第四話 酒と少女
0.
Cランク閉鎖地域<仄闇の森>
その中心部に巧妙に隠されていた魔女の隠れ家の跡地を、一人の少女が訪れた。
短く切られた艶やかな黒髪と、それに縁取られた白い顔。
唇はやや血色が悪いが、冴え冴えとした碧の瞳が人目を引く。
神秘的で儚げという形容が、ピッタリと枠にはまるような少女だ。
服装も彼女の容姿に相応しく、白一色で構成された清廉で簡素な物。
ただし――彼女は背中に黒く大きな棺桶を背負っていた。
奥から黒く焼け焦げた洞穴。
彼女はその前に棺桶を置くと、それを中心として魔法陣を描き上げていく。
無数の曲線と直線が重なり、狂気じみた複雑さを誇る図形がみるみるうちに描きあげられていく。
大地に線を描き出す細い銀の杖。
それを握る小枝のような腕は、小刻みに震えながら踊る。
杖の先端にあしらわれた紫水晶が蟲惑的な光を放ち、その軌道は有機的であった。
そうして小一時間ほどが経過し、魔法陣が見事に描き上がった。
少女はその外側に立つと、懐から小さな瓶を取り出す。
彼女の手にすっぽりと収まるほどの大きさのそれには、鮮紅色の液体が詰められていた。
少女はコルクを引き抜くと、その液体を魔法陣へと注ぐ。
そして緋色に染まった大地に向かって、勢いよく杖を振り下ろした。
「仄暗き闇より来る偉大なるものよ。その影の腕を持って、煉獄へと囚われし者を解き放て。汝が力、我が意の赴くままにあり。 魂の回帰」
朗々と紡がれた旋律。
それに呼応して魔法陣が蠢き、紅の光を放ち始める。
その光は次第に中心部へと凝縮されていき、棺の表面を染み渡る血液のごとく走り抜けた。
弾ける閃光。
にわかに立ち込める黒雲。
逆巻く空のもと、棺の蓋が音もなく滑っていく。
それが大地へ落ちて乾いた音を奏でた時、棺の中から何者かが姿を現す。
「ずいぶん遅い迎えだったな、ニノ」
「申し訳ございません。素体がなくなっていましたので、急遽予備を取りに戻っておりました」
「そうか。やはり……奪われたようだな」
棺から立ち上がった魔女は、唇を噛んだ。
紅い血がつうっと、小さな口の端から滴り落ちる。
その紅い瞳の奥では憎悪の炎が滾っていて、握りしめられた拳は震えていた。
ニノは魔女のただならぬ憤怒を察し、控えめに声をかける。
「……まずいですね。早いうちに取り戻さねば、破壊されかねません」
「その心配はない。だが、もっと深刻な事態だ」
「と、おっしゃいますと?」
「どうやら、私と相討ちになった冒険者が素体を乗っ取ったらしい」
「……信じられません」
この言葉は、ニノの率直な意見であった。
素体は魔女の特殊な魔力に合わせて調整が加えられており、既にある程度の魔力も宿っている。
もし他の人間の魂がそこへ入り込もうとしても、その人間が持つ魔力と魔女の魔力が反発して侵入できないはずであった。
仮に、魔力がない人間でもいれば不可能ではないのだろうが――そんな者の存在をニノは聞いたことがない。
しかし、魔女の言ったことは事実のようであった。
そもそも彼女の主である魔女は嘘を好まない。
言葉を弄して人を欺くことは好むが、直接的な嘘は彼女一流の美学に反するからだ。
そのような性質を持つ魔女が、嘘をつくはずがない。
「そろそろ戦が近い。とにかく、早いうちに素体を取り戻さねばならん。だが、私が回復するにはしばらく時間がかかるだろう」
「では、素体の探索は私が」
「いや、お前は私を守れ。今回のようにお前が出かけている隙を突かれると厄介だ。探索は人造人間どもにやらせろ。そろそろ使える頃だろう」
「了解しました」
そう言ってかしづいたニノの頭を、魔女は満足げな表情で見つめた。
そして彼女が恭しく差し出した闇色のローブを身に纏うと、その端を翻して力強く宣言する。
「行くぞ、ニノ。木偶の坊どもをさっさと起こしてやらねばならん」
「はい」
足早に歩き出した魔女。
ニノもすぐさまそのあとを追い、彼女のやや後ろを歩く。
こうして二人の影は深い森の中へと消えて行った――。
1.
ヘルガの街の最も北西の地区。
そこは冒険者相手の安宿がこぞって軒を連ねる場所である。
その中心を貫く三番通りと街を囲む城壁がぶつかる当たりに建っている、三階建ての比較的大きな宿。
「安い・広い・うまい」で最近ギルドで評判だったこの<ツバメ亭>が今晩からの俺の宿だった。
以前はここよりややギルドよりに建っている<白帆亭>を定宿としていたが、この際、思い切っての宿替えである。
陽もとっぷりと落ちた夜半過ぎ。
俺は宿の一階に併設されている酒場で、ちびちびと酒を飲んでいた。
ここ五年来の邪魔者だったバルドもぶっ飛ばしたことだし、ささやかだが祝いの酒だ。
俺はエールの中では最高級品のドンテーヌ産エールをなみなみとジョッキに注ぎ、つまみの赤豆を食べながら飲む。
エールの引きしまった苦味を赤豆の塩気が引きたてて、喉がしびれるような味わいが実に爽快だ。
黄金色のエールが喉を通りぬけるたびに「カー!」と景気よく息を吐き出したくなる。
そんな俺の飲みっぷりを見ていた宿の親父は、感心したように息を漏らした。
「お嬢さん、良い飲みっぷりだなあ!」
「昔から女らしくないってよく言われるよ。身体はちゃんと女らしく育ったがな」
「はははッ! 違いねえ!」
景気よく笑う俺とマスター。
するとその時、宿の扉が開いた。
カランカランと鈴の音が鳴り、女が一人、中へと入ってくる。
燃え立つような紅の髪と煌めく蒼の瞳。
黒いビロードのマントから伸びる手足は細く華奢だが、胸元はしっかりと膨らんでいる。
なんとも、人目を引く華やかな印象の女だ。
背丈と顔の幼さからすると、まだ十代後半と言ったところだろうか。
「ただいま! マスター、ご飯ある?」
「おう、チキールの串焼きがまだ残ってるぜ!」
「ありがと、頂くわ」
少女はそう言うと、俺たちの方へと近づいてきた。
やや見上げた俺の視線と彼女の視線が偶然にもぶつかる。
するとここで、少女はぱっと顔を綻ばせた。
「あなた、もしかしてさっき大男をぶっ飛ばした人?」
「ああ、そうだが」
「やっぱり! 隣に座ってもいい?」
少女はそう言うと、俺が返事をしないうちに椅子を引き、そこへ収まってしまった。
おいおい、ずいぶんと強引だな。
俺は初対面だと言うのに図々しい彼女の態度に少し閉口したが、咎めるほどではないので黙っておく。
そうしているうちに、マスターが少女の前にチキールの串焼きを山盛りにした。
ざっと見ただけでも、ニ十本以上はあるだろうか。
炭火の香ばしい匂いが俺の鼻をくすぐる。
「ほらよ、サービスしといてやったからたくさん食え」
「ありがとマスター!」
少女は肉の刺さった串を器用に二本も手にすると、まとめて口に放り込んでしまった。
そしてすーっと串を引き抜くと、それについていたはずの肉はもうすでに消えてしまっている。
それほど大きな口をしているわけでもないのに、一体どこへ収まったのだろう。
俺はそれが不思議でならなかったが、まさか聞くわけにもいかない。
「もがもが……おにぇさん、しゃっきはひょんとに――」
「口に物を入れたまましゃべるな! 行儀が悪いぞ」
俺がそう声を上げると、少女は黙った。
彼女は素早く口をもごもごとさせて、その後、喉を何度か大きく動かす。
そしてふうっと息をつくと、再び俺の方を見た。
「あはは、さっきはごめん。私の悪い癖なのよ。ついね」
「これからは気をつけろよ。で、俺に何の用だ。何かあるから話しかけてきたんだろう?」
「用ってほどのことじゃないわ。ただ、あなたにちょっとお礼が言いたかっただけなの。さっきの大男……えっと、バルドって言ったかしら? あいつには私も一度絡まれたことがあってさ」
「そういうことか」
そういうと、俺は少女の胸元を一瞥した。
俺ほどではないが、年齢相応を遥かに超えてたっぷりと膨らんだその胸は、いかにもバルドの奴が好む――俺も好きではあるのだが――ものだ。
奴は自分好みの女とくれば、何かしらのちょっかいを出さずにはいられない男なので、少女が絡まれたと言うのもまあ本当だろう。
第一、嘘をついても仕方のないようなことだ。
「あの男が吹っ飛ばされたの見て、ほんとにすっきりしたの。ありがと、感謝してるわ」
「……自分がむかついたからやっただけだ。そんな大したことじゃない」
「そうでもないわよ。あれだけデカイ男をぶっ飛ばすなんて、そうそう簡単にはできないことだわ。あなた、相当凄い冒険者なんでしょ?」
そう言われて、俺は思わずせき込んでしまった。
まだFランク、新米どころか見習いのようなランクだからだ。
もともとにしたってせいぜいCランク、平均より上といった程度で「相当凄い」なんて言われたことはこれが初めてである。
「いや……俺はまだFランクだ」
「嘘!? 私でもCランクよ、絶対Aは行ってると思った!」
「…………悪かったな、Fで」
「別に悪くはないわよ……。ただちょっと驚いただけでさ。あなた、冒険者になる前に何かやってたの?」
そう言われて、俺はとっさに頭を回転させる。
元はCランクの冒険者だったなんて、口が裂けても言えるはずがない。
すると、追い詰められれば人間意外とできるもので、すぐに嘘が頭に浮かんでくる。
「……父さんが、元Aランクの冒険者だったんだ。それにみっちり修業をつけられたから、それなりには強いんだよ」
「そうなんだ。奇遇ね、私も似たようなものよ。私たち、意外と似た者同士なのかも。同じような境遇で、同じ男に絡まれてさ」
「そうかもしれないな……」
俺はそう言うと、ジョッキに残っていたエールを一気に煽った。
口の中を苦味と炭酸の刺激が広がり、空を突き抜けるような気分になる。
俺は幸せをかみしめるように眼を細め、ほうっと息を漏らした。
するとそんな俺に、少女が笑いかけてくる。
「ねえ、ところであなた名前はなんていうの?」
「レーミルだ」
「そう、レーミルって言うんだ。私はニース、よろしくね」
「ああ、よろしく」
「よしよし。ならさレーミル、せっかくだし私とパーティー組まない? Cランクの私と組めば、FのあなたでもCまでの依頼がこなせるわよ」
「ふへッ!?」
俺は思わず、飲み干したはずのエールを戻しそうになってしまった。
何せPTに誘われることなんてここ数年、いや、十年以上はなかったことなのだから――。