第六話 ダグラスの困りごと
暇になった。あれから村長の家を出て今はアスファと一緒にいた。
こうして外の空気を吸うと無事なんだなって思えてくる。村長の家の前でも様変わりした外の雰囲気に私は安心した。
これからも平和が続くと良い。戦いには負けた私達だけど今でも穏やかな生活でありたい。
「セレナ。……ダグラスはなんで来たんだろうねぇ。相変わらず迷惑を考えない男だねぇ。こっちの事も考えないなんて信じられないよ」
凄まじい言葉が並んだけど確かにダグラス師匠はどうして来たんだろうか。なにか困りごとでも出来たのかも知れない。
「気になるねぇ。……聞いてみるかい、ダグラスに」
余り関わらない方が良いと思う、なぜなら選定者に影響を与えるかも知れないから。今はなるべく関わりたくない。
「ダグラス師匠はあの格好のままだから会うのは危険だと思う。今は選定者に気を配りたい」
アスファは好奇心で言っているんだろうけど今の私は一緒には行けない。ここは我慢するしかない、本当は心苦しいけど。
「そうかい。なら一人でも行こうかねぇ。……と思った途端に来たみたいだよ。セレナ」
会話に集中してたから気付かなかった。アスファが見た方に顔を向ける。誰が来たのかと思えば三人の客人だった。
どうやら村長に用事があるようで私達の前に立ち止まった。元白賢者が中心にいて左右に他二名がいる感じだ。
「村長への要件は終わりましたか。これから私達も会いに行くところです」
もしかして今まで用事が済むまで待っていてくれたんだろうか。だとしたらなんて機転の利く素晴らしい人なんだろうか。ダグラス師匠も見習ってほしい。
「おおっと儂は儂だ。誰にも止められん。とそれよりもお主達にも用件がある。それはな。とある塗り薬を作ってほしい」
なんの塗り薬なんだろうか。だけどダグラス師匠も年だしもしかして腰痛とかあるのかも知れない。
「やはり都会にはアスファの塗り薬は流通しておらんのでな。こうして来たのはその為だ」
ダグラス師匠は大の都会好きだ。アークデュナス魔法学院がある王都にも何度も足を運んだ事もあるようだ。だけどアスファ曰く最初の頃はダグラス師匠の方向音痴に悩まされたみたい。
「ダグラス。あんたはいつも肝心なところが抜けてるよ。全く……心配させるんじゃないよ。だけどいつもの奴なら作ってやろうじゃないか。有難く思いな」
こうして見るとアスファとダグラス師匠は長年の付き合いなのが分かる。なんて言えば良いのかは分からないけど凄く安心する。これが心の底から信頼するって事なんだろうか。
「おおっと済まん。有難いのう。最近は腰痛が酷くてな。都会の奴では効かんのだ、これが」
腰痛か。ダグラス師匠の困りごとは最近になって増えたような気がする。この前もアスファに頼んでいた。その度に素材集めの依頼が私にくる。という事は今日もアスファからなんだろうか。
「あんたは良いね。こっちももう歳なんだよ。我慢は出来ないのかい、この好奇心男が」
アスファも言えた事なんだろうか。なんだかんだでお似合いだ、この二人は。
「それが出来んのだ。儂を必要としてくれる存在がいる限りはな。裏切る訳にはいかん、二人には迷惑だろうが」
あんな格好のダグラス師匠だけど人望の限りを尽くす性格は凄いとしか言いようがなかった。いずれは私もダグラス師匠みたいになりたい。出来る出来ないに拘らずやることから始めないといけない。
「しょうがないねぇ。……セレナには悪いけど頼めるかい。採って来てほしいのは滝の裏側にある青茸にその周辺にある巨岩の苔だよ。後はこっちが用意するからねぇ」
この依頼はどこかで聞いた事がある。あの時の依頼はこれの事だったのか。もう切れる物なんだろうか。なんだか凄く嫌な予感がする。でも日頃の感謝を込めて言い訳は出来ない。
「分かった。忘れない内に今から行く」
前にも行った事があるから今日は楽だろう。だけど確かあの辺には青茸と苔を目当てに来る魔物がいるとかいないとか。
「気を付けるんだよ、セレナ。さて私も行こうかねぇ、そろそろ。じゃあね。セレナ」
こうしてアスファとも別れた私は一人で森に向かう事になった。確か森は何度もアスファに連れて行って貰った事があるから大丈夫だと思う。ただ言えるのは魔物に遭遇したら厄介だ。無事に帰って来れると良いんだけどどうなんだろうか。
今は人気の無い森の中だ、ここまでは無事に来れた訳だけど。もっと詳しく言えば滝の裏側に回ろうとしているところだ。滝壺を横目に例の魔物がいないか不安がりながら辿り着くことになる。なるべく戦いは避けたい。
例の魔物がいない事を確認。今度は深く見る。確かこの辺に青茸が生えている筈。見つけた。ゆっくりと近付く。ここで見つかったら全てが無駄になる。なぜなら滝の裏側には洞窟もあるからだ。見つかる訳にはいかない。
洞窟に背を向け青茸を採る。その次の瞬間に気配を感じ取り振り返った。洞窟の奥。暗い影から出た物体は例の魔物だった。下から上に生えた二本の牙は掠めただけで傷が出来そうだ。あの牙に貫かれたら致命傷だろう。
周りからは大猪と呼ばれていた事を今になって思い出した。だけどすぐに考え直した。戦いを避けたい。その一心だった。なのに青茸の猛烈な匂いに釣られたのか突撃の動作になった。片方の前脚を折り曲げ地面を蹴り付け今にも突っ込んできそうだ。
不味い。ここで青茸を手放す訳にもいかない。こんなところで落としたら取られるに決まっている。だけど戦うには手が足りない。なにより魔杖剣を呼び起こすには時間がない。ならここは避けるしかない。視界が揺らぐ。
大猪に背を向けてしまった。でもそれでも走らないと滝の裏側では分が悪い。だからこそ巨岩がある広場に足を急がせた。今は一人だから暴れても大丈夫な筈。だけどこのままだと追い付かれる。不味い。
一人が故に誰も助けてくれない。当たり前でもこんなにもしんどい事なんてない。振り向く暇もないから魔杖剣を出しても意味がない。あの大猪からして執念が骨に沁み込んでいそうだった。このままだと魔法も使えない。
ふと気付いた。そうだ。少しでも時間を稼ぐために身体を魔法で強化すれば良い。そうすれば走り続けられる筈だ。どっちにしても後ろの大猪は凄まじい勢い。なにもしなかったら体力が尽きて追い付かれる。だからここは使うべきだ。
片手を胸に当て魔力を込める。これで良い。後は広場まで突ッ切るだけだ。幸いな事に広場までは近い。そこでなら余裕で戦える。今は一人だけど後になったら本気出す。だれも来ない事を祈りたい。怪しまれたくない。
もし本気が出せない場面になったらなんて考えたくない。でもこの速さだとすぐに追い付かれそう。大猪に直進させたら駄目だ。木が乱立する森の中で真ッ直ぐ走るなんて無理だろうからそれだけが救いだ。ただこの青茸があるかぎり大猪は追い続けてくる。
遠い。焦りが立つ。異常だ、身体を魔法で強化してるのに。今にも躓きそう。倒れたくない。木の根ッ子が邪魔だ。茂みが邪魔だ。先が見えない。駄目だ。息が切れ始めた。立ち止まりたい。もう無理。止まる。
荒い呼吸。前が見えない。猫背のせいだ。無理に意を決し顔を上げた。巨岩がある。大猪はいない。今なら取れる。広場の中へ。茂みを抜ける音。止まらず振り返る。今度は背中を見せない。やはり大猪だ。
気付かれる前に青茸を腰に掛けた麻袋にしまうと魔杖剣を出現させ柄を握り締める。立ち止まると同時に大猪に気付かれた。来る。そう感じた。気を入れ直し魔杖剣を振り下ろす。これから一対一の戦いが始まる。