再会と邂逅
街にて
「ヴァルだ!
ごめん、スープ!
あたし帰る!」
窓からとび出しかけて、スープに止められて、彼の名をわめいた。
もどかしくて廊下を全力で走り出した。
一足跳びに階段を降りて、昇降口ではなく教員来賓用の玄関を抜けた。
当然、土足を咎められるがムシ。
「やっぱりヴァルだぁ…」
滂沱のごとく涙が流れた。
あたしはこんなに彼に恋焦がれていた。
なぜ好きなのかって理由なんてなく、ナニモノだろうが問題ではなく、カレがどう思っているかも関係なく、あたしはカレにすがった。
「エルシア…」
少しかすれたけど何度も耳にした声だった。
人目もはばからず抱きついた体は夏なのに冷たかった。
わんわんと泣きつづけるあたしの頭に人肌を感じて、我に返る。
あたしのカバンと剣が横にポスっと地面に置かれた。
「アナタが噂のヴァルさんですか。
わたし、スパイア・ル・ガードです。以後お見知りおきを。」
と後を追ってきたスープが丁重に挨拶した。
「あ、先生方、人払いをお願いします。」
遠巻きにウチらを見ている観客を、これまた丁重にお引取りいただいた。
教務主任ですらイイナリか。
あたしたち三人だけ残された。
あたしはカバンと剣を受けとりつつ頭を下げると、髪の毛をポスポスと叩れた。
「それは…」
「これはエルのです。
たぶん、ここ何日前に似たようなのを見たかもしれませんね。
あれもわたしの作品です。」
ヴァルの目線はあたしの剣、スパイア・ル・ガード銘ドラゴンスレイヤー二号に向けられていた。
ちょっとだけムッとするあたしをさて置いて、二人の会話が続く。
「心配しなくても、あの男の子はリュウと戦えてるはずです。
勝てないまでも、あなたにしばらく危害が及ばないくらいは。」
「そうか。
ありがとう。助かった。」
「反対に言えば、あなたを殺せる剣をわたしが作れるということです。」
なにを語りだす?
あたしは頭に置かれたままの掌をふり払ってしまう。
スープはあたしを見下ろして、無邪気に微笑む。
「男の子のことはどうでもいいんです。
忘れちゃってください。」
「なんだと…」
おいおい、なにを語りだす?
「そんなことより、今後は忘れないでほしいことがあります。」
スープが剣を抜いた。
「エルの手を握るのは、もうわたしでは、いえ、わたしだけではありません。
二度とエルの手を放さないでください。
次、そんなことしたら、わたしがあなたの身体を斬り裂きます。」
ヴァルが呆然と見上げていた。
あたしがスープを見たら、彼女は剣先をあたしに向け、またヴァルへと差し向けた。
どうぞと言わんばかりに微笑みながらだから、お言葉に甘えてもう一度カレの身体を抱きしめた。
「いったい、どこ行ってたのよ。」
「ごめん。」
「あやまらないで。
一応訊くけど、あたしのトコに戻ってきたんだよね?」
「エルに逢いたかった。」
「うん。
あたしもヴァルに逢いたかったよ。」
ずいぶん長いこと抱きついていた。
剣が鞘にしまわれる音がして、ようやく二人の世界から意識が戻される。
すっごく名残惜しい。
身体をはなすと、急に恥ずかしくなる。
ワケなくヴァルの頭をこづいた。
「みっともないわね。立ってよ。」
なんて。
自分で押し倒しておいてなんだが。
帰るね、とスープに短く告げて、あたしはヴァルの手をひいて歩きだした。
「うん。バイバイ。
気をつけてくださいね。」
笑って手をふっているが、心配しているのがありありだ。
あの焚きつけるようなご挨拶したときに察してしまったのだろう。
ヴァルの弱りぐあいを。
裏門から学校を出た。
小道を二人歩く。
あたしの半歩後ろを歩くカレ。数ヶ月前とおんなじ。
恥ずかしいなら放そうか?
と出逢ったばかりのころなら何度も遠慮してきたカレの左手を、今日はぎゅっと強く握った。
校庭から部活の子たちのかけ声が聞こえてきた。
フェンスごしの光景は、夕日に照らされた平和な放課後。
ポクポクカタカタと馬の足音と車輪の回る音がした。
あたしのアパート方面に向かう乗合馬車にカレの身体をおし入れた。
二頭引きの六人乗りにあたしら二人だけ。
一緒に馬車待ちをしてたはずの生徒は、なにも言わずどっかにいなくなっていた。
「ダイジョウブなの?」
しばらくカレから返答はなかった。
フルフル。震えているのか、小刻みに首を横にふっていた。
そうだろう。
寄り添う身体から伝わる熱が、ならんで寝てたときに感じてた暑苦しいくらいの体温が、ぜんぜん熱くない。
むしろ、あたしの体温にちかい。
横顔にはヤケドの痕。打撲、骨折、馬車が揺れるたびに痛むのか、その表情が歪む。
あぁ、そうだ。一緒に暮らしていながら、なんで気づかなかったのだろう。
一つひとつを見つめた。
こんなところに傷なんてなかった。
こんな哀しそうな、悔しそうな、泣きそうな、怯えたような表情なんてしていなかった。
手のひらは少しカサついていたけど、こんなに冷たくなかった。
瞳はもっと希望と決意に満ちていたし、唇は不遜なまでに自信に満ちた笑みを浮かべていた。
でも、ときおり見せていた孤独は前にも見たことがあるじゃないか。
あたしはカレに捨てられたと嘆いた。
しかし、知ることという行為をせず、カレの想いやキズを拒絶したのはあたしだ。
隣にいないことの孤独と、隣にいることの孤独。
いったいどっちがイタいのだろう。
「幾分楽にはなった。」
弱々しく微笑まれた。
とってもやさしく、信頼されていると自覚できるような微笑。
あたしが励まされてどうする。
でも、カレが信頼してくれているという自信がなければ、あたしは隣にいられる自信がない。
「ひとつ訊いていい?
今さら帰ってきて、あたしに迷惑がかかると考えなかったわけ?」
「考えた。
でも、ココしか思いつかなかった。」
ようやくあたしも素直に笑えた。
「じゃあ、これからは考えないで。迷惑なんかじゃないから。」
そこまで言えた。
でも、ふたたび言葉を継ぐことを躊躇う。
躊躇いが手の力を緩めてしまったのだろうか。
ヴァルがつないだ手に力をこめた。あたしを失いたくない。
そう伝えてくれている。
「ダレかが襲ってきても、恨んだりしない。あたしにヴァルを守る力がなくても、手を放したりしないから。」
ようやくあたしを見た。
弱々しく笑む。
「ありがとう。
ヤツもこんなトコに逃げ込んだとは想定していない。」
逃げてきたんだ。
そっか。
つまりはまだ敵がいると言うこと。
図らずも誘導尋問になったみたいで、イヤな気分になった。
でも、大事な情報だ。
馬車が速度を落とし馬がいなないた。
「この坂を歩くのは、何ヶ月ぶりだろう。」
馬車は坂の下までしかいかない。
ここからアパートまでは歩いて登らなければならない。
すでに外は薄闇。
月にぼんやりと輪がかかっていた。
「たしか、二ヶ月…になンのかな。」
二人で坂を登る。
上り坂の中腹くらいでカレが口を開いた。
イヌが吠えただけで、ビクリと体をふるわせた。
「訊かないのか?」
「なにを?」
「なぜ、姿を消したか。」
あたしはつい吹きだしてしまう。
「まるでコイビトだったようないいぐさね。」
何とも言いがたい表情をされて、もう一回吹いた。
「あたしはヴァルのことがスキだったよ。いなくなってどんだけ泣いたことか。
でも、あんときのヴァルはどんなに夢見たくても、コイビトに接する態度じゃなかったわ。」
ふと気づく。
「スキって言ったのも初めてか。」
「俺は…」
「だから、あたしも同罪だね。
それにヴァルがいなくなってから、他にカレシいましたし。」
きちんと見ればよかった。
きちんとカレと向き合って、その一挙手一投足、孤独に満ちた瞳や言いかけては躊躇う唇、その一つ一つを見ればよかった。
カレはこんなにあたしに伝えてくれていたのに。
信じてあげられなかったのは、あたしだ。
すべてを言わない、言えないことがウソツキと見なしていた。
相手のことを信じられないから言えないんじゃない。
相手に信じてもらえなくなるのがコワいから言えないのに。
ホントはコワがらないでって伝えるべきなのに。
たかだか数ヶ月の二人の記憶。
それから数ヶ月の空白。
わずかな記憶でわずかな空白を埋めようと、あたしたちは、そう“たち”だ、話し続けた。
あたしが学校で苛められたこと。
カレが炎天山のリュウたちと闘ったこと。
あたしにマエカレがいたこと。
カレを助けてくれたヒトがいたこと。
あたしが信頼できる友達に出逢えたこと。
カレが孤独だったこと。
そして、あたしがどれだけヴァルに焦がれていたか。
道中見知った顔が「久しぶりだな」なんて声をかけてきた。
その度、ヴァルは曖昧に会釈した。
「どうかした?」
カレはしっかり目を合わせて、挨拶し、会話をするヒトだった。
なのに、ヒトが変わったようにオドオドと目線をそらしている。
緊張が見え隠れしているのが気になった。
「まだ、なんかカクシゴトするの?」
「いや、違うんだ。
そうじゃないんだ。
そうでは…」
ヴァルの歩みがしだいに遅くなり、とうとう立ち止まってしまう。
カレを覗きこんだ。
けっして答えを急かさない。
泣きだしそうだから。
「怖いんだ…」
と震えながら、膝を落とした。
部屋に戻れば、治療ができる。
クスリでもマホウでも用意できる。
でも、治癒しない気がする。
キョウフに支配された精神は、肉体の治癒を拒絶するから。
心の病は自分で治せる。
だから、クスリもマホウも必要ない、という内容の本があったのを思いだした。
あたしはそうは思わない。
心の病は自分でしか治せない、というのが正しい言い方だと思う。
治りたいと思うことができないヒトが、心のキズを治せることはないし、ましてや身体の傷も治すことはできないのだ。
おんなじキョウフを味わうくらいなら、このまま死んでもいい。
そう刻みこまれたキズ。
治癒の拒絶は根が深い。
「家までもう少しだよ。歩けない?」
告白後のカレは、悲惨だった。
堰をきったように感情が流れだした。
すべてを拒否していた。
周囲のすべてがキョウフだ。
せめてもの救いは、あたしのことだけは拒否していないこと。
「あたしを信じて。
ね?」
あたしはうずくまるカレの背後に回り、カバンの中から手ぬぐいを出した。
なにに使おうと思って入れていたわけではない。
ガラがきれいだったから、友達に自慢してやろうと入れていたやつだ。
あたしはカレの目元を覆って、後ろ頭できつく結んだ。
「やめろぉ!」
おそらく絶叫だったのだろう。
しかし、かすれた声はまったく周囲に響かない。
あたしは掌でカレの口をふさいだ。
しばらくして、唇で口をふさいだ。
驚いたようにカレは暴れるのをやめた。
「あたしを信じて。」
耳元でもう一度囁いた。
ゆっくりと脱力した身体を立たせ、その手をひいて歩きだした。
ゆっくりと、一歩ずつ。
物音一つひとつにカレは怯えた。
パキリ、暗がりの枝を踏んでしまった。
ぱたた、足がもつれた。
カチリ、鍵を開けた。
キィィ、玄関が開いた。
コトコト、靴が地面に落ちた。
その一つひとつにカレは怯えていた。
部屋の真ん中で目隠しを外す。
放心してペタリと腰をおとしたカレに、あたしは尋ねた。
「暗いまんまがいい?」
「一緒にいてくれるなら、暗いほうがいい。」
「わかった。
いいよ。おいで。」
あたしはカレと一緒にフトンに包まった。
独りぼっちのあいだ、あんなにヒンヤリしていたベッドがすぐにあったかくなる。
きっとカレも眠ることなんてできなかったのだろう。
「ゆっくりおやすみ。
今晩はあたしがキミのコトを守ってあげる。」
今日は、あたしがキミの白馬の騎士になるよ。
なぁんてね。
一人にやけた。すやすやと寝息をたてるヴァルには聞こえなかった。
…はず。
夢の中にて
夢を見た。
俺はヒューマン族の姿だった。
巨大なドラゴンの生贄として、十字架に架けられていた。
夏の日差しは容赦なく降り注ぎ、赤茶けた粘土質の土と不ぞろいな石しか転がっていない地面が熱によって蜃気楼のように揺らいでいた。
太陽にぽつんと黒い点が生まれる。
それはだんだんと大きくなり、翼を持つ何かだとわかる。
俺を喰らいにきたドラゴンだ。
俺は何度も助けてと叫んでいた。
羽と角と瞳と牙と爪と、ドラゴンの姿がしだいにはっきりしていく。
俺を見つけニタリと笑った気がした。俺は喰われる覚悟を決め、目を瞑る。
夢を見た。
俺は独り荒涼とした地を這っていた。
怖いんだ…遭うヒトがすべてヤツに見ててきて…夜闇がヤツの巨大な影のようで…光がヤツの瞳みたいで…風の音がヤツの呼吸みたいで…この夏の陽射しはヤツの炎じゃないのか…ここは這いつくばった土や草の上じゃないのか…あの岩はヤツの爪じゃないのか…あの石造りの建物はヤツの身体じゃないのか…あの巨木はヤツの足じゃないのか…真っ白な塔はヤツの角じゃないのか…
夢を見た。
俺は街の外にいた。
まだ癒えぬ傷をかかえたまま、破壊されゆく街を見ていた。
傷が癒えたら、俺はまたヤツの前に立たなければならない。
一つ傷が減れば、一つ前に足を進めなければならない。
再びあの恐怖の前に俺は立たなければならないのか。
俺の瞳はあの瞳を睨み返すことができるのか。
俺の耳はあの怒号を聞くことができるのか。
口の中を満たす炎に沸き立つ血液を飲み込むことができるのか。
あの臭気に満たされた空気を吸うことができるのか。あの身体に触れることができるのか。
夢を見た。
ドラゴンの咆哮が夏の空に轟いた。
俺はうっすらと目を開く。
薄目の隙間から見えたのは、地面に這いつくばる巨大なドラゴンと真っ白なダレか。
「助けに来たよ。」
聞き覚えるのある声、でもダレだろう。
俺は目を開けて、しっかりとダレかを見つめた。
純白の馬。
額には円錐型の角。
そして、一角獣ユニコーンの背には穏やかに微笑むエルシアがいた。
そんな夢。




