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嘘つき男装令嬢と偏屈探偵の事件録 〜仮面の新聞記者は真実を語らない〜  作者: 乃間いち葉
第一章 悪魔憑きの令嬢たち

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23. ブリキのハートのチューリングテスト

 

「私の話をしよう」


 すべてを暴かれた動揺のまま、レットは彼の言葉に耳を傾けた。


「君の私に関する推測は大体当たっている。母は私よりもあの兄を可愛がっていた。それもそうだ、私は感情が希薄な子供だったから」

「希薄……?」


 レットは耳を疑った。どうしたって目の前の探偵がそうには見えなかったからだ。レットに揶揄われて焦ったり、怒ったり。そういった面をいくつか見てきている。


「喜怒哀楽。その中でわかるものはわずかな怒りしかない。欲求は昔からあった。承認欲求と言うべきか。親に注目されたいと願うこともあった。ただ、無駄に賢いがきちんと子供らしい兄と、感情を見せない子供のどちらを大人が可愛がるかは明白だ」


 レットは軽率に口を挟むことができず、そっと探偵を窺った。彼は忌々しいと言わんばかりの顔でコーヒーカップの底に残った黒を見つめている。


「父はあからさまに兄を可愛がった。母は平等に接するように心配りをしていたが、やはりそういった雰囲気は私でも理解できた。だから、兄の真似をするようになった」


 わからないことは教えてと素直に請う。好物には少し嬉しそうな顔をする。同じ本を読んでと母に強請り、たまに嫌だと物事を拒絶する。そうやって勉強したのだと、探偵は言った。


 レットは目の前の男が探偵という枠組みから外れていくような気がした。正確にはレットがカテゴライズした「探偵(ホームズ)」というラベルが剥がれて、シェリングフォード・ホルムという男の輪郭が形づくられていく。


「シチュエーションに応じた振る舞いを、私は兄から覚えていった。そのあとは街の子供を見て、私は覚えた。ある日同じように癇癪を起こしたとき、父は冷たい目をしていた。『みっともない真似はやめろ』と。そう言われたときの私の気持ちはわかるか?」


 レットは素直に「わかりません」と言うと、シェリングフォードは満足げな顔をした。これも学習の成果だと考えると、どうしてか胸の奥が苦しくなる。


「『失敗した』と。これは悪手なのだと理解しただけだ。ただ、その時の父の顔はよく覚えている。……何故だろうな」


「……不可解ですか?」とレットがそっと聞くと、シェリングフォードは口の端を小さく持ち上げた。どこか困ったように見えるのは、レットの気持ちの問題だろうか。


「ああ、不可解だ」

「あなたの行動や振る舞いはすべてお兄様から学習した結果だと」

「ああ」


 レットは少しだけ唇を舌で湿らせて、言うべきか悩んだことを口にする。


「……ええと、私はあなたの振る舞いや、感情の発露を、まがいものだと思ったことはありません。焦っているように見えたときもあるし、怒っているように見えたときもある。悲しそうだと思ったことも。……これらはすべて持論なのですが――」


 レットはそっとシェリングフォードの青灰色の瞳を見つめた。薄暗い室内の中で、濃い灰色のようにも見える。端麗な顔立ちに、唯一の光源である吊り下げ式のランプの光が落ちた。複雑な陰影を描くそれを見ながら、初めてレットはシェリングフォードにピントがあったような気がした。

 世界がじわりと色づいて、その情報量に溺れそうになる。視界から本棚の背表紙のタイトルを弾き出すために、空になったコーヒーカップへと視線を落とした。


「――あなたのいう承認欲求とは、寂しさの裏返しではなかったのかと、話を聞いていて私は思いました。人の感情は複雑です。たしかに、何も感じない人はいると存在すると思います。でも、そういう人は人間に興味を持つことがない、と。私はそう考えています」

「証拠は?」

「そ、そう言われると、私の観察眼としか言えないのですが……」


 馬鹿馬鹿しい、と一蹴されるかと思ったが、シェリングフォードは「続けて」と言って来た。なので、レットは頭の中に浮かぶ考えを整理する。


「例えば、本当に心のない──精巧な機械が人間のようにふるまうとしたら。人間の行動や心理を学習して、人間のようにふるまうと言うのなら。非常に忖度の強い存在になるのではないかと。やたらとフレンドリーで、人の言うことをすべて肯定するような存在と言うか……」

「私はフレンドリーではないと?」


「ええ」とレットが言うと、シェリングフォードは興味深そうに頭を傾けた。「続けて」の合図だろう。


「少なからず、人は人を見て育っていきます。あなたが気づいてないだけで、感情はしっかり存在していたのではないかと。あなたがお父様の叱られたときの顔を覚えていたのは、あなたが少なからず傷ついたからではないかと考えています」

「それで?」

「あなたとお兄様は似ていない。……あなたの方が、少しだけ可愛げがあります」

「なるほど?」


「楽しんでませんか?」とレットが恨みがましい目でシェリングフォードを見つめると、「いいや?」と澄ました顔をされた。それから、耐えきれないとばかりにシェリングフォードが笑みを零したので、レットは驚いた。


「ああ、そうだな、たしかにうちの兄は嫌な奴だ!」

「そこまでは言っていません!」

「そう聞こえたが」


 レットは落ち着かない気持ちでコーヒーを飲もうとしてから、カップが空だったと気づいた。その光景を見て探偵がくつくつと笑っている。


「君は人の感情に敏感だ。リンジー嬢に出会ったときも、彼女の違和感にすぐに気づいた。私とはまた違った観察力を持っている」

「急に持ち上げないでください」

「だからこそ、あの女に感じるものがあったのだろうと理解はできる。見ているものが似てる人間に惹かれることは必然だ」

「別に、惹かれたわけでは……」

「スカーレット・アレンシア」


 急に名前を呼ばれて、レットは顔を上げた。シェリングフォードの眼差しがレットを真っ直ぐに貫いて、串刺しにされたような気さえした。


「あの女の元には行くな。君に、ここにいてほしい。君が現状の世に不満を抱いているのは知ってる。でも、君は私が見た中で一番賢く、一番悪辣な女性だ。君にはぴったりな戦い方があるだろう?」

「戦い方?」


 レットはシェリングフォードを見つめると、しっかりと頷かれた。


「君のペンは剣よりも鋭く、銃よりもまっすぐに事実を貫く。君の言葉には人を動かす力がある」

「……世論を操作をしろと?」

「そうではない。だが君の文章は理路整然としていながらも、読者を納得させる力があった」

「あなたの世辞など珍しいですね」

「忘れたのか? 君の記事を見て、こんなにも苛烈で冷徹な文章を書く記者が気になったから、君の元へ会いに行ったんだ」


 ああ、そうだった。この男は、レットの文章を見てわざわざ新聞社まで足を運んだのだ。

 この男の足をレットの文章が動かした。それがクレームであっても、れっきとした証拠でしかない。


 ああ、そうか。

 そうだ。レットにはペンがある。剣よりも強く、名探偵すら動かしたペンが。


「初歩的なことを忘れていました」


「ああ、初歩的(エレメンタリー)だ」と、シェリングフォードはそう笑う。

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