09. わかりあえない二人
二階の扉につけられたドアノッカーを打ち付ける。しかし応えはない。夫人が紅茶を渡しに行った後だ、寝てしまったとは考えにくい。レットはもう一度強めにノッカーを叩きつけたが、やはり物音ひとつしない。レットは諦めて「失礼します」と一声かけて部屋に入った。
探偵はすぐに見つかった。暖炉の前の安楽椅子に腰掛けて、目蓋を閉じて背を預けている。リラックスしているようにも、何かを思案しているようにも見える。残念ながら「推理ポーズ」のようなものはしていなかった。左手はだらりと膝の上に投げ出され、右手は安楽椅子の肘掛けに置いてある。
「これが安楽椅子探偵ってやつか」
レットの独り言に「残念ながら私は現場に出るタイプだ」と片目だけ開けて探偵は答えた。驚くよりも、隙の無い振る舞いに感嘆すら覚える。
「そちらのソファに」
「失礼します。しかし、現場にはいかないので?」
示された通りにレットは一人がけのソファに腰を掛けた。他に二人用のものと一人用のものがあるので、おそらくここはウィリアムと探偵の共有スペースなのだろう。
目が眩むようなバーガンディの壁紙に描かれた模様は何を示すかレットにはわからない。同じように敷かれた重厚な絨毯の模様もだ。
「行くつもりだ。だがまだ朝早いだろう。どこに行くかはわかるか?」
「解雇されたボーシェ子爵の侍従たちのところでしょうか」
ヒステリックを同時に起こしたという四人のご令嬢も気にはなるが、平民が訪ねていっても門前払いされるだろう。となれば、情報収集しやすいのは事件が起きたときその場にいた侍従たちだ。
レットの言葉に「当たりだ」と不満げに探偵は鼻を鳴らす。
「では出直しましょう。ここにご厄介になるわけにはいきませんので、時刻と場所を指定して現地集合というのはいかがでしょう」
「……君は商売っ気がないな」
探偵が足を組んで呆れた顔をする。「はあ」とレットは困惑した。商売っ気とは。それからようやく目の前の男がインタビュー嫌いの稀代の名探偵だと思い出した。根掘り葉掘り情報を引き出そう記者に何度も追いかけられたに違いない。
過去に大手新聞社のインタビューに応じたが、探偵は担当記者にブチ切れてそれ以来そのような仕事は受けなくなったという。助手であるウィリアムもまたそのような仕事は受けていない。おそらくは探偵が嫌がるからだ。
「……ではお好きな女性のタイプを教えてください」
レットは懐から手帳を取り出した。鉛筆を手に探偵に向き合う。探偵はあからさまに怪訝そうな顔をした。
「三流ゴシップ紙に鞍替えしたのか?」
「大手新聞社にネタとして売ろうかと。ウチで扱っても認知度が低いのでガセネタだと思われますね」
「悪どい女は論外だ」
「助かります」とレットは手帳に書きつけた。探偵からの視線が痛い。
「じゃあ君は?」
「は?」
「私だけでは不公平だろう? 君も質問するなら同様に答えるべきだ」ともっともらしい言い方で探偵は言った。たしかに、判断材料は多い方がいい。この暴走機関車のような男と明日もともに動くならば弱みの一個や十個は握っておくべきだ。
「私の言うことをすべて聞いてくれて人生の邪魔にならない男ですね」
「奴隷制度は廃止されたが」
「奴隷だなんて。じゃあこの世の女性のすべてが奴隷という話になりますね」
ニコッと笑うと探偵は「男と女の役割は違う」と反論した。そうだろう。この時代の常識だ。「そうですね」とレットは微笑みながらも、「コルセットと男に縛られる人生が嫌なのです」と吐き捨てた。
実際のところ、アレンシア家のスカーレットに対する求婚は耐えない。体が弱い、という貴族としては致命的な世継ぎを産めない杞憂すらも吹き飛ばすほど今のアレンシア家の興盛は凄まじい。女王陛下のお気に入りだと言われるアレンシア家の若き当主でありレットの兄──ハーヴェイの手腕のおかげだ。
ハーヴェイはスカーレットを領地から首都に送り出してくれた。最初は嫌だと駄々をこねていたが、レットの意志が固いとわかると「レッティの好きな人生を送ってほしい」と告げて。それがアレンシア家に泥を塗るような行いでも、ハーヴェイは既に隠し通せるほどの権力があった。
「探偵殿と男女論を語る気分ではないので、次の質問に行きましょう。色っぽい年上の女性、同い年の落ち着いた女性、年下の可愛らしい女性。みな知的だとしたらどなたを選びますか?」
「質問がおかしい」
「僕としてはあなたは知的だけどチャーミングで、とびっきり抜け目のない秘密の多い女性がお好きではないかと思っていますが」
「なに?」と探偵が面食らっている。
そうだね、アイリーン・アドラーだね。「あの女性」と女嫌いの探偵が敬愛を持ってして唯一呼ぶ相手だ。
この世界にもいるならぜひお会いしたい。CCB版の彼女が好きだったんだよなあ、大胆な設定とまさしくセクシーな女性ならではの策略にはびっくりした。ああいう強い女性の見せる微かな純情というのはインパクトが強い。
「自意識過剰だ」と探偵は呟いたので、レットは目を丸くした。
自意識過剰とは? アイリーン・アドラー(仮)の話をしていたがレットの話はしていない。レットがこてんと首を傾げると、探偵は「まったくもって根拠のない推論だ。推論の元になる事象すらない」と一刀両断した。
確かに、推定恋愛経験なしの探偵にとってはレットの話は根拠のない妄言だと切り捨てられても仕方ない。
「それもそうですね。失礼しました。ちなみに私は年上の知的で美人でセクシーなお姉さまが好きです」
「同性愛者か?」
「性的嗜好は違うはずです。美人の女性が好きなだけで」
「知れば知るほど変人だな」と探偵に言われたのでカウンター攻撃を決めようか迷った。だが明日まで雇用される立場なので口を謹んでおくに限る。
「君は私が出会った中で一番の謎かもしれない」
探偵がしみじみと口にするので、レットは嫌な顔をした。確かに謎の人物の自覚があるが、推理小説のような世界観の一番の謎として「異世界転生者」を持ち込むのはいただけない。探偵に解けない謎はないが、それにしたって真実としては酷すぎる。ミステリーの作法としてはご法度だ。
「僕以上に複雑な謎はたくさんあると思いますが。暴いてもただの女ですよ」
「ただの女ではないからそう言っているのだが」
「この世にはあなたのお気に召す謎もなんかヤバそうな犯罪者も秘密結社もたくさんあると思います。そちらに尽力すべきかと」
「では君の推理をしようか。時間もある」と探偵は両手の指先を合わせた。ガチ推理モード来ちゃった。無駄遣いすぎる、とレットは半眼になる。レットはとりあえず懐に手帳と鉛筆をしまった。長くなりそうだったからだ。
「君は男嫌いだな。筋金入りの。しかし女性には優しい。夫人にはすぐ心を開いたようだな。打算かと最初は思ったが、見ていてわかる。夫人が階段を降りるのをずっと見ていた。非常に心配そうな顔だったな。確かにこの家階段は急勾配だ、年を召したご婦人がトレーを持って登るにはきついだろう。逆に言えば、ウィリアムに対してはあからさまに懐柔しようとしていた。男が嫌いだが、使えるものは使おうとしている。昨日の時点であの男が女好きだと見抜いていたな。君は男に一切の期待をしていない。理解し合えない生き物だと感じているようだ。なぜそうなったのか? 女性がそうなるのは大抵が家族にいる男のせいだ。夫はいない。ならば父親か兄弟だ。……なるほど、その顔は暴力的な父親だと立証している。アレンシア家の若き当主の誕生の裏には無能な父親がいたわけだな」
「さすが、慧眼ですね」とレットは素直に褒めた。探偵は眉を潜める。おそらく、この男がレットを動揺させたかったのはわかる。むしろ激昂させようとした可能性もあった。
──だが、いささか踏み込み過ぎた。
「あまり貴族の家の事情に立ち入るのはおすすめできません」
「脅しか?」
「事実なのです、シェリングフォード・ホルム氏。貴族の前で身の振り方には気をつけてください。貴族の領分での失態は、あなたのお兄様でも揉み消すことはできません」
ピクリと探偵の眉が動いた。レットが探偵の兄の職業を知っていると匂わせたからだ。だからレットはスカーレット・アレンシアらしく微笑んだ。
「ここでステルスメイトです。よろしいですね?」
チェックメイトにはまだ早い。スカーレット・アレンシアは正しく駒であったが、ドレスと身分を脱ぎ捨てて、やっとプレイヤーにまで昇格したのだ。




