05. 穴だらけの推論
「どうだった?」
「主語をいただけますか」
「本当にわからないのか?」
腕を組んで、不可解という言葉を貼り付けた探偵の言葉にレットは包帯で覆われた傷跡に触れた。無意識な行動だが、それが気に障ったようで探偵が眉間に皺を寄せる。
「なにか勝算があって私を押しのけて前に出たんだろう?」
「私があなたを庇って前に出たとは思わないんですか?」
「そんな殊勝な女性なら男装で新聞記者などやってないだろう?」
「わかりました、情報のすり合わせといきましょう」
レットは腕を組む途中で探偵の肘に自分の肘をぶつけてやった。探偵がムッとするが、見なかったことにする。
「悪魔憑きについては不可解です。悪魔憑きなのに香油の瓶をひっくり返したり、窓ガラスを割ったり、そんな可愛らしいことで済みますか?」
「アレが可愛らしいことか?」
「まずリンジーは貴方を真っ先に狙った。それも貴方の胴体、おそらく肩口でしょう。やり口が甘いとは思いませんか?」
「体格の差から機動力を低くして仕留めるのは狩りの常套手段だが」
「悪魔憑きですよ? 私ならまず先に目玉を狙います。そして断末魔を聞きながら喉笛を掻っ切る」
レットがピッと親指で首を切る仕草を見せると、探偵は明らかにドン引きした顔を見せた。
「悪魔といえば血ですよね? 断末魔ですよね? 狂乱こそが華ですよね?」
「君の方が悪魔憑きなんじゃないか?」
探偵の言葉は鋭い。おそらく産まれるのが二世紀早かったならば、魔女裁判にかけられていた自信がある。
「令嬢は見るからに非力です。肩口にガラス片を突き刺すにも勢いでは足りないでしょう。だからこそ、悪魔憑きの仕業には思えません。せめて臓物をぶちまけるぐらいしてもらわないと」
「今私は君を教会に突き出すか迷っている」
「そうなれば僕はこの人に唆されましたと貴方に罪を被せて告発します」
探偵が完全に黙り込んだので、レットは「そちらの情報は? 部屋を調べたんでしょう?」とせっついた。
探偵は深い深いため息をしたあと、詳細を話し出す。
「アヘンチンキやモルヒネ、コカイン等を使用した痕跡はなし。腕には注射痕はなかった」
「薬の線は薄いということですか?」
「まだわからない。ボーシェ子爵がバーナス・ヤードに飲食物の検査を行ったと言っていたが、貴族なら黒の結果も白にすることはできるだろう。さらに言えば、紅茶などになにか混ぜられていた場合、砂糖やミルクの不純物で薬物の検出が困難になる場合がある」
「そういうこともあるんですね。勉強になります」
科学捜査が主流の現代人の感覚だと、警察が捜査したと言われると無条件に信頼したくなってしまう。だからこそ、探偵の知識は言葉通り役に立つものだ。
「だが令嬢の部屋に窓があったということは、暴れてもなお窓ガラスを割ったり飛び降りたりしようとしなかったはずだ。そしてあの窓の木枠に、妙な痕があった。おそらく縄で擦れた痕だ。かなり重いもの──ビール樽でも引き上げたような痕跡だった。近くの支柱にも同じように縄で擦れた痕を確認した」
「──となる、人ですね」
ビール樽はたしか五十キログラム前後あったはずだ。木枠の擦れた跡が何かを引き上げたとなれば、おそらく窓から人が出入りしている。
「ああ、恋人か情人かは知らないが、その来訪者が薬を運んでともに接種している可能性もある」
「その場で接種し、来訪者が注射器を持ち帰る。痕跡は残りませんね。でも、リンジーに注射痕はなかったんですよね?」
「静脈接種だ、腕以外でも可能だ。さすがに侍女の目があるところで腕以外を診るわけにはいかない」
「となると、見つかりづらい場所か。膝の上、太ももの内側とか……?」
「さすがに確認はできない」
これは証明が難しい問題だ。
「では他には?」
「子爵家の経済状況は非常に悪い。家財も貴族としては質素なものばかり、金目のものがほとんどない。そして雇っているのはおぼつかない侍女と執事見習いのみ」
その部分はレットも気にかかっていた。明らかに雇い入れたばかりの若い少年少女しか見当たらず、本来ならば執事長や侍女長などがレットをもてなすはずだが、出てこなかった。そして出された紅茶も粗悪なものだ。
「人を入れ替える理由があったのか、あるいは給金を削るためでしょうか」
「妥当だ」
探偵は頷きながらも、その視線はもっと先の何かを見越しているようだった。それはきっと、レットには生涯見えないものだ。
そして探偵も、レットが見えているものを見ることは生涯ないだろう。
「だが、君の言う通り悪魔憑きにしてはおかしく、そして薬物中毒の患者にしてはおかしい。よくて精神衰弱、ヒステリーが妥当だろう」
「……今のところ推論しかできませんね」
「あとは地道な捜査だな」
「では頑張ってください」
「君の貸し出し期間は三日だ」
「この傷に免じてどうにかなりませんかねえ……!」
レットは首をそらして傷跡を見せつけたが、探偵の目は冷ややかなままだった。
「明日はそのドレスは必要ない」
「わかっていますよ!」
レットが怒ったように返せば、探偵はなぜか愉快そうに口の端を押し上げた。そうそう、他人が困るのを見るのが好きなのが探偵ってやつだ。じゃなきゃ人の隠したいことを片っ端から暴こうなんて思わないは。
「君を一日観察してわかった結果を話してやろう」
「その辺のガス灯にでも話しててください。お家にあるテディベアでもいいですよ」
「……そんなものはない」
いまの間は絶対あるな、とレットは確信した。やはりエセロンドン、イギリスの慣習により幼児の最初の友達はテディベアなのだろうか。
はあ、と探偵が重苦しいため息をついた。
「君は賢い。私が出会った中で一番賢い女だ」
「あなたのお母様を差し置いてそんな賛辞をいただけるとは……」
あれ、ホームズの母親がかなりの天才という設定って聖典? いや、CCB版のオリジナル設定? それともどこかで見た二次創作?
「君の書いた記事もいくつか読んだ。非常に理路整然としており、情報に基づいた推論は適切だった。他の新聞記者にも見習ってほしいぐらいだ。奴らは大衆紙を文芸誌と勘違いしているからな……。貴族の令嬢として高等な教育を受けたのかと考えたが、ガルンにそのような酔狂な教師がいるとも思えない。つまり、君は独学でその思考体系を勝ち得たと言える」
探偵の指摘は正しい。世界に名を轟かせる大国であったとしても、貴族の令嬢に頭の中身は必要がないのだ。必要なのは貞淑さのみ。従順で物静かな女こそが好まれる。
「頭は回るようだが、知識に偏りが見られるな。それゆえに師事をした人間が一人いると考えられる」
サーチエンジンの先生ならいますよ、とレットは内心で舌を出した。
「機転も効くし、その場しのぎの演技もそれなりに出来るようだ。新聞記者をクビにされたら、第二の助手として雇ってやろうか?」
第二の助手、という言葉にレットは一瞬バカみたいに呆けてしまいそうになった。探偵の助手は唯一無二の存在だ。それと比肩するような肩書きをもらえること自体、探偵の中では最大の賛辞なのではないだろうか。
そう過ぎった妄想を蹴飛ばすように、レットは笑った。
「言ったでしょう、あなたの助手に恨まれるのは御免ですと」
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