天賦の才
近隣の保育園や幼稚園にパンを届けるのも、filer du filの仕事らしい。
何でもアレルギーがある子供用に牛乳や卵を抜いたり、米粉を使ってパンを作っているんだとか。
そういうわけで、新学期が始まって初めての土曜日。壱矢は自転車をこいで街を回り、保育園にパンを届けに行く羽目になった。どの保育園でも休日だというのに園児たちがきゃっきゃっと騒いでいた。元気なものである。
園内に入ると大抵子供たちに絡まれ、挙げ句最後の保育園では追いかけ回され、ズボンを下ろされそうになった。子供というのはパワフルで、ちょこまかと小回りが聞く。足の速さでは勝てても、何故か中々逃げ切れない。
四苦八苦の末に彼らから逃れ、壱矢がfiler du filに帰ってきた時には既に太陽は真上を通過し終えていた。
「お疲れさん」
「…おう」
店の前の掃除をしていた紬に声をかけられ店内に入ると、昼を過ぎて大分たち一段落ついた頃で、客の姿はなかった。レジでは見知らぬ少年が頬杖をついて雑誌を読んでいる。誰だろう。
「あの馬鹿…」
一瞬自分のことかと思い、どきりとした。恐る恐る背中に聞こえた呟きに振り返ると、紬がレジの方向を見ながら青筋を浮かべて立っていた。どうやら壱矢のことではないらしい。
紬は音を立てずにその少年の元に歩み寄ると無言で雑誌を取り上げた。
「うぉう! ?」
少年は唐突な没収に間の抜けた声を発し、顔を上げる。
「仕事中だ」
紬は彼を見下ろしてぎろりと睨む。彼は一瞬その目付きに怯んだが、口を尖らした。
「なっ…今えらいいいとこやったんにー。焦らしに焦らした黒幕の正体が丁度」
紬はふんと鼻を鳴らして、薄く笑った。
「安心しろ、代わりに私が読んどいてやる。後でその正体とやらを教えてやるさ」
「ほな、もろネタバレやんか」
少年はちぇと顔を背ける。
「俺午前中は結構頑張ったんやで。土曜やからごっつお客さん多かったし。俺のスマイルで売上げ増えたことデショウ」
「わかったから真面目にやりなさい。遅刻は多いわ、勤務態度は不真面目だわ。社会に出たらやってんぞ」
紬は少年の抗議を一蹴した。少年はそれに何かを言いかけたが、壱矢の存在に気付き、お、と声を上げた。
「自分、壱矢君やろ?俺は要。小崎要ね」
「あぁ薫子さんが言ってた…」
確かに彼女が言ってた通りだ。無駄かどうかは知らないが、イケメンで口達者。
「な、紬さん。俺お腹空いたんやけど」
彼は唐突にそんなこと言った。
「?パンならそこにある」
「パンはもう食べ飽きてもうた。今の気分的にはカレー」
紬はそれで全てを察したようだった。
「カレーパンでも食ってろ」
彼は要を流し見てそう言ったが、ややあって呆れたように首を振った。
「もういいからインドでもどこへでもいってカレー食べてきなさい」
すると要は小さくガッツポーズをした。
「おーだから紬さん大好きや」
「気色悪い」
紬は顔をしかめながらも、要の代わりにレジに入る。要は元気よくレジから飛び出すと壱矢の肩をぽんと叩いた。
「さ、行くで」
「は?…俺も?」
「もちろん」
要はさも当たり前、というように頷いていってきまーす、とパン屋を後にする。
紬を伺い見ると、彼も呆れ半分であっちいけのジェスチャーをしながら「行ってこい」という顔をしていた。雇い主の了承は一応得たらしい。
壱矢は要について店を出た。
◆
「いやー俺、同じ年ん異能者っおったことなかったから話してみたかったんや」
駅前のファミレスでカレーをフーフーと冷ましながら要は言う。昼時を大分過ぎているせいか、客は疎らで、窓際で主婦と老夫婦が談笑しているだけだった。
「薫子さんは…あ、異能者じゃないんだっけ」
異能者ではないが、彼女はその存在を知っていたし、今年十八歳だと言っていた。同じ年ではなくとも割りと近い。が、要は何故かがっくりと項垂れた。
「…薫子さんは俺に冷たいやもん」
「何で?」
壱矢も遅めの昼食としてラーメンを頼み、それを啜りながら尋ねてみた。記憶にある限り、彼女は快活ではきはきした女性だった。だが、そう言えば要への評価はやや手厳しかった気がする。
すると要は目線を反らし、言い淀んだ。
「まぁ…俺が…その、あれや。異能力をちょいと使ってもうたところ…薫子さんは…あんななってもーて…それ以来…」
「はぁ?意味わかんねーよ。つーかお前の力って、何?」
そんなにヤバいものなのだろうか。例えばよく漫画に出てきそうな、ミギテガウズクヤミノチカラ的な何か。が、そんな予想とは裏腹に返ってきたのは間の抜けた答えだった。
「声フェロモンや」
「フェロモン?催眠術的なあれのこと?」
「そう、それや」
要は首を縦に振る。
つまり要はその声フェロモンとやらを薫子に使ったということか?そして…それからどうなったかは想像に易い。
因みにフェロモンとは『heromone. 動物の個体が体外に放出し、同種の他個体の行動や発育、 分化そのほかの生理的状態に変化をおこす効果をもつ物質の総称で、典 型的な誘引物質の一つ』である。
壱矢は思わず噴き出してしまった。
「馬鹿だろ。何でそんなことでしたんだよ」
すると要は少しの間の後答えた。
「やて…薫子さんガード固すぎるんやもん。男としては落としいやみたくなるやろ、逆に」
要は弁解もなくあっさりと言う。
「…最低だな」
「かて俺イケメンやし。落とせへんかった女の子いーへんし」
「腹立つわお前」
イケメンだからって何でも許されると思うな。壱矢が要はねめつけると、彼は怖やーと肩をすくめた。
「紬さんは一般人に異能を使うのは御法度だって言ってたぜ」
かくいう壱矢も人のことは言えないが。だがあれ以来気を付けてはいるつもりだ、多分。
「まぁそーはゆーけどな、そんな法律存在しぃへんし。一理はやるねんけどな。紬さんは頭固すぎるねん。ボラゾン並みにかっちかちや」
「固すぎんだろ、それ」
ボラゾンといえば、ダイヤモンドと並ぶ固い鉱物だ。
「異能っちゅーのは天賦の才…早い話が才能やろ」
要はカレーを一口食べて話し出した。
「足の速い奴はアスリートになる、ピアノが上手い奴はピアニストになる、文才のある奴は小説家になる。…そうやて、皆才能生かして生きてくやろ。異能やっておんなじ才能や。生まれ持った才能を生かさないどころか、才能に縛られるなんて不条理やと思わへん?」
「まぁ確かに…」
生まれ持った才能。異能も容姿や頭が良いのと同じ。そう言われてみればそうなのかもしれない。
かと言って、この放電が何かの役に立つとはあまり思えなが。強いて言うなら人工発電で、電気代が節約されるぐらいだ。…恐らく九十九パーセント役に立たないだろう。緻密なコントロールをするより、普通に百均で電池でも買ってきた方がずっと早い。
「だったらあれか。お前は歌手にでもなる気かよ」
半ば冗談で言ったつもりだったが、要は「おーいいね、それも」と笑った。
「まじで?」
「だって俺イケメンやし。歌も上手いで」
やっぱり、こいつナルシストだ。いっそ清々しいほどの。
壱矢はあえて突っ込まず適当に相槌を打った。
要は皿の上で滑る人参と格闘しながら「ま、残念やけど」と付け足す。
「俺の異能はそこまで強くないで。いっぺんにフェロモンを効かせられるのも精々一人か二人やし、効果も精々数十分。歌手んなーてもやんま意味あらへん」
「確かに…」
それでは大勢の観客の前ではなんの意味もなさない。
「だいたい、そないな人いっぺんに操れたら歌手なんかよりもっとええ使い道がおますやろ」
要は人参を掬うのを諦めて、先の割れたスプーンでぐさりと突き刺した。が、人参は真っ二つに割れ、余計掬いずらくなった。思わず噴き出すと、要にぎろりと睨まれる。だが、やや垂れ目なせいかあまり怖くない。
「ま、そないな力持ってる異能者がゴロゴロおったら、とうに地球は滅んでるで。一発芸以上の力持ってる異能者なんてほんの一握りや」
やっと捕まえた人参をもぐもぐやりながら要は言う。
「そんなもん、なのか」
正直予想外だった。初めて会った異能者があの植物人間だったせいで、感覚が麻痺していたのかもしれない。だが、確かに紬も奴はそこらの異能者とは違うと言っていた気がする。
「だいたいバベルバベルっておおげさやねんで」
要は不満そうに口を尖らせた。
そうだろうか。今一ピンと来ない壱矢に彼は言う。
「磁力を持つ人間は?ごっつ頑丈な歯の奴は?火に触れる奴は?完全記憶能力者は?視力8.0の奴は?」
「はぁ?」
唐突な謎の問いかけ。壱矢が怪訝そうな顔をすると要はいわくありげな笑みを浮かべた。
「壱矢はこいつらを異能者やと思うか?」
「そりゃあ…」
壱矢は要の問いに少しばかり真剣に思案してみた。炎や歯うんぬんは何となくただの体質のような気もする。だが残りの奴はどうだ?というか、そんな奴ら本当にいんのか?
思考の淵に陥った壱矢に要は答えを出した。
「どいつもテレビではびっくり人間ゆーてやってたんやで」
「よくある不思議発見的なあれか?」
「そ、それや」
要は頷いて結論付けた。
「まぁ要は単なる特殊体質か異能かなんて誰にも分からんつーことや。ただの人間と異能者の境界なんて曖昧であやふや。俺かてテストスなんちゃらつーフェロモンの元的なのが人より多目に分泌されてるだけかもしれへんし。…ま、俺はかっくいいからモテて当然やけどな!」
要はどや顔をして、にやりと笑う。
「黙ってろ、ナルシが」
壱矢は舌を打って吐き捨てた。本当に何なんだこいつ。実際にイケメンなのが余計に腹立たしい。
――だが。
壱矢の頭の中では先程の要の台詞が回っていた。
彼は言った。ただの人間と異能者の境界なんて曖昧であやふやだ、と。
それと同時に思い出す。紬に助けられた夜、壱矢を恐怖と憎悪の目で見た不良たちの姿を。″あの日″以来、クラスメイトや叔母から向けられた畏怖と好奇の目線を。
彼らはこの力を見て、化け物と言った。果たしてどうなのだろうか。見方によってはこんなにも違う。ただ、要の言葉には少なからず安堵した。
「ま、異能者の中にはトンデモ能力持った奴らもいるやねんけどな。…触れただけで命を奪うやつとか、不老不死とか…それこそ身一つで世界滅ぼせるような奴は最早人間なんかやないのかもしれへん」
そんな奴会ったこともあらへんけど、と要はお冷やを汲みながら笑って付け足した。
「…お前は、どう思う」
ゆらゆらと揺れ、光るグラスの水面を見ながら壱矢は尋ねてみた。何となく気になったのだ。答えは何となく分かってはいたが。
「異能者は人間か、それとも…」
「人間やろ」
壱矢の言葉を遮って、予想通り要は即答した。
「だって異能者だって元辿れば、多分人間から生まれてきたんやで。蛙の子は蛙ってもゆーて……」
要はそこまで言ってハッと言葉を止める。
「て、あれ?蛙の子ってオタマジャクシやん!あ、あれ…蛙の子はおたまじゃくし…?ちゅーか蛙って何類やっけ?爬虫類?魚類?」
両生類だ、バーカ。つーか今頃気づいたのかよ。
壱矢は心の中でそう呟いて、「知るか」と一蹴した。自分で調べとけや。
要は暫く「教えてくれたっていいやんかー性格悪いで」などとブツブツ呟いてたが、諦めて話を戻した。
「ま、俺は家族全員、異能者やし。俺にはそれが…世間でゆう異常がずっと普通やった。だから正直バベルゆーても当たり前っちゅーか、大した問題やないて思うんやろな」
「家族全員ってすげぇな…つーかお前って、関西出身?」
訛りからして恐らくそうなのだろう。案の定要は頷いた。
「せやで。俺ん家は関西のしがない居酒屋やねん」
それからおどけたように笑って付け足した。
「で、俺は跡継ぎから逃れるために上京してきたってわけ。やっぱ男ならビックに生きたいやろ?」
◆
壱矢がその衝撃の事実を知ったのは、要と会った日から約二週間後のことである。
毎月末の土曜日、filer du filでは十パーセントOFFの特売をやっていている。その日はまさしくその特売日で、当然客も多かった。普段なら昼はあまり入っていない壱矢と要も午前中からシフトに入り、まさしく正月と盆が一緒に来たような忙しさ。てんてこまいになりながらも、ようやっと昼が過ぎ、落ち着いてきた。
そういうわけで休憩をもらい奥の部屋に入ると、薫子とこの間の少女琴葉が何やら話していた。
「んーとね、成績の″せき″は積むの方じゃなくて、糸偏の方なんだよね」
「ややこしやです」
「そーねぇ…あ、確か績は糸を紡ぐって意味があってさ。そうやって紡いできたものが成績だって受験時覚えたなーあたし」
どうやら勉強を教えているらしい。
そういえば、とふと思った。ここで働き初めて一ヶ月立つが、琴葉が学校に行っているのを壱矢は一度も見たことがない。いや、単に時間帯の問題か?だがそもそも外に出てること自体あまりないし…。
気にはなったが、詮索はやめておいた。薫子も家庭の事情は聞かない方がいいと言っていたではないか。
「あ、いっちーお疲れさん」
薫子は壱矢に気づくと顔を上げた。
「お疲れさまです。…紬さんがこれ昼にって」
壱矢が持っていた紙袋を差し出すと、薫子は中を覗きこんで顔を輝かせた。
「おーやった!琴ちゃんはどれがい?」
「明太子のやつがいいです」
「ほい、どうぞ」
薫子は壱矢にも同じように尋ね、壱矢はチョココロネとフレンチトーストを選んだ。
「おやおや、いっちーって見かけによらず結構甘党?」
「まぁ好きっちゃあ好きですけど」
「うんうん、甘いものってやっぱいいよね。幸せになる」
太るけどね、と薫子はぼそりと言ってコロケッパンをかじる。
彼女は
「最近二の腕もお腹もたぷたぷでもー大変。調理学校だしヤバイんだよねー」
と溜め息をついて「紬さんぐらい身長あったらなぁ」と呟いた。
それが、何となく違和感を感じた一回目。だが、この時は対して気にも止めなかった。
「最近この店服も何となくきついし、まじでヤバイかも。ほら見て、パッツパツ」
「平気すっよ」
コックコートの袖をつまんでみせてくる薫子に思わず苦笑する。言うほどパツパツには見えない。
「ダイエットにはスイカがいいって昨日テレビでやってましたよ」
むむ、と顔をしかめている薫子に琴葉が進言する。
「スイカかー。でも、まだ旬じゃないし高いんだよねー。せめて千円切んないと買えないや」
まるで主婦のような事を薫子は呟く。残念ながらスーパーに馴染みのない壱矢には千円のスイカが高いかどうかは全く分からなかった。
「この時期のダイエットに効く果物と言ったらグレープフルーツあたりか。アメリカ産なら丁度食べ頃だぞ」
そんなことを言いながら入ってきたのは紬だった。
「でもまぁ年頃というのは太りやすいものだし、ガリガリよりは多少ふっくらしてた方が可愛げがあるんじゃないか」
「オジサンみたいなこと言わないで下さいよー。本気で悩んでるんですから」
薫子は拗ねたように口を尖らす。そこで、壱矢は本日二度目の違和感を感じた。
「あれ…?」
ふと紬の店員服に目を留める。
filer du filの制服は二種類ある。単純に男用と女用で、どちらも白のコックコートにズボン、腰下のエプロンなのだが、女用はスカーフ付きで男女でエプロンの長さと色が若干違う。男用は焦げ茶のソムリエエプロン、女用はえんじのカフェエプロン。
そして紬が着ているのは―――
「あ、あれ…あんたって…」
いや、まさかそんなバカな…頭のどこかで否定しようとしたが、現実は変わらない。
壱矢は自分の格好と紬の格好を見比べた。やはり、間違いない。
「まさか…女!?」
「?そうだが?」
紬は何を今更、と言わんばかりの顔で壱矢を見る。今年一番の衝撃的真実。
「えー何!?まさかいっちーは紬さん男だと思ってたの?」
薫子は目を丸くして壱矢を見た。
「ヒャヒャ!こりゃ傑作だわ!いっちーで案外アホなんだねー。かわいー」
ゲラゲラと腹を抱えて薫子は笑い転げる。琴葉も笑いを堪えてるようだが、肩が小刻みに震えていた。
だが、あまりのショックと驚きで石化しかけている壱矢には最早そんなこと気にならなかった。
「で、でも待てよ!初めて会った時、あの植物野郎だってお兄さんつって…」
「それはあいつが勝手に勘違いしたんだろう」
紬はあっさりと言って「だいたい」と続ける。
「名前で分かるだろう。そんなに紛らわしい名じゃないと思うが」
確かに紬と言えば、女名…なのだろうか?言われて見れば確かにそうだが…。
だが、紬はさりとて腹を立てる様子もなく「失礼な奴だな」と顔をしかめただけだった。
「つーことは、俺…」
初めて会った時のことを思い出す。道端で倒れて、紬にここまで運ばれてきて――つまり、女に抱えてこられたということだ。一体どういう風に…?
気にはなったが、詳細は恐ろしくて聞けなかった。お姫様だっこだったらもう終わりだ。
「オジサンじゃなくて…オバサン…そーゆーことか…」
先程の薫子の台詞を思い出して、呟くと頭部に衝撃を喰らった。同時に紬の怒りを含んだ声が降ってくる。
「そんなに老けておらんわ!これでもまだ三十代だ」
「いや、そういう意味じゃ…」
というか、むしろ三十前かと思っていた。壱矢は慌てて弁明しようとしたが、紬は「お前は減給だ」と言い残し、店に戻っていってしまった。
薫子は方針状態の壱矢の前でぶんぶんと手を振ってみる。だが、壱矢は相変わらずの方針状態。
「おーい、いっちー大丈夫ー?」
思い込みとは恐ろしいものだ、壱矢は紬の後ろ姿を見ながら、そんなことをひしひしと感じていた。