信頼と受容
街にて
一晩中スープにつき合わされた。
結局家に帰り着いたのは、太陽も昇りきった昼近くだった。
「今日が土曜日でよかったわ。」
無断早退の挙句、次の日の授業もすっぽかしたら、確実に停学退学の対象として目をつけられる。
「にしても彼女ナニモノよ。」
あたしは眠い頭で昨晩のデキゴトを回想する。
授業をサボって、まず連れていかれたのは街のメインストリートだった。
ここのケーキ屋さんおいしいですよね、なんて笑う仕草は女子高生のそれだ。
しかし、そこは寄らない。人気のブランドショップもアクセサリー屋さんもスルー。
で、立ち止まったのは金物屋さん。
「こんにちわ。」
「あれ? めずらしいね。
友達連れなんて初めてでないかい。」
奥から出てきた店主があたしを無遠慮に眺めまわした。
通路をすれ違っていくバイトと思われる若者が、丁寧にスープに頭を下げる。
不可思議な光景だった。
「えっと…今日は客? 営業?」
「どっちもです。
いや、市場調査ですかね。
それとも追加あります?」
「ははは、市場調査か。
そうだね。魚包丁、まだ在庫あるかい?」
「あー、食材がおいしくなる魔法が附与されたのならあるはずです。」
「じゃあ、きっと高いね。
では、それお願いできるかな。
急ぎではないけど。」
「いいですよ。
即納がウリですので、明日持ってきます。」
彼女らの会話を盗み聞きしながら、値札を見て、げっ、と声を漏らしてしまった。
そのあとも剣の専門店や農機具の卸問屋をまわる。その度、彼女の営業力を知る。
違うな。
営業トークを心がけているけど、単純にヒトがらを信用されているんだ。
それと、作りだす鉄器具そのものが信用されているのだ。
それだけで、日没寸前。
急ぎ足で次に連れてこられたのは、彼女の家だ。
裏町のさらに奥。
山間部に程近い川沿いの水車小屋だった。
そんなところで独り寝泊りしていることにも驚かされたが、さらに驚いたのは併設された作業場だった。
外壁は分厚い石壁で、窓一つない直方体の建物の扉を開けると、夏の太陽以上に暑かった。
タタラ場だよ。
と涼しい顔で紹介された小屋の真ん中には数千℃と言っていた火が、緋色の溶岩のようにブクブクと沸いていた。
そこらじゅうに転がる金属片。用途不明の薬品類。草、宝石、骨、壁にぶら下げられた種類が判別できない生物の屍骸。
「これはまた…」
だから、言動がおかしいのかと思ってしまった。
こんな空間、あたしだったら五分と耐えられないだろう。
「そうなんです。
だから、髪もチリチリになるし、ヤケド傷が増えるし、目も悪くなるし。」
そういうことを言ってんじゃない。
毎度毎度の見当違いの彼女のセリフに、呆れを通りこして感動すら覚える。
じつは計算された話術なのではないだろうか。
「まぁ、ウチはこんな感じで、ご招待するできるような家じゃないので、さらりと済ませましょう。
まだ、時間だいじょうぶですよね?」
あたしはもう充分、彼女のことを信用していた。
せざる得ない。
だから、その後もついて回ったのは興味だった。
スープはマエカレがあれだけビクついていた裏町を平気な顔で歩いていく。
その理由もすぐにわかった。
「おぅ。スープ。
剣を五本用意してくれ。ダブルハンドのヤツ…ってあれ?
エルシア。お前ら知り合いだったのか。」
「ごめん。急にクナイが必要になったの。
本数は任せるから、特急でお願い。
あら。エルシア、こんばんわ。」
「ちょうどよかった。
コイツの調整お願いできないか。
あ、ツレがいるのか…って、エルシアかよ。」
裏町で次々と声がかかる。
あたしが仕事を一緒したヒトも、剣を交えたヒトもいた。
「もしかして、スープってあたしのこと知ってたの?」
堪えきれず尋ねた。
どっちを答えられても、ショックを受けるのは予想できた。
知ってたとしたら、今回の事件をチャンスとみなしたんだろう。
知らなかったなら、鼻にもかけていなかったんだろう。
そんなヒネた思考。
「知ってたような。知らなかったような。
そんなヒトがいることは知ってたけど、顔と名前が一致してなかったような。」
オトナな返答だ。
「でも、確実にわたしたちをつないだヒトはいますよ。」
慌てて補足された。
なにやら見覚えのある通りに出た。
裏町は結構広い。
地図は頭の中に入ってるけど、あたしですら入れない路地もあるし、いちいち景色やヒトを覚えてはいない。
でも、この辺りは知ってる。
「おや、エルシアじゃないか。」
いつぞやマエカレと訪れた露天商のばあちゃんだった。
ちょうど店じまいだったらしく、荷物を魔法のように手引きのキャリアに収めていた。
「もしかして、ばあちゃんもこの娘から商品仕入れてんの?」
あたしがうんざりしたように問うと、当然じゃないかみたいに一瞥し、スープにも挨拶した。
「よかったね。逢えて。」
スープがあたしのことを捜していた?
違う。
あたしを知らないと彼女は言ってたはずだ。
「余計なお世話だったかね。
私が武器屋に教えたんだよ。あんたのこと。」
「どういうこと! …ですか?」
困ったように二人顔を見合わせていた。
スープが説明しようと口を開くが、露天商のばあちゃんはそれを制す。
「客の個人的な事情とやらにはあまり口を挟みたくはなかったけど、一応あんたには世話になってるし。
あんたの鑑識眼をもったいなく思っちまってね。」
そう前置きした上で、さらに続けた。
「三、四日前だよね。オトコ連れでウチ来たの。
そんときにね、たまたまイヤなもんがオーブに視えちまったんだよ。」
何が?
とは訊かなくても予測できた。
オーブ、つまり水晶球は近い未来を予見する。そこに学校でのあたしを視た。
そういうことだ。
「私もこう見えて昔は王宮の占い師だったことがあるんでね。
ときどき視えちまうのさ。
追っかけて教えようかとも考えたんだけど、信用しないだろ?」
「まぁ、そうですね。」
「そしたらオーブに武器屋も映ってたから、あんたらが同じ学校ってことを知った。
これ幸いと、私が武器屋にお願いしたんだよ。」
知ってるような、知らないような、っていうスープのセリフは本当だった。
噂は聞いていたけど、直接の客じゃないから、絡む予定はなかったのだろう。
「ってことは、スープはばあちゃんに懇願されたから、あたしに声をかけたんだ。
そっか。」
「エルシア、あんたね…」
咎めるような口調にあたしはまた、泣きそうになった。
「もういいよ。ダイジョウブ。学校でもきっとダイジョウブだから。」
あたしは笑顔で二人に言った。
情けない。
自分の技術とニンゲン関係に自信もって生活しているスパイア・ル・ガードさんに比べたら、あたしは本当に弱いニンゲンだ。
「私は懇願なんてしてないよ。
武器屋が本気であんたのことを心配したから、声かけたんじゃないか。
それをあんたってニンゲンは!」
ばあちゃんのシワシワの手のひらが、あたしの頬を打った。
筋肉が落ちたばあちゃんのビンタなんてぜんぜん痛くない。
痛くないのに。イタい。
「エルスゥ? そろそろ帰ろうか。」
ばあちゃんの鬼の形相も、あたしの卑屈な笑みも、スープの言葉にくずれた。
というより呆けた。
「おばあさん。いろいろありがとうございました。
ホントだいじょうぶですよ。
わたし、なに言われてもエルの手は放しませんから。
彼女自身にけなされても、周りからシカトされても、ぜったい放しません。
エルは、やさしいんです。
わたしを巻きこみたくないんです。」
言ってないし。
そんなこと。
「一期一会。
きっかけはなんであれ、せっかく出逢えたんです。
おばあさんが用意してくれたこの出逢いを、わたしはせいいっぱい大事にします。」
ファンタジー世界のイキモノだ。
この娘はゼッタイ異世界のジュウニンだ。
現実世界に素でこんなセリフ吐けるニンゲンがいるはずはない。
理想だの、夢だのにすがってるヒマがあったら、自力で立ち上がれ。
…ダメだ…
「あんたナニモノよ…」
「しがない武器屋です。」
「ふざけるなぁ…」
と彼女は笑んだ。屈託のない笑みだった。
あたしはそのちっちゃな身体に泣きついた。
次の週からは、スープの誘いもあって、図書室の利用頻度が増えた。
部活も行きづらかったから、退屈をもてあませばとりあえず図書室に足を運んだ。
徒然に本を読んでることもあったし、勉強時間に当てることもあった。
学術の都の冠名はダテではない。
開架図書だけでも、三年間で、正確に記すればあと一年半しかあたしには残されていないけど、それらを読みつくすことは不可能に思えた。
「スープはどのくらい読んだの?」
「そんなに読んでません。
つまみ食いはけっこうしてますけど、一冊を隅々まで読んだのは数冊です。
興味が偏ってるので。」
彼女が開いて一生懸命書き写しているのは、『鉱物図鑑』だ。
しかも、柱状結晶だの、魔術的な意味だのあたしの知らない世界。
授業でもまったく習うことがないだろう代物だった。
開かれたページのコマゴマとした解説に、眉間にしわが寄る。
あたしの所有する知識は、値段のランクづけくらいだ。
「ブラックオニキスかぁ。
そんなの持ってんの?」
「はい。
こないだ露天のおばあさんが支払いで渡してきました。」
そう言って、彼女はカバンから黒光りするのをテーブルの上に置いた。
あたしはマエカレのリングを思いだして、さらに眉間のしわが深くなる。
「あれ?」
テーブルの上のオニキスを凝視する。
見れば見るほどなんだか見覚えがあるものになった。
「これって、あれれ、露天のばあちゃんの支払い?」
「あ、やっぱり見たことあります?」
いたずらがばれたか、みたいにクスクス笑ってる。
「だから噂には聞いてたって話したじゃないですか。
天然の黒、ホレボレするような縞模様。
こんなすごいの採ってこれるヒトってどんなヒトなんだろって本気で考えてたんですよ。
それに、こんなのを、わたしなんかが作った短剣の支払いに使うなんて。
嬉しいやら、ビックリするやらです。」
うわー、こんなトコであのトキの宝石に再会するなんて。
「って、あれをスープが作ったの!」
「えぇ、そうですよ。」
「あの短剣を?」
「だからそう言ってます。」
品質や切れ味はもちろん、材料に使われている金属類や付与してある魔法の種類も完璧だった。
刃こぼれなんて絶対しないし、護符の力も想定以上のものだった。
裏バイトで使ったんだけど、あれがなかったらもっと辛かっただろう。
「初めてエルの部屋に行ったとき、すごくビックリしました。
だって、あたしの作ったクラシックダガーが壁に飾ってあったんですから。」
知るということは、ときに危ういものだ。
理解することへの興味や好奇心、探究心と、理解できないことへの不安や恐怖、嫌悪とは紙一重だから。
振り子の両端とも言える。
興味の度合いが大きければ大きいほど、反動で嫌悪も大きくなる。
そう今のあたしに対する、クラスの女子とおんなじだ。
「嬉しかったんです。
とっても、とっても、かわいがられているのが伝わってきて、大事に使われていることを知って、どんなに喜んだことか、いつかエルにお礼を言わなきゃって思ってたんです。」
でも、知るということは、危うさもあるけど、それ以上に喜びがあることをはじめて理解した。
感激のあまり抱きつきたい衝動に駆られた。
そんな趣味はないからガマンした。
いつの間にやら、呼び名がエルになっていたけど、それはツッコむほどのネタではない。
「ちょっと待って。
そういえば、スープってどうやってあたしの部屋に入ったの?
玄関カギかかってたよね。」
「ベランダ開けっ放しで、ぶっ倒れていたらしいです。
悲鳴やら呻き声やらが聞こえてたから、隣の男の子が心配になってベランダ伝いに侵入したって言ってました。」
謎は解けた。
おかげで助かったけど、不法侵入じゃないか。
その報告をまるでしないヤツには、帰ってからお仕置きしてやろうと誓った。
「大丈夫ですよ。着替えも洗濯もわたしがしましたから。
干してある下着を見物されたぐらいはあきらめてください。」
「どうせガキと爺さんだから、そこはどうでもいいけど。
てか、今さらだけど、ゴメン。
そしてアリガト。」
あたしが素直に頭を下げると、うわ、雨が降る、なんて失礼なことを言われた。唇をとんがらすあたしを笑った。
あたしもつられて笑った。
「あの、ここ図書室ですよ。
もう少しお静かに。」
図書館司書兼歴史の先生にしかられた。
ごめんなさい。
スープはてへって感じで頭を下げた。
あんなのマネできないな。マネする気もないけど。
山にて
ヒューマン族の王国を根底から覆すシステム。それはコモン語と呼ばれる種族民族の固有言語を統一する共通言語システムのことだと知った。
それが作用することで、王国内のあらゆるヒトは、翻訳することなく会話ができるのだという。
条件は言語体系をコモン語システムに登録すること。
ゆえに民族種族特有の単語や受け手側の言語体系に該当する単語がない場合は翻訳されない。
「その中枢が炎天山にあったの。」
今日は一人だ。
俺の監視なのだろうか。それとも単純にヒマなのか。
同じヒューマン族でも転生をしないヒューマン族は、日がな山にいることはない。
足を止めることなく、延々と動き続けていた。寿命が短いということはそういうことなのだろう。
「でね。
その中枢を担うのが炎天山で死んだリュウの脳だったのよ。」
怒らないで聞いて、と釘を刺された。
どうせ、俺もまだ傷がすべて癒えたわけではない。それに死なない限りは時間はまだまだある。
俺はゆっくりとこうべを垂れた。
「そのリュウはね。
きちんと私達の提案を理解してくれたうえで、脳を提供してくれたのよ。」
少女が弁解した。
俺にもまったく理解できないわけではない。
竜族が他の種族に自分を奉げる事はこれまでにも、幾度となく見てきた。悠久のときに疲れた同胞が、弱者のために身体や能力を奉げる。
俺らの社会ではそれも一つのステータスの一つではある。とくにヒューマン族やエルフ族は、はるか昔キョジン族との覇権争いの際、リュウの一族に組したので、その子孫たちのために身体をささげる気持ちもわかる。
「なのに、炎天山を襲ったあのリュウは脳まで喰らったって、ふざけんなって感じ。」
「おい、なんかお前おかしくないか?」
呂律が回らなくなっている。
「おまえ! なに呑んでんだ!」
俺は思わず悲鳴を上げた。
少女が手にしていたのはドラゴンテキーラ。ドラコニアンの主食だ。
ヒューマン族が呑んで、まともでいられるわけがない。
「バカだ…」
少女は幸せそうな表情でぶっ倒れた。
俺は呆れて、でも楽しかった。
しかし、これが二人の最後の晩餐になるとはダレが想像できただろう。