婚約者を奪われたので、この国を出たいと思います
「お姉さま、ごめんなさいねぇ? 私の殿下は、私に意地悪するお姉さまが大嫌いなんだそうですよ」
私をあざ笑うようにくすっと笑うティナのなんて愛らしい姿なのだろうと、私は口角をゆっくりあげました。その様子を私の婚約者である王太子やその側近、周りにいる貴族令息令嬢たちが、怒った腹いせに私がティナに何かしでかすのではないかと悪意ある視線で私を見ています。
……これは、私の最高の笑顔で、お二人に応えてあげなければいけませんわね。あぁ、あのお二人をどう料理いたしましょう。
私の動向を見ていた王太子が、ついに言葉を発しました。それは、まぎれもなく、この国の災いの始まりであることだと、このとき、誰が予見できたでしょうか。
誰も出来なかったでしょう。今、この瞬間に、アホな王太子の稚拙な恋のために、この国は、聖女の加護を失ったのだと知る人はこの会場にはいません。ここは、子どもたちのお遊戯会なのですから。
「ガーネット・ウォレット。俺は、今まで、王太子妃候補として、我々王族の威を借り、そなたがこれまでのあいだ、周囲に威張りちらしていたこと、実の妹へ対する悪逆非道の数々を知り、この国の王太子妃としてふさわしくないと俺は判断した。よって、今夜、そなたとは、即刻、婚約破棄をし、改めて、ティナ・ウォレットとの婚約を正式に発表する。どちらも、侯爵家の娘であるのだから、何の問題もないだろう」
「……問題なら、数え切れないほどたくさんありますし、陛下が大変困るの思うのですが、まぁ、殿下がそうおっしゃるのなら、いいでしょう。未来の王であったはずの殿下が、恋慕ごときで、聖女である私との婚約破棄をして、この国の加護を失っても構わないと、愛のために、国を捨てるご覚悟があり、そこまでティナを望まれるのであれば、婚約破棄でも構いませんわ」
私は、王太子の言葉に対して、小さく呟きました。そもそも、この茶番はいったい何なのかと、片腹痛くて笑いたくなりましたし、バカだバカだと思っていた王太子が、ティナにでっち上げられたありもしない私の悪逆非道の数々を信じていることに、思わず大きなため息がでてしまいました。
私の呟いた言葉は、幸いこの会場にいる誰しもに届いていないようで、静まり返った大広間に、私の大きなため息だけが響いていきます。
「わかりましたわ。再度、確認を差し上げますが、殿下は、私との婚約破棄を希望と言うことで……、本当に間違いはありませんわね?」
「そなた、俺の言ったことが聞こえていなかったのか?」
「いいえ、ちゃんと聞こえていましたわ。殿下の意志で婚約破棄をしたいということの再確認です」
「再確認など必要ない! もう、決めたことだ! ごちゃごちゃと、文句をいうなど、貴族令嬢として王族に従えないのか!」
「えぇ、そうですわね。上位者へ対して、礼節がなっていないのは、とても問題だと思いますわ」
わざとらしく、私はもう一度大きくため息をつきました。それを見ていた王太子の怒りは、沸点を超えたのか、フルフルと震えています。上位者がどちらかわかっていない時点で、残念でなりませんが、私は、確認の言葉を続けなければなりません。これは、上位者として、ちゃんとした契約破棄の意志を確認するためです。ここをおざなりにすると、あとで揉めてしまいます。
「あとで、「婚約破棄は誤解だった」などと言われでもしたら、めん……いえ、私も立場上、とても困りますから、確認をとったまでですわ。それに、殿下から、いささか笑える冗談が聞こえてきて、私、今、笑いを堪えるのが大変ですの」
普段は、きゃんきゃん吠える王太子に歯向かうことすら億劫で、この数年間は愛想もつかしていたため、王太子がどんなにダメ人間すぎであっても、何も言わずにお守りをしてきましたが、王太子自らが望んだ婚約破棄、もとい、王太子のお守りのお役御免とならば、育て方を間違えた陛下も私には何も言えないでしょう。今までのことを踏まえて、バカな王太子を『バカだ』と罵ってもいいでしょうし、これまでのうっ憤を口に出しても許されるでしょう。
私の知る限りのことをここで暴露したとしても、王族への冷たい視線が、国民から向けられ、信頼失墜するくらいですから、損害としても大したことではありません。
聖女であり、大魔法使いである私をこの国が失うことに比べれば……、ですが。
「じょ、じょ、冗談だと!」
「えぇ、そうです。冗談でしょう? おバカさんなりに一生懸命に考えたにしては、なかなか良い冗談でしたわ。クスッ」
「そんなことはない! 俺が、ティナと幸せになる今後のために決めたことだ!」
「決めたこと? 殿下ごときの意志で、この婚約がどうこうできる話ではありませんことも、ご存じないので? お可哀そうに。殿下もバカなら、その側近たちは、大バカものばかりだったのですわね?」
「言わせておけば! ガーネット嬢!」
「私に脅しは効かないこと、ご存じありませんの? あぁ、あなた方は、大バカたちでしたわね。気が利かなくて、ごめんなさいね」
私は王太子の側近たちを見ながら、高々に笑ってしまいました。
「久しぶりに笑わせていただきましたわ。婚約破棄の判断は、おバカさんにではなく、陛下に委ねますわ。誰かっ!」
そう言ったとき、王宮で今一番の出世頭と言われている文官が、私の下へと駆け付けてまいりました。私は、その文官のことを耳にしていましたが、王太子妃候補のため、表舞台のことは関わらないことになっていたので、初対面でした。
「あら、今をトキメク方ではありませんか?」
「ガーネット嬢の耳にまで、私の名が届いているとしたならば、それは、大変光栄なことでございます」
「そう。それで、殿下が私と婚約破棄をしたのち、あの平民の子と婚約をしたいと申されるの。父上には、この状況になった場合、あの平民の子への対処は決めてくださっていますが、殿下との婚約については、陛下へ早急に連絡を取り次いでいただけますか?」
「もちろんでございます。この国で、最優先されるべきお方のお声は、いかなるものでも、迅速に陛下へ届けさせていただきます」
「ありがとうございます。それと、これを陛下に。明日には、ロマンス小説として、市井で売り出されることになっているのだけど……、おもしろいですから、お目汚しに読んでみてくださいとお伝えください」
私は一冊の本を小さなバックから取り出しました。マジックアイテムであるこのバックは、収納が無限大で、何でも入れられる優れものです。もちろん、魔力量によって、このマジックアイテムの性能は変わると聞いていますが、私は不便を感じたことが、今まで一度もありません。
「かしこまりました。それでは、ガーネット嬢は、このあと、どうされますか?」
「この場では、私は歓迎されていませんから、殿下の頬に一発、我が家に居候している平民の子の躾をしっかりしたあと、退出いたしますわ」
「では、陛下からの返事は、侯爵家へお届けします」
「よろしくお願いしますわね」
文官が後ろへ下がり、陛下の下へと向かいました。扉が閉まるのを確認したあと、私はそっとバックの中から、杖を取り出します。それを見た周りの貴族たちは、ゾッとしたように出入口に走っていってしまいました。これから特等席を用意する予定でしたのに、とても残念です。私は、逃げた貴族の令息令嬢を一瞥し、出入口を凍らせます。これで、この会場の出入りはできません。
……誰一人、逃しませんわ。
この場にいる兵は、王太子の側近だけ。事前に何があっても、この広間には決して入らないようにと、心得のある近衛たちには話してあったので、王太子のために、外からは誰も助けは来ません。
私は、首を左右に揺らします。最近の殿下の身辺調査のおかげで、肩がとても凝っているように感じます。
冷気が足元からすぅーっと上ってくるのを感じながら、「さぁ、宴を始めましょうか?」と、私は、にっと口角を上げて微笑みました。
「な、、、、、何をする気だ、ガーネット! 近衛よ、俺たちを守れ!」
慌ただしく、殿下の側近たちは、駆け寄ってきますが、私はその奥で子鹿のように震えている殿下だけを見つめました。
「何をと、申されましても……、とても困りましたわ。教育のなっていない我が家の居候の平民の子を侯爵家の娘として、躾けるだけですもの。殿下はご存じなかったかもしれませんが、ティナはお父様の子ではないのですから、主の子である私が使用人の子に躾をするのは当たり前のことですわ。まぁ……、そのほかの方々は、この場に居合わせたので、その道連れですわね!」
「ひぃー、や、や、辞めろ! ま、ま、魔法は、この城で禁止されている!!!」
「そんなこと、知っていて当たり前のことですけど、よほど、殿下は、脳内常春のお花畑で、おつむがやられていますのね? お可哀そうに」
「……何を言う、ガーネット! 今すぐに、冷気をとけ!」
「冷気? 私は、邪魔が入るといけないので、扉を凍らせる魔法を1度しか使っていませんわ。あぁ、みなさん、私から溢れ漏れただけの魔力に、震えているのですね。寒ければ、温めますが、いかがかしら?」
ゆっくりと後ろを振り返ると、令息令嬢たちは、歯をガタガタと鳴らして、震えているので、火魔法の提案をして差し上げると、皆一斉に首を横に振っています。私の優しさゆえの申し出をそこまで否定するなんて、少し悲しくなりました。
怯えたように私を見つめ、「……助けてくれ」とか、「私は関係ないわ」とか、殿下のように、戯言を言っています。
なぜ、みなが私を見て震えているのか。その答えは、この国始まって以来の聖女であり、大魔法使いである『ガーネット』のことをすっかり忘れてしまっていたからのようです。私は、ティナのいうように、極悪非道の酷い人間ではありませんが、誹謗中傷をした人を許せるほど、心の広いできた人ではありません。
「さて、ティナ。そろそろ、お姉様も、この楽しい宴を退出しなければなりませんの。ウォレット家の恥を皆さまに見せてしまいましたし、お姉様の婚約者も寝取るなど、恥ずかしくて世間様にはとてもじゃないけど、話せませんわ!」
私が、二人の現状を少しお話しただけで、周りにいた側近たちが、信じられないという表情に変わって、王太子とティナを見ていた。いや、その側近の何人かとは、ティナは関係を持っていたので、驚きと悲しみ、裏切りへの怒りなど、いろいろな表情を見せてくれています。
……あらあら……、どれほどの殿方を手玉にとってきたのかしら? みなさま、お顔に感情が出てしまっていますわ。
「……寝取るとは?」
「えっ、殿下は、そのティナ様と、もう、そんな深い関係を?」
「……ティナさん? あの夜、私を愛しているといったではないか?」
「はぁ? お前も、ティナ嬢と夜を過ごしたのか?」
「えっ、あなたもあなたもですか? いえ、殿下も! これは、一体どういうことですか? ティナ様!」
「殿下は婚約者もいるのに、何てことだ!」
「俺たちは、ティナ嬢に騙されていたのか!」
明らかにティナに色目を使われていた貴族令息たちは、お互いの顔を見ながら戸惑っています。その中でも、王太子の側近たちは、口々に「ティナ嬢を愛している」なんて、あちこちで言いふらしていた者たちばかりなので、顔が青ざめていきました。
「みなさま、お静かに。ティナが、みなさまの責める声に震えていますわ!」
口うるさい令息たちを私は自分の口元に人差し指を持っていき黙らせます。本当に、困った方々です。
「お、お、お姉様が、私にしてきたことに比べて、それが何ですか? 殿下とは、お互いの愛を確かめ合っただけです!」
「えぇ、そうですわね。婚約者のいる殿方に色目を使って……、あなたは、一体、何をしたかったのか。夜を過ごしたのは、殿下だけでないことは、すでに、私も父上も知っていますわ。ウォレット家の恥と心得なさい。あなたは、私の父である侯爵の子ですらなのですから」
「そ、そんなことないわ!」
「そう思っているなら、義母様に尋ねなさい。ティナ、あなたは、侯爵家の一員ではありませんのよ。ただの居候。殿下も何を勘違いされたかわかりませんが、侯爵の娘でないティナとの婚約となれば……、そうですね……、王太子の座もなくなりますわね? 弟君に譲られたい、そう強くお望みですのね。それはご立派で賢明な判断ですわ! それが狙いで、「ティナとは、真実の愛だ」と、殿下はおっしゃったのであれば、なんて素敵な愛の物語でしょう。みなさまも、そうは思いませんか?」
ざわつく会場。私は、しーっと人差し指を口元へ持っていき、再度、静かになったところで、ティナに向かって歩き始めました。
「……いや、いやよ! お姉様。近寄らないでください! 殿下、どうか、助けてください!」
「大丈夫だ。俺たちを近衛が守ってくれる。それに、この俺に手をあげるなど……、無礼にもほどがある!」
「殿下、無礼にもほどがあるのは、一体、どちらかしら?」
カツーンカツーンと響く靴音。その音を聞くたびに、ティナは震え、王太子は後ろに下がっていく。それをおもしろげに見つめ、次の瞬間には、ティナの前に立ちました。呆然とするティナと王太子に、にっこりと笑いかけたあと、私はティナの頬を往復拳で殴り、隣にいた王太子を杖でぶん殴りました。
軽くしたつもりですが、吹き飛ばされた二人を見て、私はすっきりしたと言わんばかりに、ダンスのステップを踏んで、二人から距離を取ります。一瞬のことで、動けなかった近衛が、我に返った瞬間でした。
「私の相手になってくださいますの?」
「……」
近衛たちは、私を見た後、お互いに視線を交わし、その場に膝まづいてしまいました。
「この国最強のお方に、私どもでは勝てるはずもありません。ご容赦いただけると幸いです」
「よかったのかしら? 王太子に罰を受けるかもしれないわ?」
「私どもは、陛下に仕えています。王太子殿下の私物ではありませんから……」
「降参です」と、隊長格のものが言ったとき、陛下と父が先ほどの文官と近衛騎士たちを連れて会場に入ってきました。外からは簡単に開くようになっていたので、床でのしている王太子とティナを見て、二人は大きなため息をついているのが見えます。
「ガーネットよ。派手にやってくれたな」
「陛下、当家のものが、大変なことをしでかしたこと、陳謝いたします」
私は、陛下の下へ赴き、頭を下げると、父も隣で同じようにしていた。
「いや、ガーネットよ。謝るべきは、そなたではなく、私の方だ。この国の平和は、ガーネット一人によって、守られている。地位の確立と思い、王太子妃にと思っていたが、よもや愚息が、このようなことをしでかすとは。オークス」
「はい、陛下、ここに」
「リチャードを3ヶ月の幽閉ののち、平民へ降格。数日分の生活費を持たせたのち、王宮から放り出せ。二度と私の前に姿を現せるな」
「かしこまりました」
陛下の近くにいた近衛騎士が号令をかけると、王太子とティナは連れていかれます。ティナの処遇については、修道院への送ると父が決定していました。
「……もっと早くに、そうしていればと、本当に悔やまれます」
「過ぎてしまったことは仕方がない。そなたとの血縁関係のないものまで、責を問うつもりはないから、安心せい」
「ありがたきお言葉」
「さて、問題は2つある」
父に言葉をかけていた陛下は、まず、後ろにいる貴族令息令嬢に視線を向けました。こちらの処分があるのでしょう。子どもたちのお遊戯会でしたから、その親が呼び出され、厳罰が下ることは、容易に想像できます。陛下は近衛に何か伝えたら、一人を残し、他のものは、貴族令息令嬢のもとへ向かいました。私はそれを見ながら、「ご愁傷様」とだけ心の中で呟きました。
「もうひとつは、ガーネット」
「はい」
「婚約破棄は、こちらに非があるので、咎めはない。ウォレット侯爵家にもだ」
「ありがたき幸せでございます」
「そして、ガーネットの処遇だが……」
陛下は私が何かを言い始める前に、方をつけたかったに違いありません。ただ、私も、今回のことで、決めていることがあります。私は、陛下の提案をお断りすることにしました。
「第二王子との婚約……ということで、落ち着かぬか?」
「ありがたいお申し出でございますが、辞退させていただきます」
「何故だ! この国にとって、ガーネットは至宝である」
私は最上級の笑顔で、「何があっても、お断りいたします」とだけ、陛下に伝えました。それとともに、陛下への別れの餞別として、私の最大限の魔力で祈りました。
「陛下、お下がりください」
魔力のあるものなら、すぐにわかるはずです。膨大過ぎる魔力がどんどん膨れ上がっていくのですから。胸の前で手を組み、天に祈りをささげました。
次の瞬間には、大きな特大花火が上がったように、夜空に大きな魔法陣が描かれ、キラキラときらめいています。
祈りが終わった瞬間に、魔法陣は雪のように、この国全土へと降り注ぎました。
「これにて、お別れです! 陛下、今までよくしていただき、誠にありがとうございました。私は、この国をでて、新たな旅路へ向かいたく存じます。私のわがままをどうか聞き入れてくださいませ」
聖女の祈りと引き換えに、私は、この国を出る許可を求めます。とてもじゃないですが、許されるものはありません。ただ、今回の件で、引け目を感じていた陛下は、私の願いを受け入れ、旅の支度に必要なものを揃えると約束してくれました。
◇
「本当に行ってしまうのか?」
「えぇ、お父様。王太子に、あれほどの辱めを受けては、この国で生きていくことは難しいでしょう。わかっていらっしゃるではありませんか。時々は、領地へ戻ってきますので、ご心配なきよう」
「心配はしていないさ。この世界始まって以来の聖女であり大魔術師なんだから。それでも、娘の心配をするのは、父親である私の役目だ。今まで、本当にすまなかった」
私に頭を下げる父親の肩に触れ、「気にしていませんわ」と優しく微笑みます。父にとって、私に罵倒された方が良かったのかもしれません。でも、私はそれで終わらせたくはありません。許す許さないではなく、これからも父娘であるために。涙でぐちゃぐちゃになった父の顔をハンカチで拭いてやります。
今回の件で、父が失ったものは大きくはかり知れません。侯爵家という看板は無くさないものの、ティナが行ってきたこれまでの不貞行為を含め、自供剤を飲まされたティナや他の貴族令息たちの証言で、頭が痛くなるようなことが、次から次へと出てきたそうです。
父は、ティナを放置していたことに対し、責任を感じたらしく、陛下に、しばらくの間、公務への自粛願いを申し出ました。それによって、俸禄はもちろんなく、領地がこれから冬支度に向けて少しずつ入り用になるのに、金銭的に苦境となりました。
領民には、もちろん、非はないので、領主自らの身を切ることになるでしょう。
もう少しで継母となるはずだった女性は、連れ子のティナの責任を取り、屋敷から追い出されました。父とその女性との仲はそれほど良いとは感じていませんでしたが、どうやら、その理由も明らかになりました。
その女性が、父に秘密でかなりの高額な宝飾品や高価な品々を買い込んでいたらしいのです。潤沢な資金を持つ侯爵家であったにも関わらず、その女性に会計管理を任せていた父はとてもショックを受けていました。悪用していた金銭面の洗い出しもされることとなりました。
金銭的な苦境とはいえ、これらの女性の隠し資産を現金化すれば、領地の冬は越せるでしょう。
「侯爵家の信頼は、いつ戻るのだろうな」
「それは……、弟が立派になったときかもしれませんし、何か他に信頼にたることが起こるかもしれません。未来は誰も分かりませんから、気をしっかり持ってください」
侯爵家の信頼は、今や地に落ちています。私の実妹だと思われていたティナの行動のせいで。侯爵家とは、血のつながりがないとはいえ、世間的には、侯爵の娘として扱われていたのだから、そればかりは仕方がないことです。我が家も、ティナを侯爵令嬢と扱われていたとしても否定してこなかったのですから、しかたがありません。
「ガーネットがいなくなれば、誰がこの国を守るのか」
「それは、陛下が考えることで、お父様が気にすることではありませんよ。これ以上は、次の目的地へつきませんから、そろそろ、出発します。お父様、どうか、お元気で……」
私は、震える父を抱きしめました。それから、小さなバックだけを持ち、用意された馬に跨ります。
「いってきます!」
そう言って、私は馬に進むよう指示をします。陛下が揃えてくれた旅路の用意の中のひとつです。
馬がゆっくり歩き始めると、弟が侍女に連れられ走ってきました。「見送りは不要」と言ったのに、来ることは想像していましたが、振り返ると可愛い弟の元へ戻ってしまいそうになるので、私はグッと堪え、振り返りませんでした。
「ねぇ様!」
泣き叫ぶ弟の声をそっと胸にし、私は返事の代わりに、パチンと指を鳴らして、大きな花火を打ち上げました。
ビックリした弟は泣き止んだようで、風が運んでくる父と弟の声が聞こえてきます。
私は微笑み、前へと馬を走らせました。
「聖女様!」
城門を出ようとしたとき、王都の民が私の出発をどこで聞いてきたのか、集まり始めています。ここでも、足を止められると、本当に野宿になってしまます。
「前を通して!」
私の声に反応した近衛たちが道の整理をしてくれ、馬が通れる道を作ってくれます。民の声を聞く限り、私は、今まで自分の役目をきちんと全うできていたのでしょう。「ありがとう」や「ご武運を」と、街の人々が声をかけてくることに嬉しく思い、涙がこぼれそうになりました。
今は、ゆっくりしているわけにはいかないので、声に応えることなく、走り抜けます。
まだ見ぬ場所へと、私は一人、旅立ちました。
「それでは、みなさま、ごきげんよう!」
- END -




