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2. 花咲く白い家

「にゃはは。ふか。不可猫のふか、なの。よろしくう」

「えへへ。蛇猫のへこ、いいますねん。よろしくなあ」

「ねこねこ。ぬうねこの、ぬう。ねこねこ」


 最初に、真ん中のまるまる太って、ふかふかした毛ごろもの猫が、次に右側の、ちょっとつるんとしたのが、終わりに左の、半透明の大きな中華まんじゅうみたいなのが、にこにこしながらそう言った。

 アケルは、頭がちょっと痛くなったような気がした。バケネコ三匹が何やら自己紹介のような言葉を発したように聞こえたからだ。こんな大きな猫が二足歩行で出てきたというだけでも、白日夢か、発狂したか、という気分なのに。

 細目になりすぎて、目がカモメさん型に見えるにこにこ顔のまま、三匹(もしかしたら三人)は、次々に挨拶をしてのけたのだ。そして、太った体を折り曲げてお辞儀らしき動作までも。

 本人、いや本猫たちは疑問を感じてないようだが、そこにはいくつか意味不明の言葉が混ざっていた。

(不可猫ってなんだ。猫の一種だろうな。蛇猫って? ぬうねこって?)

 アケルはその場でしゃがみ込みたくなった。不動産屋はうそは言ってなかった。確かに、猫嫌いだったら、もうこの場でとっとと逃げ出していただろう。

 だが、猫のことを除けば、この物件は恐ろしく条件がいいのだ。

 アケルはいったん目を閉じ、それから恐る恐ると目線を落とすと、ニコニコのバケネコたちの方を見た。彼らは忍耐強くもまだ、ニコニコのままだった。ニコニコのまま、接近距離でにまにましている。白いでっかい枕のようなのが三匹そろって。

 相手の困惑を理解しているのか居ないのか、白い毛皮どもはうれしそうにすりよってさえ来るのだった。その様子は、まずは頭から相手の手元へする寄ってくる、あの猫の所作だ。やっぱりこいつらは猫だ、たとえその大きさが通常を大きく逸脱したものであっても。

 では、これが「大家」なのだろうか?

「あのう」

 アケルは意を決して訊いてみた。

「ここの大家さんは……」

 すると、猫たちは顔を見合わせた。そして、再びアケルの顔を見上げてこう言った。

「にゃは。不可とへこと、ぬう、がここの大家なの」

 にこにこにこ。ニコニコで世界がおおわれていくようだ。

 ふっと、これはカブリモノかもしれない、という考えがアケルの頭をかすめた。変人の変装趣味なのかも知れないじゃないか。しかし、それにしては身長が低い。彼らは一メートル前後しかないのだ。では、中身は子供か。しかし、こいつらは自分が大家だと言っているのだ。

 接近距離でじっくり見ようと、こっちがよく見ようと顔を寄せると、むこうもそろって寄ってきた。

 そして、奇妙な四竦みになった。三匹、白いながらも色合いの違う毛皮、ニコニコの顔、質感はかぶり物ではなかった。あまりに寄りすぎたので、三匹の中の不可、とかいうのに顔が触れたが、毛皮は温かくて日なたの匂いがするのだった。ツンツンと長いヒゲが頬にさわる。

「にゃはははははー。ふかたち、ちゃんと猫なの。ちょっと大きいけど、善良なちゃんとした猫なの。安心してね。怖いことないからね。うふふぅー」

 真ん中の不可猫のふか、と名乗ったのが、そう言って伸び上がり、小さな、でも普通の猫とは違って、短いけれど、ちゃんと五本の指がある手で、やさしくアケルの頭をなでた。良く考えたら、いい大人相手に失礼千万な動作なのだったが、なぜか、アケルは安心してしまう自分を感じていた。

 手も、ちゃんと温かい本物の手だった。


 

「あのね」

「あのな」

「あのね、ねこ」

 猫達は、アケルを案内して玄関のほうへ歩きながら言った。見事にハモっている。

「アケル・ディアマンテスさんだよねえ」

「不動産屋から連絡、貰ったでえ。お部屋、どれがええのか選んでなあ」

「ここのお庭、狭いけど、きれいでしょ。日曜にはお茶しようねえ、ミルクティーか濃いいコーヒーで」

 平和な話題。あったかい顔の猫たちの顔。狭いけれどきれいな中庭の薔薇の生け垣。

 アケルは、ちょっと目まいがした。ココハナンダ? この猫はなんだ。やはりこれは白日夢なのだろうか。

 

 到達した玄関は鋼鉄の丈夫な一枚戸だった。複雑な模様が入っていて、真ん中にのぞき窓がついている。ハウランタートルの治安を考えれば普通の設備だ。のぞき窓の位置が普通より低いのは、この猫達のためだろうか。

 そういえば、鉄の門扉のほうも、のぞき窓は低い位置だった。

「部屋が決まったら、ここの扉の鍵と、表の門の鍵もわたすからね。申し訳ないけど、鍵は部屋のと全部で三つね。うちの人たち、いい人ばっかりだし、ここらあたりはそんなに悪くないけど、その方が、住むヒトが安心なのね」

 玄関をあけて入りながら、真っ白でふかふかの毛皮の不可が言った。

 中は、小さなホールになっていて、その向こうにある居間へのドアは開け放たれていた。床は白地に青い草木模様のタイルで、壁はクリーム色のペンキで塗られている。窓は鉄格子は嵌まっている。もっとも、これは治安上、ハウランタートルでは上から下まで、あたりまえの仕様だ。窓枠は木で、ここちよい風が中庭から入るようだった。

 ホールには小さな民芸調の椅子。壁には紅い民芸織りのタピストリ。

 その向こうの居間に、アケルは案内された。

 居間は、その向こうのダイニングと繋がっていて、籐のゆり椅子が一脚。あとは古びた、しかし居心地のよさそうなソファで、他にも小さな木の椅子がいくつか散らばっている。骨董品的なブラウン管のテレビセット、雑誌だの、新聞だのが乱雑にのっかったテーブル。

 それらに目を取られているうちに、猫三匹は三人がけのソファに着いており、アケルを待っていた。アケルは相手を待たせていたことに気がつくと、そそくさと猫たちの正面の一人掛けのソファに着いた。

「ぎゃっ!」

 アケルは、ここでもう一回、驚くことになった。床の一部から、突然に、ぬっと、もう一匹のぬうねことかいう、手足が見えなくて半分透けている猫が出て来たからである。

 前に座っているなかの一匹とおなじに見えるが、前のはにこにこ笑って座っており、横のは遠すぎもせず、近すぎもしない、絶妙の距離で、

「ねこねこ。いらっしゃーい。お茶、なんにするぅ」

 床からのび上がったまま、アケルにこう訊いてきた。

「……あの、では、紅茶、を」

 やっとの思いで答えると、

「うけたまわり〜」

 ぬうねこはしゅーっと床に向かって引っ込み、その向こうでは最初の三匹が、やっぱりニコニコ笑っていた。

 やがて、今度は奥の台所らしき場所から、たぶん先程のぬうねこが、なんと頭の上にお茶のセットのトレイを乗っけて現れ、お茶をサービスをし始めた。器用に体をひねって、トレイをテーブルにのせると、顔の両側にくっついているヒゲのようなもので、ポットとカップをつかんで、お茶をいれて差し出したのだ。

 民芸調のカップアンドソーサーに注がれた、たっぷりの紅茶。ポットにはお替わりが入っているのだろう。脇の小皿には、ミルクに細切りのレモン。お菓子はトウモロコシのケーキ。それはこのあたりのおやつの定番だ。

 ニコニコとお茶を勧める猫どもにつられて飲んでみたお茶は、濃くてまろやかで……。思わず、アケルがお菓子の方にも手を出したときに、ふかふかで暖かそうな白い毛の不可が、話を始めた。

「あのね、アケル・ディアマンテスさん、だよね?」

「はい、そうです」

 これには思わず、生真面目に答えてしまった。

「あ、そうなの。あのね、うち、二階と三階が下宿なのね」

 不可は気にした様子もなく、話を続けた。ありがたいが、ちょっと拍子抜けする。

「はい」

「二階は広いの、お台所もお風呂も付いてるアパートメントなの。で、三階は狭くて、寝るだけなの。バストイレ、お台所も共同ね。これから案内するから、どっちか選んでね。どっちも賄いはつけられるの。ぬうもいつもどこにも居るしね。掃除なんかはぬうがするから大丈夫だから」

 不可猫は、それからもにこにこのまま、下宿の料金と待遇について、説明を始めた。顔はだらりと笑っているが、話は早く、的確だった。

 賄いは不可猫が作ること、昼は作れないけれども、朝と夜は格安で請け合うこと、掃除もぬうがすること、家賃の管理は蛇猫がすること。

「じゃ、見に行ってみますぅ?」

 アケルが茶を喫し終わり、お菓子を食べ終わるのを待って、猫達は立ち上がった。ホールから階段が上階へ向かって上っていた。階段も手すりが金属製で、草木模様の透かしになっている。

 階段を上がった上は、半分外にむかって開いたテラスのような階段ホールで、そのむこうにいくつかのドアがあった。そちらが「アパート」的な大きな部屋だったが、アケルは一見して、そこは自分には広くて立派すぎると思った。家具付きだし、小さいがバス、トイレも付いていて、清潔で機能的なキッチンもある。テラスに面した部分には小さな赤い花の鉢植えが、いちめんに並んでいた。

「もっと、小さな部屋が良いんですけど……」

 そう言うと、ねこたちは頷いて、彼をもう一つ上の三階へ導いた。

 

 三階に上ると、そこの階段ホールはテラスではなく、丸い、窓のないホールで、その先はいきなり独房のような廊下とドアの連なりになっているのが見えた。二階との落差に、アケルはちょっと驚いた。

 ホールも、隅に大きなミネラルウォーターのプラスティックタンクがいくつか鎮座しているほかには、がらんとしている。

 廊下も壁も、色気もそっけもないクリーム色の病院みたいなペンキ塗りで、なぜか、廊下に面したところにも窓があるのが不思議な感じだ。

「こっちが、小さなほうの部屋なの」

 不可が先にたって歩き出した。

「ここがトイレ。共同なのね」

 不可が開けた廊下の扉の中を見れば、左側にドアが二つある。そこを開けてみると、トイレと洗面、バスタブのないシャワーがあった。ちょっと薄暗くて、飾り気のないタイル張りだったが、軍隊の寮などによくあるような汚いシャワー室ではなく、床にはチリ一つなく、湯あかもかびも見えないのが特徴的だった。

「あっちはバスルームね。ちゃんとお湯も出るからね」

 不可が指差す方向の扉を開けると、そっちにはバスタブのある広い浴室があり、これまたトイレとビデが付いていた。住民皆がいそがしい朝にも、取り合いにならないだけの設備を誇っていると見えた。他に、炊事用の長い石作りの水場もある。

 古めかしい飴色の蛇口は、お湯、水が別になっていた。

(辺境警備軍団の宿舎よりきれいかもな。お湯が出るってのも、値段にしてはいいなあ)

 心の中で、アケルは思った。ハウランタートルの中層下層の家では、温暖な気候もあって、水シャワーが一般的なのだ。独房的な陰惨さがいささか感じられないでもないが、許容範囲だ。上等でさえある。

「部屋はいま、ここしかあいてないの」

 猫達は廊下に並んだドアの一つを開けて、アケルを手招きした。いそいでそこへ行って中をのぞくと、ドアの中は小さなベッドと机とタンスだけの部屋だった。床は下の居間のような美しいものではなかったが、一応はタイル張りで、壁は外とおなじペンキ塗り。殺風景で絵一つかかっていない。

 窓が外と、廊下側に一つずつあって、薄暗いが、寝泊まりできる最低限の設備はそろっていた。ベッドにもちゃんとシーツと枕と毛布が乗っかっている。 

 狭いが、どうせ荷物もないアケルには頃合いの部屋だった。

「どおお?」

 不可がアケルを見上げながら首をかしげた。見方によっては気持ちの悪いしぐさだが、ふかふか毛皮のでっかいにゃんこだと、不思議にかわいらしい。

「うん、ここにします」

 アケルは自然に、そう言ってしまっていた。

 自然に。

 喉の奥から、自然に声がでてきてしまっていた。

 

「おお。新しいヒトか」

 その時、反対側のドアが開いて、さえないおっさんが顔を出した。ドアが開いた途端に、何だか豆とタマゴの匂いが漂ってきたようだ。

「あ、モジさぁん」

 猫達がそろってそっちを振り返り、ニコニコ全開になる。アケルもつられてそっちのドアの方へ行ってみると、お向いさんの部屋が全開で見えた。

 さえないおっさん、モジさんの部屋は、こっちの部屋とまったく同じ大きさの部屋だった。

 しかし、さすがに先住の人間だけあって、ものはそろっていた。モジさんの部屋には、机の他に長いテーブルがあって、その上には骨董品だろう、ニクロム線の電熱器が置いてあり、その上には鍋がかかっていて豆が煮えていた。おまけに目玉焼きも焼けている。床には本だの、変な形の崩れた旅行鞄だのが転がっていた。

「あ、もうお昼だねえ。……そうなのお。モジさん、このヒトはアケルさん。あ、アケルさん、このヒトはモジさんだよ。もう何年も、ここにいるんだ。モジさんは自分でお食事作っているの。ここは炊事は自由だからあ」

 モジさんは気さくなおじさんらしく、豆の鍋をかき回しながら、こっちへウィンクを寄越した。

 浅黒い顔、黒い目、それは間違いなくこの辺りの出身と思えたが、こんな下宿に生息するだけあって、目つきが単純ではない。きら、と光ったのは気のせいではなさそうだった。それでも、顔全体の印象では笑っている。 

 ここのヒトはなんだかみんな楽しそうだ。

 アケルは、挨拶のお辞儀をしながら、ニコニコの猫達の下宿を居心地よい、と思っている自分を感じていた。

 その時、ふいにアケルは緊張が解けたのか、無作法にもあくびをしてしまった。涙の滲む目元をぬぐいながら、ああ、昨日の晩はさよなら飲み会で寝てなかったな、と思ったときだった。

 

「うにゃあああ」


 ふところに入れたまま、忘れ果てていた、這い猫が起きて顔を出した。

 今まで起きる気配もなく寝ていたとは、よく寝る猫だ。

「あ、這い猫だあ!」

 同じ猫のくせに、不可が大きな声をあげた。うれしそうににじり寄ってきて、アケルのふところをのぞきこむ。

「縁起悪いのに、なんでこんなところに入れてるのぉ。これ、白地に灰色のぶちで、最高に縁起悪いのにぃ」

 不思議そうに訊きながら、大きな猫が普通の猫を抱き上げた。それは、まさしく不思議な光景だった。

「かわいそうだよねえ。死人の目枕なんてよばれてねぇ」

「もう、だれも這い猫の目枕なんて、死人にかぶせやしないのになあ」

 モジさんまでがそう言った。もう、豆は煮終わり、タマゴは焼けたらしく、彼はテーブルに向かって遠慮なく食事にかかっている。

(やっぱり目枕だった……)

 それも、死んだ人の。 

 やや、ショックを受け、しかも不思議そうな顔のアケルに気がついているのかいないのか、猫達とモジさんは、這い猫をふびんがって、ご飯をあげなくちゃ、とか、家の庭で這わせてやろう、とか相談を始めたのだった。

 ともあれ、ここの変わった住人達は、這い猫やアケルから逃げてはいかないようだった。

 

 

 


 家賃の管理はつるんとしたでっかい猫の蛇猫へこの仕事なのだそうだった。

 部屋が決まると、アケルは、家賃の払い込みともろもろの手続きのために、表の通りに面した、お店の方に連れていかれた。

 表の店は薄暗い「骨董屋」で、中に入ってみると、古い棺桶、あやしげな厚塗のツボ、縁の欠けた東洋の陶器なんかが雑然と並んでいるばかりなのだった。とてもじゃないが、売れそうなものはない。古今東西の棺桶のコレクションがちょっと見られるくらいだ。しかし、こんなものがどんどんと売れていくはずもない。

 壁際に、人体模型と、骨格標本が立て掛けられている。凄まじいまでのリアリティだが、まさか本物ではあるまい。 

 しけた骨董屋の奥の、蛇猫へこの事務室に入っていくと、なんだか古めかしいと言うよりももはや化石のような、レトロな半透明スケルトンの、液晶画面ですらないブラウン管の「パソコン」が、ばーんと目に入って来た。

 それは、本当にほんとうに、博物館でしかもう見られないような、大昔のパソコンだった。

 そいつに、ぬうねこが一匹……ぬうだけが「有線接続」していた。ぬうのヒゲ以外には、ちょっと見たところでは電源さえも繋がっていなかった。

 信じがたいことだが、ぬうは電気を供給したうえ、反対側のヒゲからは無線で外部のどこかに繋いでいるようだった。時折、ぬうのヒゲが蛍か鬼火のように光り、そのたびに画面がぴかぴかと変わっていっていた。よく見ると、パソコン本体のなかにもぬうねこらしき半透明の「影」が見えた。

 こいつはヒートシンクなのだと、蛇猫へこが説明した。太古の機械を果てしなく改造しているので、もう、ぬうじゃないと電気も供給できないし、冷やすことも出来ないと。

「こんなパソコンくらいなら、ぬうでなんでも十分やねん。うち、非常電源はばっちしなんやでえ。ここんあたりは電線から電気ひっぱってるうちもぎょーさんあるけど、うちはぬうがおるから、盗電なんて必要ないしー。下宿じゅう、何処でも外と繋げるしなー。二階にいくつか、ちょっと大きい部屋があるんやけど、そこには大陸間のネット商売のヒトもいてるわ。うちのぬうは電脳には強いよって……」

 蛇猫は自慢気にのけ反りつつ、壁のカレンダーを見た。

「下宿代、今月は日割りで計算するからのう」  

 パソコンは、スチールの灰色、四隅さびさびなデスクの上に乗っかっていて、デスクの前にはお決まりのビニール張りの回転イスがあり、そこに蛇猫へこが、

「うふふ。わい、ここに座ると落ち着くねん」

 などと言いながら座り込んだ。定位置らしい。 

 座った蛇猫へこの前のディスプレイが刻々と変わっているらしく、蛇猫へこの顏が光の反射で浮き上がった。 

 なぜだか、パソコンの前にはパソコンそのものよりも、もっと遥かに古めかしい、はっきり言って「骨董品」な「計算機」が鎮座している。

 とにかく、骨董屋の奥のなぜか薄暗い空間は、骨董電脳製品と事務製品でコーディネートしたような場所だった。

 蛇猫へこは大昔のパソコンに向かって音声入力でアケルの名前を入れ、入金の状況を画面をタッチしながら確認した。

「……ほらあ、うちの店子さん、皆さん、ちゃんと払うてくれてますのや。ありがたいわあ」

 蛇猫はにこにことスチール机のまえで、くるんと一回転し、満足げにうなずくのだった。

「今度の店子さんも、真面目そうでいいわあ。わい、しあわせだなあ」 





 こうしてアケルは、バケネコの下宿に落ち着いたのだった。

 最初の朝にはもはや、この下宿の清潔きわまりないことの秘密がわかるような事象が、朝早くからアケルの前で展開された。

 ここの下宿人には、昼間寝ている夜の職業のひとたちと、昼はどこかへ、仕事かなにごとかの用事で去っていく人たちが居たので、いつも基本的には静かなのだった。ただ、誰もが寝ている早朝に、廊下や部屋を、ぬうねこの一群が、静かに這っていくのだった。

 それを、アケルは早くも、下宿に入った翌朝に見たのだった。 

 ぬうねこ。

 この半透明の手足の見当たらない猫達が、掃除を担当しているらしく、決まった時間になると、彼ら、名前はひとつ、「ぬう」だが、なぜかたくさん現れる猫たちが、下宿の中にどこからともなくにじみ出てきて、そこらをきれいにしていくのだった。

 ぬうねこたちは静かに、壁や天井、床から現れ、ぬーっとのびて壁や床を覆い尽くし、音もなくそこらを清掃して去っていった。

 体全体がやわらかいモップのような感じで、ぬうたちはきわめてシステマティックに掃除をするのだった。

「おおう。おはようさん。はやいね」

 アケルが、掃除中のぬうねこ集団のくるくる働く様を、自分の部屋の入り口に立って、歯ブラシを口に突っ込んだまま、ややぼう然とながめていると、横の扉が開いて、白髪の小柄なばあさんが現れた。プリント柄の派手なワンピースすがたで、やや太っているが、マスカラにくま取られたでっかい目は、みどり色に光っている。

 さすがはここの住人というべきか、朝からなんと酒瓶片手である。

「あ、おはようございます」

 アケルが、酒瓶のほうをちらりと見たのを知ってか知らずか、ばあさんは、ごっきゅごっきゅとさっそく飲み始めた。恐ろしいことには、酒瓶にはロンの一銘柄のラベルが光っている。黄金色の甘いほうではなく、透明な辛口のほうだ。アルコール度数三十度は軽いだろう。

「ねこねこ」

 ぬうが一匹、床の掃除をやめて寄ってきた。

「ねこ。おはよー。あ、アケルさん、紹介するね。このひとはマリカルメンさんだよぅ」

 ぬうねこは、わざわざアケルに紹介してくれたらしい。

「カルミータでいいよ」

 カルミータはやや素っ気無い声音でそう言ったが、根は気さくなひとらしかった。

 そのまま、ごっきゅ、ごっきゅとアルコール度数三十度のロンを飲み続ける。見ているほうが心配になってくる飲みっぷりだが、彼女はしっかりした足取りで、階下へ向かって歩いていくのだった。靴は派手な真っ赤のハイヒール。

「しっかりしたもんだろ?」

 アケルが、歯ブラシを口に入れたまま、カルミータの後ろ姿をぬうとともに見送っていると、向かいの部屋から、昨日のモジさんが出て来た。彼の方は、これから何かの仕事に出るらしく、かばんを持って、昨日よりはややましな格好をしている。

「あんた、歯磨きがもういいなら、いっしょに下で朝飯を呼ばれようや。おれも朝だけは下で食べるんだ」 

 そう言われたら、アケルは急にお腹が空いてきた。昨日は結局、昼から夕方まで、ぼうぜんと部屋で過ごしてしまったので、ろくなものを食べていない。夕食も眠たくて仕方がなかったのでキャンセルしてしまったのだ。

 アケルは、モジさんに連れられて階下の居間に入り、中庭に面して大きく開いたオープンなダイニングに入っていった。ダイニングには大きな細長い、黒光りする木のテーブルがあって、そこに住人たちが座っていた。背の高い椅子も黒い木で、古くて武骨ではあったが骨董屋の下宿だけあって、品物はなかなかだった。

 酒瓶のカルミータも座っており、ぬうの給仕でコーヒーと、温かい揚げたてあげパン、卵にシリアル、の朝食をとっていた。その横に、双子みたいによく似た二人づれが居て、もう食事は終えたらしく、席を立ちながらアケルに挨拶してくる。

「おれはマリオ」

「ぼくはヘスス」

 若いのに頭をきっちり真ん中と、七三に分け、二人してダークスーツを身に付けている。二人そろって痩せていて、浅黒い顔も、黒い目も整ってはいるが、表情の乏しい顔もそっくりだ。どうやら、こいつらは俺より愛想無しだな、とアケルはひそかに安心した。 

「よろしく」

 これは、頭の分け目で区別をしないと、しばらくは間違えそうだ、とアケルが考えていると、横からモジさんが同じようなことを言ってきた。

「区別つかねえだろ、こいつら。……頭の分け目で区別しな。真ん中分けがマリオだよ。こいつらはこれでも音楽家だぜ。……本当は、双子じゃないらしいけどな」

「そうしてください。じゃ、いってきます」

 見れば、二人はギターとアコーディオンのケースを持っている。二人はモジさんの失礼ないいぐさにも表情一つ変えず、お辞儀をしながら、さっさと出ていった。音楽家が朝から、スーツを着て何処へ行くのかはわからない。 

「にゃはは、おはよーございまーす」

 その時、奥の方から、不可の声が聞こえてきた。

 台所を挟んで向こうが、猫達の住居であることは昨日のうちに訊いてある。

 庭に面したテラスづたいにもダイニングへ入れるらしく、不可の声はそっちからした。

 もう席に着いていた、アケルと、モジさんとカルミータ、給仕のぬうがそっちを見ると、不可と蛇猫へこ、ぬうねこ何匹か、が、不思議なものをうやうやしく担いで出てくるところだった。

 それは、眠っている人間だった。

 その人間の頭を不可が、足の先を蛇猫へこがささえ、そのほかの体の下にぬうが入って、いわばネコ担架、もしくはネコストレッチャーの状態になっている。

 ネコ達はそろりそろりと、その人をテラスのゆり椅子に座らせると、ひざ掛けをかけてやり、手の位置、足の位置などを按配してやっている。

 世話されている人間の方は、起きる気配はまるでない。 

「眠り男なんだよ」

 これは、何かの病気か事故かなんかで、植物状態にでもなってしまった気の毒な人なんだろうか?と、アケルが考えたとき、傍からカルミータの声がした。

「病気じゃないんだよ。いや、もしかすると、眠りの病気なのかも知れないけど。あたしたちには、眠り男って言うしかないね」

 ずずず、と砂糖を三つも入れた、真っ黒なコーヒーを飲みながら、カルミータはひらひらと長い爪の手を振った。爪も真っ赤なマニュキアだ。

 やや途方に暮れて、横のモジさんを見れば、こっちは無言で頷きながら、この街特有のやや柔らかいフランスパンを、コーヒーに浸けて食べている真っ最中だった。

「ねこねこ。はい、これアケルさんのお茶。……お砂糖無しね。ミルクはこっち。……カルミータさん、病気じゃないよぉ。ねこ。トルさんは、いま、ここにいられないだけだもん」

 さすがに仕事に余念のないぬうがお茶を運びながら口を挟んだ。いちおう、猫なりには説明したつもりらしいが、アケルには全然わからない。バケネコにはいやも応もなく慣れてきたが、この家の謎はあとからあとから出てくる性質のもののようだ。

「にゃはは。あ、アケルさん! おはよー」

 律義に名前を呼んで、「眠り男」を揺り椅子に「安置」しおわった不可猫が今日もニコニコな顔をこっちに向けた。

 改めて見てみて気がついたが、不可は今日はピンクのひらひらエプロン姿なのであった。大家兼、この家の主婦、という出で立ちである。エプロンは糊が利いていて、しみひとつなく、全体としてはなかなか、かわいい。

「おはようございます。あのう……」

 顔にハテナ印を貼り付けたようなアケルの顔つきに、気が付いたのが気が付かなかったのか、不可はニコニコと手招きした。

「良く眠れたぁ。あのね、お食事中だけど、この人、紹介してもいいかしらん?」

 もちろん、興味と先程からの話の不思議もあって、アケルは席を立って、不可のそばに行ってみた。 

 テラスへむかって開け放したガラス戸のむこうの庭先。

 目にも鮮やかなブーゲンビリアの花が揺れる木の下あたりに、眠り男の揺り椅子が出されている。

 蛇猫へこが庭の向こうから、なにかを抱えて戻ってくるところで、とく見れば、それは昨日アケルが拾ってきた這い猫なのだった。

「おはよーさん。この猫、この庭が気に入ったみたいですねん。よかったわあ」

 蛇猫へこは這い猫を、そうっと、ゆり椅子の人、「眠り男」のひざの上にのせ、ちょいちょいとひざ掛けのあたりを直している。

 あまり近くに行っては、わるいのかな、と思いながら、アケルはゆり椅子のそばに立っている不可の方へ遠慮がちに近づいた。

 当然、「眠り男」の姿がはっきりと目に入った。

 

 そして、びっくりした。

 

 というより、一目見て、胸を突かれるような気がして、狼狽したような、見てはいけないものを見た人のような気持ちがして、アケルはいたたまれない気持ちになった。

 なんでなのか、理由はすぐには分からなかった。

 たぶん。

 ひとつ目は、彼がとうてい生きた人間には見えなかったせいだ。

 人間というにはその顔は、整いすぎていて、肌の質感も硬質すぎ、顔立ちそのものも、美貌に過ぎた。危うい均衡の産物と言うしかない。

 女性の美人のような華やかで繊細な美しさが、間違えようのない男性の骨格にのっかっているのがはっきり分かる。

 それだけに不思議な均衡が何万分の一の確率でとれている、というのが奇蹟のように思われた。

 ふたつ目は、水死人のような黒い、冷たい感じの長い髪。

 長い髪の男など、当節、めずらしくもないが、顔が人形のようにつるりと白いので、どうにも見ていて落ち着かない。

「きれいな人でしょ?」

 アケルは、不可の声をぼうぜんとしたまま聞いた。

「このひとは、トルさん。……トルファインっていうの。でもね。いまは、ここにはいないの。いられないから眠ってるの」


 アケルはその時、気がついた。

 眠り男のトルファインは、息をしていなかった。

 それはまるで、ここではそれが当然のように……。




 蛇猫の関西弁的なものはいいかげんです。自分は東日本出身ですので。すみません。

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