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混沌のバベル  作者: じしゃくまん
鳴神の亜人
4/6

力を持つ者

 その日はバイトも休みで、壱矢は帰りにコンビニに寄って本日発売の漫画雑誌でも買ってこうか、などと考えていた。

 が、帰り支度をしていた所に唐突に声を掛けられた。

「えーと、淡路?」

「何?」

 振り返って見れば、クラスメイトが頭をかきながらたっていた。

「今朝さぁ、知らないオニーサンにお前のこと知ってるかって聞かれてさ」

 そこで気まずそうに目線を反らす。

「で、知ってますつったら、これ渡しとけって」

 そう言って、差し出してくるのは二つに畳んだ紙切れ。

 差出人に心当たりはない。訝しく思いながらも中を開くと、そこには殴り書きでこう書いてあった。

『今日の九時一人で夕揚ヶ丘園に来い』

「…」

 一体誰だろう。というか今時なんて古典的な。

(つーか、字間違ってるし。夕"陽"ヶ丘だろーが)

 どうやら差出人はオツムがあまりよろしくないらしい。

 壱矢は紙切れを丸めてポケットにしまった。するとクラスメイトは身を乗り出してきた。

「なぁ、お前何したの?大丈夫?結構厳つい奴だったけど」

 彼は"表面上"、心配そうな顔をして壱矢を見る。

 そこにあるのはこれから起こることに対しての好奇心と薄っぺらい偽善だけだ。本当は心配などしてないくせに。そもそも友人ですらない相手を心配する筈もないだろう。

「別に。…わざわざどーも」

 だから壱矢は一言そう言って、鞄を背負った。そして踵を返し、足早に教室を去った。


「ほんっと愛想悪。せっかく人が心配してやってんのに」

 残されたクラスメイトは舌を打って壱矢の後ろ姿を睨み付けた。

「ま、そーいう奴でしょ。腹立ち損だって」

 小腹を立てる彼の肩を友人がポンと叩く。振り返ると友人は皮肉げな笑みを浮かべていた。

「化け物には人間様なんかどうでもいいってことさ」

「…それって例のあれ?マジなん?その話」

 彼はまさか、という目で友人を見た。が、友人は眼鏡をクイッとあげて薄く笑った。

「何分僕は淡路君と同中だもの。この目で見たけどさ。ありゃあ人間技じゃないね」

 それから壱矢の机を見下ろす。

「――まさしく、化け物だよ」




 行くべきか、行かぬべきか。

 コンビニで雑誌をめくりながら、壱矢はずっと同じことを考えていた。

 元々目付きが良くないのか、それとも同類だと思われるオーラでも発しているのか、壱矢は「何メンチきってんだゴラア」的な始まりで質の悪い奴らに絡まれることが時々あった。その度に、異能 (バベル)を使ったり使わなかったりで、どうにかやってきたのだが。

―――一般人に力を使うのは禁止だ。ましてや喧嘩に使うなんて言語道断!

 紬の言葉が甦る。

 あれ以来、力は使っていない。紬の言うことにも一理はあるとは思ったからだ。だが。

「こんなもんもらって無視すんのも癪だしなぁ…」

 丸めた紙切れを開いてみる。

 昔から自分は負けず嫌いだという自負が壱矢にはあった。長所か短所かは分からない。負けず嫌いと言えば聞こえはいが裏を返せば諦めが悪い、プライド高いということだ、と最近は冷静に思ったりもしている。

 取り敢えずこれは買おう。壱矢はパラパラと雑誌をめくっていた雑誌を閉じて、レジに持っていった。

「二百五十五円になりまーす」

 ギャルっぽいアルバイトの店員がダラダラとレジを打つ。明らかにやる気がなさそうだ。その姿を見てふと思った。

(もしかして、俺も端から見ればこんなんなのか?)

 いや、流石にここまでダラダラはしていないだろう。が、似たようなものかもしれない。気をつけよう、と少しだけ思った。

 コンビニのレジ袋をぶら下げながら、自動ドアをくぐる。

 駐車場を横切る時、車止めに腰かけている不良たちに何となく見られているような気がした。そしてその勘は案の定当たっていたらしい。

「よう、兄ちゃん」

 人気のない通りに入った途端、唐突に囲まれ声を掛けられた。もちろん、コンビニの前に溜まっていた奴らだ。ざっと七、八人。明らかに敵意有りだ。

「あ?何だよ」

 睨み返すと、彼らはニヤニヤと粘着質な笑みを浮かべてきた。件の手紙といい、ついてない日だ。

「いやぁ俺たちからのラブレター読んでくれた?」

「…そーゆーことかよ」

 どうやら手紙の差出人は彼らだったらしい。

「本当は九時まで待つつもりだったけど、偶然お前見かけてね?こりゃあもう運命だと。運命の赤い糸ってやつ?」

「気色悪ぃ…」

 野郎と運命の赤い糸なんて冗談じゃない。

 彼らは異口同音にまくしたててきた。

「いやぁお前には大きな借りがあってさ」

「何でもこの間俺らの可愛い弟分たちをボコってくれたらしいじゃん?」

「弟分たちがさ、俺たちに訴えてくるんだよ」

「化け物に襲われたって。警察に話しても信じてもらえねぇって。挙げ句薬で疑われたいうじゃん」

「大地なんてよ、コンセント見るたびにお前の面がちらつくって泣きついてきやがんだぜ?可哀想だろ」

 どうやらこの男たちは、あの夜壱矢に絡んできた奴らの兄貴分らしい。

 自分で絡んできといて、上に泣きつくとは。というか、何でコンセントなんだ?

 彼らは距離をつめながら、そうそう、と話を変えた。

「つーか、お前って案外頭いいのな」

「ダチに頼んでここらの学校当たってみたけど、全然見つかんねぇし」

「そしたら上野にいるっつーじゃん?正直驚いたわ」

 東京都立上野高校。壱矢の通う学校だ。バリバリの進学校ではないが、まぁ彼らから見たら頭の良い部類に入るのだろう。

「そりゃあ、どーも」

 壱矢は薄く笑って、一番手前の男に殴りかかった。できるだけ異能(バベル)は使いたくない。――ならば、先手に出るしかない。

 生来運動神経に自信はあるが、武道に関しては壱矢はまるで素人だ。だから半分力任せに顎を殴りつける。続いて男が呻いた隙に、すかさず腹を蹴り飛ばすと男は蹲って倒れこんだ。

「…てめぇ!」

 男たちは虚をつかれて一瞬呆けたが、すぐに逆上し声をあらげた。だがすぐに飛び掛かることはせず、じりじりとにじり寄る。

「気をつけろよ、こいつ放電するらしいぜ」

「はぁ?それまじなのかよ?」

「仁が言ってたろ」

「いや、でもよ…」

 男たちは距離をつめながらも、躊躇っている。壱矢はその隙に一人を選び殴り倒した。

「クソっ…!」

 それで流石に男たちも堪忍袋の緒が切れたようだった。

「六体一だ!押さえつければ何とかなんだろ」

 一人の掛け声を皮切りに一斉に襲いかかってくる。壱矢は何度か殴られ、殴り返したが、圧倒的人数差。単なる喧嘩の腕で勝てる訳もない。

 もういんじゃないか、異能(バベル)を使っても。天賦の才だと要も言っていたではないか。生まれ持った才能を生かさないどころか、才能に縛られるなんて不条理だと。

 そんなことが頭に過った時、背後から腕を捕まれた。

「放せっ…!」

 咄嗟に振りほどくがその瞬間、突如電撃が宙を走る。腕を掴もうとした男は勿論、他の仲間たちも思わず一歩退き、好奇と畏怖の混じった笑みを浮かべた。

「すっげ、マジか」

本物(マジ)の化け物ってかよ」

 化け物。その言葉が鉛のように胸に落ちる。

――そうだ、化け物ならどうでもいいじゃないか。所詮、"人間"相手だ。

 ヤッテシマエ。一瞬そんな声がどこかで聞こえたような気がした。

 やってしまえ、殺ってしまえ、か?

「クソッ…」

 一瞬頭を過った、自分でも予想外な不穏な考えを慌てて打ち消す。いくら何でも、そこまでする勇気も気も毛頭ない。

 躊躇っているうちに頬を殴られた。 その隙に背中に体当たりを喰らい、地面に押さえつけられる。衝撃に一瞬息がつまった。冷たいアスファルトの感触が服越しに伝わってくる。

「しっかり押さえてろよ?油断すんな。そいつ本物みてぇだし」

「うす」

 リーダー格らしき男の命令に、壱矢を押さえ付けている巨漢が頷く。

 男たちは指を鳴らしながら話し出した。

「さぁて、この生意気な兄ちゃんどうしちゃろか」

「つーか、こいつそーゆー系のとこ売れば金になんじゃねぇの?ナマズ人間なんて激レアだべ」

「ハハッ人身売買ってかよ」

 頭上で男たちの笑い声が聞こえてくる。嘲るのような、笑い声。

――ふざけるな。

 その時、壱矢は自分の中で何かが切れる音を聞いた。それは元々さりとて丈夫じゃない堪忍袋の緒だったかもしれないし、別の何かだったかもしれない。

「死ね…!」

 壱矢は自分を押さえつけている巨漢の腕を掴むと、素早く電撃を流した。

「…!?」

 突然の電気ショックに巨漢が怯んだ。その隙に肘鉄を入れて、力任せに巨体を押し退ける。

 もうこのまま異能(バベル)を使ってしまえ、そんな考えが再び過った。右腕が電荷を帯びる。それを振り下ろそうとした時――聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「一度ならず二度までも…懲りない奴だな、まったく」

「つ、紬さん?」

 ぎょっとして、思わず手を止める。見ると、彼…改め彼女が路地裏の入り口に立っていた。

「あ?あんたこいつの知り合いか?」

「野暮ったいぜ、助太刀なんて」

 男たちは突然入った邪魔に野次を飛ばす。

「そいつは身内だ、返してもらいたい」

 紬の言葉にリーダー格の男は眉を寄せ、立ち上がった。それから彼女の元に歩みよると「へぇ」と感嘆の声を上げる。

「美人だな、アンタ。…そうだな、アンタが俺の女のなってくれるっつーなら言うこと聞いてやるよ」

 どうやら男には初見で紬が女だと分かったらしい。薫子のいう通り、勘違いしていた壱矢が阿呆なのだろうか。

 男は紬に手を伸ばしながら言う。

「アンタみたいな強気な奴、結構俺のこ――」

「生憎お断りだ」

 紬は冷たく男の言葉を遮り、パシりとその手を払い退ける。

 男は信じられないという風に払い除けられた手を見た。

「私の知り合いにもド級のナルシストがいるが、そいつと違って貴方は質が悪い」

 更なる紬の追い討ちに男はワナワナと震えだす。

「人が下手に出れば調子にのりやがって…!」

 男は声をあらげて一息に掴みかかった。紬の首筋に手が伸びる。

「短気ではもてないぞ」

 紬はそれを横目に軽やかに受け流し、男の手首を掴んだ。そして次の瞬間には男は上下逆さまになり、気づいた時には地面に叩きつけられていた。

「…すげ…」

 壱矢は勿論、男の仲間たちも唖然として男を見た。何とも哀れで情けない。文字通り、瞬殺だ。加えて相当打ち所が悪かったのか男は気を失っている。

「…て、てめぇ!よくも御門さんを…!」

 暫くの後、我に返った男たちは、そろいもそろって壱矢をぱっと手放し、紬に掴みかかっていった。

 それから起きたことは哀れみさえ覚える理不尽な暴力というか、とにかく一方的なものだった。

 紬は流れ作業の如く、襲い掛かってくる男たちをポンポンと片付け、僅か一分後には気絶した男たちの山が出来上がっていた。壱矢が素手であれほど苦労していたのが馬鹿らしくなってくる。

流れ作業を終えた紬はパンパンと手を祓うと「全く、チンピラ共がよってたかって」と生産物の山を睨み付けた。

 最初に会ったときから紬の強さは感じていたが。が、まさかここまでとは。壱矢は少し畏敬の念を抱いた。

 紬は山から少し離れた所で伸びているリーダーの元に歩み寄ると、その腹の上に足を乗せた。

「おい」

 男は「うっ…」呻いて意識を取り戻す。紬は屈み込んで男に顔を寄せ、低い声を出した。

「二つ約束しろ」

「…は?」

 男は寝起きの回らない頭で目をしばたく。紬はそれに構わず続けた。

「一つ目、金輪際あいつに手を出さないこと」

 あいつと紬が指差す先はもちろん壱矢のことである。

「二つ目、今日のことは絶対に口外しないこと」

「そ、それってどういう…」

「もし破るようなことがあれば」

 紬は戸惑う男を無視して続ける。

「私が貴方を灰にしてやる」

 そう言って右手に炎を灯す。先程の放電以上の超常現象に男は息を呑み、ゆらゆらと蠢く炎を見つめたまま水飲み鳥のように頷いた。

「何せ、″化け物″なんでね。たかが人間一人殺すのぐらいわけないんだよ」

 紬は皮肉めいた笑みを浮かべ、脅しをかけると立ち上がった。

「…行くぞ」

 紬は未だに呆気にとられている壱矢に声をかけると踵を返して歩き出す。

「…お、おう」

 壱矢は慌てて立ち上がると、後を追った。





「阿呆が」

 紬は、公園で殴られた頬を冷やす壱矢を横目で見た。既に夜中の今、住宅街にあるこの公園に人の気配はなく、ひっそりと静まり返っていた。その公園に紬の呆れ声が響く。

「腫れるぞ、それ」

「言われなくてもわーってるよ。けど俺は治癒力には自信あんの」

 嘘のように思われるかもしれないが、割りと本当の話である。壱矢は昔から怪我の治りは人より早い自信がある。紬の反応は案の定だった。

「…なんだそれは」

「まじだって」

 紬は疑うように壱矢を見ていたが「それより」と話を移した。

「何やら騒がしいと思って行ってみれば案の定、だ」

「…見てたのかよ」

「あぁそうだよ。もっと早く助けてやれば良かったか?」

 どうやら紬は助けに入る前からあの場にいたらしい。試すような言い方に、ムッとして自然と返答きつくなった。

「んなわけねぇだろ。あのぐらい俺一人で…」

「それは異能(バベル)を使えば、だろう?」

「…」

 確かにその通りではあるが。 喧嘩にはそこそこ慣れている壱矢でも、一度に素手で相手に出来るのなんて二、三人が限度だ。沈黙した壱矢に紬は話し出す。

「お前が力を使うまでは黙って見ているつもりだった。…前にも言ったろう。異能(バベル)を無闇に使うな、と。学習してないな」

「…使っちゃいけねぇ訳があんのかよ」

 子供に説教するような言い方に癪に触り、突っ掛かり気味に言い返す。

「あるに決まってるだろう。フェアじゃない。喧嘩をするなら素手でやりなさい」

 そもそも喧嘩なんて出来るだけ避けろ、と紬は呆れたように付け足した。

異能(バベル)っつーの生まれ持った力なんだろ。天性の才能を使って何が悪い」

 これは要の受け売りだが、正直壱矢には紬の言うことよりこっちの方がずっと共感できた。使ってなにが悪いのか。

「…要が言ってたのか」

 紬は何故かあっさりと看破し、それから何を思ったのか、入り口の自販機の前に行くと缶を二つ買った。そして片方を壱矢に投げる。

「奢りだ、飲みな」

「…どうも」

 片手で受け取って、ラベルを見るとオレンジジュースだった。紬は自分用には珈琲を買い、プルトップを開ける。そして一口飲むと話し出した。

「要とお前じゃあ話が違う」

「…どういう意味だよ?」

「お前の…いや、現象使い(フェノメナ)の力は危険なんだよ。人だって簡単に殺せる。さっきだって一歩間違えれば大惨事も有り得たぞ」

 大惨事。恐らくそれは命を奪うようなことかなのだろう。だが、いくら壱矢でもそんなことをする気はない。大惨事など起こるものか。

「つーか、フェノメナって何だよ?」

 聞きなれない単語に眉を寄せた壱矢に紬は説明した。

「異能と一口に言っても色々あるだろう?要のような体質系、何かを生み出す創造系、肉体を変化させる変化系、それから世間で最もメジャーな超能力系…。その超能力系の中にも認知型のESPと物理的干渉型のPKがあってな、フェノメナに当たる私の発火能力(パイロキネシスは後者だ」

 紬はそこで言葉を切って、珈琲を飲んだ。

「お前のそれは放電体質なんかじゃない。私と同じフェノメナ、電撃使(ヴォルトキネシス)いだ。超能力系の異能者(バベル)は他の異能者(バベル)より、良くも悪くも能力自体が強いし、力も強いと言われている」

 紬はそこまで言って、不意に飲み終えた珈琲の缶を投げつけてきた。

「…!?」

 咄嗟に避けようとするが早い。

――間に合わない。

 そう思った瞬間、突如電撃が宙を走り缶を貫いた。 缶が煙を上げながら地面に落ちてコロコロと転がっていく。

 いきなり何すんだよ、と壱矢が抗議するよりも早く、紬は「ほらな」と言って、真っ黒に焦げた缶を拾った。それを壱矢に突きつけて言う。

「お前の力は強過ぎる。それこそ反射的に発動するほどに。無意識下での力の発動は極めて危険だ」

 精神学では人間の心のうち意識というものは氷山の一角だと言われている。つまる所、人は意識出来ている部分より無意識の部分の方が断然多いのだ。無意識下での力の漏れは、やがて暴走に繋がる。

異能者(バベル)とて体は人間だ。私たちは普通の人間と同じ体で、普通なら有り得ない異能(バベル)を有している。…きちんと力を制御する(すべ)を覚えなさい。でないと」

 紬は壱矢の目を真っ直ぐに見た。何となく気迫のようなものがあって、目が剃らせない。凍てつくような一瞬の後、紬は言った。

「その力、いずれお前を呑み込むぞ」

「…」

 そういえば、昔からだ。

 全く覚えていないというわけではないが、異能(バベル)を使っている時の記憶は曖昧で蒸しパンのように穴が空いている。いや、正確には覚えてはいても、自覚が薄い。

 これも紬の言う、力に呑まれるというやつなのだろうか。そう思うと少し恐ろしくなった。

「…わかったよ」

 素直に頷いた壱矢を見て、紬は先程より大分柔らかい声音で「だいたいな」と言った。

「お前はトゲトゲし過ぎなんだよ。そんなんじゃ友達できないぞ」

「…うるせぇな。いらねーよ、そんなもん」

「ふん、図星か」

 余計なお世話だと舌を打つ壱矢に、紬は鼻を鳴らす。

それからややあって、こんなことを聞いてきた。

「人間は、嫌いか?」

「…別にー」

 無意識に否定しかけといてふと思った。

 嫌い、なのだろうか。いや、何もそこまでじゃない。そもそも壱矢だって人間だ。

 ただ他人(ヒト)は好きじゃない。これは本当だ。

 理由は…何故だろう。単純に面倒なのかもしれない。他愛のない会話もするのも、人と付き合うのも。所詮他人なんて何を考えているか分からないではないか。

 悶々と考えていると、俄にボンと背中を叩かれた。

「いてっ…!何すん…」

 思わずたたらを踏んで振り返ると、紬は予想外に真面目な表情だった。

「もう少し肩の力を抜きな。子供の癖に難しく考えすぎだなんだよ、お前は。ーー他人を、信じてみなさい」

 まるで胸のうちを言い当てたような言葉。一瞬の動揺を隠そうと、壱矢はそっと目を逸らした。

 他人を信じてみなさい。紬の言葉が木霊する。

 計算された偽善、自尊心を満たすための同情。所詮、この世はそんなものばかり。人によく思われたいから、自分を少しでもよく見せたいから人は他人に優しくする。善意の下にあるのも結局は利己的なもの、ある意味では悪意ではないか。

 いつからか、そう思うようになっていた。紬はそうではないとでも言うのか。

 思考の淵に陥っていると、唐突に頭に手を乗せられた。

「…!?」

 何だ、いきなり。ぎょっとして思わず後ろに飛び退いた壱矢を紬はおや、と意外そうに見る。

「背の高い奴は頭を撫でられると喜ぶと聞いたんだがな」

「…喜ばねぇよ」

 何だそりゃ、と壱矢は顔をしかめる。むしろヒヤッとした。寿命が数秒縮んだかもしれない。

 だが――何故か亡き父の姿を思い出して無性に懐かしくなった。





「おや、まだ起きてたのかい」

 紬がfiler du filの裏口から家に入り、二階に上がると、テーブルで足をブラブラさせながら、琴葉が新聞と向かいあっていた。

 彼女は紬に気付くと笑顔で顔を上げた。

「あ、お帰りなさい!遅かったですね」

「ただいま。ちょっと阿呆な鯰君を見かてね。…ところで何読んでるんだい?」

 小雪は「なまず…?」と首を傾げたが、紬に新聞を見せた。

「クロスワード?」

 それは新聞のおまけについていた九×九のクロスワードパズルだった。

「でも全然解けなくて」

 琴葉はむむ、と新聞を睨んで言う。確かに半分程しか解けていない。どうやら応募すると、抽選で動物園のチケットが貰えるらしい。

「行きたいのか、動物園?」

「ちょ、ちょっとだけ…」

 でも絶対行きたいって程じゃなくて、と琴葉は慌てて首を振る。

「別に遠慮しなくても良いぞ」

 紬は困ったように笑い、解きかけのクロスワードに目を移した。

「今日はもう遅いし、琴ちゃんは寝てきなさい。残りは私がやっておこう」

「いいんですか?ごめんなさい…」

 パン屋の朝は早い。申し訳なくなって小雪がうつむくと、ぽんと頭に手を置かれた。顔を上げると、紬は小さく笑みを浮かべていた。

「そういう時はありがとう、でいいんだよ」

「!…あ、ありがとうございます」

 慌てて言い直すと「どういたしまして」と紬は微笑んだ。

 それから「おやすみ」と琴葉の頭を撫でて寝るように促すと、鉛筆を左手にクロスワードと向き合った。


「…とは言ったもの…案外むずいな」

 紬は鉛筆をくるくると回しながら顔をしかめた。こういうパズルはあまり得意ではない。要に言わせると、自分は頭が固いらしいが、そのせいだろうか。明日薫子辺りにでも頼んだ方が早いかもしれない。

 一旦休憩、と鉛筆を置いて腕を伸ばす。

「化け物、か…」

 ふと、一刻ほど前の事を思い出した。

 確かに人間という存在の定義において異能者の存在は完全に異物だ。異能者なら誰でも大小なりと、力を使うことや周囲とのずれに葛藤を感じたことがあるだろう。力が強ければ、それは尚更。

 強すぎる力は、時に人を過った方向に走らせる。

「あいつも…」

 脳裏に思い浮かぶのは自身と同じフェノメナの少年。彼は、今まで異能(バベル)のことは何一つ知らなかったという。おそらく普通以上に自身の存在に違和感を感じてきただろう。

 何故か彼の姿が昔の自身に重なった。そして、それと同時に思い出す。何も知らない自分に全てを与えてくれた人を、それから自身の犯した過ちを。

 目を閉じると決まって網膜に映る業火。文字通り、業の炎。奪ったもの、失ったもの、この手で握り潰したもの。そして現在に続く因果。

 右肩がずきりと痛んだ。痛む筈はないのに。

「…やめろ」

 紬はばんと自分の頬を叩いて、意識を醒ました。

 昔のことより、目下の試練。やると言った以上やり遂げなければならない。紬は気を取り直して、クロスワードに向き直った。

 どうやら指定された二マスに入る数字が答えになるらしい。多分、そこは終盤にならなければ分からない箇所なのだろう。紬はよし、と気合いを入れ直すと鉛筆を握り直した。


 東の空にうっすらと朝日が顔を出す頃、漸く紬はクロスワードを解き終えた。時計を見ると四時近い。

「もうこんな時間か…」

 今から寝直す時間はなさそうだ。途中から没頭する余り眠気も忘れていたが、今更になって欠伸が込み上げてくる。

 だが、後は答えを葉書に書いて出すだけだ。欠伸を噛み殺しながらも答えを確認しようと、紬は完成したクロスワードに視線を落とした。

 答え、すなわち指定されたニマスの数字は――4と3。

 それを見て紬は思わず、笑ってしまった。

―――なんたる、皮肉。

 これも因果というものなのかもしれない。


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