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嘘つき男装令嬢と偏屈探偵の事件録 〜仮面の新聞記者は真実を語らない〜  作者: 乃間いち葉
第一章 悪魔憑きの令嬢たち

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16. この世界こそが檻


 フラッシュバックにも近い記憶が身体を覆う。目がチカチカとして、レットは強く目蓋を閉ざした。


 ──スカーレット・アレンシア。アレンシア伯爵家の令嬢。平民への教育と福祉への尽力から「アレンシア家の天使」と囁かれている。だが、実態は──。


「父親を火掻き棒で殴り殺そうとしたんですって? 勇猛果敢だわ」


 嘲笑の混ざらない純粋な称賛だった。それなのにどうしてこうも不快になるのだろう。

 ──ああ、そうだ。これは、レットが探偵にしていたことと同じだ。


 多くの情報を持つという優位性。相手に首輪をはめることができる弱点が手にあるという、歪んだ支配欲に違いなかった。


 なるほど、見知らぬ人間に頭の中を掻き混ぜられている気分だ。あの探偵殿は非常に理性的だったと完敗せざるを得ない。不快と恐怖が胃を焼くようだ。


「あなたの父親は一代限りの男爵家の息子に過ぎないというのに、あなたの母である伯爵令嬢と結婚し、伯爵になった。そして傍若無人に振る舞い、妻に手を上げ、実の子供にも手を上げた。そう、あなたの兄のハーヴェイ・アレンシアに」


 調書を読まれているようだ、とレットは思った。このティールームが留置所にでも様変わりしたように寒々しく思える。


「あなたは昔から聞き分けがよく聡明だった。だからあなたは父親の暴力のターゲットにはされなかった。でも兄が殴られそうになるたび、間に入って代わりに殴られたそうね。美しい兄妹愛だわ」

「……まるで断罪をするように私を暴くのですね」


 レットは目蓋を押し上げて、目の前の女を見つめた。女の輪郭は徐々に掴めてはきたが、決定的な証拠はなかった。だからこそ、事実で(なぶ)られることを止めることはできない。


「違うわ、あなたの英雄譚を(そら)んじているのよ。あなたの母が亡くなり、暴力のターゲットはあなたの兄一人に定まった。だからこそ、殴り殺される前にあなたは父親を火かき棒で殴った。何度も何度も、殺すことすら躊躇わずにね」

「……残念ながら、あの男は死にませんでしたが」

「でも、十三の聞き分けの良かった娘に殴られた男は、震え上がったでしょうね。だからこそ逃げた」


 女はそこで息を短く吐いた。笑ったようにも思えたが、それでもその瞳は雄弁だった。紫の瞳が、レットを見て煌めいている。チカチカと星が爆ぜるように。


「素晴らしいわ、本当に! スカーレット、あなたは私が二十二で気づいたことを、たった十三で気づいたのよ! これを知った時のわたくしの気持ちがわかる? 世界でひとりぼっちの人間が、同じ人間を見つけたときのように。この檻の中で、檻と気づかずに優雅に微笑む人間の中で、あなただけが叫んでいたのよ。『檻に入るべきはお前たちだ』と!」


 レットは恍惚とした表情の女を見て、やっと気づいた。齢二十二の貴族令嬢の死亡事件──いや、子爵家の夫婦心中事件を。


「──カーリーン・マスタルテ……」


 ──マスタルテ家の悪魔。

 夫である子爵と無理心中を図った、元男爵令嬢。彼女もまた、四十も上の子爵の後妻に入り、狂ってしまったと言われている貴族の子女だった。


 このセンセーショナルな事件は、五年経ってもいまなお、貴族の間で口に上る。

『貧乏な男爵家の狂女』『裕福な子爵家に嫁いだ挙げ句殺した恥知らず』『マスタルテ家の悪魔』と。


 レットの囁きに、彼女は微笑んだ。


「そうよ、スカーレット。わたくしは夫を殺したわ。無理心中に見せかけて、わたくしだけは生き残った。あの獣にも劣るおぞましい男を殺してやったから、今日もわたくしは生きているの」


 罪悪感の感じさせない、夢現のような響きの独白。それを糾弾することは、レットにできるはずもなかった。


「女に生まれただけで、檻に閉じ込められる。でも、檻に閉じ込められるべきはどちらかしら? 暴力ですべてを支配する存在が理知的で理性的? 笑っちゃうわ、だから知性でわたくしに出し抜かれて殺されたというのに。ねえ、スカーレット。この世界の檻に入るべき存在はどちらだと思う?」

「あ、なたは……」


 レットは乾いてひりつくような喉を動かして、カーリーンを見た。


「……すべて殺したいのですか、すべてをひっくり返したいのですか? 彼らを檻に入れて、殺したいと考えているのですか?」

「答えはノーよ」

「では、」

「でも、殺された女の数だけ殺す。それが公平というものでしょう?」


 無邪気さすら感じる瞳が、レットを射抜く。あなたもそう思うでしょう? と、心の底から信じて疑わない視線に、なぜこうも打ちのめされるのだろうか。


 彼女と自分の思想は大して変わらないという事実が、目の前に立ちはだかるからだろうか。


 ――支配する人間を殺してやりたいと思ったから?


 ――母の不幸もレットの不幸も、女に生まれたからだと恨んだことがあるから?


 ――探偵と同じく、レットもまた男の言うことを信用していないから?


「ねえ、スカーレット。あなたもわたくしと一緒に、この檻を壊しましょう?」


 すべてが巡り巡って、レットの首を締めている。蛇のように首筋を這うそれの囁きは、楽園の住人を唆すような甘さを思わせる。

次回から完結まで毎日更新予定。

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