カレシとカノジョ
リュウの飛ぶ街
「あー、おかえりぃ。牛乳買ってきてくれた?」
一生懸命爪にヤスリをかけていたエルシアがけダルげに顔を上げる。
それを不思議そうにヴァルが見つめていた。
なによ、と首をかしげたカノジョにカレは、さも名案とばかりに訊く。
「駅前の雑貨屋で壁紙くらいの爪とぎ売ってたぞ。
壁に貼っておけば、そんなんでチマチマ削るよりラクなんじゃないのか?」
「ヴァルのバカ。ソレはネコ用じゃ。」
この手の会話にも手馴れたものだ。
ただ、最近はボケって単語を覚えたらしく、ときどき判断に困る。
「お、えらい。
ちゃんと低脂肪乳買ってきたね。」
「俺としては、コーヒーに入れると変に甘ったるくなるからあまり好きじゃないんだがな。」
「そこは乙女心の機微ってことで。
立ってるついでにコーヒー入れて。」
了解、とやさしく笑う。
青竜との闘いからそれなりに時が経った。
街はとうに落ち着きを取り戻し、退屈な学校生活も始まった。
季節は晩夏を迎えようとしていた。
「向こうは?」
ヴァルは時折隣の宗教都市と首都に出かけていく。
対リュウ族の交渉役として、また北の隣国との国境警備視察のため、王国と契約した。
「国王も光明神の大司教も悪いニンゲンじゃないんだけどな。
その取り巻きが面倒だ。」
中途半端な地位にいる国家公務員たちが札束を袖から見せて、なにかしら取入ろうとしているらしい。
「ホント、リュウ族って認知されていないのね。
リュウは金なんかじゃ動かないってことを認識してほしいわね。」
数ヶ月前の自分自身を棚上げしている。
エルシアがヒューマン族代表して、なんてヴァルに謝罪する。
そして、二人で笑った。
北の山における隣国との利権問題、東の大平原のキョジンとリュウの小競り合い、南東の宗教国家の分裂、西は死者の王国が復活したとか、北西では魔法使いの大虐殺事件が起こったとか。
あたしにとってはまだ非日常のデキゴトだ。
「そうだ。
エルシアが隣町の大学受けるって伝えたら、あいつも喜んでたぞ。
また、スウィーツ持ってこいってさ。」
「あっそ。
じゃあ、秋休みにでも泊まりで行きますか?
スープと先生連れてさ。
ダブルデートだ。」
夏休みにさんざん遊び呆けたくせに、と咎められたエルシアは、爪とぎをやめて広げていたティッシュを丸めてヴァルにぶつけた。
「クソガキ。」
「ウルサイ。
あんたは父親か。」
父という単語に、少し淋しげに顔を曇らせたカレを見て、ごめんと手を合わせる。
「なんてな。
今さら気にしないよ。」
「…ヴァルのバカ。」
「そういえば、親に言ったのか?」
親ときちんと話をしたほうがいい。
ヴァルはエルシアをそう諭していた。
拒否するだけなら簡単だ。
しかし、それはある意味逃げてんだろう、と。
「ヴァルのこと?」
「…もだが、将来の夢も話したいんだろ?
カフェ開くってやつ。
ココでの生活もだ。
友達もできて楽しくやってる。
それを伝えるだけでも親は安心する。
お義父さんとの関係はよくわからんが、お母さんは嫌いじゃないんだろう。
だったら、親を安心させるのも、コドモの責任だ。
サボんなよ。」
「…ヴァルの説教ジジイ…」
ヴァルが苦笑まじりにベッドに腰掛けた。
あれ?
とその枕元に気づく。
隠すの忘れていた。
慌てて取り上げようとしたが、全力で押さえつけられた。
ベッドにうつぶせに磔の状態でエルシアがギャアギャアとわめく。
膝立ちでカノジョの腕を磔にしているヴァルが一ページ目をめくった。
きょう、リュウを見ました。
大きなツバサを空いっぱいに広げて、南のほうのそらからとんできました。そして、すこし東にまがりながら、とんでいきました。
リュウがわたしのま上をとおったとき、いっしゅん、たいようの光がぜんぶなくなったかとおもいました。
そのくらい、大きくて、まっクロでした。
あのときの日記が、今度は十七歳の字で書き写されていた。
数行空けて、続きが書かれていた。
そのリュウはあたしと大好きなヒトをひき逢わせてくれました。
ツバサを広げたカレらは大空を自由に飛びまわり、あたしたちに夢を見せてくれました。
キバは確固たる強さを、ツメはしっかり大地を踏みしめて歩き続けることの大切さを、ツノは自分の信じる正義を、ウロコは小さな命を守る義務を教えてくれました。
二枚の逆鱗は大事なものを守り続けるプライドです。あたしはもっともタイセツなヒトと歩いていきます。
ツバサがあろうが、太陽がまぶしかろうが。
あたしはなんとかしてカレの背を追って飛びたとうと思います。
顔を枕にうずめるエルシアをひっくり返す。
真っ赤な顔で両腕をヴァルのほうに伸ばす。
ビックリしたように、でもすぐに穏やかに微笑んだ。
抱き合った。
刹那。
「おーい! スープぅ、待ってたよぉ!
はやくおいで!
トモダチもみんなはやく、はやく!」
隣のベランダで男の子の叫ぶ声がした。
答えるように親友の声が聞こえた。
カノジョはカレの肩ごしに少しだけくすんだ剣を見る。
柄頭に付け直された藍晶石が陽光にキラキラ輝いていた。
二人タメイキをついて、もう一回見つめあって、軽くキスをして、そろって苦笑して、そしてつれだってベランダに出た。
天高く、髪をゆらす風は少しだけ冷たくなってきていた。
遠くに仰ぐ山は赤や黄の秋色に染まりはじめた。
リュウの住む山は、雪が舞いはじめただろうか。
キラキラした街並み。
ケラケラ笑いあう友達。
二人は満面の笑みで手をふった。
宝石みたいにキラキラした普通の日々。
これが日常だ。




