プロローグ 俺の蘇生
0.
俺の半生を一言で言い表すとするならば「闘争」というのが何よりふさわしい。
戦って戦って、ただひたすらに剣を振るい続けた三十五年。
ギルドに登録して過酷な依頼を請け負い、閉鎖地域へ足を踏み入れては魔物どもを薙ぎ倒し、武具を求めて遺跡を渡り歩いた。
何故ここまで戦い続けるのか。
どうしてここまでストイックに強さを求め続けるのか。
その理由は単純で、かつて俺を侮蔑し憐れんだ奴らを見返したいからだった。
魔力値0――魔法全盛のこの世界において、もはや呪われているとしか言いようがない俺の運命。
それを覆し、いつの日か英雄となって故郷に凱旋するのが俺の生涯の夢なのだ。
だが、それは所詮叶わぬ夢だったようだ。
死に際の魔女が放った、初級の炎魔法。
それにあっさりと焼かれてしまった自身の身体を見て、俺は思わずため息をつく。
ごく僅かでも俺に魔力があれば――死なずに済んだだろうに。
そう、小指の先ほどでも魔力があれば――!
1.
俺が生まれたフォーリアの家は魔法の名門だった。
父は国から「銀炎」の称号を頂く高位魔導師で、母は教会で聖女と呼ばれていた治療魔導師。
まさに絵にかいたようなエリート家系で、幼い頃の俺は乳母日傘で何不自由なく育った。
しかしある日、幸福だった俺の状況は一変した。
忘れもしない十歳の夏の日。
なかなか魔法を習得できない俺を見かねて、父がギルドから測定球を取り寄せた時のことだった。
「おかしいですな。全く反応がありません」
俺の魔力を測定したギルドの職員は、心底不思議そうな顔をしていた。
侮蔑も憐れみもなく、ただただ「おかしいな」と首を傾げていた。
魔力0は、可能性ですらあり得ないと否定されていることだったのだから。
「もう一度やってみろ。球の調子が悪いのかも知れん」
「はい、では――」
父とギルドの職員は、その後も何度となく俺の魔力を測り続けた。
しかし、結果はいつも同じで反応なし。
そしてその日の夕方、とうとう根負けした父は動揺する俺に対して「クズ」とだけ吐き捨てた。
魔力0――俺の呪わしい運命が発覚してしまった瞬間だった。
その日以来、俺は陽の当らない部屋へと押し込められてしまった。
父や母が俺の前に顔を見せるのは月に一度となり、その時はいつも憐れみと侮蔑の表情を浮かべていた。
俺は屈辱と羞恥と怒りに満たされ、毎日を自暴自棄に過ごしていた。
用もないのに夜遅くまで起き、昼間まで惰眠をむさぼる。
空虚で怠惰な、まったく意味を持たない日々の繰り返しだった。
そうして五年が過ぎたある日。
俺は唐突に父に呼び出された。
十歳の時より若干白髪の増えた父は、憐れみの中に侮蔑を押し込めたような表情で告げた。
「家を出て行け」と。
「なんでだ、なんでだよ父さん!」
「我が家にお前のようなものはいらん。それだけだ」
冷徹に言い放つ父。
その態度と言葉に俺は怒り以前に、どうしようもない情けなさと不甲斐なさを感じた。
それは何とも黒くて嫌な感情で、俺はたまらず父に背を向ける。
「わかった、出て行くよ。それで、いつかあんたを見返してやる……!」
俺はそう言い残すと、自室へ戻って荷物をまとめた。
そしてそれを手に、半ば逃げ出すようにして屋敷を出て行く。
屋敷の門をくぐった時の俺は、言葉では言い表せないほど惨めな気分だった。
2.
家を出てから十年。
冒険者ギルドへ登録し冒険者となった俺は、Cランクまでランクを上げていた。
ギルドには最上位のSSから最低のFまで全部で八つのランクが存在し、Cランクと言えば中堅クラスである。
冒険者としてプロを名乗ることが許され、世間的にも一人前と見なされる。
俺は十年間かけてようやくここまで辿り着いた。
一般的にはFからCまでは一年でワンランク上がるとされている。
俺の成長は、普通の人間からしてみれば遅すぎるくらいだっただろう。
しかし、俺としてはゆっくりだが着実な成長に満足していた。
この世界の冒険者は、四十代なかばほどで引退する。
当時まだ二十五歳だった俺は、ゆっくり成長していけばいいと思っていたのだ。
けれど俺の成長は――そこで長い長い停滞を迎えてしまった。
BとCの壁。
冒険者たちの間でそう呼び慣わされているランクの壁がある。
これはBランク以上になると魔法を用いる魔物などとの戦闘が求められるためで、Bランクへの昇格条件はCランクまでとは比べ物にならないほど厳しい。
俺はこの壁に見事なまでにぶち当たり、そしていつまで経っても超えることができなかった。
『最古のCランク男』
Cランクになって六年目には、こんな不名誉な二つ名まで付けられてしまった。
そうして迎えたCランク十年目のある日のこと。
もはや完全に顔馴染みとなってしまったCランク担当の受付嬢が、俺にとっておきだと言ってある依頼を回してきた。
それは『七罪の魔女』と呼ばれるSSランク犯罪者の討伐依頼。
本来ならばとてもCランクの俺に回されるような依頼ではなかった。
「おいおい、ギルドもいよいよ俺のことがうっとおしくなったのか?」
「そんなことあるわけないでしょう。あなたほど丁寧に仕事する人は少ないんだから」
「じゃあ何故だ。俺はCランクだぞ」
俺がそう強く言うと、受付嬢は愉しげに眼を細め、からかうように笑った。
いつも思うことだが、この女は受付嬢などよりも夜の蝶の方がよほど似合う。
色っぽくて胸もでかいから、さぞかし人気が出るだろうに。
「実はね、この『七罪の魔女』はいま瀕死らしいのよ。無茶な禁術の行使が祟って、身体がボロボロらしいわ。ネタの出所はSランクの赤鷹だから確実よ」
「だからといって、別に俺である必要もないだろう」
「あなた欲しくないの、破光の剣」
「ッ!?」
破光の剣――それは長年に渡り俺が探し求めている伝説級の剣だ。
かつて光竜と呼ばれるSSランクモンスターを斬ったとされ、大気中の魔力で発動すると言うことが最大の特徴の魔剣。
魔力を持たない俺にとっては、まさにうってつけの剣だった。
もしこれを見つけることができれば――Bランクになれる。
俺は思わず喉を鳴らした。
「この魔女が剣を隠し持ってるって噂があるわ。私だって、あなたを応援してるのよ。この依頼だって、本来はBランクだったんだから」
「ありがたい」
「じゃ、よろしく頼むわね」
「おう!」
こうして俺は魔女の隠れ家がある閉鎖地域<仄闇の森>へと赴いた。
ようやっとBランクになれるのではないかと、早くも心を弾ませながら。
3.
受付嬢の言った情報に誤りはなかった。
二十代半ばほどに見える魔女は瀕死で、隠れ家のベッドの上でその白く細い喉を上下させていた。
しかし、俺にとって不運なことに――魔女は抵抗できないほどには弱っていなかった。
「クソ、俺は死ぬのか……」
魔女の身体を剣で貫いたと思った瞬間、俺の身体を炎が焼いた。
無詠唱かつ無印の魔法――俺には到底不可能な、天才がのみ為せる技だった。
不意を突かれた形となってしまった俺は、その炎魔法で身体の過半を焼かれてしまった。
魔力がないゆえに魔法に対する抵抗性を持たない俺の身体は、驚くほどよく燃えたのだ。
魔女は最後の力を使い果たしたのか、剣をさらに押し込むとあっさり息を引き取った。
しかし、俺に残された傷は深刻だ。
左半身の皮膚がほとんど焼け爛れ、剥がれ落ちてしまっている。
そこからとめどなく鮮紅色の血が浸み出して、焼けた鉄のような香りが鼻を突いた。
意識が朦朧として、身体のバランスを取ることですら辛い。
今すぐ治療魔導師の元へ駆けこめば命は助かるかもしれないが――閉鎖地帯のど真ん中にあるこの隠れ家にあっては、もはや俺の生存は絶望的だ。
「何か、何かないのか……」
血を垂れ流しにしながら、岩で出来た通路を彷徨う。
ここは魔女の隠れ家、もしかしたら秘薬の一つでもあるかもしれない。
俺はそんな気休めにもならないような望みにしがみつきながら、必死に足を動かす。
まだだ、まだ死にたくはなかった。
生き残って強くなって、誰もが認める英雄にならなくては。
俺を侮蔑し憐れんだ奴らを見返すその日までは――死ねない!
そうしてたどり着いた、隠れ家の最深部。
そこにあった如何にもと言う雰囲気の分厚い金属製の扉を、俺は執念で押し開けた。
だがそこで、執念もむなしく俺の命は――尽きた。
誰にも看取られず、ひっそりと暗い地の底で、無残な骸と成り果てたのである。
しかし、それから数時間後。
俺は何事もなかったかのように目覚めてしまった。
そう、目覚めてしまったのだ。黄泉の底から。
俺の身を焦がさんばかりの強い執念が、魂を現世に呼び戻してしまったようである。
ただし俺が目覚めたのは、元の屈強な男の身体ではなく――扉の先に寝かされていた得体の知れない身体だった。
「何だこの身体……ち、声まで高い!」
破璃の鈴が鳴るようなソプラノの美声。
肩から流れる銀髪は艶やかで、さらりと指が抜ける。
少し顔を下げれば目に飛び込んでくる、手で掴み切れないほどの柔らかで豊かな膨らみ。
恐る恐る下半身へ手をやると、あれはなくなっていた。
俺、ボーガン・フォーリアは――女として蘇生してしまったらしい。