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「あー疲れたー何だよあの女ー」
二階にある自分の部屋に行くのが億劫でリビングの絨毯の上に寝転がる。幸い、行儀の悪さに厳しい両親は仲良く夫婦二人で旅行に行っている。俺も誘われたのだが、高校生にもなって両親と旅行に行くのがだるくて断っていた。
横になっていたらさすがに眠くなってきた。時計を見るともう午前二時過ぎだ。
ピンポーーン。
自分の部屋に戻ろうと、階段に足をかけた瞬間、ドアチャイムが鳴り響いた。
ピンポーーン。
もう一回。
こんな時間に誰だろう?まさかあの女が?しかし家は知らないはずである。では誰が?やっぱりあの女以外に考えられない。
ピンポーーン。
規則正しい間隔で鳴るチャイムに、俺は戦慄を覚えた。
ピンポーーン。
俺は意を決して、インターホンのカメラ画面を覗き込む。そこに映っていたのは、やっぱりさっきの女だった。背が小さすぎて頭しか映っていないけれど、頭に付いたフリフリ飾りはあの女以外有り得ない。
俺は音を立てずに玄関に近づいていった。
「うっ……ひっく……」
ドア越しに小さく声が漏れてくる。
「ううっ……うえっ……開けてよお……」
もしかして、泣いているのだろうか。
「うえっ、えっ、なんかここ、ひっく、駅前にマンキツもないし、人もいないし、ひっく、暗いし、怖いよおー」
いつの間にかチャイムの連打は止まっていた。
「うえっ、このままじゃ、ひっく、”組織”に捕まっちゃうよおー」
組織とやらは有り得ないだろうが、このまま放置して悪漢にでも襲われてしまったら寝覚めが悪い。殺人事件の被害者になって後日ニュースでそのことを知ってしまったら、俺は一生自分を許せないだろう。
不幸な妄想は止めどなく溢れ、それを断ち切るように俺はドアノブに手を伸ばした。音を立てないように鍵を開け、薄く扉を開く。
「ゼウス!」
俺が名乗ったのはデウスだったが、この際どうでもいい。女はドアの隙間に足を滑り込ませて無理矢理入ってこようとする。気持ち悪い動きだ。
「ひぃっ!さっきまでの涙は演技だったのか!?」
「演技だなんて失敬ね!由緒正しいれっきとした技よ!必殺技“レイヒェン・パンツァー”女にしか使えない最終手段よ」
俺はドアノブが取れるんじゃないかってくらい必死に引っ張ったのだけど、女の靴が邪魔でドアを閉め切れない。この靴、なんかめっちゃ固い。ただの黒いブーツに見えるのに、ドアが当たる度に布とは思えない音がする。まあ、女の足が傷つく心配しないでいいので安心だけど。
「デウスー開けたんなら入れなさいよー」
「いや、そのつもりだったんだけどさ……なんか必死すぎて、つい」
女は靴一個分の隙間から入ろうとして顔を押し付けてくる。ほっぺたの肉がちょっとだけこっちにはみ出している。このままドアを引っ張リ続けても埒が開かないと思い、俺は手を離した。
「ひゃうんっ!?」
女は反動で後ろにひっくり返った。大きく尻餅をついたかと思うと、尻の柔らかさをバネにして(?)そのまま起き上がった。なんという身体能力。起き上がった勢いそのままでドアに飛びつく。
「デウス!」
ガシャンッ!
チェーンがかけられたままのドアを見て呆然とする女。そう、俺は最初っからチェーンロックを外していなかったのだ。別に計算していた訳ではなく、俺自身すっかり忘れてドアを閉めるのに必死になっていたけれど。
女は下を向いてぷるぷると震えだした。また泣かれたらめんどくさいので、そろそろ開けようかと考えていたら、女は奇妙な行動に出た。
ゆらゆらと体を左右に揺らしながら、両腕を広げ波のように動かし始めたのだ。
かと思うと、突然俺の方に向き直り、勢い良くドアの隙間に滑り込んできた。
「これぞ!女にしか使えない拳法!“秘技・間接外し”!」
女はそんな事を叫びながら、右腕と肩、それから少し時間をかけて胸の辺りまでをねじ込んできたが、腰とでかいスカートと頭はどうしても入らないらしい。
「つーか、間接外せても頭が入らなきゃ無理じゃね!?そもそも外れてないけど」
「う、う、う、うるさい!頭蓋骨も外れるし!」
「それは気持ち悪いからやめて欲しい」
そもそも頭蓋骨外れたら脳みそが駄目になって死んでしまう。
「ほら、今開けるから、ちょっと外出て。しっしっ」
俺は犬を追い払う仕草をした。もともとすぐに入れてやるつもりだっのに、必死すぎてつい抵抗してしまった。そのことについてはちょっとだけ反省してる。
「そんなこと言って、出た瞬間に鍵かけるつもりでしょ?」
女は涙目になって俺を見上げてくる。その顔は化粧がとれて目のまわりが真っ黒だった。さっきのは嘘泣きじゃなかったのだ。
「そんなことしないから。これ、一旦閉めないと開かないの。分かるでしょ?」
俺はチェーンを掴んで子供に言うように優しく説明する。しばらくドアに挟まった後、女は渋々体を引いた。
「…………」
ドアを閉める。一瞬、このまま鍵をかけてしまおうかと考えた。
「もし開けてくれなかったら、ヤリ逃げされたーって大声で泣き叫んでやるんだから」
俺は鍵に掛けた手を離し、チェーンを外した。
「そんなことする訳ないじゃないか!やだなあーもう、ははははは」
女は無言で俺を一瞥すると、勢いよく開かれた扉の中へと足を踏み入れた。そのまま何も言わずにすすむ女の首根っこを捕まえて、俺は言った。