第一話 新たな名
0.
「しっかしまあ、見事なまでの良い女だな……」
おあつらえ向きに部屋の壁に嵌めこまれていた姿見。
それに映された自身の姿を見て、俺はため息を漏らさずにはいられなかった。
細く伸びやかな肢体。魅惑的なアーチを描くウエスト。いちいち揺れる量感たっぷりの乳と尻。
さらにその上に乗る、紅の瞳が目を引く悪魔的な美貌を誇る顔。
すべてが完璧な比率で構成されていて、一部の隙もないほどに完成されていた。
以前ふとしたことで大金を手に入れた俺は、街一番と名高い娼婦を買ったことがあったが――今の俺は「天女」と謳われていた彼女すら凌駕しているだろう。
さすがに長年に渡り磨き上げられた香り立つような色気はないが、素材としての美しさなら遥かに上だ。
これで見たところまだ十代後半ほどに見える小娘なのだから、我ながら末恐ろしい。
「見た目はいいとして、この身体は使い物になるのか?」
女が今後一切抱けなくなったのはショックだが、正直そちらよりこちらの方が俺にとっては重要だ。
この世界には戦闘職の女と言うのは相当数存在するし、歴史に名を残すような者もいる。
先ほど俺が倒した魔女なども、悪い例ではあるが最高レベルの強さを誇った人間だった。
しかし総じて言ってしまえば、女は男よりも戦闘力では劣る。
特に今の俺のような美しい女で強い奴と言うのは――非常に稀だ。
まあ、居ることは居るのだけれども。
もしこの身体が見た目通り虚弱なものだったら。
考えただけで俺はぞっとしてしまう。
ただひたすらに強さだけを追い求め、人並みの安定した生活も幸福な家庭も一切持とうとはしなかった俺の二十年。
来る日も来る日も決死の思いで戦い続けた俺の半生が、全て無に還ってしまう。
それは俺の今までのすべてが否定されるにも等しい事柄だった。
「……ふう」
胸を手で押さえて息を落ちつかせると、ゆっくり足を踏み出す。
薄暗い部屋の床全体に刻み込まれた、青白い光を放つ複雑怪奇な魔法陣。
その白い光線を踏みしめながら、俺は部屋の入口まで歩いてゆく。
そこには分厚い金属製の扉に寄り掛かるようにして、「俺の身体」が死んだときと変わらぬ様子で横たわっていた。
「気持ち悪いもんだな」
生気を失い、白眼を剥いた俺の顔。
元は二枚目と自負していたそれは、今では醜悪な物となり果てていた。
褐色の皮膚は緩んで皺ができ、紫に変色した唇の端からは汚いよだれが滴り落ちている。
全身血まみれで、大枚を叩いて買ったCランクにしては上物の革鎧からも、微かな死臭が漏れていた。
こうして変わり果てた自身の姿を見ると――俺は一度死んだのだと、改めて実感できる。
俺は今まで呪うことしかしてこなかった神に、ここで初めて感謝した。
「頂くぜ、俺」
自分で自分に祈りを捧げると言う奇妙な儀式を済ませると、腰に差されていた剣を引き抜いた。
ミスリル製のそれは、血濡れの状態でも錆びることなく冴え冴えとした輝きを保っている。
俺はその剣を正眼に構えると、一気に振り下ろした。
剣が風を切り裂き、やがて剣先が臍の延長線上のあたりでピタリと止まる。
そう、ぴったりと止まったのだ。
爪先ほどのズレもなく、俺が止めようと思った場所で剣先が見事に静止したのである。
俺はその事実に思わず息を呑む。
剣を一切のブレなく振るい、かつ止めるということは難しい。
それというのも剣にはそれなりの重量があり、それがさらに遠心力で増大されるため、振られている最中の剣には大きな推進力が掛かっているからだ。
それをわずかもブレさせることなく止めることは、鍛えあげた冒険者の筋力を持ってしてもそう簡単にできることではない。
そんな事が容易く出来たこの身体は――相当な筋力を秘めている。
「もっと試してみるか」
壁に手を押し当て、力を込めてみる。
すると古びて黴の生えていた石組が、たちまち軋みを上げ始めた。
石組の間から濛々と土埃が吐き出され、掌の当たっている部分を中心として次第に押し出されていく。
そうして十秒ほどもすると、壁の石はすぽんと抜けてしまった。
上半身が通り抜けられるほどの穴が出来て、壁の向こうで蠢く魔法陣がはっきりと見て取れる。
「……恐ろしいな」
思わず、額に美少女には相応しくない脂汗が滲んだ。
この隠れ家の壁は魔女によって魔法的な強化が加えられていたはずだ。
それをあっさりぶち抜けるとなると、生前の俺の倍以上は腕力がある。
ただの美しい花かと思っていたらとんでもない、鋭い棘を秘めた薔薇だった。
これだけの腕力、Sランカーでもなかなかいないかも知れない。
「ふふ……ははは!!」
恐怖のあとからやってきた喜びの奔流。
それを俺は抑えることが出来なかった。
ついに、ついに俺は願いを叶えられる身体を手に入れた。
この身体ならばきっと英雄になれる。
Bランク、いやSSランクになることだって夢じゃない。
身体全体を迸る歓喜、幸福、全能感!
誰もいない隠れ家の中で、俺は衝動の赴くまましばらく躍り狂った。
1.
隠れ家の奥にあったクローゼットを漁ると、この体に合う服が何着かあった。
魔女は俺よりも胸が小さかったから、胸元が少しきつくなるはずなのだが――そこもぴったりだ。
あらかじめこの身体に合わせて、服を用意していたようである。
一体どういう経緯で用意されていたのかは知らないが、俺にとってはついていた。
ただし、俺の本来の目的であった破光の剣はどこを捜しても見当たらなかった。
もとが噂程度の話だったので、仕方ないと言えば仕方ないだろう。
予想外の収穫も手に入ったことだし、これ以上は逆に望み過ぎかもしれない。
吸血蝙蝠のマントを羽織って、襟元の金ボタンをはめる。
流水のような感触がするマントはとても快適な着心地だ。
おそらく、俺の年収ぐらいはする高級品だろう。
俺は他にも服をいくつかを拝借すると、宝石箱にあった宝石もポケットに仕舞いこむ。
「必要そうなものも頂いたことだし……そろそろやるか」
今から俺は『俺自身を殺さなければならない』
死んだ人間が別の身体で蘇ったことなど、もし万が一にでもばれたら厄介だ。
ギルドや国の上層部などが食いついてきて、実験動物にされかねない。
そうならないようにするためには――俺を社会的に抹殺して、蘇った痕跡を消してしまうのが一番である。
俺は今日から、ボーガン・フォーリアとは全く無関係の何者かとなるのだ。
厨房に置かれていた大きな酒樽。
魔女は相当な酒豪だったのか、二つも置かれていたそれを両脇に抱えると、俺は隠れ家全体に酒をばらまいた。
床、柱、本棚――そして俺自身の死体。
それぞれ酒が芯まで入り込むようにしっかりと振りかけておく。
その中でも特に、俺は自分の死体に対して念入りに酒をかけた。
中途半端に焼け残って蛆虫にたかられるような事態は、出来るだけ避けたい。
そうして下準備を済ませた俺は、洞穴に偽装された入り口を出て火鉱石を鳴らす。
外の森はすでに薄暗く、頬を撫でる風はすっかり冷えていた。
――カチ、カチッ!
三回も叩くと、火鉱石は赤々と熱を滾らせた。
俺がそれを隠れ家の中へと放り込むと、気化したアルコールに引火して勢いよく炎が上がる。
夕闇に包まれた森を、煌々と光が照らし出した。
紅の炎が舞い狂い、隠れ家の中を焦熱の地獄へと変えていく。
支えの柱がたちまち炭となって崩れ、天井の一部が落ちた。
ドンッと大地を揺らすような鈍い音が、それを見ていた俺の脳天を揺さぶる。
きっとこの炎の奥では、俺の元の身体が燃えていることだろう。
「まさか、自分で自分を火葬することになるとはな……」
そう言っては見たものの、それほど悪い気分ではない。
燃え上がる炎は美しく、舞い落ちる火の粉は生命力に溢れていた。
それはとても神々しい物で、さながら天地創造の炎であるかのようだ。
炎は破壊も司るが、同時に創造や再生も司っている。
いま俺が見ている炎は、その側面が強いのではなかろうか。
「今度こそお別れだな、俺の身体。よく今まで頑張ってくれたもんだ、ありがとう」
決して能力が高いとは言い難い俺の元の身体だったが、それ補うかのように丈夫だった。
人間の身体の中でも、あれほど酷使されたものは珍しい部類に入るだろう。
そうだというのに、特に壊れることもなく俺の無茶な夢に付き合ってくれた。
これにはもう、感謝の念しかない。
「さて、今日からの俺は――そういや、まだ名前を決めてなかったな」
ボーガンは今ここで死んだ。
だからこの身体に似合う新たな名を考えねばならない。
そう思ったところで、俺は不死鳥にまつわる伝説を思い出した。
――永遠の輪廻を生きる伝説の不死鳥レーミルは、炎の中で死に炎の中で蘇る。
まさに今の俺の状況そのものと言えた。
炎の中でボーガンは死に、そして今の俺となって蘇ったのだから。
「よし決めた。今日からの俺はレーミル、レーミルだ!」
俺はそう高らかに宣言した。
鐘の音のような高く澄んだ声が、闇に包まれた森全体へと響き渡った――。