20. 悪魔と二枚舌
「彼女は国家転覆を目論む逆賊、ということでしょうか」
「早い話がそうだ。だからこそ、君は兄の面子を守るためにも彼女との接触を避ける必要がある」
「彼女はなにをしたのですか?」
「殺人および殺人教唆だ。彼女の囁きにより死んだ人間は二十を超える」
「そうですか」
レットは乾いた相槌を打った。コーヒーを飲み込むと、苦味が舌へと纏わりつく。
よくコーヒーの苦味を人生に例える人がいるが、レットはそれを鼻で笑うことができる。本当に辛酸を舐めさせられてきた人間は、泥を啜ってでも生きてきた。これが泥水だと言うのなら、なぜこんなにも軽やかに喉を通るというのか。
「――なぜ逮捕されないのですか?」
「それ相応の理由があるのだよ」
「モーティマー子爵が表沙汰にできない家業をしていたという噂は、本当だったのですね」
「レディ・スカーレット」と教師のように名前を言うことで圧をかけてくる男に、レットは微笑みかけた。
「帝国の人間を売買し、猟奇的な享楽を貴族に提供する。そんな帝国法に背いた国賊を捕まえ損ねた挙句、その伴侶に謀られた、と」
「――レディ、戯れが過ぎるな。兄上の将来を考えたまえ」
――ああ、そう。
レットは心がどんどん凍えていくような気分だった。模範的な兄と反抗期のような妹。どちらの価値がより高いか、この世界では瞭然だ。いや、レットが従順な妹であっても、きっと価値は変わらない。この世界でつけられる値札は、階級と性別で決まるのだから。
真っ向から突き刺さる敵意をレットは一笑した。レットは前のめりになり、丸いティーテーブルに肘をつく。これだからお偉い人間は嫌いなのだ。――それは自分にも当てはまる言葉だけれど。
「ハーヴェイの地位はこんなことで揺らぎません。女王陛下に目をかけられていることをご存じでしょう?」
「その栄光が永遠に続くと?」
「いいえ、やがて平民が治世することになるでしょう。血統ではなく、人倫を重視する世の中に変化するはずです」
レットがそう言うと、ミヒャエルは素直に驚いたようだった。それもそうだろう。ガルン大帝国は二院制で、貴族院と庶民院に分かれる。今は庶民院に力があるとはいえ、貴族であるレットがこんな発言をすることは異常だ。貴族は既得権益を手放したくない。だからこそ、保守的な政治を好み、急進的な改革を拒み続けている。
「――ですが、私はスカーレット・アレンシアです。十三代続くアレンシア伯爵家が長女。レットとして生きても、それは否定できません。だからこそ、レットとスカーレットという二つの顔を使っているのです」
「君はそれを都合のいいように使っているに過ぎない。貴族の責務が嫌で記者をし、平民の力の無さが嫌で貴族の顔をする。非常に狡猾で一貫性のない人物だと言えるだろう」
「そうです。知能のある人間のふりをし、ときに残虐性を持つ悪魔になる。それがスカーレット・アレンシアの生き方です。ですが、二枚舌の人間に揶揄されたくはないですね」
「君の父上のことは把握している」
鈍く光る青灰色の瞳に、レットはうっすらと笑った。弱点を突くのがお上手で、と皮肉が漏れそうになる。
だが、レットがそのことについて悪びれるはずがないのだ。双子の兄が死ぬよりも、父を殺した方がマシだった。
「ああ、だからここに暖炉も火掻き棒もないんですね? あったらあなたを殴り殺していたかもしれません。でも、問題ないですよね? 貴族の命は平民の命よりも重いもの」
「……言葉遊びは昔から苦手でね。なんせ、労働階級の出だ」
ミヒャエルの目がレットを見つめ、細められる。銃の照準を向けられている気分だ。「つまり、何が言いたい」とミヒャエルは問うている。
「あなたの命と私の命の重さはたいして変わらない。そして、私の命よりもはるかに兄の命の方が重い。ただそれだけのことで、兄を巻き込むのをやめてください。釘を刺したいのなら、カーリーン・マスタルテがいかに人倫に悖る人間かを私に説いてください」
目の前の男がゆっくりと息を吐いて、コーヒーを口にした。「長くなる」と静かに言ったので、レットは頷いた。
◇ ◇ ◇
十四歳の社交界デビューのあと、カーリーン・マスタルテは十七歳でモーティーマー子爵家へ嫁ぐことになった。
四十も上の子爵の後妻。しかも、四人目の妻だった。前の三人はいずれも病死している。
そして、モーティマー子爵は公にできない事業で大金を稼いでいた。マスタルテ男爵家が困窮していることを聞きつけ、その美しい少女に目をつけたという。そして少女はやがて大人になり、二十二の年に夫婦で心中をした。
モーティマー子爵の息子にはカーリーンから手紙が届いたという。「やせ細っていく夫を見ていられないの、ごめんなさい、一緒に天国へ行くわ」と。
たしかに心中の一年前から子爵は健康状態が悪かったという。やせ細り、たまに精神を錯乱したように叫んでは暴れた。そんな彼を宥めていたのがカーリーンだ。彼女の行き過ぎた献身は、死を共にするという結末を迎えた――。
そして貴族の好む醜聞となり、彼女は「マスタルテ家の悪魔」とまで呼ばれるようになった。
「――だが、死後にモーティマー子爵家の財政難が発覚した。あれほど贅を尽くしていたというのに、おかしな話だ。あらゆる帳簿を見ても理由が判明しない。だが、子爵の小康状態からして財政難によりおかしくなっていたのだろうとバーナス・ヤードと政府は結論付けた」
「財政難……」
「だが、その後も人身売買の商人は見つからず、その黒い噂を証拠づけるものはなにも出てこなかった。だが、穴抜けの資料のように奇妙な点がいくつか残った。それを私はカーリーン・マスタルテの偽装死だと結論付け、彼女が生きている前提で四方に網を張ったのだ。いくら馬鹿にされようとも、残った事実だけが真実だ」
「不可能を排除して残ったのが真実だと?」
「そうとも言える」
ミヒャエルが静かにコーヒーカップを持ち上げるのを見ながら、レットは考える。
「つまり、彼女が子爵の秘密の仕事を乗っ取った?」
「私もそう考えている。だが、推論に過ぎない」
レットは頭を抱えそうになった。
確かに彼女は「子爵を知性で出し抜いた」と言っていた。つまりは、この仮説がほぼ当たっているということだ。
モリアーティーとアイリーン・アドラーのキャラクターが混ざっている。つまりは、最恐のファム・ファタールが生まてしまったというわけだ。
「子爵から奪い取った家業がカーリーン・マスタルテの手でどうなったのか調べるのは、巨木の根を掘り起こすような作業だ。だからこそ、逮捕できない理由も君なら理解できるだろう」
「十中八九貴族相手の商売でしょうね。人身売買以上の非道なことが盛りだくさん。そしておそらく、政府関係者まで組み込まれている可能性がある……。カーリーン・マスタルテの運用がどうなっているかはわかりませんが……既に数多の命が失われているでしょう」
レットはこめかみが痛むような気がして、コーヒーを飲んだ。頭痛にはカフェイン――いや、それは片頭痛の話だ。
正面からじっとミヒャエルに見つめられて、その眼力にレットは怯みそうになった。
「……なるほど、愚弟の話がよくわかる」
「はあ……」
「不気味なパッチワーク、とはよく言ったものだ」
「……そんな家庭的な例えにしていただけるとは、光栄ですね」
レットの皮肉に、フッと一瞬だけミヒャエルが笑った。その顔にレットは目を丸くする。
笑顔とは縁遠い男だと勝手に思っていたが、そうではないらしい。
「さあ、そろそろ出番を与えなければ。気が短い弟を持つと苦労する」
「は?」とレットが聞き返すと、なぜかミヒャエルの後ろの本棚がスライドして、そこから人影が現れた。
すらりとした長身と、ミヒャエルと同じ青灰色の瞳。現れた探偵はレットを冷たく一瞥する。
「まったくだ。話が長い兄を持つと苦労する」
「お前は私の話を聞くのが好きだったじゃないか」
「四歳までの話だ」
兄弟喧嘩を前にしてポカンとしていると、ミヒャエルは席を立ち「失礼」とシルクハットを被り直して去って行く。レットが「ま、」と言いかけた瞬間に、探偵が向かいの席へと着いた。逃げられない。




