聖王国に響く呪い詩(序章)
とある神権国家での内乱、その中で右往左往する人びとのお話です。
短編ですが、内容は長編のプロローグ的。
呪言尼僧は詩を詠む。悪魔を呪う詩を詠む。
そのためだけに建てられた、悪魔を呪う神殿で。
聖なる呪いを紡ぐため、呪われた祝福を謳うため。
編み上げられた呪いの言葉を、人ならざる禍き者どもに捧ぐため。
呪言尼僧は詩を詠む。悪魔を呪う詩を詠む――
――往古、一人の僧が問いを発した。
なぜ、神の子たる我ら人間が、他を罵り嘲り、貶めるような言葉を使うのか? 否、“使えるのか?”と。
神が万能であるならば。どうして人に、そのようなことを為す力をお与えになったのか、と。
天に召します我らが父よ。ご覧あれ、地に這う我ら人間を。
人は人を貶め、それをもって自らの優位、絶対性を確認したつもりになってはほくそ笑む。
このままでは。万能たる貴方様をも罵り貶め、満足を得ようとする者も生まれましょう、と。
僧侶は何年も苦悩した。いかなる方法を持ってすれば、人は人同士が分かり合うために神より与えられた“言葉”という力を、正しき形で運営できるようになるのか、と。
悩んだ末に僧は、真理を求めて漫遊の旅に出た。
幾年頭をこらしても答えにたどり着けぬ問い。それは自らの生まれ育った地、自らの知る文化でのみで答えを得ようとするからではないのか。この文化自分の未だ知らぬ土地、自分の未だ知らぬ文化にならば、その答えがあるのではないかとの、一縷の淡い希望を心の支えに。
しかし、僧侶が目にしたものは、世界各国あらゆる地に存在する卑語、他者を貶める言葉、言葉、言葉。
ああ何故、と。
僧侶の苦悩は、旅立つ前よりもなお深いものとなった。あまりの苦悩に僧侶は絶望して体調を崩し、病に伏せた。僧侶の徳を思えば、神に奇蹟を乞い願えば治らぬ病ではなかったが、僧侶はあえて病をそのままとし苦痛の中にその身を置いた。
しかしある日、僧侶は人々の要請により病床より這い出て、魔物の討伐に赴いた。
しかもその魔物とは、天然自然の中で人間の驚異となる肉食動物の延長上のような、気まぐれの天災のような類のものではない。
ただ生まれ付いた時より他生物より魔力的・肉体的に優れていた強大な自らに溺れた邪悪なものども。
糧にする訳でも自衛のためでもなく、知恵を持つが故に自尊心も持つ人間をなぶり、その人間が苦痛にうめく様、無様に死にゆく姿をあざ笑うため、ただ慰みとして弄び殺す、真実“魔”と呼ぶに相応しき存在たち。放置すれば、間違いなく人の災いとなること疑いない類の存在である。
僧侶はそれまで行わなかった、自らに神の癒しを願いて病魔を癒し、これに立ち向かった。
僧侶は元より徳高く、また協力者も得てこれを討伐した。
そうして死した魔物に、討伐を要請した人々は手に手に石を持ち、罵りながらこれに投石した。
人として決して誉められた所業ではない。だが、人々が彼の魔物に受けた被害の甚大さを思えば、やむなき事かと僧侶は嘆息し――そして、唐突に半生掛けて問い続けたものの答えを得た。
人に害を為す者。人を貶める者。そうした存在に、立ち向かえるくらい雌高な力を持つ者ならば良い。だが人には一人一人役割というものがあって、その生まれや生きるためにある程度人生が決定している境遇の者には、力を磨くことすらままならぬ者もまた存在する。
では、そうした人々はどうすれば良いのか。黙って踏みにじられるしかないというのか。
そうではない、と僧侶は思う。
人間は木像ではない。自らの心を保つため、図らずもそうせねばならないのだと、僧侶はこの時ようやく気づいたのだ。
ならば。人が人を罵らないようにすれば良い。
僧も少なからず人間世界を見てきた。ゆえに、人間が清廉潔白で魔物のみが邪悪であるなどとは言わぬ。むしろ、自然に生きる魔物の中には、文明の負の部分に冒された人間よりもはるかに素朴で純真な種族もいるだろう。
だが世界には人よりも強大で、そして人よりもなお邪悪で救い難き魔物どももまた間違いなく存在する。さらに高次元に目を向ければ、人を容易に誑かし貶める、純粋なる“魔”たる者さえ。
人が万物の父より、何かを罵る言葉、呪う想いを与えられたのは、人同士が互いを貶めるためではない。人の身ではどうにもならぬ強大な者に、せめてものと与えられた、ささやかながらも立ち向かう武器であるのだと。
人間は元より、神にすら仇なし災いをもたらす悪、妖、魔。罵り呪い憎む力は、そうした神敵にこそ向けられるべきである。
僧侶はそう考えると、人間が呪い罵るための力を正しく悪魔に向けられるようにするため、人々を導く集団を組織すべく動き出した。
そうして組織されたのが、九人の呪言尼僧たちである。
呪い、憎む気持ちは安易に浮上し、なれど容易に制御できぬ力。そのため、これらに適した者は潜在的に魔術へ長けた女のみ、頑健さに優れる一方で魔術の適正が女より劣る男は禁制とされた。それがための、九人の尼である。
呪言尼僧は詩を詠む。悪魔を呪う詩を詠む。
そのためだけに建てられた、悪魔を呪う神殿で。聖なる呪いを紡ぐため、呪われた祝福を謳うため、編み上げられた聖呪の言葉を人ならざる禍き者どもに捧ぐため。
呪言尼僧は詩を詠む。悪魔を呪う詩を詠む――
「呪言尼僧? ああ、いるかどうかも分からない悪魔を罵り続ける女どもでしょう? いいですよねえ、神殿の奥で、悪口言ってりゃ飯が食えるお偉い女僧侶様どもは」
男は、鞘に収まった剣で自らの鎧の肩当てを軽く二・三回叩いて、悪態をついた。
「選定だの何だの、俺ら俗界の人間に任せて、生涯奥で悪魔に呪いを紡いでれば良いものを。何に色気付いて神殿の奥から出てくるのやら」
「言葉が過ぎるよ、ジョルジュ。姫殿下とて、前法王様がご壮健であらせられれば呪言尼僧の一柱となられていたんだ」
「正直、姫殿下が呪言尼僧になんてならずに済んでホッとしてますよ。あの方は、神殿の奥で何かを罵り続けるような陰気な人生を送って良い方じゃない」
やれやれ、と、ジョルジュと呼ばれた男に話しかけた青年は溜め息をついた。しかし、その言葉を真っ向から否定できないのがまた、青年の微妙な心理を物語ってもいる。
姫殿下が呪言尼僧になどならずに済んで良かった、と。
青年もまた、まったく考えない訳ではなかったのだから――
「それでは、フィリップ隊長。姫殿下の警護、お願いいたします」
「ああ、任された」
敬礼する部下に微笑みかけると、フィリップはミシェール城の回廊で、部下とは別の道、仕え護るべき姫殿下の元に向けて歩きだした。
先日、ルクセナール大陸にあるひとつの王国が分裂した。
王国の名は聖ミラトラス、分裂した理由は王位に何者を据えるかによる諸勢力の悶着。俗界によくある話であった。
レリアは、そんな分裂した勢力の一角を担う聖ミラトラス王国の姫である。
聖ミラトラスは神権国家であり、最高統治者は法王と呼ばれ、法王位継承は、法王を選定する権限を持つ九人の神官たちによって決定される。今回はその制度と、選定権を持つ神官位が一人欠いたために起こった内部分裂だった。
法王は選定神官によって選ばれ、選定神官は法王によって選ばれる。法王が決まらぬままに、神官の数が八人のまま二人の法王位候補に支持者が四人ずつ、真っ二つに分かれて膠着し、泥沼の体を成したのだった。
二人の法王候補は、前法王の叔父と娘。
本来、聖ミラトラスは俗界の欲を否定する僧侶たちの治める国であり、血の繋がりは統治者にとって絶対的な条件にはなり得ないことになっている。
だがそれはやはり建前に過ぎず、先代の築いた基盤が血縁に受け継がれる現世の習わしを取り払うだけの強制力は有していなかった。
その意味で言えば、聖王国の統治に関わる貴族のほとんどは、基盤をしっかりと持つ前法王の叔父、イシュメリスに味方した。
しかし、前法王の直轄地を統括する官僚や直属の大臣、親衛隊といった者たちは、その名声と人柄を慕い、王国の旧臣たちの内、かなりの者が前法王の娘、レリア姫の元に再結集した。
この方を次代法王として奉り、人々に呼びかければ、聖王国の再建も夢ではない――
姫殿下の名で呼び慕われたレリアの元に集った、旧臣たちの誰もがそのことを疑わなかった。
そんな旧臣の中に、深緑の鎧に身を包み、叩き潰すのではなく切り裂くことを主眼に置いた“カタナ”という東方の地の得物を扱う戦士がいた。
名は、フィリップという。扱う武器と同様、本人もまた東洋系の顔立ちをした青年で、かつて聖ミラトラス王国が分裂する以前、レリア姫の護り手として近衛隊の長を勤めていた。
聖職者として汚れのない象徴、白色をもって基調とする鎧が常の聖ミラトラスの神聖騎士団、分けても法王の信任なくば就任叶わぬ近衛隊の中にあって、異端扱いされてもおかしくない別色の鎧を纏い、それでもなお信任を得てその側に侍ることを許されていたのがフィリップだった。
フィリップがそれだけの信任を得ている理由には、まず単純に、高い実力が上げられる。
当然のことながら、弱者に貴人の守は勤まらぬ。貴人に害意を抱く者、不可抗力の災害、そういったものから護衛対象を守れぬようで、近衛兵を名乗ることなど許される筈もない。
そして、絶対的な忠誠心。実力が高くとも、信用できぬようでは話にならない。貴人を守るべき筈の人間が、貴人を害する危険性を有しているのは論外である。
その点で言えば、フィリップはいかな時にも品行方正で貴人の機嫌を損ねたことがほとんどなく、また数少ない例を取ってもそれは明らかに貴人の方に問題があった時だけだった。そして貴人に危害が及ぼうとした際には、常に自らの命を度外視して盾となり、これを防いできた。
それは近衛隊であれば当然、という者も当然いる。しかし理想としてそれを掲げても、実際にできるかどうかということになるとまた話は別である。それに同じできるにしても、度合いもあった。その点で言えば、フィリップは間違いなく滅私の名に恥じぬ忠節ぶりであった。
そうしてフィリップは、誰からも反対されることなくレリアの近衛騎士団長になることになったのだった。
「フィリップ。いつもいつも、私を護衛してくれてありがとう」
「もったいないお言葉です。このフィリップ、感謝などしていただかずとも一命を賭して姫殿下を災厄よりお守りします。どうか、御心安らかに」
「うん。頼りにしてるわね」
聖王国首都、ミシェール城の一角。レリア姫が王族として諸事を執り行う執務室にて。晴れ渡った日の夜空に輝いているかのような月色の髪を所持する主の、南海の澄み切った海がごとき翠玉色の瞳に見つめられて。フィリップは、深々と臣下の礼として頭を垂れた。
美しい、などという言葉程度では到底足りぬ。幻想的、と付け加えてもまだ遠い。世界史にすら名を残せよう程の、入神の域に到達した名工が。“美”というテーマをもって生命掛けで削りだした生涯における最高傑作の石像とて、なお姫の見目麗しさには及ぶまい。
作品というならば。彼の姫君こそ、美や芸術の神々が人間という生命を素材に作り上げた最高傑作。それが、人間の芸術家ごときに超えることはおろか迫ることすら叶おう筈もない。
ああ、それだけの、可憐なること天上の福音がごとき姫君から、信頼されているこの恍惚。
そしてなにより。
その、信頼されている私から裏切られた時の貴女様のお顔を想像するだけで――
裏切る時はどのように裏切るか。人気のない所で剣を抜き放ち、なぶり殺すか。それとも、弄んでみるか。
あぁ、その時この方は、どのような態度を見せてくださるのだろう。
絶望に歪むか。無表情となられるか。あるいは普通に泣き叫ばれるか。
呪言尼僧に欠員が出れば、法王によって次の僧が定められる。だが前法王は、崩御する前に決め損ねていた。本来ならば次の呪言尼僧は、この現世の水準にありえざるほど玲瓏な姫君が担う筈であったのだ。
ああ、呪言尼僧となるべき筈だった至高の芸術品たる姫君よ。本来ならば悪魔に向けられるべき呪いの言葉、それを紡がれるべき薄桃の可憐な唇から、悪魔ではなく人間を罵る言葉が憎悪や絶望に歪んだ表情と共に紡がれたなら。それはいったい、どれだけ背徳に満ちた光景となりうるのだろうか。
それを想像するだけで、私は――
「私ごとき無頼者を、信頼してくださる姫殿下のお心遣い――」
そう。ほかの誰にも、その楽しみは奪わせない。
だから、守る。あらゆる災厄から、この姫君を。全身全霊で、必ず。
何故ならば。彼の至高なる天上の最高傑作を汚して良いのは、このフィリップだけ。貴女の心に焼き付かれるのは、この私の名前だけ。
たとえそれが悪魔の名であろうとも、紡がせるには値せぬ。憎しみに満ちた呪い詩であったとて、貴女の口から紡がれるのは、私の名だけであるべきなのだから――
「――報いるに、私の全身全霊を持ってお側に侍ります」
試しに以前書いたファンタジーものをアップさせていただきました。
登録・評価・続きを期待してくださる方が一人でもいたら、なろうでも書き慣れたファンタジーで連載を、とか考えてます。
……いないかなー。