03. 悪魔憑きの令嬢
次回更新のみ1/19(月)になります。その後水・土の更新となります。
「初めまして、スカーレット・アレンシアと申します。ボーシェ子爵にお目にかかれて光栄です」
優雅にカーテシーをすれば、視界の端で赤い髪が揺れる。伯爵家から出る時に兄に泣かれながらも切った長い髪は、今はウィッグとして活躍している。コルセットは自力でつけられなかったが、そもそもエセロンドンの食が合わず鶏ガラみたいな体型なので問題はないはずだ。家から持ってきたドレスは質素ながらも品の良いものなので、「アレンシア家の天使」としての演出は十分だろう。一人で着れるドレスを買ってくれた双子の兄には感謝しかない。
先に来ていた探偵が、豪奢なソファに座りながら興味深そうにレットを観察している。それを無視しながら、帽子から垂れたベールの下でボーシェ子爵を見つめた。
明らかに憔悴している顔だが、レットに向ける眼差しは喜色に満ちている。
「これはこれは、アレンシア家の天使と歌われるご令嬢にお会いできて光栄です! しかし、なぜシェリングフォード氏と?」
「子爵のご令嬢であるリンジー様のお話を聞いたのです。ホルム氏は前に叔父上を探す手伝いをしていただいたので、その縁がありまして無理矢理お願いした次第です。急な来訪のご無礼をお許しください。……五年も前の話ですが、リンジー様と公爵家のご令嬢のお茶会でお会いしたことがあります。あんなに溌剌としてご聡明な方が病など、胸が痛みます……」
探偵がレットの演技にケチをつけたそうな顔をしているのが見えた。レットとしては出来れば貴族令嬢の演技代として割増料金が欲しいところだ。
「途中でめまいを起こしてしまい、時間に遅れてしまうからとホルム氏と別れたため来訪が遅れてしまいましたが……リンジー様は大丈夫でしょうか?」
レットがそう聞いた途端、上の方からガラスが割れるような音と怒鳴り声が聞こえたので、レットは出来るだけ悲しそうな顔をした。
「スカーレット嬢、子爵と話をしていたんだが、令嬢の部屋から薬品や毒物は見つかっていないようだ」
「当たり前です! うちの娘がそんな不埒なものに手を出すことなどあり得ません!!」
激昂した子爵に、レットは探偵を睨みつけたくなった。貴族と関わり合いになりたくないならば、もっと慎重な言動をすべきだ。
「無礼ですわ、ミスター」
「すまない」と全くすまないと思ってない返事だけが返ってくるので、レットは自分が情報を引き出すべきだと考えた。どうせこの事件の記事を書くことになるなら、担当はレットだろう。しかし貴族の醜聞が新聞に載ることなど滅多にないため、ボツになる可能性の方が高いが。
「私はリンジー様が悪魔憑きなど考えられません。あれほどに凛とした方が悪魔に唆されるなど、あり得ないことです」
レットの甘言にボーシェ子爵は深く頷き、「全くです! 神父や司祭を呼んでもまったく改善しないのです、奴らは教会への援助を得るために難癖をつけてきたに違いありません!」と叫んだ。
「最近、ご令嬢はお疲れだったのではありませんか? 心労がたたるとあのような症状が出ると聞いたことがあります」
「いえ、疲労するようなことはなにも……いや、結婚が決まってからは塞ぎ込むような素振りはありましたが……」
「まあ、ご結婚されるのですか? なら、余計に心配ですわ。挙式はいつ頃の予定ですか?」
「三ヶ月後です。しかし、この状況では相手から婚約破棄をされてしまうかもしれません……」
がっくりと肩を落とした子爵は、本当に娘を心配しているように見えた。だが、貴族とはそういうものだ。なによりも体裁を大事にする。
「まだ三ヶ月ありますわ。よろしければ、アレンシア家の別荘をお貸ししようかと。アレンシアの領地は森に囲まれて穏やかな風が吹く土地で、温泉地としても有名です。結婚までの間の療養に最適だと私は考えております」
「ああ、なんと……! スカーレット嬢は令嬢の鏡ですね……!!」
プッと隣から馬鹿にするような笑い声が聞こえた気がするが、レットは聞かなかったことにした。
「もしかしたら結婚が間近に迫って緊張してしまったのかもしれませんね。先月の半ばに倒れてから、ちゃんとお食事は取れていますか?」
「無理矢理に侍女にスープなどを取らせている状態です。そうでないと、皿をひっくり返してしまい……」
「医者はなんと?」
探偵が口を挟むと、子爵は疲れた顔で「結婚が決まったことと月の障りが乱れたせいでヒステリーを起こしているだけだと言われました」と言葉にした。
「あの、よろしければリンジー様にお会いしても?」
「えっ!? いけません! 娘のヒステリーが酷く暴れ回って押さえつけるのも一苦労な状態なのです!」
子爵が顔を青くしてレットを止める。伯爵家の令嬢に自分の娘が危害を加えることを恐れているようだった。
「ボーシェ子爵、私からもお願いしたいです。悪魔の存在など探偵としては到底許容できません。ご令嬢が錯乱したのには確固とした理由があるはずです」
探偵の鋭い眼差しに気圧された子爵は、「コール、来てくれ! なにかあったらお前が娘を押さえろ」と奥に立っていた青年に声をかけた。
コールと呼ばれた青年を見れば、まだ歳若くレットと同じ年頃に見える。執事見習いと言ったところだろうか。レットよりも身長は高いが、探偵よりも小さく線も細い。いざとなったらレットは探偵の影に隠れた方がいいだろう。
「こちらへどうぞ」
コールに導かれて、探偵の後ろにレットもついていく。二階の奥の部屋の扉をコールがノックして、「お嬢様、お客様がお越しです。少しお会いになりたいと……」と部屋の中に声をかけた。
応えはなく、コールは持っていた鍵を錠前に差し込んだ。──急ごしらえの南京錠。探偵もレットと同じように、強固な施錠をじっと観察していた。
カチャリ、と解錠の音がした後、コールはレットたちを振り返った。顔が恐怖で強張っていながらも、「私が先に入ります。危険を感じた際は私のことは気にせず逃げて鍵を閉めてください」と探偵に鍵を託して、ドアを開けた。
開いたドアの先で、ナイトドレスを着た女性の姿が見えた。リンジーはこちらに気づいて顔を向けたが、普段は綺麗に結い上げられるはずの髪は垂れて表情を覆い隠している。まるで幽鬼のような姿に、レットは息を呑んだ。
「お嬢様、お客様がお見えになりました。探偵のシェリングフォード・ホルム氏と、アレンシア伯爵家のスカーレット様です」
コールの言葉尻はわずかに震えていた。
リンジーはじっと黒髪の隙間からこちらを向いて、黙り込んでいる。だが、探偵が部屋の中に踏み込んだ途端、リンジーは叫んだ。
耳をつんざくような金切り声は、貴族の令嬢が生涯出すことのない不気味な響きをしている。レットだって前世の記憶がなければ、驚きで失神していたかもしれない。こんな、こんなトラウマに陥ったような叫び声を、普通の令嬢が上げる訳がない。
彼女の喉を裂くほどの叫び声が止むと、リンジーは途端に笑い出した。ケタケタと笑う声は狂気じみており、コールは体を震わせて後ずさっている。
「救いの神が私を見つけてくださった」
リンジーは笑い声の間に、歌うように言った。歌劇のように手を広げて、空を仰ぐ。
「悪魔ではないの。救いの神なのよ。どうしてみんなわからないの? ねえ、どうして?」
髪の隙間から見えた目は、ギラギラと光りながらもレットたちを見据える。
「美しい人。神様はね、それはそれは美しい人なの」
異様、の一言だった。貴族の令嬢の取る模範的な行動すべてを蹴飛ばしたような有様だ。レットは夢現のように「救いの神」と連呼する彼女から、僅かな違和感を嗅ぎ取った。しかし、その正体が掴めない。
「リンジー嬢」
探偵が声を掛ければ、リンジーはまた口を閉ざした。探偵がゆっくりと歩みを進めて、リンジーの元へと向かう。その後ろをレットも同じようについて行ったとき、リンジーがいきなり動き出した。
後ろへと振り抜いた華奢な拳がいとも容易く窓を破る。病的に白い手が血に染まった。それを気にも留めず、床に落ちたガラス片を掴んだリンジーが駆け出して、探偵へと凶器を振りかぶる。
そのとき、レットは咄嗟に探偵の腕を引いて立ち位置を入れ替えた。筋力の差は明白なのに、うまく探偵を庇えたことは奇跡に近いだろう。
リンジーが目の前に突如現れたレットに瞳孔を開き、勢いのまま振り下ろされた手がレットの首筋を掠る。ピリッとした痛みはまさに裂傷そのものだが、深くはないと頭では判断できた。しかしレットが痛みに怯んでしまった一瞬で、探偵はリンジーを床に押さえつけた。
「離しなさい! 離して! 離せェ!!」
「お前、今すぐ子爵に頼んで私の助手を呼べ!! 場所はロンド街の2218だ!!」
探偵がコールに指示し、コールが慌てて子爵を呼びに階下へと走っていく。レットは首筋を押さえ、じわじわと白い手袋が血に濡れていくのを感じた。
奥のバスルームに居た侍女らしき少女が飛び出し、惨状に目を見開いて怪我をしたレットを青ざめた顔で見つめている。
傷は浅い。首が切れたから出血量が多いだけだ。レットはもっと酷い裂傷を知っている。心臓が傷跡の下で疼くような、酷い傷を。
そして、レットは探偵に無理矢理意識を落とされたリンジーを見つめた。
レットへと尖ったガラス片が迫ったとき、彼女は目を見開いた。予定外の事態が起こったような人間の顔をして、そして。
──ガラス片を自分の意思で軌道を逸らしたのだ。
レットの首をまっすぐ刺すはずだったガラス片を掴んだ手を捻り、尖った破片の刺さった手からこぼれ落ちたリンジーの血だけが、床にその証拠を残していた。
よければ評価いただければ嬉しいです!
また、いつも評価感想等ありがとうございます、大変励みになっています。




