手を伸ばし(3)
一度は自暴自棄になったザロが、狭い寝るだけの部屋に戻りたくないと思って迷っているとルオーが自分の船に招いてくれた。もう夜も更けている。翌日、待ち合わせるなら手間は変わりないという。
(なんか、気を遣わせたな)
少女に見えるクーファも二十五歳の彼と同年代の成人だという。人種的特徴で幼く見えてしまうだけらしい。
「美味い……」
出された夕食を口にして感嘆する。
「英気を養ってくださいね。あなたの行く道が懸かっているのですから。真剣に取り組んでほしいんです」
「これ、高いんじゃないのか?」
「それほどでも。現地で美味しいと感じた素材を安く調達して保存してるんです。簡単な調理でも美味しくいただけるものでしょう?」
人生で数度しか味わったことのない高級料理に匹敵する。
「悪いな、相伴に預かって」
「どうせ消費する予定の量ですから。実はもう一人社員がいるんですけど、当面は単独行動すると言ってます」
「この豆シチュー、美味しくてぇ」
テーブル上には操船AIだと紹介されたピンク色のショートヘアーの3Dデフォルメアバターが踊っている。ティムニという彼女は『あたしの料理の腕も捨てたもんじゃないしー』とクーファと戯れていた。
「こんなシンプルでヘルシーな料理でも気分が変わるでしょう? 美味しいものは人生を豊かにします」
シチューに浸したパンを口にしつつルオーが言う。
「ほんとだな。なんか、溜まってた色んなものが流れ落ちていくみたいだ」
「元気になるぅ」
「わかるよ」
自然に笑えるようになっていた。数時間前には死んでも構わないと思っていたのが嘘のようだ。心に豊かさがなくては人は生きていけないと思い出す。
「あとは身ぎれいにしてぐっすり眠れば明日は戦えます」
「戦う?」
「あなたの道です。自分で勝ち取ってください。僕たちにできるのは助力だけです」
言われるがままに疲れを流してベッドに潜り込む。
(思うと、いつも誰かに言われたとおりのことしかできてなかった。自分で選ばないから苦しかったのか?)
柔らかで寝心地の良いベッドが、考える暇もなくザロを夢の世界に蹴り落としてくれた。
◇ ◇ ◇
翌日、何年ぶりか爽快に目覚めたザロは自動調理器が差し出してきたトレーの中身を猛然と掻き込む。身体がゴーサインを出している。
「びっくりだ、こんなに調子良くなるなんて」
「足りるべきものが足りれば自然とやる気になります。そんなものです」
「お主、やるなぁ?」
『んふー、かかってきなさいー』
猫耳娘はなぜかアバターと食事の味で張り合っている。
もう一つの足りるべきもの、彼のフィットスキンも一晩で綺麗にしてくれていた。すべすべで柔らかくなった宇宙服に腕を通すと気分も良くなる。
「今日は、失礼のない程度には気を遣う相手に会います」
眠そうな青年もフィットスキンだが小綺麗だ。
「誰?」
「政治家です。まずは直接話してみないとピンとこないと思います」
「いや、そんな気軽に会えるもんでもないだろ?」
簡単なことのように告げる。
「そうでもないです。管理局籍の僕が政策方針に興味があるといえばアポイントは取れましたよ。話次第で寄付も匂わせましたけど」
「結局、金か」
「外の人間の支持というのも宣伝材料になりますし」
のほほんとした見た目のわりにルオーはずる賢く抜け目ない一面もあるようだ。相手を選ばず、平気で策を弄している。
「野党ではありますが、民尊党のエルゲン・クルーガーという方です。昨夜狙っていた与党共生党の議員さんより話しやすいでしょう?」
知らない名前だった。
「どんな人なんだ?」
「国民に寄り添うと謳っている政党ですので、試しに話を聞いてみてください」
「でも、俺、政治のことなんてさっぱりで」
どう話せばいいか皆目見当つかない。
「アポどおり基本僕が話します。ザロさんは疑問に感じた部分を突っ込んで訊いてみればいいんです」
「それなら、なんとか」
「お試しですから」
気楽に話を進め、約束の時間が近づくとオートキャブでエルゲン・クルーガーなる人物のオフィスに出向く。秘書官に丁寧に案内され、ソファーで対面した。
「ようこそ、ホーコラへ。私がエルゲンだ。話を聞きたいとのことだが?」
まだ若いと思われる議員が堂々と腰掛けている。
「お時間いただきありがとうございます。若輩の身と思われるでしょうが、僕はこれでも管理局社籍の民間軍事会社『ライジングサン』を経営しています。友人のザロ・バロウズに会いに来たんですけど、どうも仕事に悩んでいるようなので、ホーコラの今後が気になりましてお聞きできればと」
「なるほど。それは心配だね。確かに君の友人のような労働者層の意見が政治に反映されにくい状況にあるかもしれない。私は国民の付託を受けた一人として改善の道はないかと模索している」
「ええ、先生の掲げるポリシーページにもそう記してありました。なので、どういう活動をなさっているのかとお伺いできればと」
今朝見たエルゲン・クルーガーのプロフには三十四歳と表示されていた。議員だけあって、それ以上の存在感を放っている。だが、ルオーは気負いもせずに流暢に話を進めていく。
「お話次第では応援させていただきたいと思いまして」
「ああ、なんでも訊いてくれたまえ」
(言っても、俺、なんにもわからないんだが)
ザロはにわかに不安になってきた。
次回『手を伸ばし(4)』 「では、現実に目を向けてみましょう」