04. 名探偵の助手
ちょっと前倒しで更新です。次回更新は水曜日となります。
それからの事態を、レットは傍観者のように見ていた。慌ただしくなる屋敷に、青ざめて今にも泡を吹きそうな子爵、そして呼び出された探偵の助手──ウィリアム・ヘイミッシュの登場まで。ようやく元軍医である彼が目の前に現れて、レットはやっと意識が表層に上がったような気がした。
探偵に手を借りて、階下の応接間まで戻ってきていたようだ。彼はソファに座るレットの前に膝をつき、安心させるような穏やかな声音で話しかけてくる。
「やあ、初めまして、スカーレット嬢。俺はウィリアム・ヘイミッシュと申します。陸軍の歩兵連隊にかつて所属していて、そこで軍医として働いていました。あなたの傷を見せていただけませんか」
ウィリアム・ヘイミッシュ。彼は言わばこの世界の探偵であるシェリングフォードの「ワトスン」である。
こうやって実物を見るのは初めてだが、想像以上に爽やかな好青年に見えた。エセロンドンのせいか探偵ともどもヒゲはなく、短く切り揃えられた金髪の下の青い瞳がじっとレットを見つめている。
バリウッド版のロード・ジュウ扮するワトスンは「傾国の男」と称してもいいぐらいだったが、こちらのウィリアムもなかなかにハンサムだ。
確かにこれは女性にモテるだろうな──などと思っていたら、困惑気味に「レディ・スカーレット?」と呼ばれたので我に返る。
「初めまして、ミスター・ヘイミッシュ。アレンシア家のスカーレットと申します。わざわざ駆けつけていただき、感謝申し上げます。おそらく軽く切れただけなので、ヘイミッシュ氏にはご足労をかけてしまいましたね」
実際のところ、ウィリアムが駆けつけるまでレットは傷口を手袋で圧迫止血していたため、血はもう止まっている。首まで覆ったドレスのおかげか、傷はやはり浅かったようだ。
レットは首元のボタンを二つ外し、患部を見せた。ヘイミッシュは清潔な手拭いを濡らして血を拭ったあと、指先で傷口に触れる。
「大丈夫ですよ、スカーレット嬢。毎日きちんと傷口を清潔に保てば、跡もなく綺麗に治るでしょう。首は血管が多いですから、出血が多くてさぞ不安でしたでしょう。安心してくださいね」
「ありがとうございます」
優しいお医者様の顔をしたウィリアムにできるだけ柔らかく微笑み、血に染まったままの手袋を見下ろした。脱ぎたいが、指にはペンだこができてしまって脱いだら不審に思われるかもしれない。
ウィリアムが澱みない手つきで幹部に包帯を巻いていくのをじっと待つ。
「止血は君が?」
「いや、彼女が」
「彼女が?」
ウィリアムに見つめられて、レットはやっと気づいた。たぶんこの時代(と言ってもエセロンドンすぎて文化も何もかもあやふやでわかったものではない)の令嬢が圧迫止血など知っているはずがないのだ。レットはできるだけ「どうしたのかしら?」という何もわからない小娘の顔をして、首を傾げた。
「蛇口から水が溢れたときのように、手で押さえたら止まるかと思いましたが……間違っていたでしょうか?」
「蛇口……ああ、水道管についてるあれか」とウィリアムがあまりピンと来ていない様子を見せたため、レットの微笑みは強張りそうになった。例え話でわかりづらい例を出すという失態。
「貴族では普及しているらしいが、アレンシア家も水道管を設置しているのか」
なぜか探偵からも疑惑の目を向けられている。この事件の間はコンビ結成! 一緒に頑張ろうね! という仲じゃなかったのだろうか。レットは引き攣りそうになる表情筋をなんとかキープした。
「兄が新しいものが好きなので」とレットは綺麗な手袋のままの右手で口元を押さえて微笑んだ。家を出る際に「次に帰ってくる頃には水道管も下水道管もついていると嬉しい!」と叫んだ気がするが、たぶんあれからアレンシアの家格はだいぶ立て直されたので妹思いの兄にかけるしかない。
探偵だってわざわざ首都から馬車で三時間かかるアレンシア家に水道管のチェックにはいかないだろう。
家にいた頃には「レッティは博識で凄い!」と全肯定の兄しかいなかったから気にしていなかったが、記者として働く一年半の間で「なんでそんなこと知ってるんだ?」と何度か同僚や上司に突っ込まれている。
そういうときは「叔父上が所蔵する本を読んで」と適当な嘘をついていてやり過ごしていた。大体は「社長は元貴族だし素晴らしい蔵書を所蔵しているのだろう」と納得してくれるのだ。
レットの設定としては、叔父の血のつながらない甥っ子だ。平民であったレットの叔母と駆け落ち結婚をしたのが新聞社の社長であり、アレンシア家の長男であった叔父のローレルとなっている。つまり、レットとローレルは設定上は血縁がなく、婚戚であるということだ。そしてレットは義妹の忘れ形見の息子ゆえに、ローレルが新聞社で雇い入れたという体になっている。
叔父のローレルとレットの顔が似ておらず、叔父が茶髪だからこそ成り立った設定だ。
そして探偵が指摘したアレンシア家特有の赤毛、というのも実のところ貴族しか知らない話であるので、なんとか誤魔化せている。レットは普段、帽子に髪の毛を仕舞い込んでいるからだ。
「いえ、それが正解ですよ。傷から血が出たのなら、力を込めて血を押さえるのが重要です。血がたくさん出ると人間は死んでしまうので」
「まあ、恐ろしい……」
令嬢らしく恐れ慄いた顔を作りながらも、向かいのソファで冷や汗をダラダラと流すボーシェ子爵を見る。子爵の娘が伯爵令嬢を暴行。あわや傷物にするところだった。家格が逆ならば揉み消せたかもしれないが、アレンシア家の方が爵位は上である。
「も、も申し訳ございません、お許しを……!!」
平身低頭のボーシェ子爵は、だいぶ小心者のように見えた。世間知らずな小娘を口八丁で操り自己責任、あるいは探偵の責任にできるはずだ。アレンシア家の娘であれど、本来恐るべきは伯爵である兄なのだから。
「ボーシェ子爵、あれは事故でした。不幸な事故です。私は軽い怪我をしましたが、すぐに治るものでした。このお話はここで終わりです」
「よ、よろしいので……?」
「リンジー様の方が深手でしょう。ガラス片を握っていたため、手のひらが切れたはずです。ドクター・ヘイミッシュ、彼女の診察をお願いできますか? まだ気を失ったままの状態なので、診察もしやすいはずです」
「もちろんです。よろしいでしょうか、ボーシェ子爵」とウィリアムが許可を取れば「お願いします!」と垂らされた命綱に必死にしがみついた。それからレットは、探偵に目を合わせる。バッチリ視線が合ったあと、「暴れたときのために私も同行しよう」と助手とともに階上へと姿を消した。どうやらアイコンタクトは通じたようだ。
「……ボーシェ子爵、先ほどの療養の件ですが、アレンシアの領地には『令嬢方が入院できる』病院施設もございます」
しっかりと扉が閉まった音を聞いたあと、レットは切り出した。『令嬢方が入院できる』病院とは、つまり精神病棟である。気を病んだ令嬢が精神病棟に送られることは、この時代ではよくある話なのだ。
「スカーレット嬢が福祉に力を入れているとは聞いていましたが、そこまでとは……」
「ですから、もし必要であればご連絡をください。……昔、リンジー様の言葉に助けていただいた恩があるのです」
「そうでしたか……。しかし、心配には及びません。きっと娘はすぐによくなるはずです」
子爵は先程の「療養」には前向きだったのに、「精神病棟」となると後ろ向きな姿勢を取った。娘への諦めきれない愛なのか、それとも家の体裁を気にしているのか。判断材料は揃っていない。
「……ええ、そうですね」
レットは微笑んで、出されたミルクティーを口にした。鼻孔を擽る香りは芳しいとは言えない。貴族にしては粗雑な茶葉を使っている。
屋敷に来訪しても見当たらなかった侍女は、リンジーの面倒を見ていたらしい。スープをひっくり返して服が汚れたため、湯浴みをさせていたがリンジーが近くにあった香油の瓶を割ったため、先にナイトドレスに着替えさせて風呂場の清掃を行なっていたのだという。
こちらもまだ歳若く、紅茶を淹れる手はまだぎこちない。レットよりも年下なのは瞭然だった。紅茶を注いですぐ、リンジーの元へとまた戻っていった。
二階から降りてくる足音にレットは顔を上げた。階段を降りた探偵はそのまま、レットと距離を空けてソファの隣に座る。
「リンジー嬢の手については縫合の必要はないようです。ただしばらく傷が開かないよう包帯で固定しておいた方がいいでしょう。今ウィリアムが処置をしています」
「そうでしたか」
「リンジー嬢の病の発端となったお茶会には、どちらのご令嬢が参加されましたか?」
レットがどう切り出すか悩んでいた話題を、探偵はあっさりと口にした。ボーシェ子爵が黙り込み、重苦しく空気が流れる。
「ご令嬢方の名誉のためにも、私の口からはとても……」
「あなたの娘の名誉のためにも、口にするべきです」
探偵のきっぱりとした物言いにボーシェ子爵が顔を両手で覆い、項垂れた。
「ライオット男爵家の二番目のご令嬢、リエンタ子爵家令嬢、マスカート男爵家令嬢、パーシルヴァル伯爵家令嬢と娘は仲が良かった……」
いずれも家格は同じ程度の貴族だ。貴族年鑑は家を出る前に読んでいたので、大体の年も把握している。リンジーと同じ年、あるいは一つ違いの年の少女たちだ。
「その日、リンジー嬢が口にしたものは?」
「クッキーとマドレーヌ、そして紅茶です。ツテを借りて口にしたものすべての検査をバーナス・ヤードにお願いしました」
「結果は白だと?」
「間違いなく、娘は危険な薬など口にしていないのです」
そっと階下へ降りてきたウィリアムを見つけて、レットは席を立った。「こちらへどうぞ」と微笑みかけてから、空いていた一人がけのソファに移る。
「ありがとうございます、スカーレット嬢」
あからさまにウィリアムはホッとした顔を見せた。ウィリアムは医者ながらも中流階級の出だ、貴族の家での振る舞いに自信がないのだろう。
「ご令嬢の診察をさせていただきましたが、手のひらを縫合したために傷跡が少し残るかもしれません。ですが、よく見ないと気づかない程度でしょう。他も診ましたが呼吸も穏やかで、痩せている意外は問題がなさそうです」
頷きだけを返したボーシェ子爵は疲れ切って今にも倒れそうだった。今日は引いた方がいいだろうと探偵を見れば、「今日は一旦帰らせていただきます。後日訪問する場合は手紙を郵送します」とレットも見ずに告げた。
「わかりました、よろしくお願いします」
子爵はそう言ってよろめきながら玄関先までレットたちを見送ってくれた。子爵の邸宅はさほど広くはなく、少し歩けば馬車の行き交う道に辿り着いた。
「私はスカーレット嬢を送っていく。君は別の馬車で帰ってくれ」
「わかった。だがこの埋め合わせはきちんとしてもらうぞ!」
おそらくデート中なのを放っぽり出して駆けつけたのだろう助手に、レットは苦笑した。探偵はただ鼻で笑って、「君が守備よくそのご婦人を二日前に魅了していたらこんなことにはならなかった」と言い返す。
「本当にお前は嫌なやつだ!」
ウィリアムが怒れば、探偵はいつもの事だと言わんばかりに嘲笑った。
「帰って自棄酒でも飲んでるといい」
捨て台詞とともに助手が拾ったはずの馬車に探偵が乗り込み、レットも後に続いた。信じられない、という顔をした助手に向かって、レットは静かに黙礼をして別れる。
ちょっと可哀想なことをしたかもしれない。
レットは丁寧に巻かれた首の包帯に触れながら、探偵に振り回される助手に同情するしかなかった。
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