第6話 探偵
渡罪の正次官と身なりの良い青年貴族を連れた野風は、優雅な身振りで部屋の中央に進み出、典獄の遺体を覗き込んだ。後ろの二人には見覚えがあった。渡罪のバックゲェルと呼ばれていた男の方は警察隊の海兵で、獄門院の挙兵に応じて南部の猿族たちを率いた敵将の一人だ。資料で見た覚えがある。もう一人の青年はミノタウラ族の代表で、元老院会議で何度か見かけたことがある。最初に見た頃は少年と呼ぶべき年齢だったが、二年も経った今ではすっかり青年の風貌だ。
「待てよ、今、エルロック=シェイマスって言ったか。それってたしかカプリチオ事件の捜査協力者の名前だろ。あんたがそうなのか?」
「いかにも。そういう貴殿は……、ぁあ、ましら辺境伯ですね。当たりでしょう」
「ああ。……名乗りもしないのに、よく分かったな」
「見れば分かる。仕立ての良い服の割にスラム特有の訛り。靴の表面は日に焼けているのに底が全くすり減っていないのは、転移能力のお陰で歩き回らずにすんでいる証拠。それにこの国の人間なら大概驚く僕の外見にもさほど関心を示さず、後ろの二人を観察していた。旧世界からやってきた人物ならば、その反応も不自然でない」
「たしかに野風にしては見ない毛並みだな。そんなに珍しいのか?」
「亜大陸の血筋なものでね。猿族にも色々ある、霊長教會の野風たちが当たり前だと思わないことだ。偏見は、真実の眼を曇らせる」
「先生、相手も元老院の貴族ですから、そのくらいで……」
助手風の青年が後ろから咳払いする。
「おっと、いけない。つい喋りすぎてしまうのが若い頃からの悪癖だ。失礼はありませんでしたよね、辺境伯」
「あー……、かまわないさ。あなたはアテネの件に関して頼みの綱だし、協力に感謝しているんだ。それにあんたは、数多の難事件を解決してきた腕利きの捜査協力者なんだろう? 俺も昔は特別な英雄ってものに憧れたものだけど、あんたはまさにそういう感じだ」
「当然だ。先生が解決された事件は数知れない。人外魔境の醜聞・『猿族殺し(マンハンター)』事件、『恐喝王』ミルヴァートンの討伐、そしてなんと言っても八虐を超える大悪党、『陰府法王』リンボとのライヘンバッハでの決闘……」
「で、隠居した警察隊の協力者が何の用だ。貴様が依頼されたのはユードラ=カプリチオ捜索のはずだ。死体に奴の居所でも訊きに来たか?」
助手の熱弁を遮り、帝が苛立った様子で尋ねる。
「陛下。彼奴がここへ来たのは別件で、偶然地上で出会った儂をここまで連れて来てくれたのです。地底回廊の外で力尽きていた儂を」バックゲェルが口を挟んだ。
「そういえば、お前の部隊は地底回廊の調査班だったな。バックゲェル。それに亡者の出所を知っているという先の発言……。何があった?」
「それは……」
バックは地底で見てきたことを手短に話した。人為的な落盤の痕跡、占拠された管制室と感染した警吏たち、金色無眼の謎の猿族……。
部隊は全滅し、自分だけが辛うじて地上へ戻ったと彼は説明した。
「地上への出入り口は最上層であい締め切りました。しかし、落盤と違って地上の一設備を閉ざしたにすぎません、奴らが本気を出せば簡単に破れるでしょう。なにより儂を追って来た管制室の連中を、外に逃がしてしまった……。数人とは言え人口の密集している地帯です。まずいことになったやもしれぬ」
「藪をつついて蛇を出したか……。イタロ、アリエスタの隊員たちをすぐに現場に向かわせろ。それから一番近い街への関所を封鎖し交通を規制するのだ。被害が拡大する前に急げ」
「はっ……」
膝を付いたイタロが足早に外へ向かっていった。
「今の話を総合するに、その謎の奇形の猿たちが怪しい、と?」
「左様。奴らの牙からは感染した警吏たちと同じ瘴気を感じた。それにあんな体の野風は見たことがない。……渡罪の伝承を除いては」
「伝承、ですか」
リリが聞き返す。
「地下の冥界の話だ。主も似たような言い伝えくらい聞いたことがあるだろう。儂ら渡罪の間では、その続きが言い伝えられている。海の底、そのまたさらに下の地の底には、金色の毛皮を持った無眼や単眼の魔物『抜餓鬼』がおって、死者たちの魂を喰らっていると……」
「黄泉の伝説と重なる」
ネヴァモアが相槌を打つ。「伝承は事実に基づくもの。歩く屍を生み出すネクロウィルスの発生源が地底の未知の生命体だとすれば、地上で戸喫の原因が発見されなかったことも感染事例が極端に少なかったことも説明が付く。何らかのはずみで地底人と接触した現地住民が最初の感染者となり、その邑に戸喫をもたらしていたということになる」
「だとすれば今回の地底回廊の一件は、何かのきっかけで地底回廊が地底人に見つかってしまい、そこで広まった感染者を外に出すことを恐れた警吏たちが、わざと自分たちを封じ込めていた……。そういう経緯になるのか?」
「少なくとも、私の推理ではそうだ」
エルロックが肯く。
「『蛇足』などが通る半地下には、とりわけ強い冥界信仰が残っている。彼らが好んで身に着ける半面の手拭いは、あたかもその奇面猿を模したかのようだ。半地下の住人がジパングに属さず独自の文化を形成してきたのも、はるか過去に地底人との交渉があったためだろう」
「半地下の交通網を経由できるとなれば、感染は全国に拡大する恐れがある。強力なアリエスタの力が、必要になるな」
帝が思案気に腕を組み、金と銀の両眼をリリとネヴァモアの方に向けた。
「ただいまを以てリリパットの仮出所期間を満了とする。本案件に関わる協力が、監視と行動制限を解く条件だ。二人にはネクロウィルスの分析と王都近郊の罹患者の治癒を担当してもらう。良いな」
会合が終わり部屋を出たところで俺はエルロックに声をかけた。貴族青年とともにエルロックが振り向いた。
「すまない、捜査の様子はどうかと思って。ユードラの行方は掴めそうか?」
「ユードラ……、ユグドラシル=カプリチオか」
エルロックは杖で地面をついて思慮深げに応じた。何か含みのある言い方だ。青年が探偵の様子を窺うように言う。
「使用人にしては随分不遜な名前を付けましたね、彼女の母親は。世界樹と同じ名前とは」
「世界樹?」俺は青年の方を向いて聞いた。青年は探偵に対してとは打って変わってぞんざいな口調で答えた。
「知らねえのか。超大陸四強が一角……、教皇領『バベル』に存在すると言われている、巨大な樹木のことだよ。12民族の起源と言われていて、あらゆる狂花帯はその樹から生れたとされているんだ。まあ『黄泉』と同じく、伝説の類だな」
「しかしその『黄泉』ですら、存在が現実のものとなった。あるいは世界樹の神話も……」
感慨深げにエルロックが顎を撫でた。「……そうだ、紹介しておこう、僕の助手、ヘイミッシュ=ミノタウラ君だ。もっとも君は元老院の一員らしいから、既に面識はあるかもしれないね」
ヘイミッシュが片方の眉を上げる。俺は無言で肯いた。
「彼は歳の割に頭の切れる男でね。私が野風であると推察して、南部の人里離れた山奥で隠棲していた私を捜し出したんだ。探偵業からは引退したつもりだったが、今回の事件の詳細を聞いて重い腰をあげることにした」
「俺は先生の大ファンなんだ」ヘイミッシュが胸を反らした。「俺の大叔父は当時の警察隊で事件記録の編纂係を務めていてな。先生の事件簿は全て目を通してる。その断片的な情報を繋ぎ合わせて、先生が生きていると推測したんだ。もっとも住処を探し出すためには、かなり足を使ったけどな」
彼を呼ぶのに、事件から一年もかかったのは、そういうわけか。
「私も今回の事件には胸を痛めている」エルが痛ましげに顔を顰める。「アスモデウス=カプリチオ……。南部時代の友人だ。残念なことに今回の事件で命を落とした。息子のアマルティアも、人種にも拘りなく接する心根の良い少年だった」
「アマルティアと知り合いだったのか」俺は目を丸くして聞き返した。
「君も彼を知っている?」エルロックが興味深げにこちらを見返す。「それは初耳だな。彼のこちらでの交友関係は詳しくない。元は王都の出身だと聞いていたが」
「ああ、でも俺が彼と知り合ったのは事件の少し前だよ。アマルはカプリチオの貴族集会(パンの会)のために磨羯宮へ招集されてたんだ。生存者で屋敷の住人でもあったアテネや、その元使用人のユードラ、ミーグルはアマルの幼馴染だった。一族の跡継ぎを決める因縁深い会議だっていうのに、アマルは許嫁だったアテネの身を深く案じてた。良い奴だったよ」
「アテネ=ド・カプリチオ……。今回の事件の唯一の生存者だな。アマルと共に搬出され、彼女だけが生き残ったとか。アマルから昔の彼女たちの話は聞かされていたよ。容疑者のユードラとミーグルは彼女の腹違いの妹だったどうだね」
「ああ、俺もひどく驚いた。アテネはその実の妹から命を狙われていたわけだ……。事件の前日、ひどく落ち込んで俺の家に来たよ。そして当日の翌朝、何者かに攫われて、そのまま事件に……」
俺は奥歯を噛み締めて言った。あの朝のことを後悔しなかった日は無い。「俺が傍にいながら、アテネは……」
「自分を責める必要はねえよ」ヘイミッシュが気の毒そうに言葉をかけた。「その時の実況見分は資料で読んだ。おそらくアテネを攫ったのは屋敷の人間だろう。磨羯宮に続く道にカプリチオ御用達の馬車の痕跡があった。パンの会前夜に屋敷を抜け出した当主の娘を、連れ戻しに来たんだろう。あんたがカプリチオの催眠で深い眠りに落ちていたことも分かってる。無理もない状況さ」
エルロックが言葉を引き取る。「気になるのは、なぜああまで強引にアテネを連れ戻す必要があったかだ。現場検証の資料では君の部屋の窓は割られ、揉み合った形跡もあったと言う。アテネが抵抗したにしてもいささか乱暴だ。まして当主の娘というのに」
「家の人間を装って、ユードラやミーグルが連れ出したという可能性は無いか?」
俺は気になっていたことを尋ねた。
「多分ないだろう。二人には偽装する必要もアテネを磨羯宮に連れて行ってから襲う理由もない。他家の線も同様だ。……ところで」
彼は俺の瞳をじっとみて尋ねた。「君はアテネ嬢の肌を見たことがあるかい?」
あの夜の、雨に濡れたアテネの唇を思い出す。その唇から紡がれた言葉も。俺はエルロックを睨み返した。「どういう意味だ?」
「ぁあ失礼、そういう質問ではないんだ。昔から言葉足らずだとよく言われる」エルは杖で床をつつきながら言った。「君たちがそういう関係でないことは分かっている。他意は無い、傷跡や痣といった身体的な特徴の確認だ。彼女と行動を共にする機会の多かった君なら、分かるかと思ってね」
「……彼女は袖の長い服を好んできていたように思える。あまり肌を晒すタイプではなかったようだが」
「そうかい。いやありがとう」
エルロックは聞きたいことは聞けたという風に出口の方へ踵を返した。