こんな恋のはじまり
その日は、寒かった。今年一番の寒波に見舞われ、いつも以上に寒かった。
コートのポケットに手を突っ込み、駅でトイレに行っておけば良かったと後悔しながら歩いていた。
家に向かう角を曲がったところ、ちょっとしたドラマがはじまっていた。
同じ年くらいの北高の制服を来た男女が、立ち止まっている。
雰囲気的に、これは? 告白? 青春だねぇ。
少し考える。家の門の前。
今、俺が、「ちょっと、ごめんよ。俺ン家なんだわ」と入ったら、雰囲気ぶち壊しもいいところだろう。ということで、野次馬根性を捨て、親切心を共にトイレの為にちょっと近くの友人宅へ寄り道をすることを決めた。
告白が成功するといい……。
「俺より強い女と付き合うつもり、まったくないから。お前、好みじゃないし」
おい! 人ン家の前で、あんた振るのかよ!
いいじゃん。付き合っちゃえよ。
思わず、親切心はどこかへ行き、振り返った。
おい、おい。今度は黙ってるよ。なんだよ。この無言の時間は。気まずすぎないか? そこの見知らぬ二人、何してんだよ。解散するとかさぁ、走り去るとかさぁ、何かしないと。
この角度から見える彼女は結構可愛い。まぁ、好みってものが人それぞれあるだろうけど。男のほうは後頭部しか見えないから、どんな顔してるかわからない。
でも、告白してくれてんのにさぁ、振るなら振るで、ほら、もっと、なんかあるだろう。何故にそんな言葉をチョイスするのかねぇ。もしかして、あんた告白を腐るほど受けてんのかよ!
そんな思いをしたことのない俺への新手の嫌がらせか?
進展もないようだし、そろそろ俺もやばいし、かなりトイレに行きたいし。やっぱり家だな。もう見えてんだから、家が。それに俺が家に入ったら解散するかもしれないし。
一歩前へ踏み出した時、また二人の会話が始まった。
――入るに入れん。
もうどっか、場所を移してくれませんか。
そう思って、二人のほうを見る。すると一瞬、彼女と目があったように感じた。思わず電信柱に隠れる。
しまった、隠れる必要ないじゃないか。これだと、堂々と家に入れないじゃないか! 間抜けにもほどがある。いかにも立ち聞きしていますって感じだぞ。
「強いって、どういう意味?」
おい、そこ、突っ込むな。突っ込むところじゃない。
「ブってんの? 言葉のまま、そういう意味」
感情も何もこもっていない声だな。なんかムカツク反応。
どこがいいんだ? この男の?
彼女、変わった趣味だな。
「そっ、わかった」
「そっ」て、あんた「そっ」って、それでいいの? そんなんでいいの?
「じゃぁ、俺。帰るわ」
なんだ、あの男。何事もなかったかのように、男は歩いていった。
うちの近所のやつかなぁ。後姿を見ても見当がつかない。
さて、そろそろトイレへ。女の方は、まだその場に立っているが、もう無理。
そろそろ――。
「ちょっと、そこの人」
電信柱から出ようとしたら、彼女が口を開いたので思わずそのまま隠れる。
そこの人? 俺以外に誰かいるんじゃないかと思ったりしてみた。
「そこの電信柱に隠れているつもりの人」
電信柱に隠れているつもりの人?
あぁ、やっぱり俺か。もういいよな。とりあえず、家に入ろう。
彼女に何か言うのも変だし、言うのもおかしいし、無視して家の門を開ける。
「ここ、君ん家だったの?」
「だったのです」
話しかけられたので、思わず返答してしまった。
玄関の鍵を開けて、ドアノブをつかんで開ける。
「私、今フラれたんですけど」
何が言いたいんだ?
「そう、見たいですね」
どういう顔を良いのかわからず、微笑むわけにもいかず、真顔で答えた。
「中に入れてくれる?」
「どうして?」
いつの間にか、門の中いるし。
「かわいそうでしょ」
「それとこれは関係ないでしょ」
俺は玄関で急いで靴を脱ぎ、カバンを廊下に投げて大急ぎでトイレに駆け込んだ。
トイレから出てカバンを取りに戻ると、彼女が玄関に立っていた。
しまった、トイレに気をとられていて、かぎ閉め忘れた。
「あの、怖いんですけど」
「運が悪かったと思って」
「……思えません」
「一部始終見てたんでしょ」
見てました? この場合どうすれば、いいんだ?
「あのさ、常識として考えて下さい。あなたがここにいるのって、とっても、おかしい事ですよね」
とってもを強調して言ってみる。
「そう? たまたまよ」
ふてぶてしく言ってくる。繊細とかそういう言葉をどこかに忘れて来たんだな。
「そう、たまたまうちの前で告って、たまたま振られたんですよね」
あまりの態度にだったので言ってしまった。が、彼女は動じず「のど渇いたな」と関係のない返事が返ってきた。
「水飲んだら、帰ってくれます?」
「どうでしょう?」
疑問に疑問を返すな。
とりあえず、コップに水を入れる。
何してるんだ? 彼女のペースに巻き込まれているぞ。
彼女が言ったとおり、運が悪いと思えばいいのかぁ。
――って、思えるか!
おかしい。出て行ってもらおう。怖すぎるし!
かなり気まずいし。新手の押し売りかも知れないし。……それだと、かなり手が込んでるなぁ。
とりあえず俺は決意し、玄関に戻った。
――うずくまっている。
そして、泣いてる?
いや、あれだけふてぶてしかったら、涙なんて――。
「腹でも痛いの?」
「……そうよ」
……鼻声。
やっぱり、泣いている――。
彼女は泣く場所を探してたのかもしれない。
見ず知らずの他人の家にまで、上がりこんでまで、泣かないといけないって……強がるにも程があると思う。誰にも、弱みを見せたくない。泣きたくても、誰かに見られたくない。あの男に、振られたときも、別に気にしてないわと気丈だった。
俺が知らない人で、もう二度と会うこともないかも知れないとの事で安心出来たのだろうか。声をかけることも、何かをしてやる事も出来ず、間抜けにも水が入ったコップを持って、ただ玄関で立っているだけだった。
「ありがとう」
どのくらい時間がたったのだろう。
うずくまっていた彼女が立ち上がった。
彼女の眼は赤く、泣いていたのが一目瞭然だ。
呆然としている俺の手からコップを受け取り、水を飲んだ。
「――はっ、腹痛いのおさまった?」
どうしていいかわからず、言った言葉がこれだ。もっと気の利いた言葉があるだろう。やっぱり、俺は間抜けだ。
「……まぁね。ありがとう」
彼女は少し驚いた顔をしたが、微笑みながら俺にコップを返してきた。
驚く事でもないのに、その一言に驚く。
「どういたしまして」
コップを受け取ったのを確認すると、彼女はカバンを持ってドアノブを握った。
「じゃぁ、帰るわ」
「えっ、あっ、うん」
もう外に出ても、平気だろうか。
「ありがとう」
そう笑顔を残して、家から出て行った。
「俺より強い女と付き合うつもりまったくないから」という、彼の言葉を思い出す。
彼は何を見て、彼女を強いと言ったのだろう。
男でも、女でも本当に強い人間っているのだろうか。
本当に、彼女は彼が言うように強いのかもしれない。むしろ強いと思ってもらえることを望んでいるようにも見える。でも、俺には彼女が精一杯鎧を着込んで、強がっているだけに見えた。
一度あっただけの俺でも分かるのに――。
彼女が去った玄関をしばらく見つめていた。
俺の脳裏には、彼女の赤い目と、無理をして笑った顔が焼きついていた。その笑顔をしばらく忘れることは出来ないだろう。
次、もし彼女と出会うことがあるのならば、次は彼女の幸せな現場に立会いたいなと思った。
ずいぶん昔に持っていたサイトで公開していたお話です。