波風高く(2)
困ったパトリックは近場で唯一の憩いの場を目指す。在外公館を除けば唯一国家権力の及ばない場所、星間管理局ビルである。
(問題は、絶対にナンパが成功しないって点なんだよな)
しっかりと教育された見目麗しい管理局アテンダントたちはいくら甘い言葉を囁やこうがなびいてくれない。ただし、彼の目を楽しませてくれる高水準の美貌が揃っている。
(ある程度はメイク技術の産物だったとしてもレベルは比べもんにならないし、目も心も潤わせてもらうかね)
ナンパが上手くいかなくとも素っ気なくされることもない。
(さて、なんと理由をつけて相手してもらうかだな)
世間話に付き合ってくれるほど彼女たちも暇ではない。ところが、話の種は向こうから転がってきた。
「星間銀河は誰のものでもない。自由にしていいはずだ」
「主権をこの手に取り戻せ!」
「勝手に管理される筋合いはない。自由をこの手に」
管理局ビルに向かう人々に訴えかけている集団がいる。その主張からして、国際関係を星間管理局に牛耳られているのを不満としている様子だ。
(どこにでも活動家ってのはいるもんだ。こういう輩ってのはだいたい吹き込まれて勘違いしてるだけ。実際に管理局のお世話になったことがあんまりない)
極めてリーガルでロジカルな対応をしているのに気づいていない。
全てが星間法ベースである。逆にいえば、それを遵守することしか考えていない。つまりは、星間法からはみ出さないかぎり星間銀河圏の秩序は保たれるとされている統制機関である。
(ぺーぺーのGSO捜査官からジュリア・ウリルみたいな怪物までピンキリだけどな)
ルオーは拒んだが、その怪物には別れ際にスカウトされている。彼女のアシストメンバーとして働かないかと言われた。
どうやら最近、ファイヤーバードのメインアシストをしていたパイロットが引退したらしい。彼女の事実上の夫であるその人物は、今は娘に首に縄を掛けられて隠居暮らしをしているという。
(面白い話だったが、あいつは縛られるの嫌がるもんな)
英雄への一つの道だとも感じた。実際、ファイヤーバードの息子だとされているジャスティウイングが時代を象徴する英雄だ。しかし、彼女が欲したのはパトリックも認めているルオーの力である。
「うるさいよ」
彼にも吠えてくる活動家の台詞を手で払いつつ管理局ビルの敷地へと入る。
クリアメタルでできている円弧状のエントランスドアの中へと進むと爽やかな香りに満ちている。人々を落ち着かせる柑橘系の香りに含まれる美人の香りを嗅ぎ取った。スイッチが入る。クーファにはオス臭いと言われる状態だ。
「こんちゃー」
航宙案内ブースへと肘を掛ける。
「いらっしゃいませ。どういった御用向きでしょうか?」
「まずは君の今晩の予定を訊きたいところだけどそうはいかないか」
「そういった御用向きでしたら、インフォメーションブースでお伺いいたします」
要はカスハラ対応窓口である。
「嘘うそ。結構久しぶりにバロッタに帰ってきたんだけど、ずいぶんと情勢が変わってるみたいだから理由が知りたくてね。主に外の連中」
「国民登録を確認させていただいてもよろしいですか?」
「はいはい。わかりましたよっと」
携帯端末を取り出してリーダーに読ませようとする。名前を見て、少しは驚いてもらえるかと期待しながら。
「エマ、そちらのお客様はわたしが対応します」
「わかりました、先輩」
あっさりと引き下がる。代わりにパトリックの前に立ったのは目の覚めるような美人だった。
(おいおい、まさか、引っ掛かったとか言わないでくれ)
彼の名前を把握して対応を変えてきた可能性。あるいは、兄弟の誰かが管理局ビルにまで手をまわしていたという可能性。
(ないな。名前見て代わったにしては早すぎる。だとすれば最初から顔認識チェックリストに入ってたってとこか)
相方には注意するよう言われている。ティムニの正体を気取られていて、彼にも接触してくる可能性。最も高い確率が当たったのだろう。
ビル内に入った瞬間から彼の動向は監視されていたのだ。全ての監視カメラが動きを追っていたとしてもおかしくない。
(ふう、ここでもハニートラップかよ)
そう思わせるに十分の相手である。
長い黒髪が背中を越えて腰までを覆っている。艶々とした光沢が目を引きつけてやまない。所作のごとに揺れ動くさまを見ているだけで魅惑されそうになる。
白い肌に細い頤。桜色の唇がほのかに微笑みをたたえている。透明感のある頬を染めているのは自然な血色だ。鼻筋は通り、それほど高くはないところも御愛嬌。
なにより、その瞳が素晴らしい。まるで黒い真珠のようだ。輝きを伴いながらも、その先に深淵を思わせるような深みを覚える。長い睫毛に縁取られた黒い星に魅入られていた。
「ゼフィーリア・マクレガーと申します。わたしがあなたの担当をさせていただきます、パトリック・ゼーガン様」
唇から紡がれるのは彼を泉の底へといざなう歌声のよう。半ば都市伝説と化した妖魔を前にしている気分になってくる。
「うーん、申し分ないんだけど、腰が引けるくらいだってわかってる?」
「なんのことでしょう」
「君の美しさが国を傾けるレベルだってこと」
それでも微笑むだけのゼフィーリアにパトリックの背筋がゾクリとした。
次回『波風高く(3)』 「そいつらは君の耳元で愛してるって囁いてくれないだろ?」