足が遠くも(2)
執務卓の向こう、背もたれからはみ出る背中はまだ大きく見えた。パトリックの祖父であるゼーガン家当主ビストは今年で六十五歳のはずだが老いを感じさせない。威圧感は健在だった。
「連絡を取らせたはずだが?」
「もう関係ないはずだぜ?」
チェアがくるりと回り、ようやく見慣れた顔を拝む。刻まれた皺は増えているかもしれないが、それは年齢ではなく風格を表していた。
彼を卓の前に立たせ、座ったまま応対するのも当然としている。血族を相手にするときさえそんな態度なのも変わらない。ビストにとって誰もが従う者でしかない。
「求めない、与えない。そういう約束でオレはあんたと、ゼーガン家と縁を切った」
三年前の宣言である。
「あのアームドスキンは手切れだった。一切の権限も財産も求めない。そう言って家を出たはずだ。オレが求めないのに、あんただけオレに求めるってのはどんな了見だ?」
「事情が変わった」
「家の事情なんぞ知ったことじゃない」
事実、家から何度もメッセージが入っていた。パトリックは中身を見もせずに破棄している。一般家庭の情などとは程遠いものだとわかっているからだ。
「お前がぜーガンを名乗っているかぎり無縁ではない」
勝手を言うのも変わらない。
「そう思ってるのはオレ以外のゼーガンだ」
「つまりはお前だけでしかない」
「あいかわらず人の言うこと聞かないな。どうした? 上の兄貴がころころと死んだとか言うなよ。あれは殺しても死なん」
傲岸不遜を四つ並べて一括りにしたような兄たちだ。
「儂が求めているのはお前自身ではない。お前の立ち位置だ」
「立ち位置だって?」
「ルオー・ニックルという男のことだ」
ビストからその名が出るとは思ってもいなかった彼は面食らう。だが、すぐに訝しんだ。
「そやつの行動を報告させろと命じた」
メッセージの内容が判明する。
「あいつはあんたが気に掛けるようなやつじゃない。ただの一般人だぜ?」
「たばかるな。ただの一般人の動向に星間管理局が注意を払うわけがなかろう」
「そういうことか」
理由を察した。星間管理局は以前からルオーをマークしていた節がある。どうやら協定者だというのを薄々ながら把握していたらしい。
要するに、パトリックのラインからルオーの様子を探るためにゼーガンの家へ内々に調査要請をしたのだろう。それを彼が無視したものだからご立腹なのである。
「あれはあんたに御せないぜ?」
大笑いしたあとに言う。
「それほどと言うか?」
「いや、理解できないからだ。ゼーガンの当主殿とは真反対の存在なんだよ」
「普通か。ならば利を諭せばいい」
ビストにとっては人を使うときの常套手段だ。
「ハズレ。あいつは義でしか動かない。っと、余計なこと言っちまった」
「義か、なるほど。一番動かしにくい。それがわかるのはお前もぜーガンということだぞ?」
「らしくないな。オレにそんなこと言うあんたじゃなかったはずなんだが」
祖父は彼に厳しかったのではない。無関心だったのだ。満足に足る次代はいる。十分な素質を感じさせる後継もいる。余分でしかないパトリックに配慮など無用と考える。
「そもそも、それが人にものを頼む態度か?」
皮肉な笑いを浮かべて告げる。
「まあ、そんな当たり前の教えをあんたから教わった試しもないんだがよ」
「不要だ。礼をもって遇そうが、人は裏切るときには裏切る。それよりは逃れられない枷を嵌めてやったほうがいい」
「そんな心持ちで対したらあいつは速攻突き放しに掛かる。鼻は利くんだ」
頑として拒絶するのは間違いない。
「いくらでも手はある」
「間違っても家族に手出そうとかすんなよ。あんたも星間管理局を敵にまわしたいとは思うまい?」
「話せ」
(ヒントを与えすぎか。こいつに議論で勝てるほど成長できてないってのは認めたくないもんだ)
パトリックは心の中で苦虫を噛み潰す。
「あんたの手に負える……、いや、やめとけ。家を潰したくないならな」
言葉を弄するほどにビストを利する。
「考えねばならんか。わかった」
「ちゃんと忠告したぞ」
「せめて、母親にくらいは会ってやれ」
意外な台詞だった。
「少しは老いたのか?」
「たわけ」
「もっと可愛く老いろよ」
それでも少しは近づけたと楽しくなったパトリックだった。
◇ ◇ ◇
気も足も重いルオーである。クーファが引っ張っているので片腕も重い。
両親とは不仲というわけではない。疎遠ではあるが、喧嘩をしたのではないしこれからもしないだろう。ただし、尊敬できるかと問われれば疑問符である。
自らの信条に沿うならば家族に不自由させても仕方ないと思うような父親である。それを咎めもせず、笑っていられるような母親である。
(他人から見たら人格者に思えるんだろうけど、子どもは堪ったものではないんだよなぁ)
気が滅入る。
「ルオのおうちぃ?」
「そのはずですよ。僕はここに住んだことないんですけど」
それなりの邸宅である。世間からは資産家と思われているだろう。現実は努力の賜物でもなんでもなく、転がり込んだ運の産物でしかない。
「ただいま、と言っていいんですかね?」
「おかえりぃ」
「なんでクゥが迎えてくれるんです?」
コントをやっていると、ルオーの知らない誰かがフロントドアから顔を覗かせた。
次回『足が遠くも(3)』 「だって。だって……」