友達と親友
街にて
あたしは本当に生死をさまよっていたらしい。
登校できるくらいにまで復活したが、心配したメガネっ娘ちゃんが朝に迎えにきてくれた。
「メガネっ娘って呼ばないでくださいよぉ。」
「そんなこと言っても…あんまりしゃべったことなかったし…
スパイアさんって呼べばいいの?」
坂を下りながら、あたしは躊躇いがちに隣に尋ねた。
「スープって呼んでください。」
ニコリと笑んで、彼女はなぜか敬語で言った。
メガネっ娘の名前は知っている。一応クラスメイトだし。
スパイア・ル・ガード。
図書委員。本がトモダチだから、クラスにいまいちなじんでいない気がする。
本人はどこ吹く風で、マイペースに学校生活を送っている。
あとは性別が女。それは見てくれでわかるか。
「エルシア・エアルーンだから、エル…エルス…エルシー…エリー…エルエア…エルーン…」
「ねぇ、なに言ってンの?」
あたしの呼称を勝手に考えているメガネっ娘におずおずとツッコんだ。
「え? エルエアで決定ですか?」
「いや、言ってないし…」
呆れるくらい自己世界にいる娘だな。
とはいえ、おかしなあだ名をつけられるのも心外なので、ぶっきらぼうに返答した。
「エルス。エルはたしか他にいた。」
エルはダレダレだから、エルシアはエルスね。とトモダチに言われた。
たいして変わらないんだから、わざわざ四文字を三文字にしなくても。とは言えなかった。和を乱すわけにはいかない。
あたしは曖昧に笑った。
そんな記憶。
「あんま変わんないですね。
エルス…でも、かわいいです。じゃあ、わたしもエルスって呼びます。
いいですか?」
今さら許可をうかがうか。
きっと天然系だ。
「天然だよね」って言うと、全力で否定してくるような、典型的な天然系女子に違いない。
「そういえば、なんでエルスは竜熱なんかにかかったんですか?」
「リュウネツ? なにそれ?」
「あ、知りません?
リュウの傍に一定期間以上いたりすると、うつされる病気です。ドラゴンフィーバーっても言います。
今どきヒューマン族がかかるなんてレアですよ。
もう、ドラゴンライダーがいなくなって、久しいですからね。」
まったくあたしの知識外の話をされた。
おそらく先日あたしが患った原因不明の高熱のことを説明しているものと思われた。
でも、幻想世界のお話にしか聞こえないのだが。医学事典を隅々まで目を通したことはないのであたしだけが知らないだけかもしれない。
「医者には原因不明ってサジ投げられたけど。」
「でしょうね。
竜熱なんて診断できる医者や魔術師がヒューマン族の現代社会にいるとは思えませんから。」
ヒューマン族がかかる病気をヒューマン族の医者や治癒系魔術師が治せない?
そんなことあるのだろうか。
だったらあんたはヒューマン族じゃないのか?
あんたは人外のなんかか?
いちいちツッコみどころ満載だ。
「よくわからん。
ってかさ、なんでスープは敬語なの?
タメだよね。
それともあたしも敬語のほうが話しやすい?」
メガネっ娘が、あっ! と右手のひらを口元で広げた。
ベタな仕草に苦笑する。言動問わず、物語の登場人物みたいだ。
「営業トークが抜けないんです。
あ、抜けないの。
ヒトと距離をとりたいわけではないんです…じゃないんだけど、うまく会話の切替ができなくて。」
「エイギョウ…?
いや、まぁ、そっちのほうがおしゃべりしやすいんなら、それでいいけど。
で、営業って?」
んーと、みたいに上目遣いに空を見上げた。
「わたし、武器屋なんです。」
「ブキヤ? 実家が?」
「まぁ、家柄が武器屋ではありますけど、わたしが武器作って売ってます。
それを小売店に営業にいく機会も多いもので。裏町のおばあさんとかが相手なら、営業トークはいらないんですけどね。
どんなに売りこんだって、自分の好きなものしか買ってくれないし。」
感嘆と疑惑の瞳でスープを凝視してしまった。
チビポテとした体にまん丸の顔をのせた姿と人畜無害な笑顔を見てしまうと、武器なんて物騒なものを作っているとは思えない。
「えっと疑うわけじゃないけど…」
「ホントですよ。」
「ゴメン。でも…」
「慣れてます。
だから、営業トークを磨かなきゃならないんです。
信用してくれないんですもん、みんな。」
ヒトがよさそうな微笑を浮かべつつ、彼女はほっぺたをプクリとふくらました。
つっつきたい衝動を必死に抑えた。
パチン。
指を唐突に鳴らす。
「あ、わたし、図書室よって行くので。
先に行っててください。」
スープはそう言って、廊下を駆けていった。
あたしは苦笑まじりにのんびりと廊下を歩いて、教室の扉を開いた。
なんだか視線を感じるのは、自意識過剰なのだろうか。
「おはよ。」
挨拶が返ってこなかった。
教室中の視線があたしに集まり、てんでばらばらに散った。
変な空気だ。
あたしは首を傾げて、机に向かおうと足を踏みだした。
で、その正体に気づく。
「そういうことかぁ…」
机に置かれた一輪挿し。
季節外れの菊の花が出迎えていた。
そんな風に、あたしは独りぼっちになった。
数少ないトモダチが周囲から去った。
次の日もおんなじだった。
進学を理由に家を出た日、淋しくて、あれだけ疎んでいたイエが恋しくて独り泣き崩れたときにくらべれば、その度合いは軽かったけど。
それでもやはり哀しい。
洋服もつい寒色系を選んでしまうのは、目立ちたくないから。
おとなしめの紺色のフランネルシャツとスキニーパンツ。薄茶色。
ネックレスをしようと手に取ったがやめた。走りまわりたい気分でもないから、黒のパンプスを選んだ。
「アソビニン。」
教室に入ったときダレかの責めるような、蔑むような言葉が聞こえた。
一発殴りとばしてやろうかと机の下でこぶしを握りしめる。
でも、ガマンした。
ひとりぼっちなんてコワくない。
よけいな気を使う必要もないし、自分のやりたいことに集中できるじゃないか。
手のひらを返したように徹底的にシカトする元トモダチを横目に席につく。
問題児はここから追いだされる。
そしたら、実家に強制送還だ。
このときばかりは、自分の年齢を呪った。
学術都市サモル。
学術の都という枕詞があるからこそ、世間の親は一人暮らしを認める。
この街で未成年が生きるために必要なものは金じゃない。学生という身分だ。
本来、未成年の労働は学費のため以外に許されない。学生じゃない未成年はこの街にいないはずなのだ。
それを根拠として市民登録されている。
学術至上主義は王国の方針のひとつだ。
ここを追い出されたとしても、結局、親元もしくは特定施設で学生になる。
だったら、あたしは耐える。耐えるしかないのだ。
「君達は何かしらの目的をもって学ばなければならない。
だからこそ、君達は活きているのだ。」
週に一度の朝礼で校長が声高に宣言する。
活きている?
あたしは何ゆえに活きているんだろうと思う。ただ、生きているだけだというのだろうか。
午前の授業が刻一刻と過ぎていく。
昼休みが一番の憂鬱だ。お弁当は持ってきているが、喉を通りそうにない。
「エルス。お昼食べよ。」
スープが、ぼんやりと窓の外を眺めていたあたしに声をかけてきた。いつの間にやらチャイムが鳴っていたらしい。
魔の昼休み。
「あれ?
お弁当忘れたの? 購買部いく? それとも学食?」
矢継ぎ早に話すスープをクラス女子の新リーダーが睨んでいた。
スープは気づいていない。
「うるさいわね。かまわないでよ。」
あたしはガタンと椅子を激しく鳴らして立ちあがり、教室をとび出した。
目の前が涙にかすんだ。
闇雲に、早足で歩いて、気がついたら体育館裏だった。
少し先に男子グループを見つけて足を止める。慌てて涙をふいて、ひき返そうとしたときその中の一人と目が合った。
「サイアクだ…」
マエカレだ。
最初ビックリしたようにあたしを見たが、すぐに憐れむように笑った。
それですべてを覚る。
クラス女子にあたしをハブるように命じたのはアイツだ。と。
悔しさに歯噛みする。
走って逃げるのは、カッコわるい。
キッとマエカレを睨みつけ、肩をいからせて歩み去った。思わず早足で、どこに向かっているのかもわからずに。
たどり着いたのは敷地のハシっこにある雑草地帯。
「お、ようやく来ましたね。」
またダレかがいた。
顔を上げた先には、タンポポが咲き乱れる雑草地帯にチョコンと体育座りをするスープがいた。
「なんでいるのよ。」
「わたしはイジメられっ娘の行動パターンなぞお見通しなのです。」
イヤミを言うためにわざわざ来たのか。
あたしは殴る勢いで彼女の元へ駆けた。
そしたら、
「まぁ、座りましょ。
購買部でヤキソバパン買ってきたから。
あげる。」
スープがあたしの鼻先にヤキソバパンをつきつけてきた。
まるで短剣の剣先だ。やたらいい匂いをさせてるけど。
「なんでいンのよ。」
気勢をそがれ、あたしもペタンとスープに習う。
もう一度問うた。
「だから、お見通しなんです。」
「バカにしてンの?」
「してないですよ。
わたしも経験済みですから。始めはキツイですよね。
でも、ここなら安心です。ほとんどヒトこないし。
なによりのんびりできるし。」
ヤキソバパンの袋を不器用に開けて、あたしに再度つきだす。
指先がぼろぼろだった。いたるところがヤケドだらけだし。
「あ、これですか?
根性焼き。じゃないです。
仕事のせいです。
話したじゃないですか、武器屋だって。
だから、タバコ程度の火なんてヤケドのうちに入りません。
鍛鉄のときなんて、何千℃の炎を扱うんですから。」
一方的に話す彼女にイラだった。
キズつけるのをわかっていながら、言葉がでてしまった。
「ハブられてンの知ってンなら、なんで話しかけンのよ。
あんただって、ナカマ扱いされるわよ。」
「別に構いませんけど?」
ウソツキ。
「昨日の朝だって逃げたくせに。」
キョトンとあたしを見つめた。
わざとらしく、ポンと手を打った。
「しょうがないじゃないですか。
昨日は朝も昼も放課後も、図書委員の当番だったんですもの。
ってか、朝っぱら何かされたんですか?
変わんないなぁ。そんな行動力があるなら、他に使えばいいのに。
あの娘たちってホントにコドモですね。」
睨むあたしをケラケラ笑う。
「だから、わざわざ今日は朝も一緒に教室入ったし、昼も公然と声かけたんですけどね。
信用ないかぁ。
でも、それも慣れてます。」
睨む目力が緩んでしまう。
悔しい。
あふれてくる涙を必死に止めようとする。
「じゃあ、逆に訊きます。
こんなわたしと一緒にいるほうが恥ずかしいですか?
だったら、近寄りませんけど。」
あたしはどう答えていいかわからない。
自分自身を蔑んでまで言葉にした彼女を拒絶する気は毛頭ない。
むしろこんなことがなければ、と強く思う。
でも、受け入れることもできない。
「黙秘は一緒にいても構わないととります。
否定するなら今ですよ。
でも、わたしが気に入らないので、否定する時間はあげませんけど。」
遠くでチャイムが鳴った。
なのに完全ムシ。
彼女の話は続いた。
「そのヤキソバパンはヨモツヘグイです。
それを口にしたエルスは、わたしと同じ世界の住人になりました。」
「あなた、バカ?
なにそれ?
どういう意味?
なに言ってるかわかんないって。」
「じゃあ、モノを知らないエルスにも理解できるように、説明しましょう。
ついてきてください。」
パンパンとワーカーパンツの草を払いながら彼女は満面の笑みを浮かべた。
授業、サボるんかい。
あたしは心の中でツッコんだ。
山にて
「あなたを見殺しにしない。絶対ここから動いちゃダメよ。」
「あぁ、了解だ。
さすがにこの状態で炎天山のリュウに挑むのは無駄死にするだけだ。
それは勇猛ではない。」
安堵か諦観か、少女は吐息を漏らした。
「ただ、あっちが襲ってきたら、闘うだろうがな。」
「それはないわ。」
確信に満ちた声で少女が答える。
俺は首をかしげた。
「あのリュウは動きたくても動けないのよ。
ヒューマン族の仕掛けた罠にはまっちゃったからね。」
「罠?
不意をうたれたにせよ、だまされたにせよ、竜族がヒューマン族の罠にかかって黙っているわけがないだろう。」
鼻で笑いとばす。
てっきり怒るかと思ったが、少女は肩をすくめただけだった。
「ヒューマン族だけじゃないから。
エルフやヴァンパイア、ベヒモス、その他諸々が関わってるから。
じゃ、おとなしくしてるのよ。」
少女は山を下りた。
街にいる同胞と話し合う必要がある。そう彼女は言った。
俺はまだ、地脈の力が溜まりきっていないから、とその場に残った。
二日後、少女がヒューマン族の老人と子供を連れて、再度俺の前に現れた。
二人ともヒューマン族とは思えぬくらいの魔力を秘めていた。三人がかりで襲われたら、今の俺では勝てる気がしない。
幸いそんなことはなかったが。
「炎天山のリュウはしばらくあのままにしてもらえないだろうか。」
老人が提案してきた。
受け入れるわけにはいかない。俺は無下に却下した。
当たり前だ。
あいつは同属殺し、しかも俺の父親を殺したのだ。許せるわけがない。
「王国の根幹部が揺らぐことになるのだ。
後々はまかせる。
だが、今はどうか我慢して欲しい。」
ヒューマン族の王国が俺に何のかかわりがあるというのだ。
怒る俺に少女が皮肉めいた笑みを浮かべて告げた。
「あんたが一緒に暮らした女の子も困るんだけどね。
あんたの長い寿命では一瞬でしかないかもしれないけど、あの娘には全てかもしんないのよ。」
恩義。
違う。
俺は彼女に何を見出したのかを思い出し、怒りを収めた。
感情に支配されていた体温が急激に下がっていった。