よみびとしらず
彼女は特技を一つだけ持っている。
身長155センチ体重44キロ。一重の目・小さめの鼻・少しだけ張った顎。
なで肩で軽いO脚の彼女は、すれ違っても振り返られる事などはない平凡な顔立ち。
その中で唯一目立つのは黄金色に輝き肩に靡く長い髪だけだった。
特技のお陰で、彼女は裏世界を彷徨うことになった。
自分が機密兵器として扱われることについては到に慣れている。
自分の雇い主に興味を抱く事もない。
だが、今度の組織の名を聞いた時は違った。
「彼女は『詠み人』最後の一人です」
『紹介者』はナンバー1にそう告げた。
「小玉家最後の一人で、彼女以外全て死んでしまい跡を継ぐ者もおりません。もちろん彼女が誰かと子を設ければその能力が伝承される可能性はありますが、彼女はそれを望まないそうで・・・」
「無理やり創らせるか?」
ナンバー3が野卑な笑いを浮かべるが誰もそれに乗らない。
「で、その詠み人だが、もう少し詳しく知りたい」
ナンバー2が問う。
「古来小玉家に伝わる能力で、人の本質を言い当てるのだそうです。私も詳しくは理解していないのですが、古文書の解釈ではこういうことです」
男が語ったことを掻い摘んで記すとこうなる。
この世に存在するあらゆる人間は、ある種の人々から『那真会』と呼ばれる『印』を持つ。それは普通の人間には読み解くことは適わないが、なまえを認識する能力を持つ者も僅かながらに存在した。
その者を『詠み人』という。
人の『なまえ』は孤絶した存在、人知の外であることから別名『魂』と呼ばれ、人が臨終を迎える時、その器である身体を離れ浮遊する。
魂は、個体差はあるものの大抵は新たに生を受けた者、言うなれば新しい器に辿り着き、その者に生きる意味を与える。
これが輪廻である。
魂自体には意思はなく、いわゆる『こころ』ではない。個々の魂はなまえとしてそれぞれ意味を持っている。それは人言うところの『宿業』である。人は魂を受けた器として意味を与えられ、無意識下に魂の宿業を以ってこの世の営みに参加するのだ。
魂は隠れた存在であり、それは魂の器たる者にも知られることはない。ために、魂=なまえを言い当てられる事により、人はその存在意義を失い、即座に魂はその者を離れ、新たな器を、まだ魂を持たない初な者を求め去るのだ。
それは即ち、その人物の死を意味した。
こうして魂を知るもの、『詠み人』は武器を用いずに人を殺すことが出来るのだった。
「そんな物騒な存在が、よくここまで騒ぎひとつ起こさず来られたものだな」
2が疑問を呈すると紹介者は、
「小玉家は一子相伝でこの技を保ちました。能力があってもその使い方を知らないのなら意味はないのです。彼らは能力を権力者の武器として使われぬよう封印し、隠れて生きて来たと聞きます。偶然に噂を聞き付けなかったら私も果たして」
「もういい。いくらだ?」
1が遮ると、紹介者は誰もが仰天するであろう金額を事も無げに告げた。しかし1は顔色一つ変えず、
「後で口座を2に知らせろ」
「それで彼女は我々の組織に協力することを納得しているのだな?」
2が問うと、
「大丈夫です」
「前へ」
地味な24、5の女性が進み出る。
「名前は?」
1が尋ねたが彼女は黙って被りを振る。
「申し訳ありません。小玉家の者は自ら名乗りません。彼女の名はサユキです」
紹介者が申し添えると、
「サユキ。ようこそ、組織へ」
手回しの良い2が、用意してあった派手な花束を彼女へと差し出す。
しかし彼女は1を見つめたまま手を出さず、訝しんだ1に告げる。
「お前は私の家族を殺した」
「なに?」
「12年前の冬のことだ。お前は私の父を殺し土地を掠め取っただろう」
心当たりが余りにも多くあった1には、その父なる人物が誰であったか即座には思い出すことが出来なかった。
「お前はジャンキーに寝ている家族を襲わせた。父と母は殴り殺され、弟と妹は絞め殺された。結局、薬物中毒者の事件として片付けられ、犯人は隔離病棟送りとなったが・・・お前たちはこうして大手を振っている」
そうだ。あれは自分が組を掌握した頃。時代遅れの暴力団を現代に通用する裏ビジネスの組織にしようと躍起になっていた頃の話だった。では、この女は・・・
「私はひとり夜中に手洗いに行っていて助かった。未だに父の無念の声と母の泣き叫ぶ声を覚えている。父は技が世に知られることを恐れ、死に臨んでも使わなかったが・・・」
ふと彼女は言葉を切ると、紹介者を振り返る。
「私は使う」
紹介者の顔が見る見る青くなる。
「貴公は『恥知』」
紹介者は信じられぬ表情を浮かべたまま叫び、倒れのたうつと事切れる。
「『隠悪』『悔愚』『損貴』」
3人の護衛は武器を取る間もなく喉をかきむしり倒れ、
「『露忍』『良限』『喰毒』『絶心』」
驚く間もなくナンバー3から6まで幹部4人が崩折れる。
呆然とする2人が残り、彼女の視線が自分に向いたのを見た1は、思わず後退さる。
「し、知らなかったのだ、よりによってお前の」
「見苦しい」
「や、やめろ!」
「貴公は『卑行』」
1の断末魔の声が響き渡る。
目線だけが独り立ち尽くす2に向かう。
「貴公は『障賢』」
2は薄れ往く意識の中で、あの沈着冷静なボスが女のような悲鳴を上げる姿に失望していた。
彼自身、声を限りに叫んでいたのだったが。
自分の周りにいた者全てが沈黙すると彼女はひとつ息を吐く。
1の傍らに落ちていた2の用意した豪奢な花束を拾い上げると、そっと抱き締め、濃厚に漂う花々の香りを思い切り嗅ぐ。
「くさい」
彼女はぽいっと花束を投げ出し、それはまるで手向けの花のように白目を剥いて横たわる1の上に落ちた。
彼女は踵を返し部屋を出て行く。
そのまま屋敷を出て後ろ手にドアを閉じる。
ふと陽光に目を細めた。
全く何時もの無表情だったがひとつだけ違うのは、口元に笑みらしきものが浮かんでいることだった。
彼女は玄関脇に停めてあった自転車に跨ると、まるで街へ買い物に出掛けるようにゆっくりとペダルを漕ぐ。
それ以来、彼女の姿を見た者はいない。
彼女は特技を一つだけ持っていた。
今となっては、それにより彼女が幸せだったのかどうか知る由もないのだが。