千里の道を(1)
「レイア様、どうして変節してしまわれたのですか?」
絞り出したかの如き台詞には苦笑いが返ってくる。
「一筋縄ではいかなくてよ。海千山千の老獪な重鎮たちが居座る政界、生き残るには上手に泳ぎきらねばいけないわ」
「だからって初志を……、必ず叶えようと誓い合ったあの夢をも捨てるとおっしゃるのですね?」
「わかって、ワイアット。まずは多数の支持を得るところから始めなければならないの」
「そのために国民を犠牲にしても構わないと!」
(あの腐った政治家どもの支持を取り付けるために理屈をひねり出すなど本末転倒です。だって、奴らの後ろには利権まみれの首魁しか……)
男は苦しい胸の内を眉間の皺に押し込んでその部屋をあとにした。
◇ ◇ ◇
惑星国家メーザードの首都ザーディラは虚飾の繁栄に彩られている。街行く人の顔は笑顔に満ち、豊かな明日を当然のように享受している。
しかし、それはこの国のごく一部しか表していない。地方では貧困にあえぐ大多数の国民が苦しみの声をあげている。政府はその声に耳を貸さない。今ある平和は国民の努力の成果であると謳うだけ。
(私はどの口で政府の施策を称えればいい?)
彼、ワイアット・クスタフィンは大統領府広報室長である。三十一歳の若さで本院議員であり、その地位にいられるのは現在の大統領であるキトレイア・イブストルが長を務める『至心会』という派閥に属しているからだ。
派閥の後押しをもらって当選し、本院議員に選出されたときは希望に燃えていた。これで派閥の名のとおり、国民一人ひとりに寄り添った施策に全力を尽くせると思っていたからだ。
(それがどうだ。今じゃ、この格差社会を助長するばかりの施策しか打ち出せない税金泥棒。政府のメッセージボードでは拝金主義者の犬とまで呼ばれてる)
貧困層の敵と化してしまった。
役職上、自身の志など語れない。議会が承認した政策をただ漫然とメディアを通して国民に伝える役。非難の的となる損な役回りである。
「出直すべきか。レイア様の元を離れて新たに一歩を踏み出さないと今の立場を変えられない。でも、派閥のバックアップ無しでもう一度議員の椅子に戻れるのか?」
ぶつぶつと呟きながら街を行く。
個人的な資産など知れている。貧しくはないが、選挙戦を戦うとなれば莫大な資金が必要となる。唱える政策だけで寄付を頼りに戦い抜ける自信はない。
さすれば、党や派閥の力を頼らねば志も叶わない。いつまで経っても堂々巡りでしかない。
「私に力があれば」
詮無いことだとわかっている。それでも口にしないと自分の中のなにかが壊れそうな気分だった。
「開発の進み具合のわりに、なんていうか色のない街ですね」
台詞が耳に痛い。
「でも、味には関係ないのぉ。地方には気候風土に合った産物がいっぱいあるみたいでぇ、一味違う顔を見せるからぁ」
「確かに料理も少々パンチがありますし、スイーツにも奥深さを感じさせるなにかがあります。もう少し探査の輪を広げるべきでしょうか?」
「こうなったら、地方にまで足を伸ばすべきなのかもしれないしぃ」
会話に気を持っていかれる。聞くからに外の人間の台詞だった。他国からどう見えているかはワイアットも最も知りたい部分でもある。
(どんな人がそんな感想を……)
目を向ける。
「う……ん?」
つい声に出してしまった。
「気持ちはわかります。わかりますが、続く台詞を絶対に口に出してはなりません。一生後悔する羽目になるかもしれませんよ?」
気付いた青年が不思議な念押しをしてくる。鮮やかな金髪に少年かと思うような童顔で、非常に眠そうな目でこちらを見ていた。
「ジモッティなのぉ。捕獲すべきぃ」
「無闇にそんなことを言ってはいけません、クゥ。ここは禁猟区です」
なにか聞こえてはならない単語が並べられている気がする。
そもそも彼女のほうが捕獲対象に見える。完全に小動物タイプの少女であった。
(ウサ……耳……?)
獣人種が珍しいわけではない。人類種が多数派のメーザードにも多数の獣人種移民がいる。都市部に限られるが様々な仕事に従事していた。
ただし、彼女のタイプは見たことがない。だいたいあり得ないはずの配色だ。水玉模様のウサ耳など。しかも、顔の横には猫の三角耳まで生えている。
「駄目……なのか?」
若そうな青年ゆえに敬語を忘れる。
「ええ、いけません。彼女はあなたの知識だけでなく預金残高まで侵食してくるでしょう。一度接触したら逃れる術はないのですよ? 一生を棒に振る覚悟はお有りですか?」
「クゥを病原体みたいに言うのぉ。クゥはとっても人に優しい病原体なのにぃ」
「結局病原体なんじゃないですか。感染することに変わりありません」
話の流れについていけない。
「きっと幸せになるのぉ。クゥももっと幸せになるのぉ。主にお腹と舌のあたりぃ」
「たかる気満々で初対面の方を確保するわけにはまいりません。なんの罪もない誠実そうな方ですのに」
「私か? 私など罪にまみれた害にしかならない存在に堕ちてるね」
愚痴になる。
「罪の自覚があるのぉ。確保可能だってぇ」
「いや、君に支払う罰金は誰も潤さないではないですか」
「クゥの胃が潤うから問題なしぃ」
コントのような二人組のやり取りにワイアットは巻き込まれていた。
次回『千里の道を(2)』 「日夜、戦いをくり広げているからぁ」