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1. 這い猫

「うわ。縁起わりぃー」


 アケル・ディアマンテスは、めでたく除隊し、駐屯地から出て来た、その瞬間にもう後悔の念が心をよぎるのを感じていた。

 門を出た途端に、一緒に出てきた同期で除隊して、とりあえずしばらく一緒に行動することになっていた男が、変な声を出した。その内容にである。

 新しい門出を前にして、「縁起悪い」とはどういうことなのか。

 思わず、よく人から「目つきが悪い」と言われる目で相手の顔を見やると、彼がいやそうに眉をしかめ、時代錯誤にも十字を切っているのが目に入った。まあ、確かに東洋系の母親を持っていたアケルとは違い、この男は生粋の南西大陸人だ。

「這い猫だよ。それも白地に灰色のぶち、サイアクだ。縁起悪すぎ。くわばらくわばら」

 ハイネコ?

 男の嫌そうな視線の先を見やると、それが見えた。

 早朝の薄暗い中、たしかに何かが道を這いながら横切っている。彼らの目の前、くたびれたアスファルトのうえを、今しも横切ろうとしている物体。

 それはたぶん……猫だ。

 白地に灰色のぶち、かたちも大きさも普通のだ。違うのは道をなぜか「匍匐」したまま移動していることだけだった。ちらりとこっちを見てからも逃げるそぶりもなく、這い続けているのが奇妙といえば奇妙なだけだ。

「あのネコがどうかしたのか?」

 何がどう縁起が悪いのか、ぜんぜん全く分からなかったので、訊いてみると、相手は不思議そうな目でこちらを見た。彼の中ではあたりまえの理由があるものらしい。

「ああ、お前さんはこのあたりの出身じゃなかったなあ。朝早くにしか出てこないから、見たこと無かったのかな。このあたりではあれは、這い猫って言って、普通の猫とは違うんだよ。歩いたり走ったり飛びかかったりはしない猫なの」

 アケルは鉄色の瞳をパチクリさせた。

「それでよく生き残っているな?」

 猫のくせに早く走れもせず、ああして這っているだけでは、あっという間に天敵に食われるのではないか。

「はあ? だって、あれって見た目は猫でも、這い猫なんだだぜ! 存在そのものが縁起悪いんだよ。普通の猫とはちがう進化しているの。あいつを食いでもしたら体が腐れるから、あちこちのそのそしてても大丈夫なんだよ! まあ、バケネコだな。とにかく、あれ以上に縁起悪いもんなんか、めったに無いんだ。悪魔の使いなんだぜ? あんまりたくさんその辺にうじゃうじゃいる訳でもないし。……それなのに、ここで見ちまったということは……あ、おまえ、実は縁起わるい男なんじゃねえの?」

 説明になってない。

「俺はちがう」

 アケルはとりあえず、そう言っておいた。

「オレだって違う!ああ、もう縁起悪すぎ! 出てき直そうかな…ああ、やだ、やだ」

 まだ、言っている。

 良く分からないながら、アケルにも、この這い猫が、このあたりの地域では非常に縁起が悪くて、忌避されているらしいことだけは分かった。分かったが、目の前を這っているのは小さな爪も牙も普通サイズ(歯は見えなかったが口のサイズで想像できようものだ)の猫なのだ。毒でもあるのだろうか? それならさすがにその存在についての危険情報が、今までに耳に入っているはずだ。

 話の様子では検疫対象の生き物でもなさそうじゃないか。

 民間伝承の一種なのだろう。黒猫よりも嫌われていることは確かなようではあるが。

「わっ! なにするんだお前! そんなものに触るんじゃない!」

 這い続けているので、話の間にもたいして道を進んでいなかった、アケルは這い猫の上にかがみ込んで、手を伸ばし、ひょいと白と灰色の毛皮を大きな手でつまみあげてみた。あたたかくてふわふわした、普通の生きものの感触だった。反撃してくる気配もなく、ぶらんとしたまま小さな口が開く。

「うにゃあ」

 鳴き声も普通だな、と思っていると、後ろで悲鳴が聞こえて相棒が転がるように逃げていく気配がした。あわてて振り返る。

「おい! どこへいくんだ、おまえ?」

 だが、男はものすごい速度で走り去っていく。振り返りもしない。本気だ。冗談でなく本気で逃げている。

「おおい! 一緒にねぐらを探しに行くんじゃなかったのか?」

 声だけが戻ってきた。

「勝手にしろ! オレは知らん。お前みたいな縁起の悪いヤツは猫に取り憑かれろ!」 


 うにゃあああ。

 手の中で、這い猫がもぞもぞと動き、早朝のいまだ明けきらぬ薄やみの中で彼は独りぼっちで取り残された。同期除隊の相棒は走り去り、もう遠い霧の中に姿も消えていた。

 さすがに走るのが早いな。

 アケルは変なことに感心しながら、這い猫をどうしようか、と考えていた。

 なんの脈絡もなく、こいつ、昔、母親が作ってくれた猫の目枕に似ているな、と思った。ふう、と、がらにもなく遠い思い出に戻っていきそうな自分を逃さぬようにつかまえつつ、彼は無意識に這い猫をふところに入れていた。

 じつは、あいつは俺を体よく振り払ったのかも知れん。

 そうも思わないでもなかった。


 こうして、アケル・ディアマンテスは出て来たばかりの、「ハウランタートル辺境警備基地」の前で満期除隊のめでたい突端で独りぼっちになり、取り残されたのであった。

 


 

 

 アケル・ディアマンテスは、元はいいうちの坊ちゃんだった。二十一歳のあの夜までは。彼の両手が血まみれになった、あの恐ろしい夜までは。

 ハウランタートルなんていう辺境都市が、南西大陸にあることさえ知らず、大陸の西側にある、商業大国カミスの名門学校を卒業し、先の不安もなく社会的には恵まれきった暮らしをしていたのだった。

 だが、あの夜に自分がすべてを壊してしまったのだ。

 今でも、アケル・ディアマンテスは「あの夜」に起きたこと、いや、自分が起こしたことが忘れられなかった。

 あれから何年もがたって、流れ流れた末に、ハウランタートルで治安維持から場末の小学校の保安員、田舎の農場のお手伝い、井戸掘り、衛生管理、学歴のあるものは兼業で川べりのスラムの学校の臨時教師まで、なんでもやる「辺境警備軍団」という名の軍団に入隊してからも。

 5年の最大延長期間があっというまに過ぎ去り、下士官から士官になる道を選ばずに満期除隊となって、放り出されることが決まったとき、上司が、

「君、士官任官試験を受けて、正規の軍人になったらどうだね? 君は真面目だし、向いていると思うがねえ」

と、勧めてはくれたのだが、彼には士官から上は南西大陸の正規軍に所属する辺境警備軍団には入れない理由があった。

 正式に身元を根元から探られると、とんでもない埃が出てくる彼には、また、あちこち流れ歩いて、どっかの田舎でまた違う支部で入隊でもするか、まっくらな暗黒社会の方へでも行くしか、方法がないのだ。


 それで、同期で入っていっしょに満期除隊した相棒といっしょに、とりあえずの住み処を探しに行こうと決めた。

 なのに、朝ぼらけのなか、出て来た途端に猫一匹のことで相棒は去った。このあたりの地域の出身の相棒は、いっしょに知り合いの不動産屋に行ってやろうと言っていたのに。

「困っていてもしょうがないか……」

 アケル・ディアマンテスは基地の前から、バスの通る道の方へと歩き出した。

 基地はハウランタートルの町外れだ。おんぼろバスに乗って、市の中心の方へ出ていかなくてはならない。除隊の時に退職金が出たから、ふところは暖かかったが、これもいつまでも続くわけではない。「まずは不動産やだな」

 独り言を言って、アケル・ディアマンテスは、仕方がないとすべてをなかったことにして歩き出した。

 荷物はバックパック一つ。

「うみゃあ」

 あと、ふところの縁起の悪い這い猫。いっぴき。

 

 


 

 「猫、お好きですか?」


 かわいそうな不動産屋は、愛想笑いと引きつり笑いがまぜこぜになったフクザツな表情で、アケルを下からのぞき上げるようにした。

 アケルにはわかっていた。この不動産屋は今、こう思っている。

(コイツ、こわい。愛想ワルイし。着ているものは辺境警備軍団の下士官の制服で。間違いなく除隊してきた下士官崩れ。こういうお客さんはどうもなあ。除隊の時にちょろまかした武器なんか持ってないだろうなぁ)

 そう、不動産屋の目が言っている。気の毒な中年のうらなり不動産業者は、半分ビビッていた。

 アケルは全体としては、決して強面な男ではない。

 それどころか、背はどっちかといえば低い方だし、体格も貧弱だ。顔立ちも東洋の血を色濃く残しているので、色が白くて無表情。だが、残念なことに、アケルはそのすべての穏健な容姿をそれただ一つで裏切るほどに、目つきが悪かった……。

 不動産屋は、心の中で嘆息していた。

 はっきり言って、安ければ安いほうがいい、なんていう下宿探しのお客なんざ、本来なら店頭の電脳端末で勝手に検索して自分で下見に行って欲しいところなのに。それをせずにカウンターでの接客を待つなんて。

 もちろん、人間が応対しただけの手数料はもらうが、それが紹介するだろう場末のアパートや、下宿代に見合うとは思えない。

 いや、もしかしたら脅して手数料なんか踏み倒す気かもしれない。

 ああ、きっとそうだ。

 不動産屋は出口のところに立っている、ガードマンのほうをちらりと見た。このあたりでは未だに、人間の人件費の方がセキュリティシステムより安いのだ。それはそれで恐ろしいことではあったが。

 お客は、一見したところは、背もあまり高くないし、どちらかといえば痩せている。服装はもうしょうがない。辺境警備軍団の下士官の制服だ。だが、階級章は剥ぎとられている。除隊したのだろう。

 このあたりの人間らしくなく、話す言葉は一本調子だ。そして、顏は無表情の能面。髪も目も鉄色で、日に焼けているのになんだか顔色がわるい。白茶けている。たぶん、笑えばちょっとは見られる顔なのにな、とは思う。

 とにかく、目つきの印象的な顔だ。硬質のガラスに一番良く似た質感の、変な堅い光がわだかまっている。 

 しゃべった声も愛想ゼロの変なアクセントだったし、どうも高速音声入力用の人口声帯を付けているらしく、言葉の端はしでやや音声が特有の乱れ方をした。きっと、元はお金持ちだったんだろう。今は安下宿を探しているのだから、きっとここにくる前の、その昔は……。

 よく見れば、カウンターの上に乗っけられた両手には、人工皮膚で出来た多重入力線遮断手がはめられている。自分の脳のそばに補助メモリも入れているのだろう。その出力部分が指にあるのだ。

 素手のままだと、まわりの機械に影響があるといけないと、自らはめているのだろう。真面目なことだ。

 この男は、声や、赤外線で出入力デバイスなしに電脳にアクセスできるということだ。

 しかし、となると、この男はこのあたりではお金持ちの部類、ということになるが……。なんで、安下宿なのだろう? 一貫性のない男だ。


 一方、アケルのほうも、「またか」という気分であった。また、「猫」なのだ。

「猫、お好きですか?」

 目の前のカウンターの向こうで、不動産屋がもう一回、言った。

 やっぱり這い猫は縁起の悪いイキモノなのかもしれない。その這い猫は活動時間の早朝が過ぎたせいか、ふところの中で寝ているようだ。だから、アケルにはあたりどころがない。

 勢い愛想もいっそう悪くなる。子供の頃から愛想なしと言われ続け、自覚があるアケルだったが、それでも顔がこわばってきた。

「別に、好きでも嫌いでもない。なぜそんなことを訊くんですか?」

 声もちょっと尖った。不動産屋はあわてて意味もなく手をひらひらと振り、

「いえ。ちゃんと意味があるのです」

 などと言いながら、そわそわと端末のあたりをなでた。

「とてもお安い、しかも住環境もわりといい下宿があるのですが、そこは猫がお嫌いだと、いささか紹介しにくいのでして」

「なに? 猫好きの大家さんが猫をたくさん、飼っているとか?」

 アケルが不機嫌そうに眉をしかめると、なぜか、不動産屋はあいまいに笑って、上目使いでえへへ、と言った。なんだか気持ちが悪い。

「いえ、まあ、そのう」

「そんなものですな。で、猫はどうなんです?」

 アケルは、かなり実は気が短いほうだった。ながながとした交渉事が苦手なほうなのだ。仕事なら、いくらでも粘れるが、それでも要領は良いほうなので早めに切り上げることが多かった。

「だから、好きでも嫌いでも……」

 アケルは苛立たしげに、カウンターを人工皮膚の手袋越しに叩いた。

「あああ、そうでしたね。でしたら、ご予算で入れる下宿ではここが一番、環境もよく、家賃も安く、しかも賄いもつけられますですよ」

 あやしい。

 アケルはそうは思ったが、自分の予算では実際のところ、怪しくない下宿を探すほうが難しいのかも知れない、と思い直した。。ハウランタートルにもう五年住んでいるアケルには、もうそのくらいの分別はあった。

 気に入らなかったら、他の不動産屋を当たって、他の下宿を探せばいいのだ。まだ日は高い。

「じゃあ、そこに行ってみます。地図、憶えますからそこに出して下さい」

 不動産屋はアケルの差しのばした右手指を無視し、端末をいじって、当該下宿の場所を確認してから、アケルに向かって店頭にある端末の一つを指さしてみせた。

「二番目のにデータ、出しました。ご自分で操作して持ってってください。連絡はこっちで入れときますから。手数料の方は……」

 A・ディアマンテスは、ポケットからくしゃくしゃの札をとりだして払った。今でも、こんなところではやっぱりキャッシュが便利なのである。おかげでポケットが金臭くなる。

 残りの札をしまっていると、胸の中で寝ていた這い猫が、その動きで起きたらしい。


「うにゃああ」

 襟元から顔を出した猫を見て、不動産やがびっくり目であとじさるのを横目で見ながら、A・ディアマンテスは店を出た。

 

 

 



 その家の外観は、洒落た白い壁に、アールヌーヴォー調のバルコニーのある、とてもすてきなものだった。

 表通りに面している方は店舗になっていて、一階は奇妙なさえない骨董屋だったが、裏に回ると、そこが住人達の出入り口になっていた。狭いが中庭があって、きれいに手入れされた薔薇の垣根が出来ている。

 全部がなぜか赤い薔薇で、アケルは、なんだか自分が激しく場違いな気がした。

 厳重な鉄扉があって、横に古風な呼び鈴があったので、それを鳴らすと、やがて、中庭の奥の方から白っぽい小柄な三人連れが出てきた。

 驚いたことにそれは人ではなく、三匹の猫のようなものに見えた。

 身長は1メートルくらいの、太った、猫のようなものが、三匹。

 三匹仲良く、ニコニコ出てきた。三匹ともに白い猫、それも巨大な、だった。

 真ん中のはふかふかとあったかそうな毛ごろもで、あったかそうなピンクがかった白い色。右側のはなんとなく青みがかっていて、どことなくつるんとしている。そして、左側のは、奇怪なことに手足らしきものが見えず、しかもシャボン玉の縁のように、七色に透けて、全体が半透明でよく見ると向こう側が透けて見える、スライムのような存在だった。

「いらっしゃーい。お待ちしてましたあ!」

 そろって、うれしそうに目を細める。それは、細目すぎて、カモメさん型になった目だった。だから、猫どもは満面の笑みでニコニコだった。口が耳まで裂けているかと思うくらいに……。

「にゃはははははぁ」

 奇妙な音を発しながら、猫達はアケルを中へ案内しようというように、体を開いて道を開けた。 

(なんだこれは? こんな猫、どこでだれが作ったんだ。電気絡繰ツクリモノなのかな。それとも、ここで別進化したイキモノなのか?)

 事、ここにいたって、アケルにも、不動産屋の言っていた「猫」のなぞが解けた。

 その上に、這い猫に始まったバケネコ繋がりが、ここでここの三猫に結集したように彼には思えた。彼は、かなりぼう然とした面持ちで、あやつられるように猫達のあとについて行くしかなかった。




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