夜明け待つ(6)
お国事情によほど興味のないかぎり、ビスト・ゼーガンの名は耳に入ってくる。国政に多大な影響力を持つ人物だ。
それでいて黒い噂は全くといって無い。清廉潔白で人徳があるというよりは辣腕なカリスマの印象が強い。
(この方が総理だった頃ってまだ子どもだったからそう思っちゃったのかもしれないけど、ほとんど一人でこの国をまわしてたみたいな感じする)
サリーはそう記憶している。
現実にそんなことはないと今はわかる。しかし、そのくらい大人物なのだ。明確に未来のビジョンを語り、今すべきことを明言し、それでいて庶民の暮らしにもしっかりと目を向けていた。
(そのビスト翁が兄さんに頭を下げて親しく話してる?)
最初は意味がわからなかった。
それでも、今回の騒ぎを企んだ人物を糾弾し、高い視点で諭す姿に驚く。急に兄の背中が大きく見えてきた。
思い返してみると、ルオーの内面にはあまり触れてこなかった気がする。いつも眠そうにして何事にも動じない兄に自分の感情をぶつけていただけかもしれない。
「しかし、困りましたね」
容疑者として連れていかれる二人を見送りながら兄が眉根を揉む。
「今回の件で不特定多数の怒りを買ったのは事実です。それほど広範囲に僕のことは知れ渡ってはいないでしょうが、少なからず国家権力の中枢にいらっしゃるのは面白くありません」
「申し訳ないな。ご家族のことは儂が保証しよう。信じてくれとしか言えんがね」
「どこまで掌握できます? 巧妙に裏から接触してくるような人物ばかりだと思うんですけど」
兄の視線はアントニーやバーナードといったゼーガン家の人にも向いている。彼らも結構な有名人である。
「では、そろそろ戸籍を当方にお移しいただくのは如何です?」
そう進言したのは案内してくれた管理局アテンダントである。
「先輩?」
「ディエリアと申します、ルオーさん。貴殿の三年近くにわたる実績はポイントとして積算されております。貢献度の高い方として申告していただければ管理局戸籍の取得が可能ですわよ?」
「そっちの手段ですか」
兄は渋る口調で応じる。
「取り込む気満々です? でも、有効策なのは事実なんですよね。おいそれと手が出せなくなる」
「ぜひに。もちろん、ご家族も含めてのお話です」
「はぁー……」
大きなため息を吐いている。
ルオーがなにを躊躇っているのか理解不能だ。とんでもなく良い話なのに飛びつかない理由が思い当たらない。様々な面で優遇が受けられる。特に兄のように国際的な活動をしていれば。
「なにが不満なの、兄さん」
「僕の自由がなくなります!」
「目が怖いから」
珍しく見開かれている。そんなに大事なことなのだろうか?
「居住地まで変わりません。固定資産税などはマロ・バロッタに納めていただかなくてはなりませんが、公共サービスなどは引き続き受けられます。そのうえで、管理局の優遇もプラスされますよ?」
一点の曇りもない笑顔でディエリアが誘う。
「観念しますか。父さんはそれでも構いません?」
「ぼくもこれ以上家族に怖い思いをさせたくはないよ。良いお話みたいだからお受けしてはどうだい?」
「わかりました。僕のほうで申請しておきます」
話はまとまったようだ。思いもしなかったところで望んでいたものが手に入る。
(クラスの皆にうらやましがられちゃうかも)
休み明けの学校を思うと顔がニヤついてしまう。
「先輩、また指導に来てくださいます?」
喜びが口を開かせる。
「ええ、機会があったら。あなたも入局希望でしたよね?」
「はい!」
「この人に指導を受けてるんです? それは……、この人って……、もういいです」
煮えきらない態度になる。
「ディエリアちゃん、オレは誘ってくれないのかい?」
「ええ、あなたも申告なされば通ります」
「違うさ。今夜のベッドにだよ」
いつの間にか肩を抱いている。「ご遠慮させてくださいな」と手の甲をつねられていた。
「サリーちゃんはオレに興味……」
「額に焦げ跡が欲しいんですか?」
「それ生きてないだろ!」
「コシュカ、お菓子まだぁ?」
「もう少しお待ちください」
「そこ、オレの心配してくれよ!」
滅茶苦茶なままその場は終わる。
(ちゃんと帰ってくる約束させたし、今後は兄さんともデートしよ)
数日後にルオーの出立を見送ったサリーは心に決めたのだった。
◇ ◇ ◇
ライジングサンの操舵室でパトリックはふてくされている。シートに深く腰掛けてマロ・バロッタの領宙を抜けるまでの暇な時間を、星の海を眺めて潰していた。
「ゼフィーリアちゃんとは二度と会えなかったし、ディエリアちゃんはつれないし、いいとこなかったぜ」
「冗談でしょう? どう見ても情報部エージェントじゃないですか」
「だろな。でも美人だぞ」
そうでなければ、あれほどの権限はない。彼らが通されたのは管理局ビルでも高機密フロアとされる場所だ。
「でもな、管理局はなんで今回消極的だった?」
「あくまで憶測ですよ?」
ルオーは前置きしてくる。
「実は内偵している案件に関わる事態だったのではないかと思います」
「内偵してる? あんな杜撰な計画で?」
「別の側面があるんです」
ルオーはコンソールに肘を突いて続ける。
「君の言うとおり失敗前提の杜撰な計画で誰が得しました?」
「いないな」
「ええ、いません。でも、印象付けました。加盟国の中にも星間管理局に反目する考えがある人間が少なからずいるってことを。明確な根拠がなくとも噂は独り歩きしてしまうんです」
「火のないところに煙は立たないか」
(アントニーたちは踊らされたな。忠告してやる義理はないがよ)
パトリックは座りの良い今の椅子を捨てる気がなかった。
次はエピソード『空き樽は音が高い』『手を伸ばし(1)』 「それはお供がほしいだけでしょう」




