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人獣見聞録‐猿の転生 Ⅵ・春にして君を離れ  作者: 蓑谷 春泥
第1章 ナイト・オブ・ザ・リビングデッド
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第4話 死者の奢り

 肉体にかかる強烈なGが、俺を圧し潰していた。這いつくばった両手、両足がひび割れた地面にめり込んでいき、全身の骨という骨が悲鳴を上げた。重力は強さを増していく。

 俺は叫びながら数メートル先の地面に転移した。勢いを増した重力に後ろの地盤がずしりと凹んだ。

「典獄……、『流刑』のラバスティーユか……」

 俺は息をつきながら立ち上がった。敵は一瞬で消えた俺の姿を見失い、きょろきょろとあたりを右往左往している。改造人間の肉体+野風の筋力でやっと持ちこたえられるほどの強力な重圧(プレッシャー)だった。警察隊の上級長官を務め、カミラタに次ぐ実力と権威を持ち、獄門院の左腕として力を振るった囚人が、どうしてか目の前にいる。それも見るも無惨な屍となってだ。奴だけではない、他の連中も手配書で見たことのある死刑囚たちだった。

なぜ奴らはあの身体で動ける? いや、そもそもどうやってここまで来たのか? 報告では、少なくともラバスティーユは地底回廊に収監され、そのまま地下深くで処刑されたはずだったが……。

 俺ははっとした。地底回廊は音信不通……、メルがそう言っていたことを思い出した。点と点が繋がる思いだった。地底回廊の連絡途絶は単なる落盤事故のせいではなかったのだ。おそらく監獄は機能を停止し、生ける屍と化した囚人の一部が外へ漏れ出している。だが……、それなら今、地底回廊で何が起っている?

 屍の一人がこちらの姿を発見した。屍は空になった眼窩と口腔から、勢いよく炎を吐き出した。俺は焔を躱し、木々の上に飛び乗った。樹木のある環境は野風にとって地の(アドバンテージ)になる。如意宝珠を取り出す。枝々の上を飛び交いながら、敵の間に空間を繋げて遠隔突撃を繰り出す。

 打突に苛立ったように典獄が手を振るう。見えない手に掴まれたように俺は枝の上から強烈に叩き落とされた。「⁉」ちょうど真下にいた亡者の身体が重力の巻き添えを食ってバラバラに散らばる。驚いている暇もなく、引力に釣られ倒れてきた木々が俺の上に覆いかぶさる。

 俺は宝珠を盾にして倒木を受け止めた。俊敏に典獄が左手を動かし、宝珠をはたき落とした。ずしりと重力が加わり、宝珠の先端が地面にめり込んだ。

 もはや持ち上げることは不可能だった。俺は宝珠を手放して重力の範囲外に転移し、這うようにして大地を蹴った。棒きれを刀に変成した敵の首を蹴り抜く。加減したつもりだが、想定より脆かった亡者の首はあらぬ方向にひしゃげた。

 首が直角に曲がった屍はなおも動きを止めなかった。「おいおい……!」俺は顔を引き攣らせ思わず後ろに引いた。とびかかってきた屍の腕が空を切り、つまずいて木の又に頭を打ち付ける。首が千切れ転がる。ようやっと屍は死体へ戻った。

「生きて……は、いないみたいだな。肉体はとっくに朽ちているし、自我も失っているように見える……。生き返ったわけじゃない、死体が動いているだけだ」

 身体から花を咲かせ始めたアクアライム族のゾンビを組み伏せながら分析する。花粉が毒を持っていると予知が知らせたので息は止めたままだ。心臓に拍動はなく、首を絞めても苦しがる気配がない。生命活動は完全に停止していると見て良さそうだ。なんなら脳みそまで零れかけている。どうやって体を動かしているのか不思議だ。

「おい、流刑のラバスティーユ。俺が分かるか。かつてお前の監獄に閉じ込められていたましらだ。お前の主人である獄門院が、今のお前を見たらなんと言うかな」

 ラバスティーユは呼びかけには応じず、ただ機械的に腕を振るっただけだった。俺は戦闘不能にした死体を放棄して後方に飛び躱した。自身の名にも、獄門院の名前にも反応しない。やはり理性を失っているわけではなく、本当に、物体としての肉体だけが動いている状態なのだろう。

今の奴らは生前の面影を持った、動く肉体だ。見かけは同じでも、そこに彼らの心はない。やはり、死者の魂が蘇ることはないのだ。いかなる方法をもってしても。……あまりいい気持ちはしないが、これ以上憐れな死人(しびと)として罪を重ねる前に葬ってやるのが、せめてもの情けだろうか。

 最後の一人となった典獄が、唸り声と共に広範囲に強重力を発生させる。俺は予知で察知してさらに後方へ瞬間移動する。木々や人のいない家屋が重力に飲まれ地面に引き込まれていく。凄まじい重圧だ。

 とても近づくことはできない。踏み込めば奴に到達するよりも早く叩き落とされるだろう。しかし一箇所だけ、奴の重力を受けても問題のない場所が存在する。俺は典獄の真上に転移した。ここでは重力も、攻撃の重みを裏付ける武器に変わる。降下の勢いを利用して俺は地面に激しくラバスティーユを叩きつけた。

 地面が割れ、腐敗したラバスティーユの背骨が砕ける。襲い来るGの中、俺は奴の顎に手をかけた。

 不意にラバスティーユが顔を背けた。最後に一矢報いようとするかのように、奴は俺の腕に隙間だらけの歯を突き立てた。

「いよいよ獣じみてきたな。だがいまさらその程度の反撃じゃ……」

 拳から駆け抜けた電流が、俺の言葉を途絶えさせた。

 激しい痛みが一瞬にして肉を伝わった。「……ッ!!」腕が痙攣し、ラバスティーユを突き飛ばす。重力の照準が狂い、ラバスティーユが飛び込んだ茂みの上に木々が折れ重なる。脆く朽ちた肉体はひとたまりもなかった。典獄は叫び声をあげることもなく沈黙した。 

重力の影響は消えている。俺は冷や汗を浮かべながら腕を見る。依然として痛みは退かない。それどころか麻痺として右腕を覆い始めた。

 ラバスティーユが死亡しても続くということは、能力ではない……。毒か? 俺は意識が何かに侵食されていくような感覚の下で考えた。人肉を漁る死体、消えた村人……。腐敗した奴の体から、何かが移っているとすれば……。

 俺は叫びを押し殺しながら王都の診療所へ我が身を移動させた。

 景色が変わる。東国の神秘的な森から日常の風景へ。

「ましら君!?」

 リリが叫びながらこちらに駆け寄る。ああ、ずっと待っていてくれたのか、そんな淡い感情も額に浮かび上がる脂汗に押し流されていく。

「リリ……、細菌(ウィルス)だ。感染性の病原菌の類だ。右腕を……」

 リリは瞬時に何かを察したように掌を傷口に押しつけた。

ふ、と目の洗われるような感覚がして頭の中の靄が薄らいだ。

アリエスタの免疫操作……。体内に抗体が作られていく。やはり痛みの正体は細菌のようだ。痛みと麻痺が漸次に消えていき、まばらだった意識がまとまった形を保ち始めた。

俺は汗を拭い、腕を握りしめるリリの横で深く息をついた。

「……ありがとう。やはり何らかの病原菌だったか。アリエスタの免疫能力に救われたな」

性質(たち)の悪い野犬……でもなさそうですね。一体『何』にやられたんです?」

 腕からそっと手を離し、リリが尋ねる。そのまま噛み傷を指でなぞり、傷口を塞いでいく。俺は溜息をつく。

「こっちが聞きたいくらいだ。この世界じゃ死体が動き出すくらい日常茶飯事か?」



 一寸先も分からぬ暗闇の中に、ランタンの火が揺らめいた。地上から細く真下へ伸びた坑道を警察隊の一小隊が降下していく。バックゲェルは鱗の生えた皮膚を水かきでなぞった。隊員たちの頬に汗がじわりと滲む。深度が増すごとに坑道の温度は少しずつ高まっていた。おまけに風通しも悪い。蒸し暑い空気が淀になって頭上に堆積していた。

「副隊長、あんたよくこんな地下任務を引き受ける気になったな。あんたら海の猿族(サハギン)にとっちゃきつい仕事だ。それとも、自分の住処が懐かしくなったかな」

 隊員の一人が前を向いたまま、揶揄するように尋ねた。殿を務めるバックゲェルはふんと鼻を鳴らした。

「海の猿族(サハギン)は肺呼吸と(えら)呼吸を両方使える両棲生物じゃ。むしろ湿度の高い地下は過ごしやすいまである……。それに地上任務なぞ『渡罪(わだつみ)』の任務でいくらもこなしてきたわ。都の若造は知らんだろうが……」

「けっ、司法取引で出て来ただけの裏切り者がよ。あんたが獄門院の下で西の警察隊を煽動してたこと、俺たちゃ忘れちゃいねえぜ」

 隊員のいざこざの間に割り込んで、小隊長がすっと指を立てた。隊員たちが立ち止まる。行く手を大きな岩の一面が塞いでいた。報告にあった通りの落盤箇所だ。

「エコー、仲間割れは程々にして測れ。カルキノス族の仕事だ」

「はいはい、分かりましたよ、小隊長」

 エコーと呼ばれた隊員は肩をすくめて前に進み出た。指を曲げ、行く手を塞ぐ岩盤をノックする。集中するように目を閉じた。

「……こいつはかなりの厚さだ。物理的にぶち抜くにゃ(ゴブリン)でも連れてくるしかないぜ」

「その必要はない。こっちにはジェミナイア人がいるんだからな」

 隊長が目で指図し、ジェミナイア族の隊員が岩に触れる。重厚かつ硬質な佇いで鎮座していた岩盤が、見る間にクッションのように柔らかみを帯びた。

「あとは掘削していくだけだ。力仕事は任せたぞ、野郎共」

 言いつつ坑道の岩肌から五つのスコップを生成し、小隊長が岩盤を掘り始めた。隊員たちも各々のスコップを壁から抜き取り、炭鉱よろしく柔らかくなった岩を削り出した。

 光明は程なくして現れた。隊員の突き刺したスコップが壁を突き抜け、岩盤の向こう側の景色を覗かせた。勢いづいた隊員たちはスコップを動かす。開通した道を彼らは勇んで通り抜けた。

「思ったより楽な仕事でしたね。あとは管制室を復旧させて奥に居る看守たちを救い出すだけだ」

「気を抜くなよ、空腹の囚人たちが暴動を起こしている可能性もある。危険と判断すれば撤退を命じるからな」

 小隊長が窘める。エコーと呼ばれていた若い隊員は大仰に首を振った。

「大丈夫ですよ班長。この辺に人の気配はありません。カルキノスの耳を持つ俺が言うんだから間違いない。死んだように静かですよ」

 管制室のドアを開ける。蝋燭の灯りがぼんやりと部屋を照らしていた。一同は中の景色を見て言葉を失った。そこには図らずもエコーが言った通り、看守たちの物言わぬ死体があった。

「おいおい、マジで暴動かよ」

 エコーが目を丸くする。

「……遺体の状態を確認しろ。死後どれくらい経過しているか確かめるんだ。回復させられる者がいれば話を聞く」

「この有様じゃとても蘇生なんか望めませんよ。どう見ても損傷がひどすぎる。遺体も死後三ヶ月は経ってます」

 隊員たちがぼやく中でバックゲェルが足を止めた。

「……妙だな」

「どうした? バックゲェル」

 小隊長が呼び止めた。バックは中央に立って、薄明かりの管制室を見回して答えた。

「暴動が起きたにしては、この部屋は綺麗すぎる。それに死体はずっと前からあったはずなのに、この部屋の蝋燭には火がついたままだった。まるでついさっきまで此奴(こやつ)らが活動していたかのように……」

 隊員たちが目を見開く。バックの説明に感心したからではなかった。彼の後ろに、信じられないものを見たからであった。

「バック、避けろ‼」

「⁉」

 小隊長の警告も間に合わず、バックの肩に鈍い痛みが走る。バックは呻き声をあげて振り返った。そして我が目を疑った。そこにはすぐ後ろに倒れていたはずの屍の姿があった。

 部屋中の死体がゆらゆらと起き上がり出す。部隊は完全に包囲されていた。

「クソがっ、なんだこいつら! はめられたってわけかよ⁉」

「詮索してる暇はない! お前らは坑道を戻って撤退しろ! ここは俺が食い止める……、ッ!」

小隊長の腕からスコップが落ちた。足元から跳ね上がった屍がその腕に噛みついていた。

「隊長!!」

「うろたえるな、ただ噛まれただけだ、いいからお前らは行け!!」

 床に手を合わせ、壁から無数の土棘を隆起させる。鍾乳洞のように突き出た岩が次々と屍を刈り取っていく。バックゲェルも出口を塞ぐ死体をスコップの殴打で撥ね飛ばした。

「此奴らどうにも執拗(しつこ)そうだ……。速やかに出るぞ、うぬら!」

 バックが率先して退路を切り開いた。管制室の外に躍りで、扉を掴んだ隊員が中に叫ぶ。

「小隊長も外へ! 扉を封鎖すればこいつらも追っては……。……隊長?」

 隊員の言葉が途切れる。部屋の中央でうずくまった小隊長の様子に異変を感じ取った。

「……おい、ヤバいぞ‼ なんだこの数の足音?」

 エコーが取り乱したように叫ぶ。バックは促されるがままに、坑道の先を振り返った。監獄の奥から、物凄い勢いで何かが雪崩れ込んでくる。黄色い毛皮に無眼や単眼の顔面、ニタニタと不気味な笑みを浮かべる奇妙な生物の群れがすぐそこにあった。

「野風……? いや、しかしあんな外見の猿族は見たことも……」

「んなこと言ってる場合かよ‼ 小隊長! 今すぐ道の先に壁を……」

 エコーの要請は見開かれた眼とともに中断した。倒れ伏した隊員たちを後ろに、凶暴な亡者と化した小隊長の牙が彼の首を突き刺していた。

「若造ッ!」

「ッそ……! 逃げろサハギンっ。あんただけでも……」

 若者の言葉は虚しく意味の無い羅列に終わった。最期の力を振り絞り、扉を塞ぐようにして部屋の内側へ倒れ込んだ彼の目は、既に他の屍同様、胡乱な目つきに変わるところだった。

「ッ……。若輩者が……」

 足音の轟音がすぐ傍まで迫っていた。バックゲェルは苦し気に呟いて目を坑道に逸らし、スコップを槍のように構えなおす。

「……?」

 彼は遠くの影に目を凝らした。異形の怪物たちは目前に迫っていたが、その背後に佇む白い亡霊が彼を当惑させた。そんなはずはない。しかし彼の眼にはまぎれもなく、かつて幾度となく拳を交えた、死んだはずの猿族の英雄が写っていた。

「……『銀将門(マサカド)』……?」

バックゲェルの体を、怪物の群れが覆いつくした。


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