手を伸ばし(2)
決して体格のいい青年ではない。押さえられたザロの腕もその気になれば払いのけるのも簡単なほど。そうしなかったのは、彼の中にも罪を厭う意識が残っていたのだと思う。
「恨みつらみがあるかもしれませんが、ここで暗殺に及んだところでなにが変わります?」
感情の見えない顔で正論を吐く。
「お前にわかるもんか、俺たちの苦しみが。その身なり、どうせ外国人だろう」
「ええ、縁もゆかりもありません。でも、寝起きが悪くなりそうで見過ごしたくないんですよ。あなたみたいな覚悟をできる人があたら将来を捨てるなんて」
「捨てるんじゃない。告発になる。誰が本当に悪いのかを」
そんなのは方便だ。彼じゃなくともホーコラの問題は皆が理解している。ただ、誰も声をあげられず、苦しみの沼の底でじっと身をひそめているだけである。
「命を懸けずとも告発はできます。犯行に及べば、確実に射殺されますよ? あなたの行動が顕在化するのこそ相手は怖れてるんですから」
「射殺される。怖れてる?」
腕が緩んだ。
「そうです。相手が一番面倒に思うのは、あなたの身柄が確保され動機が明確になることです。声高に主張されることです。もちろん、聴取内容を秘密にするのも可能でしょうが、負わせたのがレーザーのかすり傷一つでも死んでもらったほうがいい。見せしめにもなりますし」
「見せしめ。そうだよな。わかってるんだ。わかってるけど、じゃ、どうすりゃいいんだよ」
「甘いものでも食べて冷静になりません?」
袖を引かれて気づく。大きなウサ耳を着けた少女が不安げにザロを見上げている。まるで彼の迷いと動揺を映す鏡であるかのように。
「甘いの、美味しいよぉ?」
「そう……かもな」
自分の所為で誰かにこんな顔をさせたいわけじゃない。今夜、思い切れたのだって、働きに働いた両親が亡くなってちょうど一年だったからだ。無性に苦しくて、酒でも飲まなきゃやってられない気分になって、それでもどうにもならない気がして、切羽詰まって思い立っただけ。
「柄じゃないんだけどな」
「プライドでお腹は膨れません!」
青年の妙に強硬な主張によってスイーツパーラーに足を踏み入れる。少女が歓声をあげてカウンターへと走ったので、店内の女性たちの目は連れを見るものになる。案外気にならなかった。
「甘いな。こんなだっけ」
妙に身体にしみる。
「そうです? 今一つなんですよね。どこを覗いてもこんなもんなんです。大概は掘り出し物の一つや二つあるもんなんですけど」
「ここで売られてるもんなんて、材料費ケチって適当に作ってるからな。酒もなにもかも、それっぽいものしかない」
「困りましたね。せっかく足を伸ばしてきたのに」
青年の表情が真剣そのものなのが面白い。
「なんでそんなに夢中なんだ?」
「人生の中心だからです。食べるというのは単なる栄養摂取ではありません。人が最も幸せを感じる瞬間でなくてはならないんです」
「お前みたいなこと言うやつ、初めて会った」
つい笑顔になると青年も口元を綻ばせる。少女だけが口を尖らせながらもクリームを舐め取る行為に真剣に取り組んでいた。
「僕はルオー・ニックルです」
「俺はザロ・バロウズ。調整技師やってる」
少女が自分を指して「クーファ!」と嬉しげに名乗る。
「調整技師?」
「軌道の重工業プラントな、かなりの部分が自動化されてる。でも、やっぱ調子悪くなったりするんだ。それを診て、直してまわる仕事」
「なるほど。それでですか」
ルオーがこめかみあたりを指す。
「ああ、古くなったアームドスキンで巡回してるからな。そうじゃないと間に合わない。お前は?」
「僕は民間軍事会社のパイロットです」
「そっか。危ない仕事してるんだな。無闇に命捨てるなって言いたくもなるか」
青年もσ・ルーンを着けている。輪環式のかなりメカニカルなデザインのものだ。戦闘職ならそこは手を抜けない部分だろう。ザロのぼろぼろのそれとは違う。
「落ち着いたところで話を戻しましょう」
ルオーが穏やかな面持ちで切り出す。
「告発は身を投げ出さずともできると言いました。どんな方法があると思います?」
「想像もつかない。あのとき、あいつの前に行って文句を言ってやればよかったのかな」
「それは簡単ですが、ほとんど効果がありませんね。どれだけ声高に叫んだところで彼らの心には響きません。自身のやっていることを理解していて身構えているからです」
確かに言われるとわかっていれば受け流せる。
「無力だよな」
「そこが問題です。あなたはそう思わせられてるんです」
「思わせられて?」
なにをしても無駄、そう思っているがルオーは違うと言う。ホーコラは星間銀河圏のほとんどを占める民主国家であって、国民には投票で政治家を選ぶ権利が与えられている。
「でも、決められた候補者に投票しないと次の日から路頭を彷徨う羽目になる」
現実はそうだ。
「言うからにはそうなのでしょう。ですが、それは正しいんです?」
「正しくない。正しくないけどなにをすれば……」
「では、正しく権利を行使しましょう」
さも容易なことのように言う。
「誰に入れても同じなんじゃないか? ここには似たような政治家しかいない」
「それを確かめてみましょうか。一度身を捨てる覚悟までしたのなら、仕事を放り出してもいいんじゃないです?」
「仕事を? そうかもな。死んだ気になってできることやってみるか」
ザロはルオーの誘いに乗ることにした。
次回『手を伸ばし(3)』 「僕たちにできるのは助力だけです」