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嘘つき男装令嬢と偏屈探偵の事件録 〜仮面の新聞記者は真実を語らない〜  作者: 乃間いち葉
第一章 悪魔憑きの令嬢たち

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19. 歩く帝国政府


 今日も今日とてネタ探しだ。うだつの上がらないルーティンワークは、皮肉にもレットの心を慰めた。

 テーテ川の河川敷にいつもいる小さな情報屋は、レットを見ると「こんなに頻繁に来るなよ」と嫌そうな顔をしていた。レットはただ「悪魔の目撃証言を聞きにきただけ」と肩を竦める。それでも、昨日に引き続きやってきたレットを彼は犬を追い払うように手を動かした。


 令嬢たちの悪憑ききの件から、悪魔の目撃証言が多発している。だいたいが恐怖や思い込みから端を発したものだとレットは考えているが、いま新聞のネタになるのはそれくらいだ。テーテ川から離れて街の中心部へ向かうと、レットは声をかけられた。


「そこの君」


 ずいぶんと堅苦しい喋り方だ。顔を上げて、レットは驚いた。インバネスコートを着てシルクハットを被った紳士は初対面のはずだったが、どこかで会ったような気さえする。磨かれた革靴が硬質な音を立てながら石畳の上を進む。だいぶ上背があるその男は、相貌を見るだけでも神経質そうに感じた。意思の強そうな眉が、レットを見つめて跳ね上がる。


「ついてきたまえ」


 偉そうな口調に反発心を抱き、レットは腕を組んだ。


「どちらさまでしょうか?」

「愉快な新聞記者に物申したいことがあってね」

「では社長にお通しします。トゥルースレス・タイムズの場所はこちらです」

「おや、私の見込み違いか」


 人を値踏みしつつも、人を試すような口ぶりをする。どうしてこうも同じことをする人種が多いのか。レットは吐き出しそうになる文句を飲み込んで、目の前の紳士を見つめた。


「仕立ての良さそうなコート。アクセントは上流階級ではない。でも、非常に正確で抑揚の聞いた喋り口。そして私を知ったような言葉。あとは人を顎で使うことに遠慮のないことから鑑みて——探偵殿のお兄様と見受けられますね」


素晴らしい(エクセレント)」と無感動な表情のまま、彼は拍手をした。ここまで乾いた賛辞があるのだな、とレットは思いながらも、腕を組んだまま探偵殿の兄を睨みつける。


「私に用事が? 歩く帝国政府のような方がずいぶんとお暇なのですね?」


 レットは自分の態度が刺々しくなっていくのを感じていた。権威的な男性に忌避感を覚えてしまうのはもう仕方のないことだった。自分の父を思い出させるような振る舞いをする人間は嫌いだ。


「そのことは限られた人間しか知らないはずだが」

「情報源があるのですよ。まあ、兄ですが」


 これは嘘だ。探偵の兄は原作でも登場している。「歩く英国政府」として非常に強いバックボーンを持ち、探偵の頭脳すら凌駕する切れ者だ。それをもとにメタ的な見方をすれば、この男がおそらくは探偵の兄だと判断できる。


「君の兄上とは気が合いそうだ」

「ええ、無鉄砲な下の兄弟を持つと苦労しますものね」


 素知らぬ顔で同調すれば、「ああ、頑固者だと特に」と皮肉られた。こちらこそ「有能な兄」を持って苦労しているというのに。


「エスコートしていただけるとなれば、それをお受けいたします」

「ではこちらに。レディ」


 先ほどまで道の端にずっと待機していた辻馬車はこのためだったのか。レットは納得しながらも、また全速力で馬車を走らされたらたまったものじゃないと思った。だが、ゆるやかに走行し始める馬車に、そっと胸を撫でおろしたのだ。




 ディオゲネス・クラブ。これはホームズの兄であるマイクロフトが創設した、一言も喋らない紳士の交流場として描かれていた。喋らないのに交流とはこれいかに、と思うだろうが、彼の「変人っぷり」を裏付ける強烈なエピソードのひとつである。


 それと似た場所に通されて、レットは遠い目をした。紳士はみな一方向を向いて静かに座り、コーヒーと葉巻をを嗜み、たまに新聞へと目を通している。シン、と静まり返る社交場は耳が痛くなるほど音がない。時おり咳き込む音やコーヒーカップとソーサーが擦れる音しかしないのだ。


 探偵殿の兄上はそのクラブの中を真っ直ぐに進み、奥にある扉を開いた。そこにもまた、重厚なカーペットが敷かれ、本棚が壁に敷き詰められた中、一人掛けソファが一対だけ置かれている。アンティーク調のそれは、貴族の屋敷に置いてあるものと遜色ないものだ。


「こちらへどうぞ、レディ・スカーレット」

「今はレットと。新聞記者の僕に会いに来たのでしょう?」

「ではレット。コーヒーは好きかね?」

「ええ、好きです」


 小さなテーブルにある呼び鈴を鳴らすと、すぐに給仕の人間がやってきてコーヒーを二つ運んでくる。無言のままにそれをテーブルに乗せて、丁寧な仕草で礼をすると去って行った。

 レットは遠慮なくそれを口にする。懐かしい味だ。生まれてからは紅茶ばかり飲んでいたが、やはり前世で多く飲んでいたコーヒーは別格だった。


「それで、お話とは?」

「カーリーン・マスタルテの話だ」


 レットは動揺を見せないために、そっと目蓋を閉ざした。一呼吸置いて、目を開く。だが、おそらく彼にはレットの狼狽が伝わってしまっただろう。


「……その前にあなたのお名前を教えていただけますか」

「ああ、失礼。ミヒャエル・ホルムだ。愚弟が世話になっているようだな」

「とんでもない。僕——いえ、私はスカーレット・アレンシアと申します。今はレットとして新聞記者を生業にしています」

「兄であるアレンシア伯爵にはお会いしたことがある。お若いが非常に聡明な御方だ」


 レットはミヒャエルの出方を待った。カーリーン・マスタルテとの邂逅はきっと彼に気づかれている。

 そうなると、彼がレットに接触した意図が見えてくるはずだ。レットは静かにミヒャエルの言葉を待った。


「単刀直入に言おう。カーリーン・マスタルテは当局によって監視されている。彼女と接触すること自体が、国家の不穏分子としてみなされる」


 ――ああ。


 レットはどうしてか笑いたくなってしまった。


 正しさに横っ面を殴られて、どうしてこうも笑うしかなくなってしまうのか。

 正しい。すべてが、名探偵が、名探偵の兄が、政府が、正しさを突き進んでいる。そしてその正当性をもってして、レットを殴りつけて、面前に叩きつけるようだ。


「お前は異端だ」と。

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