第二話 ヘルガへの帰還
0.
ラザール帝国の東部に位置する大都市ヘルガ。
閉鎖地域と人類領域の境界付近に存在するこの街は、冒険者たちの拠点として繁栄している。
千年前、大陸を魔物の大侵攻から救い、閉鎖地域の最深部にまで至ったとされる英雄ヘルガ。
その出身地として大陸全土にその名を知られるこの街は、冒険者志望の若者たちにとっては聖地だ。
俺も二十年前、ヘルガの英雄伝説に憧れてこの街の門を潜った「元」若者の一人である。
「やっと帰ってきたな」
Cランクの閉鎖地域<仄闇の森>から歩き続けること一日半。
俺はようやく街の前まで帰ってきた。
青々とした草原を区切る白い山脈のような城壁。
今から千年前の暗黒時代、魔物の侵攻に備えて造られたと言うそれは、今も昔も変わらぬ姿を保っていた。
朝焼けに燃えるその威容を感慨深い思いで見上げながら、俺は門の方へと足を進める。
鉄で出来た巨大な城門の前には、早朝だと言うのに長い人馬の列ができていた。
俺はその最後尾に並ぶと、門番のお呼びがかかるのを待つ。
「はーい終わり!」
すっかり聞き慣れた門番の声が響くと、前の幌馬車が門の向こうへと吸い込まれていった。
いよいよ俺の順番だ。
肩をゴキゴキと鳴らしてほぐすと、厳つい門番たちの前へと歩いていく。
すると、俺の姿を見た彼らの顔が一瞬だが緩んだ。
一番年嵩の守衛隊長など、堂々と俺の胸に熱い視線を送ってくる。
……おいおい、こんなことで大丈夫なのかよ。
「ええっと、お名前と出身地をお聞かせください」
「名前はレーミル、出身地はカルデア山脈の麓の村だ」
「わかりました。街へいらした目的は?」
「ギルドへ登録しに来たんだ」
門番たちは驚いたように目を見開いた。
名前や出身地を書きとめていた男の手も、にわかに止まってしまう。
だが彼らはすぐに再起動を果たすと、心配そうな顔であれやこれやと注意をしてくる。
「……そうですか。ですがお気を付け下さい、ギルドは飢えた男たちの宝庫です。あなたのようなお美しい方は気をつけませんと!」
「万が一何かありましたら、すぐに我々にご相談ください。この街の守衛として御守り致します」
「依頼の際も十分ご注意を。身体に怪我でもされたら大変です!」
――お前らの方がよっぽど飢えてるし、いろいろと危ないだろ!
必死な男たちにそう言いたくなったのを堪えつつ、俺はうんうんと頷く。
「あ、ああ……。わかった、気をつけるさ。もうこれで、特に確認事項はないだろう? 私は早く街に入りたいんだが」
「これは失礼いたしました。こちらが街の滞在証となります。ギルドで登録証を受け取られるまでは必要な物ですので、大切になさってください。では、お気をつけて!」
「お気をつけて!」
門番たち揃っての大敬礼。
それに対して俺は軽く会釈だけすると、渡された滞在証を片手に逃げるように門を潜った。
美人は得だと良く言うが、ここまで来ると――少し気味が悪い。
今までは「またお前か」と言った対応しか取られなかったのだから、余計にだ。
「久しぶりだな……」
五日ぶりに見たヘルガの街並みは、ずいぶんと懐かしく映った。
馬車が二台並べば一杯になるほどの狭くて入り組んだ通りと、それを取り囲む高層建築の連なり。
増え続ける人口を養うために、限られた範囲内でしかも無節操に開発された街は、一言で行ってしまえば猥雑だった。
街に住む住民たちも冒険者やそれに関係する者たちがほとんどで、どこか粗野で乱暴な連中ばかり。
よそ者からしてみれば、お世辞にも住みやすいとは言い難い街である。
だが、この街には他の街にはない独特の気風の良さがあった。
冒険者たちの持つ野心や情熱と、それを取り巻く者たちの欲望。
この街は良くも悪くもエネルギーに満ち溢れていて、二十年来の住民である俺からしてみれば、他の街は静かすぎて死んでいるようにさえ思える。
「まずはギルドか」
そういうと、俺は街の中心からやや西に外れた場所に聳える、ギルド本部の建物を見た。
街を見下ろす断崖絶壁の上に佇む、そこだけ別世界のようにさえ思えるほど白く優美な城。
純白の石灰岩で出来た尖塔が蒼水晶の空を切り取り、緻密な彫刻を思わせる屋根の曲線の連なりが美しい。
この地を治めていたロッテーヌ伯爵の居城、ザルツバーム城。
英雄ヘルガに所縁の深いこの壮麗な城が、今では大陸中に拠点を持つ冒険者ギルドの総本山となっている。
ただし、この歴史と由緒のある本部に足を踏み入れることを許されるのは、Sランク以上だけだ。
その数は大陸全土に百万人以上は居るとされる冒険者のうち、たった二十七名。
それ以外の者たちは、麓にある冒険者ギルドヘルガ支部で仕事を受ける。
このヘルガ支部と本部を繋ぐ一本道には<騎士の門>と呼ばれる巨大な門があり、それが俺たち並の冒険者と超一流の冒険者を分ける最大の壁だった。
この壁を越えようと、毎年数百人のAランカーたちが門番の煉獄騎士に挑んでいるが――門を潜れる者は年に一人か二人だ。
「待ってろよ」
俺はザルツバーム城の天辺を見上げながら、そう小さく呟いた。
そしてヘルガ支部へ向かって、ゆっくりと歩を進めたのであった。
1.
冒険者ギルドヘルガ支部。
大陸最大の支部――もとい実質的な本部といっていいこの場所は、いつものことながら混雑していた。
白を基調とした清潔感のあるエントランスは冒険者たちでごった返し、カウンターの向こうでは受付嬢たちが忙しく依頼用紙を捌いている。
カウンターはランク別に区切られていて、俺はそのうち一番奥にあるFランクのカウンターへと向かった。
Fランクのカウンターは登録窓口も兼ねていて、誰でも最初はここからスタートするのだ。
俺の冒険者人生も、二十年前ここで登録手数料の銀貨一枚を払うところから始まっていた。
Fランクのカウンターは他と比べると比較的空いていて、並ぶとすぐに順番が回ってきた。
栗色の髪をした何となくふわふわした印象の受付嬢が「今日は何のご用でしょう」と聞いてくる。
そのセリフは若干ぎこちなく、どこか初々しさがあった。
Fランクの受付嬢は新人が回されると聞いたことがあるが、改めて見てみるとそうかもしれない。
これがCランクともなると、馴染みの冒険者と長話したりするのだから困ってしまうが。
「冒険者登録したいんだが、頼めるか?」
ポケットから銀貨を取り出すと、カウンターの上にポンと置いてやる。
すると受付嬢は少し戸惑ったような顔をしつつも、銀貨を受け取り、すぐさまカウンターの下から必要書類と羽ペンを取り出した。
「ええっと、まずはこちらの書類に必要事項を記入していただけますか」
「了解っと」
必要事項と言っても、大した事柄ではない。
俺はさっさとそれらを書き終えると、受付嬢の方へと返してやる。
彼女はすぐに、俺が差し出した書類を一通り検査するとその右上にポンっと判子を押した。
「不備はありませんので、受理させていただきました。続いて、ギルドについての説明をさせて頂きます」
俺はああそうですかと頷くしかなかった。
はっきり言って、二十年選手の俺の方がギルドについてはより詳しいだろうからな。
俺は少し微笑ましい気分になりながら、マニュアルに眼を落としつつ説明する受付嬢を見守る。
そうして聞いた彼女のややわかりにくい説明を俺流にまとめると、こんな感じだった。
○ギルドは依頼の仲介屋であり、手数料をピンはねすることで成り立っている。
○依頼を受けたい場合は、それぞれのランクのカウンターへ行くと受付嬢が適当な依頼を見繕ってくれる。もしその中に気に入る物がなかったら、クエストブックから自分で探すこと。
○冒険者と依頼にはそれぞれランクがあり、冒険者は自分のランクより一つ上の依頼までしか受けることができない。ただしSランク以上の依頼は例外で、必ずSランク以上の冒険者にしか受けられない。
○ランクを上げるためには試験官と戦い、自身の実力を認めさせなければならない。なおこれもSランク以上のみ例外で、SランクになるためにはAランクになった状態で<騎士の門>を突破せねばならない。
○依頼に失敗した場合は、報酬として提示されている金額の二割を違約金として支払うこと。
○冒険者は基本的にギルドに所属する者であり、よってギルドの指示には従わねばならない。ギルドが指定して回す依頼は優先的に処理すること。また、緊急時はギルド傘下の傭兵として戦うこともある。
○Sランク以上になると義務や権利が大幅に増加するが、それについての詳しい説明はSランクになった際にギルドマスター直々になされるのでそれまで待つこと。
「かなりざっくりとしたものでしたが……お分かりになりましたか?」
「ああ、大丈夫だ」
「……そうですか。では、最後に魔力の登録と契約書へのサインをお願いします」
――しまった!
俺は思わず声を上げそうになってしまった。
なにぶん、二十年も前のことなのですっかり忘れてしまっていたが、冒険者となるには魔力の登録が必須だったのである。
あのときは、魔力を測定した時の診断表を持参していたので大丈夫だったが、今の俺にそんなものあるわけがない。
ここでもし魔力がないなんてことがばれたら――いろいろと面倒なことになる。
三十五年も生きてきたが、魔力がないと言う人間は俺以外には見たことも聞いたこともなかったからだ。
その希少性ゆえにボーガンとレーミルの関係性が疑われかねない。
「あの、こちらの水晶玉に触れていただけますか?」
「え、ああその……」
「何か?」
眉を寄せ、怪訝な顔をする受付嬢。
彼女はさあ早くと言わんばかりに、水晶玉を押し出してくる。
――ええ、ままよ!
俺はしかめっ面をしながらも、勢いよく水晶玉の上に手を置いた。
すると、驚いたことに水晶玉が青白い輝きに包まれる。
深海に降り注ぐ陽光のような、澄み切った美しい光が周囲を照らし出す。
受付嬢は顔を蒼に染めながら、惚けるようにほうっと息をついた。
「……驚きました、初めて見るタイプの魔力です。残念ながら、量はあまり多くはないようですが――」
――俺に、魔力があるだと!?
受付嬢の言葉に俺は思わず、その場で「はいッ!?」と変な声を上げてしまったのであった。