朝まだき(5)
戦闘艇ライジングサンの操舵室では搭載機のガンカメラ映像が投影されている。戦闘終盤でそれは起こった。怖ろしいほどのスピードで急接近してきたゼオルダイゼ軍機がクアン・ザに斬り掛かってきたのである。
(駄目かと思ってぇ)
それほど一瞬のことであった。
結果としてその斬撃をルオーはスナイプフランカーの一射で弾きのけている。その瞬間のことを彼自身もどうやったか憶えていないほどの反射的な行動だった。それがなければ機体は袈裟に二分されて戦死していただろう。
(もう駄目と思ったことなんていっぱいあるのにぃ)
クーファはくり返し経験している。
兄や姉でさえ数えるのが嫌になるほど。弟や妹もそうである。友人知人に至っては記憶さえ定かでない。それだけの死を間近にすれば期待などしていられない。
いつかいなくなってしまうものと思っていなければ心が耐えられない。それが彼女の基本的な受け止め方になっていた。ルオーたちにしても同じである。特に死に近い職業に就いていればなおさらだ。
(クゥ、いつの間にかルオは絶対に死なないものだと思っちゃっててぇ)
現実を忘れていた。
(ううん、忘れたかったんだぁ。変わったんだと思いたくてぇ)
しかし、そんなことはなかった。一つ間違えばあの優しい眠たげな青年も彼女の前から一瞬で消えてしまうのである。思い出した瞬間、クーファの胸の奥に一本の小さな棘が突き立ってしまった。今も痛みを伝えてくる。
「じゃあ、調合済みの分はこれぇ」
艦医で彼女を産まれたときから知っているサロム・テンクルに渡す。
「ありがとうございました。これで足りるはずです、お嬢様」
「うん、足りなくなったら言ってぇ。ライジングサンに戻るぅ」
「はい、お嬢様もお休みください」
一人で中央通路を歩く。それさえも痛みが強まる原因になった。以前はそんなことなどなかったはず。最近はルオーと並んで歩くことが当たり前になっていたからだろうか。
(クゥ、おかしくなっちゃったのかなぁ?)
慣れとは怖ろしいものだと思った。
(ルオはこんなので凹んじゃってるクゥが嫌いかもぉ)
いつも笑顔でいられるよう気遣ってくれていた。それなのに、彼女がおかしな感情に振りまわされていると幻滅してしまうような気がする。
(嫌い? 嫌いになっちゃうのが嫌ぁ?)
ふと自分の感情に気づく。
(それって関係なくてぇ。好きなら好きでよかったのにぃ)
ルオーのことは大好きである。それは彼女の感情であって、相手が自分のことをどう思っているかはあまり大切ではない。関係を築いていく時間などクーファにはなかったのだ。まずは自分の感情をぶつけなくては始まらない。
(そっかぁ。クゥはルオに好きになってほしくなっちゃっててぇ、それでいなくなると困るって思っちゃったんだぁ)
それが痛みになって伝わってくるのである。
(じゃあ、どうすればいいのぉ? 大好きって言えば好きになってもらえるぅ? ちょっと違う気がするぅ。だって、ルオはクゥのお世話をしているつもりなんだもん)
それは彼らの一族の成り立ちから来るもの。本来、レジット人はルオーとティムニの立場からすると敵であったはずなのだ。しかし、青年は彼女を敵とは思わないでいてくれた。
レジット人の今の在りようをきちんと見極めるべきだと主張して、クーファや彼女の一族を見守っている。監視対象であるがゆえに、ルオーは彼女たちがありのままでいられるよう心を砕いてくれた。
(殻を破らないとルオの本当の気持ちは見えてこなくてぇ)
今のままでは二人の関係は変わりようがない。
(でも、クゥがどうすればルオに好きになってもらえるかわかんない。だって、ルオは今のクゥが嫌いじゃないはずでぇ。それくらいはわかるもん)
青年は柔らかなフィルターの向こうから彼女を見ている。それはクーファにとって実にじれったい状態である。ルオーはおそらく意識的に自分の感情を見せなくしているのだ。
(ルオは誰にも平等でぇ)
ほとんど常識である。
(困っている人には親身になって話を聞いてぇ、救いを求めてると感じたら助けないといけないって思っちゃってぇ。それはクゥに対するのと同じ感情でぇ、そこに自分の欲求なんて入ってなくてぇ)
彼は要するにフラットなのである。常にそうあろうとしているようだ。フラットであるからこそ、相手は彼の中に自分を見る。クーファであれば、名前を知らない感情の扱いに困っている自分を見せる。
(わかんなぃ。一緒してればわかると思ってたのにぃ)
船内に戻る。歩いていると向こうから当の青年がやってきた。
「様子を見に行こうと思っていたところです」
彼女の前までやってくるとかがみ込んだ。
「忙しかったんですね? 忘れてますよ。とりあえず、これでもいいです?」
ウサ耳を頭に着けてくれる。ルオーの顔が近い。勝手に身体が動いてしまう。背伸びをして、自ら唇を彼のそれに重ねた。
(あー、これだったぁ!)
クーファは自分の中でいい知れぬ感情が花開いたのを感じた。
次回『朝まだき(6)』 「こんな狡い男でもいいんです?」