ep7 初めてのお客様
「すみません……ここ、入っていいですか」
昼過ぎ、店のドアにつけた鈴が、初めて“客の手”で鳴らされた。
私は一瞬、自分の耳を疑った。
「えっ、あ、はい! どうぞ!」
慌てて立ち上がると、そこに立っていたのは——でかい。
壁かと思った。
身長は軽く180以上、肩幅も広い。
分厚い胸板に、鍛え上げた腕。
武骨な皮鎧をまとい、腰には剣が一本。
仏頂面だが、どことなく優しさも感じる目元。
間違いなく冒険者だ。
「あの、ええと…ご予約でしょうか?」
予約の電話などなってはいない。。。
「いや、飛び込みで…その、魔法施術というものを受けてみたくて」
声は低いけれど穏やかで、意外にも丁寧だった。
(き、きたぁぁぁぁ!)
頭の中で喜びと焦りがせめぎ合う。
初客だ!でも、魔法じゃないんだよね!?
「ありがとうございます! えっと、コースはですね……」
私はカウンター横に貼った料金表を指さす。
『通常コース 45分 9000エルマ』
『スペシャルコース 12000エルマ』
「は、初めての方は通常コースがオススメです」
内心バクバクしながらも、なんとか笑顔を作る。
「じゃあ…通常で頼む」
「ありがとうございます! えっと、あの…お名前をお伺いしても?」
これも、現世で身についた癖だ。
名前を呼ぶことで、距離を縮める。
施術も大事だけど、コミュニケーションも“施術”だと思っている。
「ガルドだ」
「ガルドさんですね。私は春香です。よろしくお願いします!」
笑顔で名乗り、手を差し出すと、ガルドも少し照れくさそうに握り返してくれた。
(よし、いける!)
私は自分にそう言い聞かせ、施術室へ案内した。
「では始めていきますね」
春香はガルドの背中越しに声をかける。
施術台にうつ伏せになった彼の体は、やっぱりデカい。
がっしりした筋肉が詰まっている。
(これは…張ってるなぁ…)
冒険者ってのは、やっぱり日々体に負担をかけてるんだろう。
その分、こちらも技術をフル稼働しなきゃいけない。
「今日はアロマオイルを使って流していきますね。
香りもリラックス効果がありますので、深く息を吸って、ゆっくり吐いてください」
「お、おう…」
ガルドがわずかに緊張しているのが伝わる。
(大丈夫。呼吸を整えてもらえば、自然と力も抜ける)
私は現世で散々磨いてきた手技を思い出す。
太陽の手でオイルを温め、ガルドの背中にゆっくりと広げた。
「では失礼します」
掌を密着させると、ジワリと太陽の手からガルドの背中へ熱が伝わる。
「……おっ?」
ガルドが小さく反応した。
(よし、この手ごたえ)
「温かいでしょう? 魔法の手なんですよ」
口ではそう言いつつ、私は内心で(ホントは体温だけどな!)と叫んでいた。
掌を滑らせながら、肩甲骨から背中にかけて丹念にリンパを流す。
指先でコリを探り、圧をかける。
「おお…そこ、効くな…」
「張ってますねぇ。普段から無理してます?」
「まあ、そうだな…。最近は討伐依頼も多くて…」
会話を交わしながら、私は少しずつガルドの体の力が抜けていくのを感じた。
肩、背中、腰へと流れるように指を滑らせ、ツボを押さえながら、じっくりとほぐしていく。
「はぁ…なんか、力抜けてきた…」
「いい感じですね。この調子で流していきますよ」
私は笑顔で声をかけながら、彼の体に触れる手に集中する。
(お客さんに安心してもらうこと。
話すことも、触れることも、全部ひっくるめて施術だ)
それが春香の信条だった。
「では、最後にこちらも流していきますね」
鼠蹊部。いわゆる、デリケートな部分だ。
(ここが一番気を使う。でも、ここで仕留める!)
オイルを馴染ませ、流れるような手つきでリンパを押し流していく。
ガルドの体が、一瞬ピクッと反応する。
「ん…っ」
(ふふっ、きた)
私は心の中でガッツポーズを決めながら、
あくまでも“施術”として、丁寧に丁寧に。
「ふぅ…」
「お疲れさまでした、ガルドさん」
すべてを終えた私は、一歩下がってお辞儀をした。
ガルドは、放心状態だった。
「す、すげぇ…体が軽い…」
「よかったです! またぜひ、疲れたときにでも」
笑顔でそう言うと、ガルドはゆっくり立ち上がった。
「いや…本当に魔法みてぇだ…。ありがとう、春香さん」
そう言って、9000エルマを置いて店を後にした。
(やった…!)
私は心の中で拳を握った。
翌日
「おい! ここが例の魔法士様の店か!」
「昨日ガルドが絶賛してたぞ!」
「疲れが吹き飛んだって!」
店先に、冒険者たちが次々と押し寄せる。
「え、えっ!? ちょ、ちょっと待ってください!」
急に訪れた繁盛の波。
(嬉しいけど…これ、魔法じゃないってバレたらどうしよう!?)
笑顔を保ちつつ、内心ヒヤヒヤする私。
でも、冒険者たちは口々に言う。
「春香さんすげぇ!魔法士様だ!」
「まさに神の手だ!」
神の手——
それは、後に私の異世界での異名となる言葉だった。
(いや、神じゃなくて、元風俗嬢なんだけどな…)
そんな心のツッコミは、まだ誰にも言えそうになかった。
全くもって真面目に書いているのだが、過度な性描写という規約に引っかからないように気を付けて書く。