清らかさ知る(1)
ルオーは宇宙の風を読む。意識の感覚に浮かぶ金線は一直線ではない。ホーコラの重力に引かれて微かに湾曲し、恒星からの宇宙線を受けて気持ち歪みが表れる。
クアン・ザの超高感度レンズカメラが遥か三千km先のアームドスキンを粒立ったノイズの一つがごとく捉えていた。そこに向けて照準を調整する。
フィットバーのグリップセンサーが彼の指の微妙な調整に応えてスナイプフランカーの砲口を0.1mmずらす。恒星風で揺らめく射線を指のタッチだけで合わせてトリガーを押し込んだ。
遠すぎてどんな結果が起きたのかまで確認できない。ただ、小さく光が瞬いたのをカメラが捉え、σ・ルーンで展開していた望遠パノラマに光点を刻んだ。
そこで命の一つが終わりを迎えたとしてもルオーに感慨はない。軍事力による抑止もしくは行使が主たる業務である。お互い、そういう世界に身を置いているのだから非難される筋合いもない。
「ほんと呆れる。この距離で当ててく、フルスキルトリガー?」
ゼフィーリアの感嘆混じりの台詞。
「本人を前にそんな呼び方やめてもらえません?」
「今の曲芸見せられて、どこに否定する要素があるか教えてくれたらやめてあげる」
「だったらいいです」
彼らが浮いているのは戦闘艇ライジングサンの傍だ。隠密行動のまま接近しようとしている民間軍事会社の艦艇は検知されていない。ただ、ノイズの傾向からティムニが方向だけ予測して、クアン・ザのセンサーが捉えただけの状態。
「連中、まさか有効射程いっぱいで狙われるとは思ってないじゃん?」
ベルトルデのパトリックもまさか命中させるとは思っていなかったようだ。
「収束度落ちて破壊力失ってても仕方ない距離だし」
「衛星軌道ですからね。この高さだとわりと粒子量多いですし、高収束ビームでないと撃破まではいかなかったでしょう」
「こいつは近寄ってこれないな。そこいらのPMSCじゃ怖気づいて撤退するぞ」
嘲笑している。
「言います? 君が狙ってみろって言ったんですよ?」
「近くをビームが通っただけでビビると思ったんだって。見えない敵が攻撃してきてると勘違いするじゃん」
「まあ、ステーションの傍なんで重力場レーダーだと混ざって判別できないでしょうから」
レーザースキャンには遠すぎる。ターナ霧で電波レーダーは自ら目潰ししている。重力場レーダーは分解能が低くて集合した質量体を判別できない。
結果、もっと近くにいるはずの敵が見えていないと錯誤する。恐怖心を惹起された人間は容易にパニックに陥るだろう。
「出番ないか。せっかく新装備を試せるかと思ったのにさ」
本気で惜しんでいる。
「余計に死人を出す必要なんてないでしょ? 依頼人の悪評に繋がるだけだわ」
「なにが起こったかなんて公表するわけないじゃん。向こうが先に手出したって認めるようなもんだし」
「被害が大きかったら、責任なすりつけに情報操作するかもしれないわ。わたしだったらそうするかしら」
パトリックは「怖っ!」とおののく。
「当たらなくてもあと二射にしときましょう。それで十分です」
「当てておいてくださる?」
「死人出すなって言ってなかった?」
「抑止に必要な犠牲よ」
ゼフィーリアは事態を大きくしたくないという意図が働いている様子だ。エスカレートすると圧力の背景が実力行使に出るかもしれないと考えている。
(まだ早いって考えてるのかなぁ、管理局は。確かに今の段階で盟主が動き出せばオイナッセン宙区は泥沼の戦争になってしまいそうだね)
十分に手足をもぎ取ってから始末を付けるつもりなのかもしれない。極力小さい規模の争乱で収める意図を感じる。なにより、これほどまでに強引な手腕を振るう理由が掴めていない。
ルオーは残り二射も決めて矛を収めた。
◇ ◇ ◇
「それで逃げ帰ってきたって? ぎゃはは。ウケるー」
弟のボンボが爆笑している。
「見えない敵とかいるわけがないだろう? 隠密状態で狙撃をもらっただけだ」
「ビーボ兄貴の言うとおり。相手も同じ手を使えるってわかれよ、ぎゃはは」
「ただし、こちらの動きを察知されたのは事実だ。その点だけは警戒しておかねばなるまい」
イーダ・オルコーザは癇に障る笑い声に耳を塞ぎたいのを我慢している。二人はビーボ・バラーダとボンボ・バラーダの兄弟。通称バラーダブラザーズと呼ばれているパイロットである。
「君らも盟主殿が遣わされている凄腕パイロットなのだから、軌道会などという輩が幅を利かせるのは困るのではないか?」
腰を上げるよう仕向ける。
「違うって。俺らはあんたらが気を変えて盟主殿に逆らおうとしたら消すように言われてる監視役だって、ぎゃはは」
「待て、ボンボ。これ以上の弱体化は望んでおられるまい。敵方にも戦略性、実力が認められる以上、早期に叩いておくべくだと考慮する。よいな?」
「ビーボ兄貴が言うならやるけど」
乗ってきたようだ。
「戦力拡大には我がホーコラの工業生産力も不可欠なはず。失って困るのなら守ってもらわねばいかんな」
「仕方あるまい。手勢は?」
「引き続き民間軍事会社を使ってくれ。今の情勢で軍や警備機関を使うと管理局がしゃしゃり出てくる」
「了解だ」
立ち上がった二人を苦い面持ちで見送ったイーダであった。
次回『清らかさ知る(2)』 「なびかない女はすぐにお払い箱なのかしら」