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人獣見聞録‐猿の転生 Ⅵ・春にして君を離れ  作者: 蓑谷 春泥
第1章 ナイト・オブ・ザ・リビングデッド
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第3話 アンダー・グラウンド

 地下道に冷たい沈黙が流れた。

 俺と奴、アングラムシの間には因縁があった。この世界に来てまだ間もない頃、俺はやつと監獄の中で出会った。囚人たちの中で一大勢力を築いていた奴に、俺の仲間は殺されたのだ。その後の野風の抗争でも俺たちは衝突し、俺はやつを下した。俺たちは互いに借りのある関係なのだ。

 しかし、やつとまさかこんな場所であうことになるとは思わなかった。グラムシは緑衣の(グリーン・ゴブリン)に半殺しにされた後、精神を病み外へ出られなくなったと聞いていた。

「……まずは」

 グラムシがこちらに向き直る。俺はいつでも応戦できる構えで、やつの握ったつるはしを睨みつけた。つるはしから手を離し、グラムシが口を開いた。「礼を述べておく、真白(ましら)(そそぎ)

「……は?」

 俺は耳を疑い、怪訝な顔で聞き返した。

「魔境が焼き討ちされた時のことだ。お前は仇である俺を火の手から助け出してくれた」

 グラムシは片膝を落として跪き、平伏の姿勢をとった。「すまなかった。お前の仲間の命を奪ったことを詫びさせてくれ」

「……どういう風の吹き回しだ、今さら」

 俺は問い詰めるような目でニミリを睨んだ。緊張したような面持ちでニミリがこちらを見返す。

 俺は地面に跪いたままでいるグラムシを残して踵を返した。来た道を引き返す。

「待ってくれ、ましらクン」

 出口のタラップの下で、ニミリが追いついてきて、俺を呼び止めた。

「奴は外へ出られないんじゃなかったか? 鬼に敗けて以来緑色恐怖に罹ったと聞いていたが。人が変わったのもそのせいか?」

「ここには闇しかない。緑を目にすることなく社会生活に復帰できる環境として、半地下は適所だと思ったんだよ。ここで働き始めて、兄貴の症状も少しずつ改善し始めた。気性も昔の穏やかな頃に戻りつつある」

 俺は足を止める。ニミリは俺の後ろで立ち止まって続けた。

「急に連れてきたことは申し訳ない。兄貴を許してくれと言うつもりはないよ。ただ、グラムシの兄貴がこうして立ち直ろうとしていることを君に黙っていることは、不誠実だと思ったんだ」

「ケジメのつもりか? あいつのやったことは変わらない。罪が消えることは……」

 言いかけて俺は口を噤んだ。神妙に続きを待つニミリに背を向け、俺はその場を後にした。

 罪が消えることはない。だとすればリリは……。俺は自分の言いかけた言葉を呪った。


 〇


 不二原の鉱山でジェミナイア族の職人(ノーム)と話を付けると、俺は鍛冶場の外へ出た。立ち込めていた蒸気の外に出ると、からりした東国の空気が心地よく感じた。

「あー、気をつけなすってな、ましら殿。この頃夕(ゆん)べにゃ『(おに)』が出ますっけに」

 東国訛りで職人が言った。「『鬼』?」俺は足を止め、思わず強く問い返した。「『(ゴブリン)』のことを言ってるのか?」

 リリの顔が頭をよぎった。

「いんやー、鬼は鬼ですわ。都の言葉じゃあ『亡者』とでも言いますかいな」

「亡者……」

「ええ、人喰いの化け(もん)ですわ。日が落ちますとなァ、山猫やなんぞのように遠近(おちこち)を歩き回るのです。この辺は鍛冶場の火であまり寄り付かないが、隣の(むら)ではそいつに喰われて姿を消した者が何人もいると言います」

 単なる迷信と打ち消すのは簡単だが……、伝承には実態が伴うものだ。かつて都市伝説と言われた『緑衣の(グリーン・ゴブリン)』や『古代兵器』が、意外な形で実在したように。となると、獣の類か。盗賊や夷の落ち武者の可能性もあるが……。

「……なんにせよ被害が出ているのなら、対処するのがこちらの仕事だな。継続的な警備はスペクトラたちに任せるとして……、今日は俺が見回りをしていく」

「そうしていただけりゃ、ありがたいですが。よろしいので?」

「なに、そういう役回りだ。それにあんた達はいい仕事をしてくれる。現地の住人は大切にしないとな」

 事実一年前の政変時には院にその点を突かれ、向こうへ技術を渡す羽目になったのだ。


 夜が深まるのを待って俺は木立の上に身を潜めた。金色殿にはこの一件の報告と、それから診療所に一瞬だけ顔を出して帰宅の遅れることを伝えた。

 妙な夜だった。梟が遠くで泣き、どこかの家の子供が鼻を鳴らした。生暖かく冴えない風が枝を揺らして星明かりを掻き消していた。

 瘴気を感じた。俺は野性でその気配を敏感に察知し、耳をそばだてた。既に野風細胞は解放しており、猿猴状態に変身している。広範囲の動物の動きを察知するためだ。

 不意に、どこからともなく唸り声が響いた。俺はすぐさま身構えた。その響きに異質な気配を感じ取ったからだ。獣のような力強さはなく、さりとて人間や野風の怒声とも違った。闇に目を凝らし見渡すと、地下駅の方角から何人かの人影がゆらゆらと、足を引きずるようにして歩いてくるのが見えた。

 シルエットは人間のそれだった。酔っ払いか何かだろうか。だとすると「亡者」とやらが来る前に立ち去るよう警告しておいた方がいいだろう。俺は木の上から飛び降りた。

「おいあんたら。ここは危険だ。早いとこ家へ入れ」

 肩に手をかける。その感触に背筋がぞっと粟立った。男がのろのろと振り返る。「……ッ!!」俺は絶句して後退った。彼の腐れ爛れた皮とも骨ともつかぬ変色した顔が目の前にあった。眼球の外れた眼窩にはぽっかりと(うろ)が空き、纏った襤褸切れの隙間からは筋繊維が露出している。紛うことなき死体だった。

「っ、こいつら、『亡者(ゾンビ)』かッ⁉」

 中央の屍が唸り飛び掛かってくる。他の者も負けず劣らずの腐乱死体で、こちらを取り囲むように列をなす。見かけによらずそこそこのスピードだ。

 俺は飛びついてきたゾンビを払いのけ、取り囲むゾンビの一人にぶつけた。肉体が朽ちかけているせいか力は大したことない。予想外の怪物に動揺させられたが、一体一体落ち着いて対処していけば、そう厄介な相手ではない……。

 ……と、思ったのも束の間。

「⁉」

 体に感じる「圧」に俺は膝を付いた。目の前に立った老人の屍が、掌を下に向け押し付けるような身振りをしている。

「……⁉ お前は……」

 俺は目を疑った。そのままのしかかる強大な重力に圧し潰された。


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