寂寥と決意
街にて
ダレにでも朝はやってくる。
カレがいようがいまいが関係なく。
泣いて過ごそうが笑って過ごそうが関係なく。
思考を停止する。
オトナに一歩足を踏み込んだ今、思考は生きるジャマになることを知った。
今さらだ。
でも、今さらながら思考する。見た目以上に、カレの何を知っていたのだろう。
ヴァルがなにモノなのかを訊いたことがない。
相互不干渉の約束をした上で、カレをアパートに連れこんだのはあたしのほうだ。
そんなの重々承知の上。
「サイアクだぁ!」
独りぼっちの部屋の中、大声で叫んだ。
あんなヤツ知らん。どうでもいい。
そう自分に言い聞かせるたび、三ヶ月前の記憶が膿のようにグチュグチュと染み出してくる。傷口のようにうずく。
あたしはキズついたんだ、と自覚する。
声をかけたのはあたしだ。
裏町に程近い路地裏でちぢこまっている不審者に声をかけるなんて暴挙、今思えば冷や汗ものだった。
寝てんのか死んでんのかわからないような路上生活者もチラホラと見られる。低所得者層が多く住む住宅街のさらに細い路地を入っていくと、日の光もさしこまないくらいに建築物が密集した区域に入りこむ。そこが裏町と呼ばれる地区だ。
華やかな表通りから歩いて数十分しか離れていないのに、市政から半ば見捨てられた町が広がっている現状を、王国が認知しているのか、あたしは知らない。
「ちょっとあんた、こんなトコでナニしてンのよ。」
「寝てた。」
男の返答に呆れた。道端に寝ているヒトビトはたいてい見知った顔だ。
だから、この男が町外のニンゲンであることはすぐにわかった。
「どけてよ。」
「こんな暗い裏道を女の子が歩いてたら危険じゃないのか?」
「いらぬお世話。
それにココを通るのはあたしじゃない。ネコよ。」
訝しげに見つめてきた。
で、そのさらに向こうを見た。そこには、つまんなそうに顔を洗っているネコが一匹。
彼は肩をすくめて立ち上がった。
やたら背が高い。あたしもさほど小さいほうではないのだが、頭二つ分近く上に顔があった。
一瞬、マズったかと身構えてしまった。
見た目は典型的な落伍者。なんかの皮をなめしたジャケットと同質のパンツはぼろぼろとまでは言わないまでも、風貌はお世辞にもマトモとは言えない。おちくぼんだ眼窩と無精ヒゲが、確実に人相をワルくしていた。
短いような、長いような沈黙。
フニャぁ、と小さく鳴いた。ネコが一瞥もせず二人の間を抜けて暗がりへと消えていった。
「ネコ、行ったぞ。寝ていいか?」
律儀なのか?
あからさまにダルそうに男がしゃべる。安堵と苛立ちがまじったが、親切心が先にでた。
「あまりオススメしないわ。そろそろガーディアンが見回りにくる時間だから。
あのヒトたち、路上生活者にはとても厳しいの。
こんなトコで寝てたら嬉々として退去処理するわよ。」
「ガーディアン?
市の警邏隊か?」
あたしは首を横にふった。
知らないのか。
メンドウだな、と舌打ちする。
この風貌だ。口で退去命令をだす程度なら運のいいほうだ。
過去の事例を鑑みれば、問答無用に暴行を受けて市壁外に放り出される。
「市の警邏隊の連中がこんなハズレまで巡回にくるわけないじゃない。自警団よ。
ま、自分の正義を絶対的におしつけてくる警邏隊よりは融通はきくンだけど、連中、外部のニンゲンにはやたら冷たいのよ。
袋叩きにされたくないでしょ。」
「随分と物知りだな。」
「あたしもいちおうメンバーの一人だし。」
「だったら、暴力をふるわないよう話してくれればいい。」
「それじゃ、今だけで終わっちゃうでしょ。」
ふむぅとばかりに腕を組んで、彼は首を傾げた。
なんでかその仕草がかわいく見えた。クスっと小さく笑ってしまう。
そして、なんでか、ホントになんでなのか、自分でも信じられないような提案をしてしまった。
「行くトコないなら、ウチにくる?
たいしたおもてなしはできないけど、寝るトコくらいは用意できるわよ。」
「提案はありがたいが、そんな迷惑をかけることはできない。」
やたらマジメに答えられた。
そりゃそうだ。
とおりがかりのオンナに唐突にウチにこい、なんて言われて、ほいほいとついてくるようなオトコはろくなオトコじゃない。ぜったいに下心がある。
だから、このヒトは悪いヒトじゃない。漠然とした自分の勘を信じたくなった。
というより、自分自身に一生懸命弁解していた。
「遠慮しないで。
あたし、独りだし、ちょうど退屈してンの。」
なぜ初めて遭ったこの男にこんなにまで執着しているのか、あたし自身が戸惑っていた。でも、ほっとくことができなかった。
「おいで。」
あたしはその腕をひっつかみ、ムリヤリ路地裏からひきずり出した。
と、同時に別の道からガーディアンが数人現れた。剣がばってんにクロスしたワッペンがついたおそろいの真っ赤なライダースジャケットを着ている。
当然のように浮浪者じみた男へと視線が集り、腰の剣の柄に手がのびた。
マズいな…
あたしはとっさに男に抱きついた。
一瞬時が止まった。
ガーディアンたちには、女が男の首に腕をまわして口づけている様子が見えたはずだ。
「ちっ…」
小さく舌打ちを残して彼らは向こうに歩いていった。
あたしは横目にそれを確認すると、彼を解放する。
驚愕と困惑の視線があたしを射る。
いやいや、そんな瞳で見つめないでほしいのですが。
「だって、しょうがないじゃない…」
きっと真っ赤だろう。あんなハズカシかったのは、後にも先にもあのトキだけだ。
ついでに言えば、あんなに表情豊かなヴァルを見たのもあのトキだけだ。
あたしのワンルームのアパートに転がり込んで三ヶ月。
三ヶ月、なんでカレといるんだろうと自問するたび、淋しさをいいわけにしてきた。
行きずりの恋なんてそんなものだ。
それを恋と名づけていいのならば。
「だからだよね。」
あたしは独りごちる。
相互不干渉だって?
バカだ、あたしは。
カレについて知っていること。
どこで路銀を入手していたのかは知らないが、街を転々と徘徊しつづけていた。
言葉少なで、酒以外望んで口にすることはない。
こっちがジャレつけばかまってくれるが、こっちが本読みしてれば静かになにかしてる。
面長でこげ茶色の瞳をしてた。
おんなじこげ茶色の髪を後ろで尻尾みたいに結んでいた。
口が大きくて、手のひらも足も大きくて、背も大きくて。肌は少々地黒。
姿勢が悪く猫背で、外を歩くときはあたしの半歩後ろをついてくる。
口調はのんびりだけど発音は明瞭。
体温がやけに高く、初めて肌に触れたときは思わず手をひっこめそうになった。
唇の感触も、肌が少しカサついていることも思いだす。
目を閉じて一生懸命カレを思いうかべてみる。
なのに、いくら学校で習った言葉を羅列しても、この程度の表現しかできない。
「あ、酒だけもっていきやがった。」
おととい開けたばかりのウォッカが一瓶なくなっていた。けっこう残ってたのに。
「まぁいいか。」
ヴァルがいないなら呑んでも楽しくないし、おいしくない。あたしは別にお酒が好きなわけではない。
山にて
「ほう。めずらしい訪問者だな。」
炎天山のリュウが不敵に笑んだ。
俺の怒りなぞ、ヤツにとっては羽虫程度の代物なのだろう。
そんなことは重々承知だ。それでも俺はヤツを殺す。
「そちらのお嬢さんは、こやつの連れなのかな?」
想像以上の存在に彼女ですら怖気づいている。
ヒューマン族にしては精神力があるから、彼女の望みどおり連れてきたのだが、役には立たないだろう。
ヤツと対峙したら、勝手にしろとは言ってあるから守る必要がないのが幸いか。
「ここにいたリュウはどうしたの?」
震える声で少女は炎天山のリュウに訊いた。
「喰らった。」
さも当然といったしゃべりに俺の怒りは頂点に達する。
逆鱗がうずいた。
「仲間を喰らったというのか!」
俺は高熱を帯びたブレスを炎天山のリュウに浴びせた。