることで、第三者の立証が出来るって訳だ」それに、と三上くんは続ける。
「美香の父親、ハイロウズのアルバム聴いたんだろ? 何が好みだとか言ってたか」
「ラストの曲だって言ってた気がします」
「ビンゴ」何が?「あの歌を聴けばわかるよ、人生なんてうんざりしてて当たり前なんだよ、そういう歌を聴いて、妻を殺したんだ。あの歌ならありえる」そう言って1人でうなずく三上くん。全く話しについていけない。「歌が人を殺人鬼に変えるんですか」
「その通り、だから戦時中は軍歌なんてものがあったんだろ」
「じゃ、話は変わるけど、どうして美香はあんなに演技が上手だったんですか」
「演技なんて死ぬ気になれば誰だって出来る。人は誰にだってなれるんだよその気になれば、所詮、人は人だろ」と三上くんは口を尖らせた。
三上くんは役者でもある。これは職場の同僚なら誰でも知っていて、生徒でも有名な話しだ。役の練習があるといって、大急ぎで帰っていく日もあれば、休日に舞台があるからこの仕事にしたんだと言って、非常勤に入りたくない。とふて腐れる日もあった。舞台でいつも騒がしい三上くんが、さらにやかましい声で叫んだりしてるんだろうと思うと、想像するだけで嫌気がさして、私は1度もその演技を目にしたことはない。日常の小芝居は別だけど。「舞台に来いよ」と三上くんに誘われたこともなかった。出雲先生は何度か、舞台に足を運んだことがあるようで、私が感想を訊ねると、「いい」とうなずいた。それから「三上くんの演技は本当にいいんだ」思い出すような目をして微笑んだ。
そこまで言われると、一度くらいは見てみたいと思うけれど、「俺の演技は輝いてるからな」と三上くん自信に胸を張られると、逆に反発したくなるのが性ってものだろう。
「三上くんのお父さんってどんな方だったんですか」始業時間が近づき、他の先生が席に付きはじめ、室内の空気がかき混ぜられだした頃、私は急に訊きたくなった。
「どうしてだ」三上くんには珍しく、動揺しているようだ。
「特に意味はないけど、ただ、美香とお父さんを見てるとすごく仲いいなぁって。私は父のこと好きじゃなかったので。それで三上くんはどうなのかなと思って」
「俺も父親は大嫌いだよ」三上くんの声は、はっきりと通っていた。
三上くんは、いつでも、どんなことでも負けず嫌いだから、その発言も、私に対してライバル心を燃やしているのかと思ったけれど、表情からすると違うようだった。いつになく強張った顔だ。「理屈ばっかりこねて、人を人として見てなくて、神のように崇める。最低な奴だよ」
「ちょっとわかりづらいんですけど、DVとかではないですよね」
「そういうのなら、どうにかできるんだけど。違うんだよ。賢くて、真面目で、かなり優秀だった。でも、それは人としてじゃない」
「人としてですか」
「離婚して会わなくなっても、俺は誰よりもあの男を軽蔑してるね」
「そうなんですか」まさか、こんな話になるだろうとは、思わず私の声は小さくなった。
「今もですか? 今もそう、軽蔑してるんですか?」
「今か? 胸を張ってもちろんって言いたいところだけど、正直わかんないよ」そう言ってお手上げのジェスチャーをして見せた。「年を食うとわからなくなることもあるんだよ」
出雲先生に呼ばれて、私はそれ以上話しを聞けなかった。