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嘘つき男装令嬢と偏屈探偵の事件録 〜仮面の新聞記者は真実を語らない〜  作者: 乃間いち葉
第一章 悪魔憑きの令嬢たち

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07. 追憶のブレックファースト

 

 ロンド街の2218。なるほど、元ネタがわかりやすい。となると、このフラットの二階が名探偵様の住まいらしい。何時に来いと特になにも言われなかったため、朝九時に探偵の屋敷にお邪魔したのは少しの意趣返しと、そして聖地巡礼みたいな好奇心のためだ。一階のお宅のドアノッカーを失礼にならない程度に叩きつければ、「お待ちください」と老齢のご婦人の声がする。


「ホルムさんのお客様かしら?」


 ドアが開いて、品の良い婦人が出てきたので、レットは鼠色の帽子を脱いで胸に当て、「おはようございます、マダム。トゥルースレス・タイムズの新聞記者のレットと申します。ご明察通りホルム氏と約束があり、訪問した次第です」とできる限り丁寧に挨拶をする。


「まあ! ご丁寧にありがとう、素敵な新聞記者さん。私はマルサ・ターナーよ。ターナー夫人とお呼びくださいな」


 なるほど、この人が「ハドスン夫人」らしい。愛嬌のある親しみやすい女性そのもので、意図せず微笑んでしまう。


「ではターナー夫人と。ホルム氏はご在宅でしょうか?」

「ご在宅ではあるけどたぶんまだ寝ているわね。ごめんなさいね」

「そうでしたか。やはり来るのが早すぎたようです、また出直して来ますね」


 とりあえず一目見たので聖地巡礼としては目的達成だ。さすがにフラットの中を覗くつもりはない。

 レットは帽子を被り直すと、夫人に会釈をした。だが、「そうだ! 朝ごはんは食べたかしら? よければ一緒にどう?」と予想外のお誘いをかけられて動揺する。


「え、よろしいのですか……?」

「もちろん、あなたは細いしちゃんと食べてないように見えるわ。ぜひこの寂しい老婦と一緒に朝食を食べて行ってちょうだい」


 そう言われてしまえば、頷く意外に選択肢はない。エセロンドンの食事は相変わらず合わないが、夫人の料理には興味があった。


「では、お言葉に甘えて」


 レットが家に上がり込めば、なぜか懐かしいと思うほど生活感のある部屋が広がっていた。家具は労働階級らしく華美よりも丈夫さを取ったような形のものばかりだが、清潔な麻のテーブルクロスが敷かれており、キッチンの調理器具には傷が凹みがある。


 なるほど、「丁寧な暮らし」とはこういうものか、と納得がしてしまうほど、どこか心が緩んでしまうような家だ。家主のこだわりと愛着が感じ取れる。


「少し待っていてね、パンと卵を焼くから」

「ありがとうございます。温かい料理は久しぶりなので、楽しみです」


 レットがうっかりそう言えば、「まあ……」とターナー夫人は明らかに同情の顔を見せた。売れない新聞記者でかつかつの生活をしていると思われただろう。大体当たっているが、この世界に電子レンジがないのがすべて悪いとだけ主張したい。


 階上から誰かが降りてくる音がして、レットは背を伸ばした。探偵か、と思ったが、顔を出したのはウィリアムだった。


「おはようございます、夫人。……お客様ですか?」

「新聞記者さんで、ホルムさんとお約束していたんですって」


 ウィリアムの視線がレットを向く。帽子はテーブルについたときに外して膝の上に置いたので、何も隠すものはなかった。昨日のあったときはレースのベールで顔を隠せる帽子を被っていたが、油断は大敵だ。探偵ばかり注目かれがちだが、助手だって探偵が認めるほどの男なのだ。


 レットはニカっと笑った。歯を見せた、令嬢の絶対にしない笑顔で帽子を手に立ち上がる。


「初めまして、ヘイミッシュ氏にお会いできて光栄です! 元軍医でありながら、あの稀代の名探偵殿の助手を務めてるお方だとか。いくつかの事件解決の立役者になったとも聞いています、まさかこんなに男前な方だったとは!」


 ウィリアムは勢いよく受けた賛辞に目を丸くしたが、少年がキラキラと目を輝かせているのを見て気を良くしたらしい。ニコリと微笑んだ。


「はは、まるで褒め殺しだな。改めて、俺はウィリアム・ヘイミッシュだ。君は?」

「トゥルースレス・タイムズで新聞記者をしているレットと申します」

「ああ、シェリンが乗り込んだ所の……」

「こら、話すなら椅子に座って話しなさいな! ヘイミッシュさんも朝ごはんを食べるでしょう?」

「もちろん、お腹が減って今にも倒れそうです」


 レットの向かいに座ったウィリアムは、レットが昨日会ったスカーレットだとは気づいていないようだ。それもそのはずだ、普通「貴族の令嬢が新聞記者の真似」をするなど考えるはずがない。それほど、レットのしていることは常軌を逸しているのだ。


「トゥルースレス・タイムズの記事を読んだよ。双子の医師の事件は、君が書いた記事だろう?」

「はい。小さな新聞社ですが、まさかホルム氏の解決した事件の記事を僕が書くことになるとは思いませんでした。でも、ホルム氏はお怒りのようで……」


 しゅん、と明らかに落ち込んだ表情をすれば、ウィリアムは「あー……あれは別に怒ってないはずだよ」と慰めてくれた。


「いえ、よく生意気だと言われるので、僕が至らないことが多いのだと思います」

「俺はあの事件の概要をすべて知っているけど、君の書いた記事の情報は非常に正確だった。そう落ち込むことはないさ、素晴らしい才能だよ」

「えっ! ありがとうございます、ヘイミッシュ氏にそんなことを言っていただけるなんて、光栄です……!!」


 大袈裟なほどキラキラした顔でウィリアムを見つめて、まだ年若い純朴な少年のフリをする。大人は大体喜怒哀楽がわかりやすい素直な子供が好きなのだ。


「シェリンに会いに来たんだろう? もしかしたら午後まで起きてこないかもしれないな。あいつが朝に起きてくる方が珍しいし」

「どうにかならないかしらねえ、夜中にバイオリンを鳴らさないで欲しいのよ。ただでさえ年寄りの眠りは浅いと言うのに……」


 フライパンに向かいながら夫人がぼやくので、レットは「この世界線も夜中にバイオリンを弾き狂うタイプの探偵なのか……」とゾッとした。

 そうなると確実に拳銃で壁に穴も開けている。


「俺が言っておきますよ、夫人」

「あなたが言っても聞きやしないわ、あの人は」

「夫人に家を追い出される前にはなんとかしましょう」


 無理だと思うな、むしろ君の方が結婚して先に出ていくタイプだし、とレットは心の中で思った。


「できましたよ、熱々のうちに召し上がれ!」


 目の前の皿の上には半熟の黄身が眩しいベーコンエッグと、カリカリのハッシュブラウン、添えられたベイクドビーンズに、薄切りにされたブラウンブレッドが二枚載っている。薄く塗られたバターと香ばしいパンの匂いに急にお腹が減ってきたようだった。そしてミルクのたっぷり入った濃い紅茶。

 この時代にして贅沢なブレックファーストで、レットはやっと出会えた理想的な食事に泣きそうになる。ベーコンエッグをナイフで切り分けて、口に入れる。


 そしてそれによって引き出された記憶は、母のことだ。病弱なのに傾く家を必死で立て直そうとしながらも、たまにキッチンに立ってくれた。生粋の伯爵令嬢が、だ。もちろん、料理自体はうまくない。目玉焼きだというのに卵には火が入りすぎていてカリカリになっていた。それでも、レットは心の底から嬉しかったのだ。子供たちになにかを食べさせてあげたいと思う母の気持ちは、紛れもなく愛だった。


 じわり、と熱を帯びた感情が胸の中で膨れ上がり、涙腺へと流れ込むようだった。涙が滲んで、それに気づいて堪らえようとしても一筋だけ目から雫がこぼれ落ちる。それをレットはさっと拭った。

 レットを見つめて驚く夫人とウィリアムに、レットは笑った。


「すみません、母のことを思い出してしまって……。とても美味しいです、夫人。ありがとうございます」


「苦労したのね」と夫人が痛ましげな顔でレットを見る。さすが探偵に部屋を貸せるほどの懐の大きい女性である。


「いえ、苦労など……。屋根のある暖かな部屋で食事にも困らない。そういう幸福な人生を送ってきました」


 この時代、ストリートチルドレンは多い。レットは貧乏であったが、家はちゃんとあったし食事もきちんと取れていた。路上生活者と比べれば天国のような暮らしぶりだろう。レット──スカーレット・アレンシア伯爵令嬢は紛れもなく恵まれていた。いま生きていることこそがその紛れもない証左であった。

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