朝まだき(1)
ゼフィーリア・マクレガーはミラーパネルを表示させて自分の顔色を確認する。少し赤らんでいるが指摘されるほどでないと判断した。
「上長報告です」
コミュニケーターAIにアクセスするとしばらく待たされる。
「ご苦労さま、ゼフィーリア」
「お疲れさまです、九区課長」
「フルスキルトリガーの動向ですか?」
彼女は「はい」と答える。
「ずいぶんと賑やかなようだけど」
「漏れ聞こえていますか。祝勝会という名の謝恩会だと思います、ホーコラの」
「ああ、それで抜けてこられたのね」
不定期でよいとされているが報告は欠かせない。情報部でも、エージェントをやっていれば様々な任務があり、人目を避けられる状況を作れないことも往々にしてある。
「現状、本件の依頼を遂行するつもりのようです。当面の結果のほうはすでにご存知でしょうが」
結論から端的に告げる。
「ええ、最初から相当厳しい条件だったはずなのに見事な勝利を収めるとは」
「初戦は落とせないと思っていた様子です。なので、ずいぶんと派手に進めたと感じています」
「普段はそこまで前に出ない感じ?」
為人を訊いているのだろう。
「控えているというよりは分を逸脱しないよう心掛けているかと」
「流れを乱さないつもりなのね。結構信頼されてのポジションだと思うのに」
「彼は、なんというか、あくまでサブであると戒めていると見えます」
様々なケースに関わってきたが、ルオー・ニックルほど掴みどころに困る人物はいなかった。高い能力を持つほど誇示したがる人が多い中で、隠したがるタイプがいないとは言わない。それは矢面に立つ危険を避ける傾向の表れだ。
ところが彼は違う。高い能力を誇るでなく、かといって隠すでない。ただ、役立てる術を求め続けているように思えた。必要であれば最も危険な場所に立ち、誰かの益になるよう振る舞う。まるで流れを整えるのが役割であるかのように。
(依頼者は彼の中に自らの深奥を見る。希望を具現する写し絵みたいなものだから)
彼女も危うくそこを覗きそうになってしまった。
「上に立って事を成し遂げる意思はない?」
課長が気にしているのは、星間管理局に御せないほどの影響力を発揮する可能性である。
「あり得ません。望みませんから」
「彼が目指すものでない?」
「個の望むものではありません。だからこそ、誰もが希望と感じてしまいます」
ルオーは平穏を望むと口にするが、それさえ怪しい。
「望まないから希望ね」
「具現者でしかないのです」
「一番扱いに困るわ」
望みがあるから、叶うように寄り添えば信を得ることができる。だが、当人に望みがないとなれば対処法がない。ゼフィーリアは、フルスキルトリガーを取り込むのは難しいと思っている。
「それでいて寛容?」
課長も珍しく思いを露わに苦笑いしている。
「気づいてる?」
「はい、気づいています。明言しないのは、それがわたしの望みだと思っているからでしょう」
「それだと、なにがあろうとあなたを遠ざけたりもしないように聞こえるけど」
端々から感じられる。
「おそらくは。それどころか……」
「なに?」
「いえ」
(わたしが有害でないかぎりは守ろうとさえしてくれると思う)
ルオーは仲間を見る目で見てくれる。
(居心地がいい。そんなふうに感じてはいけないというのに)
「取り込もうとして取り込まれてない?」
「……否めません」
嘘はつけない。
「別に構わないのよ。情報部としては、ルオー・ニックルに危険視されなければいいんですもの」
「わたしはその程度の存在でしょうか。いえ、聞き流してください」
「売り渡すとは言ってないでしょう」
エージェントとして有能な自負がある。
「あなたほどの人材を専任に置きたいと思うほどにゼムナ案件は重要なの」
「理解しているつもりですが」
「もっとずっとよ。直接でなくていい。あなたの望みに彼が寄り添おうとすればするほどゼムナの遺志の思惑がこぼれてくる。それでいいわ」
星間管理局とフルスキルトリガーを繋ぐ糸になれと言われる。それが実現するならば、確かに極めて重要なポジションだといえる。
「普通に暮らす幸福を望んでもいいのかと思ってしまいます」
それもエージェントの自負が言わせる。
「幸福だと言ってしまう時点であなたの望みなんだって気づいてる?」
「怖ろしいんです。ルオーは、鏡なんです。わたしの深奥まで映してしまうほど磨き抜かれた」
「出会えた幸運に感謝なさい。私だって部下に不幸を負わせるのは本意ではないのよ」
彼女どころではない苦しい立ち位置であろう。
「申し訳ありません。少し課長を誤解していたようです」
「正直に言えるくらい澄んできている。気にしなくていいわ。あなたはもう十分に貢献してくれた。自分のことも大事にしてあげなさい。それがこれから一番大切な心掛けじゃない?」
「そうですね。自分を大事に思えるほどに、彼は私を大事にしてくれると思います」
それこそが彼女の任務を円滑にしてくれる。そう思っているべきだろう。でなければ、自負を満足させられない。
「どうせ、これも見られてるんでしょうし」
「それはないと思います。きっと、目こぼしされてます」
ティムニは覗いていないと信じている。
「十分に大事にされてない?」
「心苦しいです。幸せって、ときに苦しいものなんでしょうか?」
「経験していけば、いつかあなたにもわかるときが来るわ」
(自分の望みなんて無視した生き方をしてきた報いなのかしら)
どう受け取るべきか悩むゼフィーリアであった。
次回『朝まだき(2)』 「自分で考えられんか?」