夜明け待つ(1)
視界がスローモーションのように流れた。
お菓子の器をお腹に抱え込んだまま機敏に跳ねるクーファ。しかし、サリーは上から迫る大質量の圧迫感に身動きできなくなっている。ずっと走ってきた疲労だけが原因ではない。目まぐるしく起こるあまりの出来事に心が折れそうになっていた。
(ここで死んじゃうんだ、わたし)
アームドスキンの巨大な足裏が迫ってくる。
そのとき、視界に入ってきたのは背中だった。腕が使えないその身体が肩でサリーを押しのけた。次の瞬間、眼の前を足がかすめていく。彼女を押しつぶしながら。
「コシュカ!」
「はい」
返事がある。仰向けにこちらを見るライフサポーターの顔。ただし、その首から下はアームドスキンの足の下だった。
ころりと転がると、首の断面がこちらを向く。普通の人間のように見えた人工皮膚の下には様々な素材でできた部品が詰まっている。
「コシュカ、コシュカ? 生きてるのよね?」
「サブバッテリーでしばらく稼働可能です」
なにも考えられず、ただ抱き上げた。顔を自分に向けて頬ずりする。身を挺して助けてくれた感謝を込めて。
「ちっ、外したか。だが、もう動けないだろ」
「次に動けなくなるのはあなたの番です」
すさまじい衝撃音がして目の前に立っていたアームドスキンが吹き飛んでいった。代わりにモスグリーンの機体が蹴りつけた姿勢で宙に浮いている。
「ルオぉ!」
「無事です、クゥ? みんないますね?」
「兄……さん?」
そのアームドスキンに乗っているのが兄なのだろう。先ほどのものよりひと回り小さいボディが肩から生えたナイフのような武器を振り向ける。先端からビームを発すると、吹き飛んだ機体は脇のラインで横一文字に切り裂かれた。
「一遍に運びます。停まってるオートキャブに乗って」
ルオーが指示してきた。
「兄さん、コシュカが! コシュカを!」
「あとでなんとかします。今はまず安全な場所まで行きますよ」
「で……も」
「最後までご案内させてください」
コシュカの願いまでも無視できない。彼女の頭を胸に抱いたまま走り、両親や猫耳娘と一緒にオートキャブに乗り込んだ。
「少しの辛抱ですから」
「我慢するぅ」
アームドスキンが車体を抱え上げる。5mのボディを人型の機体が小脇に持ち上げている格好だ。金色に光る虫の翅をひるがえすと、そのまま空中を滑るように飛んだ。
「一分と掛からないはずです。管理局ビルが見えますね?」
「うん、見える。ごめんね、コシュカ」
頭を持ち上げてウインドウから外が見えるようにする。ライフサポーターは皆が不安を覚えないようにか、今の場所と目標までの距離を説明しつづけた。
「保護をお願いします」
「了解だ。そのまま降下してくれ」
管理局ビルの周囲には星間保安機構のものと思われるアームドスキンが何機も取り囲んで警戒していた。暴れている国軍のアームドスキンもさすがにそこまでは侵入してこない。
「すみません、遅くなって」
オートキャブを降ろした機体の胸の装甲が上に開く。中の下側だけしかないハッチが降りるとそこへシートがせり出してきて、シールドバイザーを跳ね上げた兄の顔が見えた。
「助かった。全員無事だ」
父が返している。
「ここ以外、まだ安全とは言えないので騒動を片づけてきます。待っててください」
「わかった。気を付けてな」
「いってらっしゃい」
両親は兄を送り出すつもりだ。しかし、サリーはあまりに不安でルオーの顔を見上げる。
「ちゃんと帰ってきます。もう少しですよ?」
「うん、早くね」
兄は頷いて機体の中に消えていく。極めて自然な動作で振り返ると、金翼をまとって大空へと飛び立っていった。
(いつの間にか兄さんに……。あんなに頼り甲斐のある人だった?)
自信に満ちた表情が彼女を落ち着かせていた。
「サリーさん」
腕の中から声がする。
「コシュカ……?」
「もうバッテリー残量がありません。長い間お世話になりました。親切なご家族にもらわれてコシュカは幸せなほうだったと思われます。ありがとうございました。さようなら」
「待って、コシュカ。待ってよぉ!」
静かに瞼が閉じ、安らかな表情のままコシュカは動かなくなってしまった。いくら呼び掛けてももう返事をしてくれない。彼女の命の恩人は和やかな面持ちを残して逝ってしまった。
「あああ……」
悲しみが止まらない。いつでもそこにいると思っていた。家に溶け込んでいるような存在だった、しかし、いつしか家族になっていたのだと思う。喪われた悲しみが心を苛んでくる。
「大切だったのね?」
「先輩?」
肩に手を置いてきたのは、以前アテンダント過程の授業で現役として話しに来てくれた先輩だった。興奮するクラスの生徒を落ち着かせる穏やかな笑みはそのときのままである。
「ニックル家の方ですね? こちらへいらしてください」
一家に呼び掛けてくる。
「んー? アテンダントの偉いほうの人ぉ」
「あなたも」
クーファには口元に指を当てて内緒のジェスチャーをすると、丁寧に案内を始める。ロビーの奥にあるエレベータまで行き、中へと招き入れた。
「バロッタはいったいどうなっちゃってるんですか?」
「それを今から見てみましょう。きっと悪いことになならないと思います。お兄さんがいち早く対処してくださいましたからね」
(兄さん? そうだ。まだ戦ってるんだ)
サリーはコシュカを大事に抱えたまま、涙を拭って外を見た。
次回『夜明け待つ(2)』 「心臓に悪い、ってぇー!」