赤い髪ひるがえり(6)
パトリックの背中が遠ざかっていく。彼が無事、隣のビルの屋上に到達して足を着けると逃げ遅れた参加者から歓声があがる。
「大丈夫だとわかりましたね? では、女性から順番に」
ルオーが告げると切羽詰まった面持ちで集まってくる。走行滑車はパトリックの操作一つでワイヤーを走って戻ってきた。女性客の身体にベルトを固定するのはジュリアに任せる。
「ジョラさんもどうぞ」
「わたしはキリクと一緒に最後でかまいません。責任です」
辞退される。
「ですが……」
「わたくしが最後を務めます。お二人を先に」
「アーギム、君までもです?」
クーファもルオーから離れようとはしない。先に渡ってくれるつもりはなさそうだ。意地になってしがみついている。
「僕は本当に最後になりますよ? それでも構わないんですか?」
「いいのぉ。クゥはルオと一緒に行くぅ」
「わかりました。見てのとおり安全ですからね」
気休めである。彼にも確証はない。実際、炎は燃えつづけ収まる気配も見せない。どう考えても人為的な火災であった。となれば、次になにが起こるか予想はできない。
「キリクさんもご婦人も無事に着いたぞ。次」
σ・ルーンからパトリックが伝えてくる。
「じゃあ、アーギム、君も」
「クゥを先に」
「彼女は僕が必ず安全に送り届けますから。ポーラさん、お願いします」
ジュリアに黒猫娘を託す。
「急いでね。早く済めば済むほど二人も早く脱出できるから」
「でも!」
「ギムぅ、ルオと一緒だから大丈夫ぅ」
二人の姿が流れていく。無念そうに手を伸ばすアーギムをクーファは心からの笑顔で見送っている。彼は絶対にクーファを無事助けなくてはならない。
(まだ、間に合う)
通路側から係員が到着し消火作業をしている。しかし、手持ちの消火機器では歯が立っていない。熱気は増し、二人のいる空間を圧してきている。
(窓フレームはそんなにやわじゃない。問題ない)
滑車が走ってきて手に収まる。
「行きましょう」
「うん、行こぉ」
ベルトで二人の身体を結んで固定した。
「大丈夫だとは思いますが、しっかり掴まっててくださいね?」
「しっかりぃ」
「そうそう」
クーファはルオーの懐にすっぽりと収まる。身体の小ささがこれほど有効に働いたことはないだろう。片手で支えると、滑車をフリーにするボタンを操作した。二人の身体は滑り出す。
「ふぁあ!」
地面まで何百mあるだろうか。心許ないことこの上ないだろう。コクピットでそんな感覚に慣れきっているルオーでさえ若干の不安を感じる。
「滑るぅ」
「楽しんでます?」
「アトラクションっぽいのぉ」
安心しきっているのが心苦しい。滑り出せばほぼ安全だと考えていても責任感がプレッシャーになっていたかもしれない。背中に添えた手に力を入れる。クーファは朗らかな笑顔を返してきた。そのとき背後で爆発音がする。
(そんな!)
走らせた視線にパーティー会場だった階から爆炎が広がっている様子が映った。致命的な瞬間がやってくる。ワイヤーを繋げていた窓フレームまでもが外へと吹き飛んでいた。
(もう少しだってのに!)
隣のビルの屋上まではわずか10m。しかし、二人の身体は落下を始めている。このままではワイヤーに吊られて壁面に叩きつけられるだろう。スピードからして命は助からない。
(なんとしても!)
ルオーは左手で猫耳娘を抱きかかえたまま右手を伸ばす。たゆたうワイヤーを必死に掴んで力いっぱい引っ張った。全てがスローモーションのように流れていく。
精一杯に足を伸ばす。つま先がかろうじて手すりに引っ掛かった。思いきり蹴りつけて身体を空中へ。両腕でクーファを守ると、肩口から屋上に転げ落ちた。
「ルオー!」
「クーファ!」
案じる声が聞こえる。
彼はゴロゴロと何回転もし、上下もわからなくなったあたりで止まった。目を開けば視界には星空が広がっている。どうにか着地できたようだ。
視野に猫耳娘の心配そうな顔が入り込んでくる。笑顔で返そうとしたが、その瞬間、激痛が全身を襲ってきて失敗した。
「く……、あぅ……。と、とんでもなく痛いです」
苦鳴が口を突く。
「大丈夫ぅ?」
「いえ、大丈夫じゃなさそうです」
「お前、そこは平気だって格好つけるところだろ?」
パトリックが苦笑いで言ってくる。表情の裏には安堵の感情が透けて見えた。ベルトを外してもらうが、一つひとつの動きのたびに悲鳴をあげる。
「締まらん奴だな」
「余計なお世話です」
「痛いの和らぐからぁ」
ルオーはクーファに膝枕をしてもらって救助が来るまで横たわっていた。
◇ ◇ ◇
幸い、ルオーの骨に異常はなく全身打撲ですんでいた。今はクーファの処方してくれた痛み止めで休めるくらいになっている。
「犯行声明です?」
ジュリアが彼の部屋までやってきて現状を教えてくれる。
「やっぱりテロでしたか」
「惑星シュルカ・レトから。事故にしては不自然な点が多かったもの」
「だったら、人権事案として星間保安機構が処理してくれますよね?」
国際事案なので星間管理局警備部の領分だ。
「ところがね、相手は国じゃないのよ。一部組織の過激派がミソノーに入り込んできてて、そいつらの犯行だっての。もちろん捜査はするけど、国相手に警告出してもすぐさま効果なしだわ」
「勘弁してください。うちの戦闘艇は整備に出しててアームドスキンもないんですから任せますよ?」
『治るころには帰るからー』
ティムニの言葉にルオーは顔をしかめた。
次回『灼翼の瞳に(1)』 「試してます?」